【前】君が欲しいもの。
「むぅ……っ、むむむ……っっ」
「お、いいぞ!いけいけ!!」
フォルカーの部屋に置いていた植木……、彼が風邪を引いた時に、空気の乾燥を防ぐために持ってきた鉢植えを庭に戻す作業をしていた。
一人でやっていては時間がかかるので、見知ったマテック隊から応援を呼んでいる。フーゴと二つ年上のヤンだ。
庭で作業をしているつもりが、いつの間にか『誰が大きな丸太を一番長く持ち上げていられるか』という勝負に変わり、ポルトは両腕をプルプルと震わせながら自分よりも太い丸太を担ぎ上げる。
「く~~~……っ……あぁっ!もう無理……っ!」
ドスンッという重音と同時に落とされた丸太の下から砂埃が舞う。
わかってはいたが、順位は最下位。それでもその差はほんの数秒だ。
「お前、随分と体力がついたな」
「もうちょっと柔らかいものならまだ続けられたんだけど……。やっぱ木は肩に食い込むな」
背負い方さえ間違わなければ大人の男一人くらいなら運べる。というか、戦場で負傷した仲間を連れてこなければいけないので、軍に所属している以上できなければ困る。
人間なら身体を曲げ、肩と首を使って上手く重さの分散が出来るが、柔軟性とは程遠い丸太ではまるで扱いが違う。
「でもよ、もうこんな重てぇ荷物なんて持たなくてもいいご身分になったじゃねーか。俺等の中じゃ一番の出世頭だ。羨ましいぜ」
今回の勝負で見事一位だったヤンがバンバンと背を叩く。
「皆が想像しているような程の甘い汁は無いけどな」
『お勤め言葉』以前の口調は久しぶりだ。気を抜いたらうっかり『私』と言ってしまいそうで、内心ちょっと冷や冷やしていた。
仲間達は言葉使いを直したことを知っているが、いざ使ってみると『お~お~、口調だけはお坊ちゃんだな』とからかわれたので、以後仲間の前では使わないようにしている。
「それにしてもお前と一緒に仕事するって久しぶりだ。どうだ?城内の仕事は?」
「ああ、城の仕事を任されてから急に忙しくなったし。……って言っても、雑用ばかりで犬小屋の床磨いてるか、寝室の床磨いてるかってくらいの違いなんだけどさ。最近はあの事件もあったし、殿下も風邪引いたりでちょっとたてこんでたな……」
狩りから帰った後、仕事の合間を見つけてはカールトンについて調べてみた。しかしこんな自分が調べられる範囲などさして広くはない。せいぜい噂話をチェックするか、フォルカーの机の上で読めない書類を眺めるのが精一杯。せめて何かわかればとダーナー公にも捜索範囲を広げようとしたが、護衛の多さに近づけず、遠くから眺めるだけにとどまっていた。見る人が見たら多分勘違いされる。
詳しいことはわからないまま。ただ採用形式は正式なもので、それはつまり元主人が持たせた紹介状が本物で、担当官が調べても彼の素性に怪しい部分はないと…そう判断されたということだ。現状だけでいうなら自分の方がよっぽど不信人物である。
「そういえば、最近殿下の姫遊びはどうなってる?」
「……あぁ、最近は大人しくしているな。使用人達からの噂も聞かないし」
「ちょっと前までは『次の女はどこでナンパされるか!?』なんつって週一で賭ができるくらいだったのによ」
「……思い出すと頭が痛い……。ちょっと目を離した隙にどこで女と密着してるかわからない人だからな。止めに行って相手に恨まれることだって珍しくなかったし。それでも最近は、陛下の一件があって単純に時間がないっていうのもあるんじゃないかな。犯人捜しの方もあまり進んでいないみたいだし……」
カールトンは証拠をいくつも残しつつも、身を隠すどころか城の最深部とも言える場所まで踏み込んできている。しばらくは何もしないと言っていたが、それがいつまでなのかは見当もつかない。
「意外とお前のことが心配で遊ぶの止めたんじゃねーの?」
「……は?」
「この前怪我をした時、殿下の部屋で休んでただろ?」
「いや、正確に言うと〈その隣〉だ。変な誤解されるから止めてくれ」
「部屋の入り口に衛兵立ってただろ?あれ、宿舎二つ隣の隊の奴でさ、この前話を聞いたんだ。殿下は二時間と開けずに部屋に顔を出してたって言うじゃねーか」
「え!マジで!?家族が熱出したって、仕事がありゃそんなに頻繁に顔見にいかねーって!」
(脱走すると思われてたからだろうなぁ)
実際したけど。
途中で捕まったし、その理由もちょっと恥ずかしかったので言わずにおこう。
「……俺、重要参考人だったし」
「でもよ?とうとう殿下が女に飽きて…っていう噂もあるんだぜ?」
「俺も聞いたことある!お前、もしかしなくても狙われてんんのっ?」
「あのなぁ……あの殿下が男なんて相手するわけ無いだろ……」
確かに療養中、王子は仕事の合間によく顔を出しに来ていた。扉の向こうでは次の会議の補佐役が待たされていたり、進行役の大臣が『殿下っ!お早くっ!』とせっついたりしてので、『そんなに頻繁にこなくても大丈夫ですよ』と何度も言ったっけ。
夜は『ちょっと動けるようになった阿呆が調子に乗らないように』と寝付くまで側にいた。彼のことだ、眠ったのを確かめてから外で美姫と逢瀬を……と思いきや、そのままベッド脇で眠り込んでいたり、身体が冷えた時は強引に怪我人を隅に押しのけてベッドに潜り込んできた時もあった。
従者になる前、宿舎では仲間達と雑魚寝をしていた。悪夢を見た夜は自分から誰かの側に行く時もあったし、寝相の悪い奴の隣に行って蹴られたこともある。だから、王子が隣で寝ていることに気がついても「ベッド狭くなるの、嫌だなー」程度にしか考えていなかったが……
「い…犬だって!犬だって言ってた!俺のこと!犬! 犬!犬!!」
頭の隅にぽんっと浮かんだ何かを消し去るように連呼する。何故か今日は心臓がバクバとして顔が熱い。
「犬?」
「そう!犬!カロンやシーザーと同じだって!拾ったからには最後まで面倒みるって!」
「何だお前、輿入れ先が決まったのか」
「馬鹿言うなっ」
思い出せ。『シーザー達同様、お前のことも最後までちゃんと面倒みてやる!』と言っていたじゃないか。自分は彼の犬なのだ。これが何よりの証拠だ。
「犬かぁ。確かに。お前なんか犬っぽいもんな。狼の世話始めてから一層磨きがかかってきたっつーか……」
「なんだよ、それ」
「それに殿下の所で仕事してから、ちょっとイメージ変わったよな。なんつーか…明るくなった感じ??」
「え?そ…そうかな……。自分じゃよくわからないんだけど……」
「前は黙っている方が多かったけど、今はツッコミまでできるまでに育っているもんなァ。殿下の性格が伝染ったんじゃねェか?まぁ、良かったじゃん。無愛想よりはよっぽど良いぞ」
「う~ん………」
仲間の言葉に首をかしげていた時、見慣れない男が声を掛けてきた。
「やぁ、ここにいたのかね!」
こんな場所にはまるで似合わない高級な服装。首に巻いているスカーフの白さなんて雪のようだ。顎に髭を生やし、特徴のある丸い顔。中年らしい腹を揺らしている。
親しげな笑顔を浮かべる男。しかし、その場にいた一同、彼との接点が思い出せない。
「ポルト君!私だよ!覚えているかい?」
「は…?私…ですか…??」
中年貴族なんてどれも似たような顔している。仕事に関係なければいちいち覚えていない。しかし馬鹿正直に忘れたと言うのも失礼だ。なるべく差し障りないように受け流すことにした。
「あ・あぁ~!その節ハーっ!お・お世話になりましタ!」
隣のヤンに「知り合いか?」と小声で聞かれ「まるで思い出せない」と脂汗を滲ませる。
「ロイターだよ。以前大広間で会っただろう?ホラ、豊穣祭の時に……」
「あ…ああ!そういえば……!」
一張羅に着替えて参加した晩餐会の夜。フォルカーにからみつくエルゼをなんとか撃退したものの、男装喜劇の恥ずかしさと場違いな自分の存在に絶えきれず、最後は脱兎のごとく逃げ出したのだった。
そういえば途中、しつこく声をかけられ色々聞いてきた貴族がいたような……。
「今日はたまたま城へ来る用事があってね。それで君のこと思い出して。ホラ、覚えているかい?私との約束を」
「約束…ですか?」
「狼と狼小屋を見せてくれると、そう言ったじゃないか。良かったら今日、見せてはくれないかと思ってね」
あの時、何を言われたのかはハッキリと覚えていない。恐らく早く帰りたくて、適当な返事をしてしまったのだろう。
「狼は今、片方が殿下と一緒に東の間の会議室におりまして、もう一匹は気分転換の為に森に放しています。見知らぬ人間に姿を見せるかどうかわかりません。小屋の方も…その、ロイター様に見て頂けるほどの準備ができておりません。予め日程をご連絡頂ければ、万全の手配を致しますが……」
「次はいつ城へ来られるかわからないじゃないか!じゃあ、遠くから見るだけで良い!森の奥に彼らの小屋があるのだろう?以前殿下の狩りに同行したことがあってね、あの時に見た彼らの姿が忘れられないんだ。私もそろそろ大型の猟犬を飼おうと思っていてね、是非飼育環境を見てみたいのだ!わざわざ小うるさい従者も置いてきたのだし、頼むよポルト君…!」
「えぇ…と……」
貴族様を呼べるほどの掃除はしていない。あとで片づけようと思っていたアレコレがそこここにある。扉の取っ手なんて金具が錆びて、強く握ると手が汚れるほどだ。
どうしようと悩んでいるとヤンに「いいじゃん、見るくらい」と肘で小突いた。
「貴族様のご機嫌をとっておくのも仕事のひとつだぜ?どうせ見るだけだ。誰にも損はねぇだろ?」
小声で言われれば、なるほど確かにと心も揺らぐ。
殿下の側には鉄仮面ことモリトール卿の率いる近衛隊がついているし、会議室では自分が隣にいることも出来ない。
……それに狼達の素晴らしさもできれば多くの人に知って貰いたい。今日も彼らの毛並みはふっかふか。お鼻だってツヤツヤだ。伯爵様だってぞっこん首っ丈ではないか。
特に大型犬を飼いたいというのなら、自分以上の相談相手はいないだろう。
貴族はお茶会などの交流会が多いし、ここで狼達の好感度が上がれば殿下も喜んでくれるに違いない。
「……わかりました。でも、あまり綺麗なものは期待なさらないで下さいね。何せ突然のことなので、空気の入れ換えも十分じゃないかもしれません」
「かまわないさ!では行こう!」
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庭での仕事を仲間に任せ、ロイターを狼の森まで案内する。
ただでさえ人の入らない場所だ。しばらく歩けば人の気配は完全に無くなった。
ロイターは丸い顔に満面の笑みを浮かべて、狼について色々と質問をしてくる。無礼が無いようにそのひとつひとつに答えていたが、段々その内容が自分のことに及んできていることに気がつくと口が重くなってしまった。
冬を迎える準備を整えつつある森は、赤や黄色に染めた葉を地面に敷き詰める。ロイターは黄色に染まった一枚を拾い上げた。
「ほらご覧、君の髪のように鮮やかなブロンドだ」
「……は・はい……。恐れいります」
何言ってんだコイツ。そう思いつつ、無難に無難に収まるように言葉を選ぶ。
狼の森の入り口に入り、二人は足を止めた。
「少し小屋の中を整理してきますので、しばらくここでお待ち頂けますか?先ほどもご説明致しましたが、一匹が放してある状態です。見知らぬ人間…特に男性がテリトリーの中にいると、襲われてしまう可能性があります」
「えぇっ?こんな森の中で一人?」
「すぐに戻ります。狼を呼び寄せたらリードに繋いでおくことも出来ますし、安全です。小屋の中までご案内できますよ」
「………いやぁね、本当は違うんだよ……」
ロイターは意味深な目をこちらに向けてきた。
「わからないかい?」
「あの……、一体なんのことなのか私には……」
ロイターはにっこりと笑って一歩近づく。
「私はね、初めて君を見た時からずぅーっと気になっていたんだ。王子が君を側に置いた時、彼の気持ちがよくわかった程さ。だから君の目が誰を見つめていたか……私は知っているぞ」
背筋にぞくぞくっと寒気が走る。嫌な予感しかしない。
「最近、色んな人の周りを嗅ぎ回ってないかい?特にダーナー公…いや、彼の従者が気になっているようだね」
「!!」
思わず目を見開く。何故彼がそんなことを気にかけるのか。まさかこの男がカールトンの仲間なのか……?
「一体なんのことだか……私にはわかりかねます。私にとって貴族の皆様は、それこそ夢の世界の住民のようなもの。ダーナー様や従者ほどの方々が近くにいらっしゃれば、目がいってしまうのも仕方のないことだと思うのですが……」
「その割には陛下達にはあまり興味がないようだ。王子が側にいるせいかな?それとも君の趣味ではないということなのかなぁ?」
「趣味……?あの、恐らく何か勘違いをされているのではないかと思うのですが……」
「そうじゃなけりゃ、何か企んでいるってことになるのかな?例えば誰かに雇われて、彼らに探りをいれているとか……ね」
「な……!?私がスパイだとでも仰りたいのですか…っ?」
「はっはっは、まぁどちらでもいいさ。私が知っていることは君に教えてあげよう。こう見えても長く王家に使えてきた一族だ。それこそ先代や先々代の王の時代のことだってわかるだろう。きっと君が欲しいものもあるんじゃないかな。その代わりと言ってはなんだけど……、今度私の屋敷に遊びに来ないか?」
「それは…一体どういう……」
「おお、これはこれは。殿下の従者とあろう者がわからないのかね」
ロイターはポルトの手を取り、愛おしそうに指先で撫でる。ポルトの背筋に一気に悪寒が走った。
「君は情報が欲しい。だから私がそれをあげよう。その代償に君を私におくれ…そういうことだ」
薄く皺の刻まれた口角が怪しく動いた。
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