【後】君が欲しいもの
「ッ!」
背中に走る寒気は大きく身体を震わせる。慌てて手を引っ込めたが触れられた所が酷く汚れたように感じた。
「私はそういった給仕はしておりません……!」
「でもフォルカー殿下にはしているんだろ?どんな令嬢も落とせなかったあのフォルカー殿下を夢中にする少年…。さぞかし凄いものを持っているんだろうって、もっぱらの噂だ」
凄いものって何だ!?というツッコミは押さえつつ、ポルトは思わず後ずさり。
「す・凄いものなんて何一つありませんよ。私はただの一兵卒ですからっ」
「その言葉が嘘か本当かは、実際試してみればわかることだ。なぁ、そうだろ?」
「!!」
腕を強引に引き寄せられた。間近に見た顔は、目がギラギラとして肌は脂っぽくて年期の入った男特有の臭いもする。同じ人間というより夢に見た悪夢に近い。
「『ただの一兵卒』が侯爵である私に逆らうなんていけないぞ。殿下には「従者一人しつけることができないのか?」と皆の前で問いただしてやりたいくらいだ。臣下達もどう思うだろう?将来はファールンの全国民を導かねばならないというのに、次代の王に相応しい人物だと思うか?」
「!」
「ダーナー派や民主派の連中を喜ばせるだけだと思うがね」
突然唇を奪われそうになり、驚いたポルトは彼の手を振りほどいて逃げ出した。思ったように動いてくれない足。もつれて倒れてしまいそうだ。もう少し森の奥へ入って大きな声を出せば……狼を呼んだらきっと風のように駆けつけてくれる。しかし次に瞬いた時には、彼は無惨な姿になってしまうだろう。狼は賢い生き物だ。一目見れば飼い主が襲われていることはすぐに理解する。
情報が欲しいのは確かだが、これでは分が悪すぎる。
(どうしよう…!!)
その気になれば剣を抜くことも出来るし、フォルカーも「いいぞ、やっちまえ!」とか言うだろう。でも陛下や他の城の住民達までそれを良しとするかどうかは別問題だ。
森の中、細い獣道を一心不乱に駆け抜ける。後ろから追いかけてくる足音がしていたが、突然「ぎゃぁ!」という悲鳴と共に止まった。
「!?」
「お…おい!!誰か!!医者を呼んでくれ……!目が……!目が見えないいぃい…!!」
木の枝が当たったのだろうか、うずくまり獣のような声を上げている。それに気がついたポルトの足も躊躇いがちに止まる。敵軍ではない怪我人を放って逃げるなんて……やはり抵抗を感じてしまう。
彼は怪我をしているのだ。きっとさっきのようなことにはならないだろう。第一、あの様子じゃそれどころではないはずだろうし……。
警戒をしながらも、ゆっくりロイターの元へと戻る。
「ロ…ロイター様、大丈夫ですか?今傷口を押さえる布を作ります。暴れないで…安静にしていて下さい。私は応急手当の指導を受けております。きっとお役にたてるかと」
「ポルト君…!!私の目が……!!憎らしい枝めが、この私を攻撃してきたのだ……!!」
「興奮すると血が止まりにくくなります。今傷を見ますので、落ち着いて、ゆっくり手を外して下さい」
「わ…わかった……」
この時期の枝先は葉もなく針のように咎っているものも多い。眼球を傷つけていなければいいが……。シャツの裾を裂き止血帯を作ると、ゆっくり手が外されているロイターの顔を見た。
「君は優しい子だねぇ……」
ニタリ、そんな音が聞こえそうな表情で、傷ひとつないロイターと目があう。唾液に濡れた歯が気持ちが悪いほど生々しく見えた。
「ッッ!?」
気がついた時にはすでに遅く、体格で勝るロイターがポルトの上に覆い被さるように襲いかかってきた。両手首を押さえられ暴れないよう腹には膝を押し込まれる。内臓が押し出されるような吐き気に襲われた。
きっとこうして何人も言いなりにしてきたのだろう、その手際は年齢を感じさせないほど手慣れていた。
「ロイター様……!!何故……!!」
「近くで見ると本当に少女のような面立ちだ…!少年とも少女とも言える、不思議な子。娼館にも特別館の奴隷市にも出てこない上玉じゃないか。これは楽しみだ……!」
そういって口元にキスをしようとしたがポルトは寸前で交わす。思い通りにいかないことすら楽しんでいる様子で、頬のラインにそって舌をべろりと這わせた。
「――――――!!」
「大丈夫さ。あの王子の従者なんだ。君も初めてではないのだろう?大人しくしていればすぐ終わる」
吸い付くようなキスを白い首筋に何度もし、ゴツゴツとした片手が徐々に下腹部へ向かう。払いのけようとポルトも懸命にもがいた。
「やめて下さい……!お願いです!!」
「私は社交界の影でしか話されないようなことにも詳しい。城の書庫には載っていないようなことも沢山知っているぞ?君はそういうものを知りたいんだろ?だったらその代償は払わねばならん。これは平等な取引だと思うがね?」
「そんな……」
彼ならきっと普通じゃわからないようなことも知っているだろう。でも素直に受け入れられるはずもない。行為だけじゃない、女だということだって知られてしまう。
限界を感じた身体が声にならない声で悲鳴を上げる。
もう…狼を呼ぶしかない……!、腹に空気を吸い込んだ。
刹那
脳裏に浮かんだエメラルドの瞳。
豊穣祭の日…、本当なら矢に射抜かれていたのはウルリヒ王だった。
現実になっていれば『あの人』も父を思い、えぐられるような胸の痛みとどうしようもない喪失感に耐えていただろう。
きっと、あの冷たい廟の前で自分と同じ涙を流す。
いや、次は『あの人』が倒れ、廟の住人になることだって……。
「――――――……」
このままでは、ロイターを傷つけても傷つけなくても『ここ』にはいられなくなる。
ならば一度だけ、この身体をくれてやったらどうだろう…?
娼館の門を叩いたことだってあったじゃないか。
こんなこと、少しの間黙って耐えていればすぐに終わる。
女だとバレて捕まったとしても尋問はされる。真実を吐く代わりに尋問官を近衛隊か王子に代えてもらえるように頼んだら…そこで情報を渡せる。例え事件の解決までたどり着けなくても、事態は大きく進展するはず。皆ならきっとなんとかしてくれる。
「なんだい?」
「私が男だから…ロイター様は声をかけられたのですか?」
「ふふっ、大丈夫だよ。私はその気になった相手ならば性別は関係ない。君は私の目にかなったということだ。それとも、女だったら見逃がしてもらえるとでも思ったのかな…?」
「……そう…ですか……」
むしろ好都合じゃないか。これはチャンスなんだ。こんな自分でも役に立てるチャンスなのだ。
そう考えるんだ。
――動かず、黙っているだけ。
――ただ動かず、黙っているだけ。
――ただ動かず、黙っているだけ。それだけ。
それだけのこと。それだけのこと。それだけのことだ。
これが正念場というのなら受けて立ってやる。ただで散るだけじゃ終わらせない。
「物わかりの良い子は好きだよ。大丈夫、怖がることはない。お互い、楽しもうじゃないか」
「――――……」
ロイターの顔を視界に映さないよう、顔を背けてぎゅっと瞳を閉じる。
喉から出そうになった声も息と一緒に飲み込んだ。
それを何かの合図と思ったのだろう、ロイターがゆっくりと身体を降ろしてきた。
「――――お前が賊か?」
「っ!!」
突然奥から聞こえたのは男の声。思わず二人の視線が移る。その先にいたのは濃紺のローブを纏った長身の男だ。低く、どこか感情のない静かな声はポルトにも覚えがあった。
「気まぐれの相手なら、そいつはやめておけ。厄介なことになるぞ」
「……お前は確かダーナー公の側仕え。確かカールトンと言ったな。何故ここに……。まぁいい。見ればわかるように今は取り込み中だ。お前もそれくらいはわかるだろう。無粋な真似は止めて下がるが良い」
「役人共が揃っている場でこの有様を報告されるのが望みか。それも良いだろう。俺にはわからない趣味だがな」
そう言ってくるりと向きを変えると、ロイターは慌てた様子でポルトの上から降りる。しかし、細腕はしっかり掴んだままだ。
「ま・待て待て!!余計なことを言ってみろ、お前だってただではすまさんぞ!?私は侯爵家の人間だ!国の催事を司る大臣だ!ほかの連中とは比べ物にならん程の……」
「お前は俺の雇い主ではないし、雇い主が仕えている者でもない。何を勘違いしている」
「なん…だと……!?貴様……!誰に向かって口をきいている…!カールトンなどという名は聞いたこともない…!どうせお前もこの小僧のように下賤な生まれなのだろう!こいつといい、お前といい…殿下やダーナー公は一体何をお考えなのだ……!」
二人のやり取りを見たポルトが息を飲む。近づいてきたのはカールトンの仲間のせいかとも思ったが……
(この二人…知り合いじゃない…?)
「異国のクソ虫が!!下がれぇえッッ!!」
ロイターが叫んだのと剣を抜いたカールトンが動いたのはほぼ同時。
切っ先がしゃがれた喉元を裂く寸前、ロイターの腕を掴んだポルトが思い切り引っ張り、自分の背に隠した。
「っ!」
目標を追う切っ先がポルトへ向けられる。
「いけません、カールトン様……!」
「――――………」
自分の盾になるように狂刃の前に立ちふさがった少年に、ロイターは腰を抜かしながらも歓喜の声を上げる。
「っ!い…いいぞ、ポルト君!さすが国を守る兵士だ!さぁ、そのままその頭のおかしな奴を追い返してくれ……!」
「……っ」
「この男が言う通り身分すら関係無いというのなら、私がコイツをどう扱っても関係ないということだな!剣を抜いたとなればダーナー公の従者だろうがもう関係ない…!ポルト君、君も存分にやりたまえ!!」
カールトンは表情を変えることなく剣を構え直す。その光る切っ先に息を呑んだ。
「カールトン様」
「……」
「こんな男でもファールンでは身分ある身。不用意に彼を傷つけてはかえって貴方やダーナー様の立場を悪くします。名を汚すにしても、獲物の質は選ぶべきです」
「……っ!?」
ポルトの最後の言葉にロイターが目を見開く。
「私はもう大丈夫です。ありがとうございます、カールトン様」
てっきり味方だと思っていた少年の裏切りに青筋を立てた。
「……低俗は低俗か……ッ!!なんという非礼!結局ならず者の集まりではないか!!このままで済むと思うなよ!?お前達二人とも、陛下に申しつけてや―――…」
「もうお止め下さい、ロイター様…!カールトン様は下卑た行為をお止めになっただけです…!」
「!」
なんということだろう、とうとうこの少年は従う相手にすら牙を向けてきた。ロイターの皺が怒りで深くなる。
「げ・下卑ただと!?」
「貴方が清廉潔白でカールトン様に咎があるというのなら、他の皆の前でご証明下さい。私も同席いたします。勿論、『嘘、偽り無く』全てを隠さずお答えいたしましょう。もし証明が出来ないのならば、カールトン様への理不尽な侮辱、ここで取り消して頂きたい…!」
「馬鹿なことを言うな!お前達、本当に頭がどうかしているんじゃないのか!?身分が上の者に従うのは当然のこと!群れで暮らす動物ですら出来ることだ!……ふっ、そうか…!お前等は動物以下と言うことだな!?獣以下だ!!クソッタレ!!」
「――――――!」
あざ笑うかのように高らかに笑うロイター。
ポルトは腰に帯びているナイフを抜くと静かにロイターへと向けた。
「動物…ですか」
「!」
その声は驚くほど静かで落ち着いて…思わずロイターの動きも止まる。
「……野に生きる獣は純粋で、強く……そして貴方が思っているよりもずっと無慈悲です」
「!?」
「力無きリーダーは下の者に襲われ、従わなければ群れから追放されます。孤独のまま徘徊し、今度は他の動物に襲われる…餌になるんです」
小さく首をかしげるようにロイターの身体を見るポルト。
冷たい風に前髪が揺れる。その隙間からは暗く陰る瞳が見据えていた。
「――動物以下の生き物は……そこで立てずに転がってるだけの男をどうするのでしょうね?」
「っ!」
ポルトの背後からカールトンが剣を構え直す。
「『このままでは済まない』…ということは、今後俺に何か起きれば全て貴様のせいだということだな。シンプルなのは良いが…接触をただ待つのも面倒だ」
無感情だった声音が淡く綻ぶ。
「どうせなら、今やるか」
「――――――!!」
すがるように少年を見るが、石像のような冷たい目で見つめるばかり。
空気を察したロイターの顔色が一気に変わる。慌てて起きあがるとその場から走って逃げ出した。
時折こちらを振り返りながら「止めたからな!?言ったとおりにしてやったからな!?覚えてろよ……!!」と涙声を森に響かせ、遠く姿を消した。
静かになった森の中でポルトは胸をなで下ろし、カールトンは剣を収めた。
「カールトン様ありがとうございます。でもどうして……」
「赤毛の王子だ。森へ行き、お前に会えと言われた。『ここの警護はもう十分だ。終わるまで我が従者と親睦を深めると良い』と」
「殿下が……ですか?」
「部屋を出る時、『最近森に賊が出る。我が従者がちょっかいを出されていたら何者だろうが遠慮無く始末しろ。後は森の獣にでも喰わせておけ』ともな。」
いつもなら誰かに声をかけられても適当にあしらうのだが、相手は一国の王子。気は進まないが断る理由を考える方が面倒臭そうだったので、大人しく従ったそうだ。
「……随分と気に入られているようだな」
「遠慮なく始末って…じょ・冗談に決まっています…っ。あの方は物事を大げさにいう癖があるから……」
近くにはアントン隊のメンバーも近衛隊もいたはずなのに、何故カールトンに…?国属ではない人間の方が都合が良い何かがあったとでもいうのだろうか。
「用は済んだ。怪我がないならさっさと―――」
ふと風に耳をすます。
「……迎えが来たな。騒ぎを起こせば動きにくくなるのは確かだが…今日の事、借りとは思わんぞ。むしろお前自身の首を絞めたことにならないと良いがな」
「……?」
「王子にはお前が無事だと伝えておく。余計なことはせず、すぐ戻れ」
「……はい」
確かに自分の名を叫ぶ声が近づき、草を踏む音が大きくなる。
ローブを翻しカールトンはその場を去る。入れ替わるように現れたのはローガンだった。
ここまで必死に走って来たのだろう、彼は肩で大きな息をしながら駆け寄り膝をつく。
「ここにいたか……!!ロイター卿が何かしたのか!?怪我は…どこか痛いむはないか!?」
ポルトの身体をあちこち見てはどこか異変がないかと心配する。
「はい…大丈夫です。ありがとうございます。ロイター様も戻られました。でも貴方がなぜここに……」
「それは……その……」
ポルトの無事を確認し一息ついたローガン。その問いに、今度は落ち着き無く目が泳ぎ始めた。
「殿下が君が戻っていないことに気がついたんだ。先に戻った君の仲間から、狼を見せるために君がロイター卿に付き添って森に入ったってことを聞いた。彼のことは俺もよく知っている。犬や狼に特別な関心がある方ではないから、おかしいと思ったんだ」
確かに猟犬や狼に特別関心があるような人物なら、ローガンが先に声をかけていたかもしれない。
「そしたら殿下は君に会うようにとカールトンに声をおかけになった。最初は、カールトンが近くにいるとカロンの機嫌が悪くなるからかな?って思ったんだが…このタイミングだ。ちょっと考えればどんな指示を受けたのかはある程度察しがつく。カールトンはダーナー公が護衛に認められたほどの人物だし腕も確かなんだろうけれど、城に出入りをはじめてから日が浅い。狼小屋の位置を正確に知っているのは、あの場だと殿下か俺くらいだ。万が一間に合わなかった時のことを考えたら……つい……」
「……そうだったんですか」
今日の会議はウルリヒ王も同席すると聞いている。流石のフォルカーも抜け出すことはできなかったのだろう。
「その、だから……まぁ…そういうことだ。遅くなってすまなかった」
「あれ?もしかして抜け出していらっしゃったんですか?」
「腹が痛いといって…。月並みの理由だけど、信じて貰えたみたいだな。何にせよ、君が無事で良かった。……あれ?そうえばカールトンは?」
「彼は目的を終えてすでに戻られました。近くにはまだ狼もいますし、長居を避けられたのかもしれません」
「そうか…、入れ違いになってしまったみたいだ」
ローガンが彼の去った方向を遠く見つめる。
見知った人物を見てポルトの緊張が解け、その場にヘナヘナと座り込んだ。身体は今まで起こったことを思いだし小さく震えだす。頬や首筋に残っているあのぬめりのある感触……。吐き気がする。自分が酷く汚れたように感じて両腕を抱いた。
ローガンがそっと手を差し出す。
「あ…大丈夫か?立てるか?ほら、捕まって……」
「っ!」
乾いた音と共に差し出された手が振り払われた。
ローガンの表情が一変し、ポルトも自分が何をしたかわらからず一瞬強ばる。
「申し訳ありません…!よ・汚れているんです!転がって泥がついたみたいなので…洗ってきます……!すぐ城へ戻りますね!」
「お・おい……!!」
「本当にありがとうございました!後で改めて、お礼に伺わせていただきます…!本当に本当にありがとうございました!!」
ローガンをその場へ残し、一目散に狼小屋へと向かった。
大声で何度も狼を呼び、風のように駆けてきた黒狼を何かにすがるように抱きしめる。
その足で近くの川へ向かうと、うまく力の入らない指先で着ていた服を乱暴に脱ぎ、早足で水に入った。
着ていたシャツをタオル代わりにして体中を洗う。特に頬と首元は念入りに。
しかしどれだけ布をこすらせても綺麗になった気がしない。
顔も、身体も、触れられた感触を上書きするように力一杯布を押しつけた。
誤字脱字を発見されましたら、ご報告下さいませ!




