カールトンの場合【後】
目深に被ったローブに隠れた顔。その出で立ちには覚えがあった。
「お久しぶリです」
「お前…宿屋まで手紙を持ってきた男だな」
「司教かラお話は伺っていますよ。確か……カールトン殿…でしたな」
「司教はどうした?」
「彼は急に来客が来たとかでそちラの方へ向かわレましたよ。『後はよろしく』と」
「――……」
「ああ、こレは失礼を。私は時々何でも屋みたいなことをしている者でして……。私のことはお好きなようにお呼び下さい。それとも仮でも良いから何か呼び名を付けた方良かったですか?君のように」
「――……」
表情を崩さないカールトン。男の声は嬉しそうだ。
「どうです?同じ空気を感じルでしょう?どうせ国外へ出るつもりなら一度我々の詰所へ寄って行きませんか?大丈夫、本当に立ち寄るだけ。何なラ入り口の手前まででも良い」
「何がしたい」
「単刀直入に言うと、君の身体能力もその性格も、手放すのは何とも惜しいと思いましてね。君の過去も…とても魅力的だ。我々にとってはね」
「……俺は興味ない」
交渉決裂、とでも言うようにカールトンは立ち上がり小屋を出る。
その背中を男が追いかけた…と思ったら、その背に向けて突然ナイフを放つ。咄嗟に半身でかわすカールトン。すかさず打ち込まれた拳を平手で包み込むように受け止めると、もう片方の手を硬い拳に変え、男の顔面に向けて放つ。しかし男もそれを片腕で防ぐ。
近づいたと同時に膝蹴りを当てようとするも、カールトンは強い脚力から生み出される跳躍でそれをかわした。
男は手首に仕込んでいたナイフを取り出すと、手の中でくるくると起用に回して握り直す。
笛のような音で風を裂きながらカールトンに追撃する。頭、顔、胸へと刃を向ける手をカールトンが必死に捌く。
傭兵の出か?それとももっと特殊な何かなのか。
ナイフを避けたかと思えば、もう片腕の先の拳が間髪を入れずに叩き込まれる。男の動きはカールトンが見たどの敵よりも素早く、的確で、一撃が重かった。
男は攻撃の手を緩めない。拳の軌道を外れても、その下に伸びるナイフの刃が肉を裂く。
薄く頬の皮を裂いた刃を一本なんとか叩き落としたが、男はつま先を上手く使いナイフの柄を蹴り上げると開いた片手にキャッチする。またクルクルと遊ぶように回し、ぐっと握り直した。
――来る。
カールトンが腰に帯びていた剣を抜いて構えた。しかし……
「さ、この辺で止めておきましょう」
そう言って男はこの戦いを一方的に終わらせた。
「私もなまったとはいえ、貴方相手では時間がかかりすぎル。やはり若さは宝ですね」
「……」
「引き続きこの戦いをご要望であレば叶えて差し上げたいのですけレど、私も歳なので寒い場所に長くいると膝と腰が……」
ナイフを鞘に納めた男はふーと息を吐きながら腰を擦る。「君もそのうちこうなリますからね!」とよくわからない念押しをされた。
「力はなんとなくわかりました。懐具合もね」
「――っ」
いつの間にか男の手には革の袋が握られている。カールトンが懐に入れていた財布だ。「お返ししますよ」と放り投げた。カールトンは表情を変えないままそれを受け取ったが、内心は複雑だろう。
「やはり金銭面的な問題は無いようですね。君が貧しい青年だったラこちらも楽だったのですけれど……。さて…どうしたら君の興味を持ってもらえルでしょうか……」
顎に手を置き、わかりやすく悩んでいる素振り。
そして、何かを思いついたのかフードを取った。
「……っ!?」
「驚きましたか?」
カールトンは男の素顔に息を呑む。
髪はすでに白髪に覆われている。目元、口元にある皺は、生きてきた年輪として深く刻まれていた。
自分と同等に…いや、それ以上に立ち回っていたこの男は、初老という言葉さえ当てはまらない程年老いていたのだ。
もともと言葉に異国訛りがあったが、その予想通り彼の顔立ちはこの大陸のものとは異なっている。それが何処の国なのかカールトンには予想もつかない。
「色々とあリましてね。君が信用に足りルと確信するまでは、顔を見せルのは止めておこうと思ったのですけど……。でも…どうです?ちょっと興味が湧きましたか?」
笑みを浮かべ、またフードをかぶり直した。
「うちの詰所には私よりも年上でもっと強い人間もいます。君よりも若く、君より強い人間もね」
「……っ!」
「私なんて…もう出がらしの茶葉みたいなものですよ。こうやって簡単な仕事をするのが精一杯。でも君がもしうちに来て学んだら……今の自分が赤ん坊のように思えるほど強くなれるかもしれませんね」
「――……っ……」
「どうですか?その辺リのことを踏まえてもう一度お尋ねします。どうせ国外へ出るつもりなら一度我々の元へ寄って行きませんか?」
「――……」
赤毛の王子の様子を見る限り、クラウスが何処で動いているのか、何を動かしているかは正確に把握していない。
あの司教の微笑みには聖職者の名に相応しいものが確かにある。が、その腹の中は随分と裏社会的に馴染んでいるらしい。
この目の前にいる男も…同じなのだろうか?
正直な所、男に関する興味は瞬間的なもので、恐らく数分もすればどうでも良くなっているだろう。
ただ……彼の強さには多少なりとも惹かれるものがある。
「――良いだろう」
今更誰かの畑を耕して一生を終えるような真似も、誰かの下で大人しく従い続けるようなことも出来るとは思えない。
ならば、一度彼らの策で泳いでみるのも悪くない。何より、力が欲しい。
「お前たちが何者かは知らんが…しばらく付き合ってやっても良い」
「あリがとうございます。こちらも腰を酷使したかいがありました」
男の嬉しそうな声に白く凍る息。
この国には王子すら知らない秘密がまだまだありそうだ。剣を納め、ローブの紐を結び直す。
「では、簡単に今後の話をしましょうか」
男に促されるまま、カールトンはその背中に追随する。
そしてそのまま城から姿を消した。