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024

 そして僕らは雨水路を通って大沼湖の近くまで移動し、日没と共にマンホールから飛び出して大沼湖の畔に急いだ。ヒーローは遅れてやってくるのが習わしだが、僕はヒーローじゃない。だから、今夜のダンスパーティーに遅れるつもりは毛頭なかった。


 僕と葛霧が大沼湖に到着したとき、すでに人魚が百目鬼を取り囲んでいた。

 人魚は周到だ――無暗に獲物に襲い掛かったりはしない。ゆっくりと包囲網を狭めて、最低限の損害で敵を仕留める。そういう狩りをする。

 そういう統制の取れた動きが不気味で、また気持ち悪くもあるのだけど、今回ばかりはその習性に助けられてしまった形である。


「葛霧!」


「わかってる!」


 呼びかけると、隣を並走していた葛霧の姿がブレた。

 残像を残すほどの急加速で人魚の包囲網に突撃し、その首を大雑把に刎ねていく。なんともまあ、非現実的な光景である。バイオレンスでグロテスク、そして少しだけ爽快な光景。最近のノベルゲームの過剰なまでのエログロ推しに辟易している僕としては、こんな当たり前みたいに首が刎ね飛ぶカーニバルにはまったく渋い顔をしなければならないのだろうけど、まあ、スッキリするのだから仕方がない。

 いいぞ、もっとやれ葛霧。

 なんて思ってしまう。


 怪異とはいえ、一応は人間の形をしている人魚をああもばったばったと切り殺せてしまうのは、いったいどういった料簡なのだろうか。吸血鬼のくせに人間よりも人間的な性格をしているというキャラクターではなかったのか、彼女は。

 いや、まあ、それは普通に彼女の中でなにがしかの折り合いをつけているのだろう――そもそも、今は百目鬼が人魚に囲まれいてる状況だ。人間よりも人間的な吸血鬼である彼女だからこそ、そこは「助けなければ」という思考が働いているのだろう。

 助けなアカン――だろうか?

 まあ、僕のエセ関西弁はともかく、葛霧が百目鬼を助けてくれるのはありがたい。全身に鱗を生やした人魚よりも、額に三つ目の眼を生やした百目鬼の方が、ここは人間らしさで上回った形だ。


 葛霧は舞い踊るように血液の剣を振るって、人魚を一匹一匹撃退していく。

 おお、これはこのままもしかするともしかするのでは――と思わせてくれことすらなく、しかし、人魚は殺した数だけ湖から這い出てくる。ゲームのボス戦でよくある、無限リポップする雑魚敵だ。ここは親玉であり、そして本体でもある龍を直接叩きたいところではあるのだけど、言うは易いしやるは難し――というか、言うことすら難しい話だ。

 ――葛霧、湖の中にいる龍を狙え。

 なんて、ただの観客の分際で、どうして言えようか。そんな偉そうな口を叩くなら、お前が戦えって話である。


「空木くん!」


 と、百目鬼が近くにいた人魚を殴殺しながら、僕に声をかけてくる。

 ちなみに、人魚は襲い掛かるときも殺されるときも、終始無言だ。それがまた不気味。湖の周辺には、生々しい暴力の音だけが響いている。


「よお、百目鬼。助けに来たぞ、葛霧が」


「空木くんも来てはくれたでしょ」


「僕は来ただけだ。お前らに守ってもらえないと直ぐに死んじゃう、ゲームで言うところの無能NPCみたいなものだ。正直、なんで僕も来ちゃったのかなって後悔してる。雨水路の中でひっそり息を潜めてればよかったぜ」


「空木くんは応援してくれればそれでいい、よっ!」


 百目鬼が見事なサマーソルトキックで人魚の顎を砕いた。そしてスカートがふわりと広がった。やったー、パンツ見えた―。ちなみに、百目鬼の全身は返り血で真っ赤である。人魚も血は赤いんだな、と今さらのように思った。いやそれは、本当に今さらな感想だった。


「応援すればいいのか?」


「友達の応援があれば、百人力だよ!」


「でも僕、お前以外に友達がいないから応援の仕方なんてわからない!」


「じゃあ、なんでもいいから声出しして!」


「こ、声出し?」


「うん、声出し!」


 ベキャッ、という音に紛れるようにして、百目鬼が叫んだ。ちなみに、今の音は百目鬼が人魚の首に飛びついて転蓮華を決めた音である――いや、転蓮華って……お前はグラップラー刃牙か。なんでそんな技習得してんだよ。


 そして声出しというのも意味がわからない。

 このシリアスな戦闘シーンに声出しなんて役割が必要になるのだろうか?

 いや、まあ、僕は所詮は素人だ。戦いに関しても、怪異に関しても。

 彼女が必要だというなら、それは必要なのだろう。スポーツにおいてホームスタジアムのチームが有利みたいな話で、僕にしてみれば直感に反しているが、応援というものにはちゃんと人の潜在能力を引き上げる効果があるのかもしれない。

 よし、さっそくやってみよう。


「よーし、それではね! 早速ね! 人魚をぶち殺していこうと思いますよ!」


「ふっ……やっ……せいっ!」


「いいよー! うん、その調子! 百目鬼いいよー! いい動きしてるよー!」


「とうっ……えい……やあっ!」


「おっ! 正拳突きが決まったねー! これは一本だねー! 一撃の重さが桁違いだよ! パワーが凄いよ! 腕力あるねー! 肩にちっちゃい重機乗せてんのかーい!」


「すっ……せいっ……やあぁぁ!」


「柔も使っていくね! 柔らかな柔だね! これはゾーン入ったよ! 百目鬼タイムきたよこれー!」


「空木くん」


「なんだ?」


「うるさい」


「お前がやれっていたんだろが!」


 やっぱり意味なんてなかった。そんな気はしていた。

 ちなみにふざけながらも(僕にふざけているつもりはそんなになかった)、百目鬼はきっちり人魚を殺していった。その向こうでは、葛霧が同じように人魚を鏖殺(おうさつ)している。すげぇ、首がポンポン飛んでるや。


「余裕やんな、ふたりとも」


「いや、僕に余裕はこれっぽっちもないけど……」


 見ているだけというのも、なかなかハラハラするものだ。

 ハラハラドキドキさせてくれる女の子たちだぜ。


「やっぱり湖底の龍を殺さないことには事態は好転しないな……葛霧、なんとかできないか?」


「そんな曖昧な指示をされてもな……うーん、夜が浅すぎてなんともできやん。深夜になったらどうとでもなるんやけど……」


「深夜って……まだ六時間近く先だぞ」


「パーティーは楽しいけど、六時間も踊るのは私も無理かな」


 と、お洒落なのか猟奇的なのか区別がつかないことを言う百目鬼。やはり、彼女のジョークセンスは時としてたまに僕の感性を大きく外してくる。


 しかしそうか……葛霧でもなんともならないか。

 パーティーだのダンスだのは面白くない冗談としても、ふたりの体力がそう長く持たないのはおそらく事実。ふたりの鬼がふたりがかりで掃討している今でも、湧き出る人魚と死んでいく人魚の数は拮抗しているのだ。この均衡を六時間も保つのはあまりにもベリーハード。


 ううむ、ならばやはりやるしかないのか?


 実のところ、策は容易してあるのだ。それくらいしか役割を持っていないのだから、作戦くらいは立案してくるのは当たり前。

 ただ、それはあまりに分の悪い賭けでしかない。言い訳をさせてもらえるなら、葛霧といかにスマートに合流するかに思考を割きすぎて、龍を殺す方法についてはあまり考えていなかったのだ。その余裕がなかった。

 葛霧と合流すれば、いかんとでもできるものだとばかり思っていた――が、そうか、夜の深さの概念があったか。


 となると、もう次善策を採用するしかない。

 あまりやりたくないが、男は度胸、女も度胸である。


「百目鬼、葛霧――僕の策がある。あるというか、ないことはない。ない方がマシな作戦を思いついた。ちょっと僕のギャンブルに命をベットするつもりはないか?」


「もう! 空木くんはどうしてそう、簡単に信じさせてくれないのかな!」


 百目鬼の絶叫、からの怒りの鉄拳。人魚の顔面に命中。柘榴の実のように爆ぜる頭部。グロすぎて滅。


「私はええよ。信じる。どうせ死なんし」


「さすがだぜ葛霧! お前なら信じてくれると信じてた! お前は僕のたったひとりの親友だぁ!」


「友達を乗り換えないで、この土壇場で――ああ、もう、わかった。わかったよ。空木くんの作戦に乗る。命かけるよ、空木くんのギャンブルに」


 ということで一度集合。

 そして短い……ごくごく短い作戦会議をして、再度散開。人魚が今にも迫っているということで、百目鬼にも葛霧にも反論はさせなかった。危険も危険。それも全員の命をかけたようなギャンブルだが、そこは「ま、失敗したらもう一回やり直せばいいじゃん」と押し切った。


 そして、再び。

 再び、あの懐かしのロケットである。


 ロケットのことをすっかり忘れている人もいるであろうから簡潔に説明するが、まあ、百目鬼の超人的、あるいは人外的身体能力をふんだんに使った、ただの跳躍だ――ただの、約百メートルにも及ぶ垂直ジャンプだ。

 それを僕を抱えたまま行ってもらう。


 ちなみに、葛霧は地上でお留守番だ。

 空中に逃げて、獲物がいなくなった人魚どもが町を襲い始めては作戦の意味がない。地上には誰かひとり残る必要があり、そこには不死身である葛霧が一番適任だった。彼女なら人魚に集られて死んでも死なない。となると、大跳躍するのは百目鬼の役割となり、僕が地上に残るか空中に付き合うかに関しては、地上に残っても葛霧の足手纏いにしかならないという合理的な判断で、百目鬼と共に空中に射出されたわけである。


 頬を風が切っていく。

 もはや爽快感すらない。痛いし。吸血鬼麻酔が切れたのか、今さらになって腕の傷が痛んできた。しかしその痛みすら気にならないほど、高い。超高い。急激な上昇による気圧変化で、耳がキーンと鳴っている。


 まあ、とはいえ二回目ともなれば慣れたものだ。ちょっとしたアトラクションだと思えば、そこまで怖くも――いや、まあ、普通に怖ぇ!

 地平の彼方にさっき沈んだはずの太陽が見えやがる!

 どんだけ高いんだよ!


「じゃあ、空木くん――本当に作戦通りでいいんだね?」


「いや、あんまよくないかもしれない。やっぱ中止。作戦中止。普通に怖ぇよ。こっから落ちるって、よく考えたら普通に紐なしバンジーと変わらないんじゃ……」


「作戦開始!」


 とほほ、このおやっさんはなにも聞いちゃくれないんだぜ……。


 そして百目鬼と僕は、ロケットジャンプの最頂点付近で足の裏同士をくっつけて、上下逆さまで鏡合わせのような体勢になった。僕が下で、百目鬼が上だ。


「せーのっ!」


 と、掛け声に合わせて、互いに互いを蹴る――まあ、僕の脚力なんて百目鬼のそれに比べたら屁でもないので、なんの足しにもならなかっただろうけど……とにかく――とにかく、それによって、百目鬼はさらに上空へと二段ジャンプを成し遂げた。

 わかりやすく言うなら、一緒に跳び上がった僕を踏みつけて、もう一度ジャンプした、というわけだ。

 自分で投げた柱に自分で乗って移動する桃白白(タオパイパイ)式移動術の亜種みたいな二段ジャンプだけど、とにかくこれは上手くいった。

 葛霧はさらに上空へ昇っていく。


 そしてこれもまた当たり前なのだけど、その踏み台となった僕は作用反作用の法則に則って、高速で墜落することとなった。重力加速度に落下時間をかけたものに、さらに百目鬼の脚力を加算した速度で落下していく。

 速い速い速い速い………っ!

 高さが速さに変換されていく。怖いなんてもんじゃない。墜落予想地点は湖の上だけど、こんな速度で水面に激突した肉片になっちまう!


「葛霧ぃぃぃ、助けてくれぇぇぇぇぇ!」


 もう、恥も外聞もなかった。

 僕の情けない絶叫が湖畔に轟く。


「任せて!」


 と、言ったのか言ってないのかは定かではないが――湖畔で人魚をちまちまと殺していた葛霧が、握っていた血液の剣をハンマーに変えて湖面を思いっきり叩く。

 吸血鬼の膂力でそんなことをすれば、もちろん水飛沫が上がるわけで――それはもはや水柱と言うべき現象で、僕はその飛沫の中に()()した。もちろん、それでもとんでもない衝撃だったが、直接平らな水面に叩きつけられるよりは幾分かマシだったのだろう。僕はどうにか意識を保つことができた。


 水の中――それは音のない世界で。

 暗い夜の湖の中は、まるで宇宙空間を僕に想わせた。


 その宇宙空間に奥に、いる。

 そう言われてみるとちょっとクトゥルフみがない気がしないでもないが、巨大な蛇の影が、湖底でギョロリと蠕動する。龍だ。ついぞ相対した、龍だ。僕が殺さなければならない、敵。そのふたつの赤光が闇の中に恒星のように浮かんでいる。僕はそれを、強く、強く睨み返す。

 目は、たしかに合っていた。


 上空から落下してきた分、その落下エネルギーによって、僕は湖のかなり深くまで落ちて行った。すぐ目の前、ほんの数メートル潜れば、龍に触れられそうなほど近くまで潜り、そして僕の高高度からの潜水は止まる。


 ――ついて来いよ。一対一だ。


 もちろん、水中なので喋ることはできないし、できたとしてもこの龍とかいう怪異に人間の言葉が伝わるのかはわからない。

 ただ、そういう挑発をした。


 果たしてそれは上手くいったのか、龍が、口を開いて僕に迫る。その速度はもちろん、僕が水面に向かって泳ぐ速度を遥かに凌駕している。このままでは、龍に食べられて七週目に突入だ。龍に食べられるなんてなかなか経験できないかっちょいい死に方だが、生憎そんな実績を解除するつもりはない。


 水面から、赤いなにかが降ってくる。

 それは赤い……血液製の、手。

 溺れる者は藁をも掴むと言うが、今の僕にその手を取らない選択肢などあるわけがなかった――握ると、その手も僕の右手を握り返す。なんだか気持ち悪い感じに生暖かかった。


 その血液の手に引かれるようにして、急速に水面に向かって引き上げられる。どうしてか、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を連想した。寄って集る人魚を足蹴にしながら水面を目指す感覚が、なんとなくかの物語とオーバーラップしたのである。


 そして、水面から引き上げられた僕。やはり僕を水中から引き上げてくれたのは葛霧だったらしい。


「ありがとう、葛霧! お前なら助けてくれると思ってたぜ。やっぱりお前は僕のたったひとりの親友だ!」


「そっかそっか。私は疑似餌で釣りをしてる気分やったけどな」


「いや、釣りって――」


 と、言いかけた言葉を遮ったのは、湖面から姿を現した龍だった。

 大きな飛沫と波を伴って、湖の中からとうとう姿を現す。その姿、鱗が生えたデカい蛇。それ以上の表現のしようがない。イメージとしては神龍(シェンロン)とかに近いのかもしれないけど、それほどの神々しさらしきものはなく、ただただ禍々しいだけの怪異だった。


「―――っ!」


 龍が嘶き、大気が揺れる。

 人魚は終始不気味なまでに無言だったが、親玉のこいつは叫ぶくらいのことはするらしい。怪異らしく、怪物らしい。


「よお、クソッたれのデカい蛇野郎。まずは先に謝っとくぜ。さっきは一対一だって言ったけどよ――いや、言ってはないか? ……まあ、とにかく、それ嘘だから」


「―――っ!」


 龍が耳障りに吠えながら、葛霧をその双眸で捉える。同じ赤い瞳を持つ者同士、通じ合うところでもあるのだろうか。まあ、葛霧がただものではないことくらいは理解できたのだろう。爬虫類でも、そのくらいの知性はあるらしい。

 だが――甘い。


「馬鹿――上だよ」


 と、言葉が理解できたのか、それとも僕の上を指さすジェスチャーにつられたのか、龍が上を向こうと鎌首を持ち上げようとして――そして、脳天に強い衝撃を受けて強制的に地面に下顎を叩きつけられた。肉の潰れる音が響く。

 ちょうど今、空から降ってきた百目鬼に頭を踏み潰された形である。


「空木くん、私頑張ったよ!」


「さすがだぜナイス百目鬼。お前は僕の無二の親友だ!」


「驚異的なまでに薄っぺらい男やな」


 軽口を応酬しながら、龍の頭の上から降りてきた百目鬼と横並びに構える。

 怪力無双の百目鬼、不死身の葛霧――そしてひ弱なだけの僕。

 それに相対するは、巨大な龍とその眷属。


 龍殺し、最終決戦。

 どうやらやっと、役者が揃ったようである。

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