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001

「ゲーム脳……っていうんですかね? ほら、リセット癖とか言うじゃないですか。人生はゲームで、都合が悪くなれば電源を切ってしまうかリセットコマンドを入力すればいいだけで、命の重さとか、人生の大切さとそこから生まれる慎重さとか、そういうものが失われてしまうっていう、あれのことです」


 十七歳の少年とも青年ともつかぬ年齢である僕、空木(うつろぎ)倫禰(りんね)は、正面に座る痩せぎすの医者に対して慎重に言葉を選びながら言った。

 白い部屋、白い壁、白い床に白いベッド、白いカーテン――いかにも診療室といった様相のその部屋に、うっかり饒舌になってしまいそうな自分を諭しながら。


 痩せぎすの医者、水無月弥一(やいち)先生は僕の話を興味深そうに聞いている。

 ただし注釈すると、彼が本当に興味深く思っているのかは僕には判断が付かない。相手の話を少なくとも表面上は興味を持っているような態度で聞くことも、彼の職掌の範囲なのだろうから。


「人生はやり直しが利くとか、人を殺してもリセットすればいいとか、そういう風に現実とゲームの世界を混同している子供がいるって、そんな社会問題……? みたいなものが話題になったこと、ありましたよね」


「あったね、そんなことも」


「それが社会問題と呼ばれるくらい、つまり、『問題』であることは、まあ、直感的には理解できるんですけど、でも現実問題として、実際問題として、僕はそれが問題だとは思えないんです――人生にやり直しが利かないっていうのが、頭で理解できても心でわからないというか……別にそう考えていてもいいじゃないかと思えてしまうというか……」


 そこで僕は、一度言葉を切った。

 瘦せぎすの医者は鷹揚に頷く。

 僕は先を促されているのだと思って、とはいえ、これ以上僕の話に先はないので、端的に結論を言った。


「つまり――僕は所謂、ゲーム脳ってやつなんだと思います」


 医者は「ゲーム脳、ね」と、僕の言葉を繰り返した。

 わざわざ反駁した理由は、僕にはよくわからない。


「ゲーム脳というのは、まあ、2000年代初頭に盛んに叫ばれて、それこそたしかに社会問題にまで発展した概念ではあるけど、一応これでも医者の端くれとして意見させてもらうなら、その概念に科学的根拠はないし、現代では学術的にも否定的に見られているんだよ」


「はあ……そうなんですか?」


「まあ、科学というのは日進月歩で、今日の常識が明日の非常識になる可能性もあるし、今日の間違いが明日の真理だったりすることもあるわけで……だから、ゲームが脳に悪影響を与えることは確実にない、とは言えないんだけどね――科学を真摯に学んだ者として言えることは『確実なことなど確実にない』ということだけだよ」


「ああ、なんだか聞いたことがあります。科学的な人は『科学的』という言葉を遣わない、みたいな話ですか……」


 僕はさらに慎重になって言葉を選ぶ。ここまで来て、来ておいて、これほど慎重になっても意味などないとわかってはいるのだけど。

 とはいえ、相手が医者で守秘義務を持っていると知っていても、それで警戒心を完全に解くことができるほど、人間の本能は論理的にはできていないらしい。


 そもそも僕は、こういう問診を受けるのは初めてで、なんとなくこういう場所を『悩みをなんでも聞いてもらえる場所』という風に捉えていたのだが、しかしこうしてあっさり反論されてしまったところを見るに、どうもそういうわけではないらしい。

 だが、それは不快ではなかった。

 別に愉快でもなかったけど。


「まあ、とにかく、僕はゲーム脳なんだと思います。そんなものはないんだとしたら、別の名前をつけてもらっても構いませんけど……世界がゲームに見えるんです。ゲーム画面に映っているように、僕の目には」


「空木くんの目には」


「はい――ともすれば『ま、リセットボタンを押してやり直せばいいや』とか、時々にして往々に思えてしまって。『あ、ここはセーブしなきゃ』とか、『この人にこんな話を振ったらイベントフラグが立ちそうだな』とか、そんなことを無意識に考えてしまうこともあるんです」


「ふうん――ということは、空木くんは実際にゲームが好きなのかな? どんなタイプのゲームを好むんだい?」


「えっと……RPGとか、シナリオゲームとか、ストーリーにこだわりがあるタイプのゲームが好きですね」


「ストーリー。ほう。いいね」


 あまり自分の好みを公開することは好まない僕ではあるけど、瘦せぎすの医者は身を乗り出してきた。ストーリーという単語に反応したようだが――RPGとかが好きなのだろうか? というのは、僕の個人的な希望的観測であり、実際、カルテもアナログで書いているところを見ると、彼がデジタルに強い印象はあまりないのだが。

 あるいは、小説などを強く好むタイプの人間なのかもしれない。それはそれで、僕も話が合うのだけど。


「とにかく、僕の悩みはそれです。僕の病巣はそこです。世界をゲームとして捉えていること、現実とゲームの区別がついていないこと。それが僕という人間が抱える、欠陥なんです」


「欠陥? そうかな?」


「そうでしょう。普通の人は、十七歳にもなってそんな幼稚な勘違いはしていません」


「幼稚ね……まあ、たしかにそうかもしれない。だけど空木くん。その『ゲーム脳』のせいで、君はなにか不利益を被ったのかい? なにか困ったことがあったのかい? ないなら、それは欠陥とは呼べないな」


「不利益は今のところは被ってないですけど、でも、誰かの不利益になるかもしれないから、こうして相談しているんです――」


 僕は言う。段々言葉を選んでいる余裕もなくなってきた。


「――ほら、よく、ゲームの影響で人命を軽く見ている子供がうっかり人を殺しちゃった、とか聞くじゃないですか。まあ、それは極端な例であるとしても、もっとミニマムでも、もっとしょうもなくても、僕がゲーム脳なせいで、誰かに迷惑をかけてしまうことがあるかもしれない。そうでしょう?」


「それは違う、とは言えないね。でも、誰かに迷惑をかけるのって悪いことなのかな? 果たして、誰にも迷惑をかけずに生きている人間なんているんだろうか? 人はただ生きているだけで誰かの迷惑になるし、死んでも迷惑だ。ゲーム脳というのは、人が人に迷惑をかける一例かもしれないけど、全部ではない」


「……でも、かける迷惑の度合いが違うでしょう。例えば、もしも僕がゲーム脳のせいで――」


「人を殺したら? じゃあ逆に、どこまでなら許されるんだろう。物を盗むことは? 人を傷つけることは? 人を謀ることは? 悪を成敗することは? ――誰かに迷惑をかけることに関して、君はどこまで許容できる? あるいは、なにを理由にすれば許容できる?」


「………」


 わからない。いや、本当はわかっている。

 たとえどんな事由があろうと、どんな些細なことだろうと、僕は他人に迷惑をかけることを許容できない。

 というか、他人に疎まれる自分が許容できない。

 誰にでも好かれたいわけではない。

 ただ、誰にも恨まれたくないのだ。僕は、無色透明でいたい。


「ところで空木くん、君は好きな女の子とかいないのかな?」


「……はい?」


「ああ、別に異性である必要は存在しないのか。とにかく、君は誰かを好きになったり、セックスしたいって思ったりはしないのかい?」


「えっと……」


「断っておくけど、これはかなりオーソドックスな質問だから安心してほしい。詳しく説明すると長くなるから簡潔にするけど、特に君の年齢に措いて、恋愛や性事情は精神に大きく影響するんだよね。だから、ある種の紋切型だと思って聞いてほしいし、答えたくなければ答えなくていい。もちろん、僕たち医者には守秘義務があるから、君がここでなにを言っても誰かにそれを教えることはありえない」


 ありえない、なんて強い言葉を遣われてしまうと、どうしても逆の想定をしてしまう。

 しかし、僕にとってその質問は無回答を選択するほどのものではなく、だから、正直にはっきりと答えた。


「ありませんね」


「というと?」


「女の子……まあ、異性に限らず、僕は特に誰かを好きになったことはありません。初恋もまだです。実は密かに楽しみにしているんですけど、でも、なかなかどうして」


 言いながら、強がっている思春期の男の子みたいなことを言っているな、と思った。

 ただ、僕は思春期だけど、別に強がっているわけではない。


「だから、ゲーム脳なんですよ。ゲームの中に出てくるキャラクターに、面白いなとか、魅力的だなとか、思うことはあっても想うことはないというか……本気で、本当の意味で好きになることはないじゃないですか」


「ゲームのキャラを本気で好きになる人も、いないわけではないんだけどね」


「それはそうかもしれませんけど……」


「ま、空木くんの言いたいこともわかるよ。じゃあ、性的能力は? 勃起はできる? マスターベーションは?」


「どっちもできます」


 これを答えるのはさすがに恥ずかしかったけど、しかし、恥ずかしがる方が恥ずかしいと判断して、僕はなんでもないように意識して答えた。

 これこそ、強がりだった。


「ふむ、インポテンツではないと……なら、そこからくる性的コンプレックスとは関係ないかもね」


「ゲーム脳と性的コンプレックスって関係あるんですか?」


「あるんだよ、これが意外とね」


 所謂、現実逃避というやつだろうか。

 現実で性的能力を持っていないことに対するコンプレックスを、現実をゲームの世界として上書きしてしまうことで解消する、あるいは逃避する、みたいな話だろうか? 素人の絵空考えだが、ない話ではないように思える。


「なら、次は家族関係について訊いてもいいかな?」


「妹がひとりいます」


「妹さんね。仲はいいかい?」


「最悪に近いですね。いてもいなくてもいいどころか、いない方がいいと思ってますよ。好きか嫌いかで言ったら、大嫌いです。たぶん、向こうもそう思ってると思いますけど」


 最後に言葉を慌てて付け足したのは、保身からくる心だった。

 身内をこうも悪し様に言う人間が、あまり好まれないことくらいはゲーム脳の僕でもわかっている。だから、向こうも僕を毛嫌いしていると付け足すことで、僕の印象回復を図ろうとした。それで印象が回復するかはともかくとして、僕は水無月先生に嫌われたくないと思えるようになっていた。


「一応訊くけど、妹さんを性的な目で見たことは?」


「ありえないです」


「ま、その様子じゃあそのようだけどね――ふむ、ところで、妹さんの名前は?」


「折紙です」


「素敵な名前だね。それで言うと、まあ、君もか……空木倫禰。倫理の倫に禰宜の禰――独特な名前だね、とは、言われ飽きてるかな?」


「言われ慣れてますよ。むしろ、今の今まで言われなかったことに驚いてます」


「両親につけられた変な名前を苦にして通院している人もいるくらいだからね。気は遣うさ。けど、その部類で行くと君の名前はマシな方だよ。良心的な名づけだったとも言える」


 両親が良心的だったかどうかはともかくとして、僕は自分の名前に関しては気に入っている。

 他と被らないし、意外とこれで、一発で覚えてもらえることが多いのだ。漢字はともかく、音に関しては。

 強いて言うなら、画数が多いのが不満だが、まあ、テストでちょっぴり不利になるくらいの弊害しかない。


「両親の話となると、今さらの質問だけど空木くん、ここには、ご両親の勧めで来たわけではないのかい? 普通、君くらいの年齢の子がこういうところに来るときは、お父さんかお母さんが付きそうのが普通なんだけど」


「ああ……いや、両親には言ってません。ここには自分の判断で来ました」


 厳密に言うと自分一人の判断というわけではないのだが、結局は自分ひとりの判断で決めたことだ。そのことについて水無月先生に説明するつもりはなかったし、水無月先生もなにか察したような表情はしたが追及はしてこなかった。


「ご両親の職業は? 共働きかな?」


「両親は大学で働いています」


 大学教授です、と言うと自慢しているように聞こえてしまうので、僕は両親の職業について説明するとき、そういう風に濁すことに決めている。同じ意味合いでも、言葉ひとつで印象ががらりと変わるものだ。


「ご両親との仲はいいかい?」


「まあ、あまり家に帰ってこないので。それこそ僕には妹がいますから、僕の記憶では、帰ってきても妹にべったりなイメージで……いや、まあ、僕も昔は赤ちゃんだったんでしょうし、両親が僕に多大な時間を割いていたことは理屈としてはわかるんですけど、でも、イメージとして妹を優先しているような印象があるんですよね」


「長子にありがちなメンタリティだね」


「あ、でも、だからってそのことをコンプレックスに思ってるとかはないです。両親のことは嫌いじゃないですけど、だからって妹を優先していることに不満があるとかはないですから。というか、不満に思うほど妹も構ってもらえてるわけじゃないんで」


 そもそも僕は、そこまで両親に興味がない。そしてそれは、たぶん、折紙も同じだ。

 僕らの家族関係は、長男と妹がいがみ合っているところで完結している。

 両親は、その枠の外側のような存在だ。

 もちろん、僕ら子供は両親の稼いだお金で生きているし、衣食住、すべて親のお陰で揃っていることは理解しているのだけど、でも、家族関係というところで、僕は彼ら彼女らがなにかの役割を持っているとは思っていない。

 たぶん、向こうも。

 もしかしたら、両親さえ、僕らのことを子供だとは思っていないかもしれない。


「ふむ。その感じだと、母親への性的コンプレックスとかもなさそうだね」


「母親を性的な目で見るってことですか? ……そう言われてみると、大嫌いな妹よりもありえないと思えるから、不思議ですね。いや、不思議じゃないのか。どんな関係でも血の繋がった親ですから、そういう目では見れないのが普通ですよね」


「さて、どうかな。フロイト先生あたりは反論してきそうなところではあるけど……」


 フロイト、というのが、有名な精神科医だということはさすがに知っていた。

 ああ、そういえば、エディプス・コンプレックスなんてものを提唱したのも、フロイトだっただろうか。


「空木くんはさっき、ゲームのキャラクターを魅力的だなと思うことはあると言っていたけど、それについて、なにか、魅力的だと思うキャラクターに指向は、あるいは嗜好はあるのかな? たとえば、乳房が大きな女性が好きだとか」


「胸の大きさにはさほど興味はないかもです」


「なら、その他に外見的、もしくは内面的特徴で、こういうキャラクターに惹かれやすいというのは?」


「………」


 僕は、この質問に関しては答えなかった。

 水無月先生も深くは追及せずに、「じゃあ」と、次の質問に移行した。そこからさらに十分ほど問診は続いた――中には、僕には意図が理解できない質問も含まれていた。睡眠時間やゲーム以外の趣味嗜好、食欲が、僕の抱える悩みと関係があるとは思えなかったけど、そこはプロの経験を信じて、それらの質問にできる範囲で正直に答えた。

 できる範囲で。

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