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第21話 罠と人質

 王国軍の拠点は、帝国の南西部にあるらしい。

 そこに奴隷となった王国民の一部が集まっている、とグレゴワールは言った。


 グリート家は、帝国の南東部にある。

 アンジェラとグレゴワールは、南に向かって、途中まで一緒に歩くことにした。目的地がある分、当てずっぽうに逃げ回っているときより心と足取りは軽かった。

 グリート家までは、ここから歩いて二十日はかかる。馬を調達できればいいが、お金は持っていない。それにどこで人相が触れ回っているか分からないので、人目がある街には出られない。

 ふたりは人気(ひとけ)のない森の中を歩き続けた。

 慣れない森歩きに加えて、食料は自分で調達する必要があった。


 「グレゴ、見て!」


 アンジェラはマントを広げた。

 マントの中には、木の実がごろごろ入っている。自分で採って集めてきたものだった。赤々と輝く小さな実、濃い紫をいくつも付けたブドウのような実──どれも虫に喰われておらず、つるつるとしていてきれいな状態だ。

 グレゴワールはこれを覗いて、苦い顔をした。


 「……これは?」

 「食べられそうなものがあったから、採ってきたの」

 「……食べられそうに見えますか?」


 アンジェラは木の実とグレゴワールの表情を見比べた。


 「…………食べられないなら、そう言って」


 食用だと思っていたアンジェラは、がっくり肩を落とす。


 (あとで森に返そう……)


 アンジェラは今まで調理されたものしか食べたことがない根からのお嬢さまだから、そういった区別がつかなかい。

 グレゴワールは、王族から奴隷となって二年。王国でエミリアンの襲撃から逃げ出してから、奴隷として帝国へ送られるまでの間、平民のふりをして過ごしていた期間があるらしい。

 そのおかげで、彼は野宿生活にもいくらか慣れているようだった。


 「じゃあ、どんなものが食べられるの?」

 「この時期だと、ノイチゴやベリーでしょうか」

 「ああ、タルトやジャムによく使われる果実ね。でも、これだって見ようによってはノイチゴとベリーだわ」


 食べられないと言われた木の実を見せつける。

 残念ながらグレゴワールには、毒々しい色にしか見えない。見るからに固そうな実だし、そもそも虫に喰われていない時点で怪しいだろうに……と少し心配になった。


 「……俺が探してきます」


 木の実だけでは、あまり腹の足しにはならない。

 彼女では魚や鳥を捕ることはできないだろうし、自分が行ったほうが早いだろう。新しい包帯を巻き終わったばかりのグレゴワールが立ち上がろうとするのを見て、アンジェラは慌てて止めた。


 「いいわ。わたしが採ってくるから、グレゴはそこで休んでいて」

 「ですが」

 「今度こそ、ちゃんとしたものを採ってくるから!」


 マントを抱えて、意気揚々と駆け出す。

 食べ物を探したり、寝る場所を作ったり、目標を持って進んだり──こんなふうに、自分のことを自分で決めるのは、生きているという実感が湧いて楽しかった。

 グレゴワールもそんな彼女の気持ちを察して、微笑しながらそれを見送る。


 「気をつけてくださいね。何かあったら、大声で助けを呼んでください」

 「子どもじゃないんだから、そんなことしないわ」


 草木が生い茂っている場所まで走って、アンジェラは辺りを見回した。


 (これとは違う実を探さなきゃ)


 マントに包んだ毒の実と、周辺に成っている実を見比べる。

 ぷつぷつと小さくて、うっすら毛が生えた赤い実。顔を近づけると、実からも葉っぱからも、甘酸っぱい匂いがする。


 (これがノイチゴかしら)


 アンジェラが屈んで摘もうとしたとき、背後で草が動いた。

 パキッと枝を踏む音がする。


 (グレゴったら、ついてきたのね。全く心配性なんだから……)


 内心呆れながらも、ちょうど良かったと思い直す。

 これがノイチゴか訊いてみよう。木の実を一粒摘まんで振り向くと、そこにいたのはグレゴワールではなかった。

 五日ぶりに見る──エミリアンだ。


 「……ああ、こんなところにいたのか」


 その声が耳に入った瞬間、時間が止まったように感じた。


 低木の前で屈み込んだまま、呆然とエミリアンを見上げる。

 近くに配下は見当たらない。彼ひとりらしい。


 「崖の下からずいぶん遠くへ移動したな。おかげで探すのに苦労したよ」


 離れて五日しか経っていないのに、エミリアンの声がひどく懐かしく聞こえる。

 同時に──耳障りだった。


 「ああ、こんなみずぼらしい姿になって……」


 可哀そうだと言いたげな声音のわりに、嘲笑うような表情を浮かべている。

 エミリアンは木の実を持っているアンジェラを見た。


 「空腹なのか? 帰ったら、温かい食事を用意させよう」

 「……」

 「そんなところにいないで、こちらへ来なさい」


 飼い犬を迎えにきた飼い主のように、微笑して軽く腕を広げる。

 アンジェラは冷めた目でエミリアンを見つめた。あれほど恐れていた人物が目の前にいるのに、自分でもびっくりするほど肝が座っている。


 もう彼には屈しないと決めた。

 アンジェラは立ち上がり、マントの中の木の実を掴むと、彼の顔にめがけて一気に投げつけた。


 固い木の実はポカポカと間抜けな音を立てて彼の上半身に当たり、ポトっと足もとに落ちる。投げた木の実のうち、ひとつがエミリアンの額に命中した。

 エミリアンは額をさすりながら苦笑した。


 「……何の真似だ?」

 「離宮へ戻れって言うんでしょう? それなら答えは『いいえ』です」

 「あの離宮が気に入らなかったか?」

 「もうあなたのところへは戻らないって言ってるの!」

 「君の意見は聞いていない。反抗するなら、力尽くで連れ戻すまでさ」

 「それなら、わたしは抵抗するだけよ」

 「……ああ、やってみればいい」


 エミリアンが、ゆっくりこちらへ近づいてくる。

 アンジェラはじりじり後退った。もう投げられるものは残っていない。武器になる物だって持っていない。


 (大丈夫……わたしを連れ戻すのが目的なら、彼はわたしに危害を加えることはないはずよ……)


 自分に言い聞かせ、跳ねる心臓を落ち着かせる。

 怯えているところを彼に見せてはいけない。

 堂々としていなくちゃいけない。でないと、弱みに付け込まれる。


 エミリアンは、アンジェラの肩をぐっと押し倒した。


 「っ……!」


 背中から思い切り木にぶつけられ、痺れるような痛みが背中に広がった。衝撃でその場に座り込む。顔をしかめている間に、エミリアンはすかさずアンジェラの腰に縄を回して木にぴったりと括りつけた。


 「な、何をするの?」


 両手首を後ろで縛られる。

 空いている足をバタバタ動かして乱暴に蹴り上げたが、彼は動じなかった。


 「おとなしくしていろ。怪我をするぞ」

 「わたしを縛ってどうするって言うのよ!」


 エミリアンはうすく微笑した。


 「君を連れ戻すことが一番の目的だが、ついでにあの男を捕獲することができれば尚良い。君をこうして縛っておけば、あの男が助けに来ると踏んでいるのだが……さて、どうなるかな」

 「……わたしを囮にするのね」


 アンジェラの睨みを半笑いで一蹴すると、エミリアンは茂みの向こうへ消えてしまった。


 (……このままじゃ、グレゴがわたしを探しにくるかもしれない)


 縛られた両腕をすり合わせて、縄から両手首を抜こうとする。

 縄はきつく縛られていて、少しも緩む気配はない。


 (どうしよう……!)


 せめて、縄を切れる刃物があれば──。


 「お嬢さま、どこまで行かれたのですか?」


 その声に、アンジェラは息を呑んだ。


 「グレゴ……!」


 中々戻ってこないアンジェラを探しにきたグレゴワールは、アンジェラの有様を見て目を見開いた。


 「一体何が──」

 「来ちゃダメ!!」


 駆け寄ろうとした彼を、大声で制する。


 「これは罠よ!」


 グレゴワールは足を止め、歯を食いしばりながら周囲を見回した。辺りの森はしんと静まり返っている。

 アンジェラは必死に縄を緩めようと体を動かすが、結び目が固すぎてどうにもならない。そんなとき、彼が手にしている刃物が目に入った。鋭く削った石の刃を、丈夫な枝に挟んだ即席の小刀。


 「それをこっちに投げて!」


 グレゴワールは頷いて、それを投げようとした。

 ──が、丁度そのとき、近くの茂みからカサカサと音がした。草むらへ目を向ける。何かがゆっくりとこちらへ向かってくる。エミリアンか、騎士団員だと思っていたが、違った。


 現れたのはオオカミだった。

 灰色の毛並みをした大きな体の獣が、体勢を低くして近づいてくる。低い唸りを出しながら、獲物を狙うような目でアンジェラを見据えていた。


 アンジェラは口の中で小さく悲鳴を上げた。

 後退りしようとしても、木の幹が背中にあるので動けない。


 「お嬢さま!!」


 グレゴワールは手頃な石を拾ってオオカミに投げ当て、自分に注意を引き付けようとした。石が背中にぶつかり、グレゴワールに一瞬視線をやるも、オオカミは近くにいるアンジェラを再び見据える。


 「畜生……!」


 ──迷っている暇はない。

 仕組まれたことだと分かっていても、グレゴワールは咄嗟にアンジェラのもとへ向かった。オオカミが口を大きく開けながら、アンジェラの目の前まで迫ってくる。グレゴワールが駆けつけても、間に合いそうにない。


 (……もうダメだわ)


 喰われる、と思ってアンジェラが諦めかけたとき。

 何本もの矢が、茂みの中から一斉に飛んできた。矢はオオカミの体にあちこち命中する。オオカミは犬のような甲高い悲鳴を上げて身悶えながら倒れた。


 思わぬ出来事にぽかんとしながら顔を上げると、グレゴワールは三人の騎士に剣を突き付けられていた。

 赤いマントを羽織っている騎士──第二皇子の騎士団員だ。


 「グレゴ……!」

 「さあ、帰ろうか」


 エミリアンが優雅な足取りで現れる。

 草の茂みにはあらかじめ待機していたらしい、弓を持っている騎士団員がいた。

 エミリアンはグレゴワールをおびき寄せるために、オオカミを飢えた状態で檻に入れ、アンジェラの近くで解き放ったのだった。


 彼はナイフでアンジェラの縄を切る。拘束が解かれたアンジェラはのろのろと立ち上がり、真っ向から彼を睨みつけた。


 「……あなたは一体、何がしたいの?」

 「離宮に戻って、これまで通りの生活を送るんだ。……隣の男は、そうもいかないけれどね」


 彼は横目でグレゴワールを見て笑う。グレゴワールはエミリアンを睨みつけたが、騎士に剣を突き付けられているので何もできなかった。


 「……グレゴを放して」


 アンジェラは震える声で告げた。


 「何故?」

 「わたしの、大切な人なの」

 「──やはり、そうか」


 彼の唇がゆるりと綻ぶ。

 納得したように数度頷いたあと、エミリアンは嬉々として言い放った。


 「その男を殺せ」

 「……っ、やめて!!」


 アンジェラの叫びは、冷たい空気に吸い込まれるように消える。騎士たちは表情ひとつ変えず、グレゴワールに剣を向けたままだ。


 「殿下!!」


 悲鳴混じりに声を上げたアンジェラは、鋭い焦燥に駆られて辺りに視線を巡らせた。グレゴワールが落とした刃物を見つけ、咄嗟にそれを拾い上げる。


 「それ以上彼に近づかないで!!」


 手にした刃を自分の首元に当て、声を張り上げた。

 刃先が肌に触れ、細い線がうっすらと浮かび上がる。力加減をする余裕はなかった。自らの命を賭けたその行動に、周囲の空気が張り詰めた。

 勿論、死ぬつもりはさらさらない。

 しかし崖から飛び降りた前例があるせいか、騎士団員たちは本気で死にかねないと警戒していた。


 「彼を殺すなら──わたしはここで死ぬ」


 エミリアンが眉を顰めた。


 「馬鹿な真似はよせ」

 「自分の価値くらい分かってるわ」


 苦々しく唇を噛みしめながら、アンジェラは目を逸らさずに続けた。


 「あなたにとって、わたしは生きていてこそ利用価値があるんでしょう?」


 エミリアンの顔から、ささやかな笑みが消えた。

 空気が変わったのを肌で感じながら、アンジェラは言い放つ。


 「だったら今ここで約束して。グレゴには指一本触れないって──彼を殺さないって誓って!」

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