第14話 葛藤
栗毛色の馬は帝都を離れて、見知らぬ森の中を突っ切った。
こちらの方が先に走り出したというのに、金髪の騎士はあっという間に距離を詰めてくる。騎士というだけあって、馬の扱いに慣れているようだった。
追手を撒こうとしてグレゴワールは木々の合間を縫うように蛇行した。そうすると、少しずつ騎士との間に距離が開けてきた。
どこへ目指しているのか分からないまま、アンジェラは馬にしがみつく。
「止まれ!!」
騎士が声を張り上げる。
しつこく追ってくる馬蹄の音が、恐怖心を煽る。──早く逃げなきゃ。気持ちは急くのに、馬上では何もできないことがもどかしい。
しばらく一直線に走り続けていると、不意にヒュンッと鋭い音が後ろの方で聞こえた。
(何の音……?)
「……っ」
グレゴワールの体が強張るのを、背中越しに感じた。
「グレゴ?」
異変を感じて振り向こうとしたとき、手綱を握る彼の手からふっと力が抜けた。全身から力が奪われたかのように馬上でぐらりと傾いて、彼は馬から落ちてしまう。
「グレゴ!!」
アンジェラは彼を掴もうと腕を伸ばしたが、そのまま体制を崩して疾走する馬から転げ落ちてしまった。地面に投げ出され、背中を強く打った。背骨まで響くような痛みに顔をしかめる。すぐに体を起こして、グレゴワールの様子を確かめた。
仰向けになったまま右腕を押さえている彼の二の腕には、二本の矢が深々と突き刺さっていた。
アンジェラはそれを見て青ざめる。振り向くと、金髪の騎士がこちらに向かってきながら馬上で弓を構えていた。──あの騎士が射たのだ。
右腕だけではない。
右足首にも、矢が一本刺さっている。
(よりによって手足を射るなんて……)
これでは、手綱を操るのも自分の足で逃げるのにも支障が出る。
「グレゴ、立てる?」
アンジェラは手を差し出したが、グレゴワールは苦々しげに首を横に振った。
「申し訳ありません……手足が痺れて、動けそうにありません」
アンジェラは頷いて、彼の腕を自分の肩に回して支え、一緒に立ち上がろうとした。
──この場に留まっているわけにはいかない。早く逃げないと、追いつかれてしまう。
しかし、アンジェラに男を持ち上げられるほどの力はなく、立ち上がった途端によろめいて、膝から崩れ落ちて前に倒れた。
それでも諦めず、再び立ち上がろうとする。
するとグレゴワールはアンジェラの手をパッと払いのけた。
「俺のことは構わないで、先に行ってください」
「あなたを置いて行けないわ!」
「このままだと、お嬢さまが捕まってしまいます!」
「それはあなたも同じよ!」
自分ひとりだけが逃げるなんて、考えられない。ここで彼を置いて行ったら、殺されてしまうだろう。そうと分かっていながら彼を置いて行くなんて出来るはずがない。
食い下がる彼の腕を無理やり引っ張ったが、彼は頑として逃げようとせず、すぐ目の前まで迫ってくる騎士を睨みつけた。
「俺がここで食い止めます」
「その傷で剣なんて振るえるはずないわ!」
片膝をついたまま刺さった矢を乱暴に引き抜き、背中の長剣に手をかけるグレゴワールを見て、アンジェラは悲痛な声で叫んだ。
(どうして彼は自分の身を大事にしようとしないの?)
グレゴワールは、いつもアンジェラの身ばかり優先する。
護衛騎士だからといっても、アンジェラは彼を犠牲にして生き延びることなんて望んでいないのに。
駆けてくる騎士はそのまま襲い掛かってくる──かと思ったが、彼は腰に下げた剣ではなく、何故か懐に手を突っ込んだ。そこから取り出したのは、笛だった。
夜の森に、甲高い笛の音が鳴り響く。
仲間に居場所を知らせているのだ。そう悟ったアンジェラは、呆然と立ち尽くした。じきに新しい追手がやってくるだろう。
(一体、どうすれば……)
──今のわたしに、何ができるっていうの? もう全部、手遅れだわ……。
グレゴワールが負傷してしまったという衝撃と、近づいてくる馬蹄の音に対する恐怖がごちゃ混ぜになって、頭の中が真っ白になる。そして何より、自分には何もできないという事実に絶望した。
「妃殿下、その男から離れてください!」
騎士は馬から下り、剣を片手に構える。
「早くこちらへ!」
アンジェラに向かって手を差し出しながら、グレゴワールを牽制するようにちらちら睨みつけていた。
(この人、わたしを助けようとしているみたい)
グレゴワールに連れ去らわれたアンジェラを助けようとしているかのようだった。
そうだとしたら、彼はアンジェラを保護して、グレゴワールを捕縛するつもりだろう。
(捕まったら、グレゴが殺されるかもしれない……)
そんなのは絶対に嫌だ。
自分のせいで彼が殺されるなんて。
アンジェラがグレゴワールの傍から離れずにいると、騎士がアンジェラを見つめる表情は、心配そうなものから怪訝そうなものへ変わっていった。
「妃殿下……」
騎士が呟いたとき、いくつもの馬蹄の音が森の奥から近づいてくる。
ひとり、ふたりではない。十名はいる。帝都で見た騎士団が、笛を音を頼りに全員こちらへ向かってきているのだろう。
急にぐいっと腕を引かれた。グレゴワールが左手でアンジェラの手首を掴み、騎士に背を向けて走り出す。
夜の森は暗かったが、葉のあいだから差し込む月明かりがほのかに草道を照らしていた。
「止まれ!!」
怒声に振り向くと、騎士が再び弓を構えている。アンジェラはグレゴワールの背後を守るために、咄嗟に彼の後ろへ回った。そうすると騎士は面食らった顔をしながら構えを解いた。
(やっぱり、グレゴを狙ってるんだわ)
「グレゴ、逃げて! あの人はわたしを傷つけるつもりはないわ! 狙われているのはあなたよ!」
アンジェラは彼の手を振りほどこうとしたが、グレゴワールは手首を強く掴んだまま離そうとしない。
「わたしを守る必要はないわ!」
「殺されなくても、またあの離宮に連れ戻されるでしょう」
「だけど、あなたは殺されるかもしれないのよ!」
「俺はお嬢さまの護衛です。あなたを置いて行けません!」
強い口調で言われて、少し戸惑った。
けれど、アンジェラの気持ちは変わらない。彼を盾にしてまで、生き延びようとは思わない。
(せめて彼だけは助けなきゃ……)
後ろを振り向き、追手を確認する。
金髪の騎士の後ろに、複数の陰影が見える。全員馬に乗っている。このまま足で走り続けているだけだと、すぐに追いつかれてしまうだろう。
(どうしよう、どうしよう……!)
何とかしないと、と思うのに、息切れと動悸と混乱で頭が働かない。
ふと、グレゴワールが足を止めた。彼が急に立ち止まったので、アンジェラはつんのめりになりながら踏みとどまった。
「……どうしたの?」
息を切らしながら、グレゴワールの顔を見上げる。彼はじっと前を見ていた。彼の視線の先を、恐る恐る辿ってみる。
いつの間にか、アンジェラたちは崖の上に来ていた。
断崖絶壁だった。
下は森林の梢が広がっていて、地上は見えない。この先にはもう進めない。
棒立ちになっているアンジェラを背に庇い、グレゴワールは剣を抜いた。やがて追いついてきた騎士団は馬の速度を落として、グレゴワールを半円状に囲みながら次々と剣を抜く。
追手の数は、金髪の騎士を含めて十人だった。
(ひとりで十人を相手にするなんて、どんなに強い人でも無理よ……)
それに、彼は怪我をしている。勝てるはずがない。
アンジェラはこれから起ころうとしている戦いを避ける方法を考えた。
(相手はわたしを連れ戻しに来ただけのはず。それなら……わたしがおとなしく離宮に戻ると言えば、グレゴを傷つけないでくれるかしら)
アンジェラが離宮に戻れば、状況はまるく収まるはず。
──でも、本当にそれでいいのだろうか。
勇気を出して外に出たのは、春祭りを見たいという理由だけではない。
人の言うことを聞いてばかりだった自分を変えたいと思ったから。
そのために、ようやく一歩を踏み出すことができた。
(……今ここで離宮に戻ると言えば、きっとまた逆戻りすることになる)
アンジェラは自分を必死に守ろうとしてくれているグレゴワールの背中を見た。
(でも、このままだとグレゴが死んじゃうわ。どうすれば……)
彼が死んでしまうかもしれないという恐怖と、それでも離宮には戻りたくないという自分の本音に葛藤する。
葛藤している場合ではない状況が、余計にアンジェラの気持ちをぐちゃぐちゃに搔き乱した。
手負いの護衛騎士と、十名の騎士が一触即発の状態で向かい合う中、コツコツと静かな馬蹄の音が聞こえてくる。半円状に並んでいた騎士が顔を伏せ、中央から二つに捌けて道を作った。
そこに現れた人物を見て、アンジェラは唇を震わせて呟いた。
「……殿下」




