08 それでも切符が必要なワケ
アルレイズ・インダストリは街の中心部から川を越えた場所に工場を構えている。ロボットの生産を主とした機械工業産業の花形部門だ。
カイエは車で向かうことも考えたが、半年ぶりに外に出たトラヴィスはできるだけ歩いた方がいいだろうと、公共交通機関で向かうことにした。就職する気なら、なおのこと体力を付けたほうがいい。
「トラヴィスさん、歩くのは辛くないですか?」
カイエはリハビリをサボり続けていただろうトラヴィスの体調を心配した。体力の回復をはじめ、身体が事故に遭う以前と同じように動くために、リハビリがどれだけ重要か、カイエはよく知っている。
「オマエみたいな凡人と違って、ボクはリハビリなんて必要ないんだよ。確かに事故に遭う前よりは動きにくいけど、こうして外を歩いてるウチに良くなるさ」
そう答えたトラヴィスの歩く姿は、少しぎこちなさはあるが歩行に支障があるほどではない。
「そうはいっても、さっきトラヴィスさんがそこの段差で躓いたのを、ラッキーさんは見逃してないのです」
なにやら得意げにしているラッキーをトラヴィスが睨む。
「そんなことを指摘するなら、依頼主のために躓かなそうな道を先導するとかしないのか? 気の利かないロボットだな」
「転びたくないから安全な道を選びなさいって指示を出せばいいのに」
それじゃあ安全な道を歩かせてあげましょうと、ラッキーは前に進み出ようとしたが、先の道は人混みで塞がれていた。
罵声と不穏なざわめきが人だかりの奥から聞こえてくる。
「違法ロボットだって?」
「ああ。利用者未登録のを使って、高所での作業人数をごまかしてたそうだ。法令で必要な人数が足りないからって、違法なロボットで人足を水増ししてたそうだ」
カイエが野次馬達の隙間から騒動のする方を垣間見ると、高所作業用のゴンドラの周りにモップや洗剤が散らばっていた。『ビルの清掃作業中。ご協力をお願いします』という看板もまた、地面に倒れている。
「騒ぐのは勝手だけど道を塞ぐなよ。駅にいけないじゃないか」
トラヴィスの文句は人々の喧噪にかき消され、誰の耳にも届かなかった。
「トラブルです? 調停員の出番です?」
ラッキーは後輩へ振り向いて首を傾げたが、後輩が答えるより先に誰かが怒鳴る。
「治安局機動第4課だ! 道を空けろ! さもなくば公務執行妨害でひとり残らず留置所送りにするぞ!」
その場にいた人々が声のする方を見ると、顎髭を生やした肥満体の男がいた。はち切れそうになっている袖に、橙色の腕章をつけている。後ろには、同じような制服をした部下が何人かいた。
突如現れた公権力に、人だかりは慌てたり渋々といった様子で道を空けた。空いた先に、惚けた様子でロボットが座っているのをカイエは見た。合成樹脂で作られた内側の堅い合成樹脂と金属製の骨格を、外装のシリコンで人間の外見に似せている、どこにでもいる産業向けの汎用ロボットだ。
肥満体の男は座ったままのロボットを睨めつけ、書類を片手にして尋ねる。
「UW-35。オマエが通報されたロボットだな? 利用者未登録のロボットは、治安局がその場で破壊処分することが可能なのは知っているな?」
「はい」
複雑な受け答えを必要としない産業用ロボットは、感情のない機械音声で応じた。その返事を聞いて、肥満体の男は人だかりに向けて問う。
「さあて、この違法な存在をどうしてくれようか。善良な市民諸君!」
周囲の野次馬が異口同音にして叫ぶ。
「壊せ! 壊せ!」
カイエの隣に立っているラッキーはその様子に気圧されたのか、そっとカイエの服の袖を掴んだ。
肥満体の男は部下から自動拳銃を受け取ると、ロボットの頭部に突きつける。
轟音が上がり、野次馬の半数は肩をすくめたが、もう半数は構わず腕を振り上げて喚いた。
撃たれたロボットは、ゆっくりと胴体を地面に倒してそのまま動かなくなった。肥満体の男は、倒れたロボットを蹴飛ばす。相手が動かなくなったことを確認すると満足げに口を歪め、周囲の野次馬に向かって両腕を広げた。
「これで街の悪は減った! 皆がこれからも善き善良な市民であるように!」
人だかりのあちこちから歓声が上がる。カイエは、治安局がこうも人々から称えられるのを初めて見た。
肥満体の男は部下に指示を出し、ロボットの回収と現場責任者を連行するように指示を出す。その回収作業に当たっている部下もまた、ロボットだった。彼らに思うところはあるのだろうかと、人だかりの中で歓声を上げずにいるカイエはぼんやりと考えた。
熱狂に飽きた人は三々五々に散らばり、帰りがけに吐き捨てるように呟いていく。
「治安局もたまには良いことをするな。いい気味だよ」
そう言って振り返った男は、すぐ後ろにいたラッキーと目が合った。彼は不思議そうな目で見ているラッキーを突き飛ばしてから去った。幸い、カイエがすぐ支えたのでラッキーが倒れるには至らなかった。
「大丈夫ですか、先輩」
ラッキーは目を瞬かせてみせる。その様子はやはり、人間そっくりだ。外装が故障していないか確認し、カイエはラッキーから離れた。
「登録されてればなんともないけど、無登録だとあんな扱いをされるなんて不思議な話ですよね」
後輩の疑問に、ラッキーは「法律でそう決まっているのだから不思議なことは1つもないのでは」と答えて首を傾げた。
このロボットは人間の屁理屈で自分もまた無登録ロボット扱いされ、今し方目の前で繰り広げられた光景と同じ出来事の主役になるとは微塵も考えてないのだろう。いずれ先輩が同じ目に遭わないことを願いつつ、カイエはため息を吐いた。
「わたしには、ロボットは人間と同じ形をしているだけあって、あんな光景見たらいい気分にはなりませんよ。無登録のロボットなんか、放っておけばいいのに」
カイエの脳裏には、今朝、ビルの間に住む人々の顔が映っていた。
トラヴィスが暗い表情をしたカイエを怒鳴り飛ばす。
「バカ言うな。無登録のロボットが市街で爆発でも、機密情報の窃取でもしてみろよ。これは誰の責任だって大騒ぎするだろ。ロボットに責任能力はないんだ。利用者登録を受けてなきゃ、責任取るヤツがいないだろ」
責任の所在については考えたことがなかったカイエは、トラヴィスの発言に素直に感心した。
「トラヴィスさんは、大手メーカーの関係者だけあってそういうことには詳しいんですね」
「フン。勉強したんだよ。クレーム対応とか製品不具合時のリコールのシミュレートとかさ。どれもボクがやるわけじゃないのに。そういうのは下の人間の仕事だろ? アンタみたいなさ」
トラヴィスの評価を改めようと思ったカイエは、最後の一言を聞いて考えるのをやめた。
「ようやく道が空いたな。まったく。騒ぐのは勝手だけど他人に迷惑をかけるなよ」
そう言って元の喧噪を取り戻した道を睨むトラヴィスへ、カイエは色々言いたいことがあるものの、言うのはやめておいた。
昼過ぎのナラヤ駅は空いている。通勤や乗り換えで使うことが主目的の駅なので、珍しい光景ではない。カイエもこの時間帯にナラヤ駅に来たのは初めてだ。
カイエは電光掲示板で次の電車が来る時間を確認する。幸い、すぐに電車が来るようだ。改札へと足を向けたカイエは、ふとトラヴィスの方を振り返る。彼は黙って立ったままだ。
「トラヴィスさんは行かないのですか?」
首を傾げるラッキーに、トラヴィスは顔を顰める。
「行くに決まってるだろ、だけどもう金を持ってないんだよ。デバイスは持ってないし、電子決済用のカードも持ってない。ボクの分の切符はアンタが買ってくれよ」
カイエはトラヴィス分の切符が経費で落ちるかどうか考えながら、自動券売機からトラヴィスの分の切符とその領収書を受け取った。そしてこれほど世の中に電子決済の手段が用意されているにも関わらず、いまだに切符が存在している理由に納得した。
ラッシュ時は足の踏み場もないほど混雑する電車内も、昼をとうに越えた今は人もロボットもまばらだ。ラッキーが小さな紙ゴミが転がる様を面白がったり、空き缶が座席の間に隠されたように捨てられていることに憤慨していることを除けば、静かな車内だ。
駅を1つ通過するごとにビルや高架道路が減っていく光景は「本当にこの先に大企業の本社があるのか」とカイエに心配させるには充分だった。
もっとも、その心配は終点駅につく前にして跡形もなく解消した。
次が終点、と車内の音声案内が始まるころには、窓の外には大きな施設がいくつも見えた。その全ての施設に刻印された双頭の鴉のエンブレムが、紛れもなくアルレイズ社の施設であることを示している。
そのエンブレムを指さして、カイエはラッキーに言う。
「あのエンブレムは、ゴミを漁ってでも食べ物を得ようとするカラスにあやかって、社員がどんなものからでも知恵を得ようとする姿勢であれと作られたものだそうですよ」
カイエは、アルレイズ製のロボットであるラッキーに言うことでもなかったと発言してから後悔したが、返事をしたのはラッキーではなくトラヴィスだった。
「バカ。そんなわけないだろ。あの鴉はワタリガラスがモデルだ。元々知性の象徴として描かれてる物だから、オマエの言ってたゴミがどうとかなんて全く関係ないんだよ」
トラヴィスは嘲ったが、カイエは動じていない。トラヴィスが嘘をついているわけでは無い。彼の言っていることは本当だ。
だが、ラッキーは後輩が反省しないのを見て、情報源を察した。
「また情報屋にウソ教えられたですねこの後輩は。いつも所長が言ってるでしょ。あの情報屋は信用しちゃダメだって」
「タダで聞いた話だからウソなんでしょう、きっと。お金取ってる方の話は大丈夫ですよ」
いつもより小声で喋る後輩の顔を、先輩は両手で挟んで諫めた。