厩の中の男と女
近くで起こった爆発音を聞いて、私は立ち上がらなければと体を起こした。
散々泣いて、恐らく顔が凄い事になっているだろう。
「皆が戻る前に、かお、洗わなきゃ。」
しかし、動き出す前に私は厩で響いた足音に気が付き、耳を傾けた。
軽い足音と重い足音。
女と男かと思ったすぐ後に、それを認める様に囁き声が聞こえた。
「馬は本当にいるの?」
「お前がいるって聞いたんだろ。お前は残らなくていいのか。あの間抜けな騎士様達は、お前の為に囮になって暴れているんだろう?」
「残ったら縛り首だものね。ヘイリー、いいえ、エメリア。」
女と男は私の言葉に同時にはうっと息を飲み、だが場数を踏んでいる女の方は図々しく影から姿を現した。
ハニーブロンドの髪はつややかで、薄ピンク色のチュニックには色とりどりの花々が刺繍されている。
ミリアがとっておきだからと袖を通した事のないチュニックであり、そのチュニックを腰の位置で縛る緑色の帯は、ミリアが自分で染めたという、やはり召使達に一切触れさせなかったお気に入りの物である。
ミリアが誰にも触らせず、彼女の特別として用意された服を着こんでいた泥棒女は美しく似合っていた。
が、ただし、美しかった肌の記憶も消える程に、首元や手首が赤く爛れているようである。
顔だけ完璧な女は、私と目が合うとニヤリと笑った。
「自分の領地に来たのなら、思い出したかな。」
「やっぱり、あんたは私の記憶喪失を確かめに来ていたのね。」
「ふふん。可哀想な貧乏女。ねぇ、あたしの旦那さんはどこに消えたのかな。あんたとカドラヘレへ行ったとこまではわかっているんだけどね。」
ヘイリー・モーガン未亡人と言う名でウィステリア家に招かれざる客として居座っていたのは、アダム・ローエンの後妻のエメリアだ。
彼女が私達の目に出現したのは、ミリアに匿われていた私から、消えたアダム・ローエンの行方を聞き出そうという目的だったという事だろう。
「あら、あなたこそ知っている?いえ、知っていたから躍起になっていたのね。あなたがアダムとの結婚を白紙にされていたって事。」
アダムは私との結婚を望んでも、彼にはエメリアとの婚姻がある。
アダムが私を連れてカドラヘレに行ったのは、アダムがエメリアとの婚姻を無効にし、さらにはイーオインと私の婚姻を無効にして私と結婚する為である。
イーオインは六年前に私を守るために結婚式をあげていたが、当時十二歳でしかなかった私と契りを結べるはずもなく、アダムは「白い結婚」として私達の婚姻関係の無効を教会に認めさせる必要があったのである。
その審査には処女鑑定もある。
ガルディスが保証した片道の安全とはそういう事なのだ。
処女鑑定が通らなければ、アダムはエンバーンを妻にできない。
それどころか、妻の財産権を手に入れたミカ男爵によって、領地の支配権までも奪われて追い払われてしまうだけの存在に落とされてしまうのだ。
「あなたがアダムと結婚していたままでも、あなたにはこの地に存在する権利など何もなく、アダムと追い払われるだけの結果よ。」
「本当にこの世にいらない女だね。名前だけの女男爵様。あたしより自分が上等な女だとでも思っているの?あたしがアダムに捨てられた可哀想な女だと?あんたはアダムの子供を産んだらそれでお終い。この世とさようなら。そして私がローエン夫人に返り咲いて、あんたの子供の母になるのさ。最初からそういう計画。アダムの行方はもういい。あたしは貴族の娘として、別の結婚をするから。あたしたちの餞別にね、あんたは殺す代わりにいい職場を紹介してあげる。ねぇ、ベイリー。」
ベイリーと呼ばれた男も暗闇から姿を現した。
ベイリーは、大柄の鍛え上げられた体という点がイーオインやルパートと同様だが、彼等よりも体重がありそうで重そうだ。
さらに、その幅のある体に乗っている顔は、彼等よりもずっと彫りが深く男らしいというものであった。
「うわ、趣味が悪い。臭いし。アダムなんて肉塊に触られても平気なのだものね。あなたは男性にあまり拘りが無い人なのかしら。」
私の本心であるが、エメリアとベイリーにはかなりの侮辱であったようだ。
それを証拠にエメリアは目を三角に吊り上げて獣のような声をあげ、男は女の私に殴りかかってきたのである。
来ただけで終わったのは、私とベイリーの間には靴下丸がいたからだ。
彼は蹴り飛ばせる、あるいは噛み千切れる獲物の出現だと、大喜びでベイリーを威嚇し始めているのである。
「邪魔だ!」
体が通常よりも大きな馬だが、牙のない草食動物だからとベイリーは甘く見たのか、黒馬を切り捨てようと大きく剣を振り上げた。
しかし、大きく悪辣な生物はベイリーの威嚇に脅えるどころか、目にもとまらぬ速さでベイリーの頭髪をむしゃりと咥えると、そのまま勢いよくベイリーを元来た方向へと投げ返してしまったのである。
放り投げる時に、べりっと、とても嫌な音が小さく納屋で響いた。
「ぎゃああああ!」
「ちょっと、お馬鹿さん、靴下丸。そんな汚いものを食べたらお腹を壊すでしょう。ほら、えぇと、なんか他の食べ物。えぇと、いいから、それを早く口から出して!」
私はここに来て、エメリアもベイリーもどうでも良くなっていた。
可愛い靴下丸の口元から、彼が咥えたままの小汚い髪の毛の束を奪い取るのに必死にならざる得なかったのだ。
エメリアは、ミリア特製の服を着ている。
服の下から覗けるエメリアの皮膚の状態に、私はようやくミリアの特別という意味を知ったのである。
蛇入り金庫を作った女であるのだ。
そんな事のできるミリアの特製服を着たエメリアを、ベイリーは何度抱き締めただろうか、と。
そこまで考えたことで私は馬からベイリーの毛束を取り返す事に必死になってしまったのだが、そのためにエミリア達の存在を忘れた事が、エメリアとベイリーのプライドをかなり刺激したらしい。
彼らは大声で酷い罵り声をあげたのだ。
否。
罵っているのは己の境遇であり、馬から目線を逸らして煩い敵を見返せば、馬に毛をむしられて頭皮が剥げているベイリーはルーカスに拘束されており、エメリアはイーオインに拘束されかけていた。
エメリアは左腕を捕まえられても逃げようと必死に身を捩じり、そこでイーオインは後ろ手になる様に抱き締めようと彼女を引き寄せようと動いた。
「だめ!イーオイン!エメリアはミリアの服を着ている!皮膚病になるわ!」
エメリアの腕を掴んでいたイーオインはぱっと手を放し、エメリアは逃げることも忘れて座り込むや本物の獣のような咆哮をあげ、そしてベイリーを適当に縛っていたルーカスは、縛り終わるとベイリーを汚い物の様に足蹴にして転がした。




