目覚めと脅威の足音
目覚めたとき、なぜ風景が動くのだろうとぼんやりと考え、そしてゆっくりと目線を動かして、ようやく意識がはっきりとしたのである。
「ミリア!あなたは何をやっているの!大丈夫!」
身分など忘れて叫んでしまうほど、私の状況は衝撃的であったと言ってもよい。
ミリアは意識のない私をツタと薪と自分の外套で自作したらしい簡易ソリに乗せ上げて、淑女の、それも女主人であるはずの彼女がソリを引いて森の中を王都目指してざくざくと雪道を歩いていたようなのだ。
どのくらい自分は気を失っていたのだろうかと考える前に、私は大声で叫び声をあげていた。
「ちょっと、降りるから、止めて!」
ピタリとソリは止まり、振り返ったミリアはにっこりと私に微笑んだが、彼女の真っ白い肌は紅潮どころか力を込めて踏ん張って歩いた名残で真っ赤に染まっていた。
そして、ソリから立ち上がった私が何かをミリアに言う前にソリにごろりと横になり、鼻をツンと上げて順番だと言い放ったのだ。
「順番?」
「そう。順番。私はもう、すいません、申し訳ありません、恐れ多くもって言葉に答えるのに面倒になっちゃったの。さぁ、引いて。」
私は彼女に言い草に笑うしかない。
「さぁ、引きますよって、何?」
私は獣の吐息を感じて反射的に身をかがめた。
ミリアは私の緊張を読み取ったのか、すぐさま上体を起こした。
「エン?」
「し。静かに、何かが近くにいる。」
私はソリに座るミリアの盾になる様に後退し、そして目は森の中を探る様にしっかりと凝らした。
こつんと脇に固いものを感じれば、それはミリアが剣を差し出したからである。
柄にフクロウの紋章がある、私の私自身よりも大事な剣。
「ありがとう。」
「どういたしまして。私も剣で戦えたらいいのに。」
「あの屑を素手で倒したのは誰でしたっけ?」
「あら。」
昨夜、私達を受け入れて保護すると言い放ったばかりの男を信じたばかりに、私は無様に殴られただけでなく、男の手下らしき二名の男達に凌辱されるところだった。
殴られて朦朧としている所に、男達に担がれて階下の食堂に連れ去られ、私はそこで板のテーブルに仰向けに落とされたのだ。
したたかに背を打ったことで意識がはっきりと目覚め、被さり服を剥ぎ取ろうとした男の短剣を脇から引き去ると、そのままその男の喉から胸を大きく切り裂いた。
「ぎゃあ!」
叫ぶ男を後ろへと蹴り捨ててテーブルの上に立つと、出来事に茫然とする男の頭をそのまま思いっきり横から蹴りはらった。
男は顔から壁にぶち当たり、壁にぶつかったおかしな格好のままそのまま動かなくなった。
一先ずの危険を脱したと改めて周囲を見回せば、最初に蹴り飛ばした男は痛みに呻いているが、怪我は私が与えたそれだけでなく、転んだ時に椅子の一つを潰して木片が刺さってもいるようである。
そこで私は壊れた椅子の破片を拾うと、倒した男のチュニックを切り裂いて破片に巻き付けた。
松明を作ったのだ。
熱い炎は武器にもなる。
私はナイフを握り直すと、友人を助けるために階上へと駆けあがった。
「私は驚きましたよ。必死で助けに向かったそこで、あなたが私を助けようとドアから飛び出してきて、あなたの後ろにはあなたに素手で倒された男が転がっているのですもの。私は武器を使ってやっとなのに。」
「ふふ。もう。」
私を不意打ちで殴り飛ばしたあの小男は、私と同じ左頬を真っ赤にはらして寝室の床にだらしなく大の字で倒れており、対照的に何事も無かったようにニコニコ微笑むミリアという構図だ。
情けなくも私が奪われてしまった剣までも、ミリアは差し出しているのである。
自分が情けないと脱力して、松明を落としてしまったのは仕方のない事だろう。
だが、炎が床を這い、そこで暗い廊下が明るくなったその時、ミリアの真後ろに迫っていた伏兵の姿を露わにしたのだ。
農夫には見えない豪奢な服を着た、ハニーブロンドの甘い顔立ちの若い男。
「あぁ、小さい子、だぁ。」
むせかえるような酒の臭いをさせた男の言葉と声に、私の体は反応して動くことも考えることも出来なくなっていた。
「お前はあそこに逃げろ!」
少々しゃがれたハスキーな女の叱責する声が脳裏に響き、ハっとして我に帰れば、目の前では男に後ろから抱き締められているミリアの姿だった。
男の手は、なんと、ミリアを羽交い絞めにしながらも胸を揉みしだいているのである。
私の視界は真っ赤に染まった。
頭に血が上った私が落ち着いたころには、その男は炎の中でバラバラに切り刻まれた切り身となっていた。
「本当に、あの時のエンバーンは怖かったわ。凄く格好良かったけれど。」
「格好がいいなんて、私はただの無我夢中でした。あなたこそいつも格好いいですよ。私の見本です。」
「まぁ。私はあなたが見本なのにね。」
私達は、いや、私こそ脅える自分を励ますための軽口だったのだが、全く脅えていない口ぶりのミリアに冷静になっていくしかなく、しかし、私はミリアのその無邪気さに感謝さえもしていた。
絶対に近くにいる身を潜めたモノを見つけなければ、自分達は殺されてしまうのだ。
ミリアから差し出された剣を鞘から引き出すと、恐らく、自分達が進んできた後ろの方角だろうとそこに気を集中させた。
「嘘。」
目を向けた彼女達の真後ろには、いつの間にか大きな馬がいたのである。
右前足だけ靴下を履いているように真っ白だがそれ以外は真っ黒で、普通以上に大きな体躯の黒馬は、飼い主にぞんざいに扱われている事への意思表示か、ざくざくと前脚で雪を掻き出していた。
「あら、粗相をした後の猫ちゃんみたい。」
ミリアによって間抜けな存在に落とされた悪魔の馬は、ミリアに向けてぶるると鼻息を吹き出しながら顔を向けると、そのまま人間臭く顔を歪めた。