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おばあちゃん、耳が遠い

「おばあちゃん、さっきのどうやったの?」

「さあ、分からんけど、年の功かねえ」

 それよりも腰が痛い、とおばあちゃんが言うと二人はその場に座り死屍累々の緑の絨毯を眺めていた。乾いた風がゴブリンの纏っていたであろう布の切れ端を浚っていく。



 魔術陣から放たれた炎はゴブリンたちを全滅させた後、次第に薄くなっていき線香の煙のような光に変わると持ち主の元へ戻るようにおばあちゃんの体に集まり吸い込まれ消えていった。

 「何か知らんけど、勿体ないもんねえ」

 全ての光を吸収したおばあちゃんは、お気に入りの蜻蛉柄の手ぬぐいを顎の下でしっかり結び直すと孫の無事ににっこりと微笑んだ。ヨシヒコもまた、いつものおばあちゃんの姿に安堵し顔が綻んだ。

 状況は分からないけど、おばあちゃんが元気なら良い。




 蹄の音と金属音に振り返ると太い声が響いた。

「私はイヴシュ王国兵士長ハマー・ドードー。此度の大掃討を任されている者である」

 騎乗した大柄の男が兜を脇に抱え、額の広い男が立ち、その後ろに三名の乗馬兵が並ぶ。

 ヨヒシコは、あの壁のような人影から現れた兵士たちだと確信し、ゆっくりと振り向くおばあちゃんに、大丈夫だから、と立ち上がり五メートル程先に瞳を絞る。


「魔物共の討伐にご助力を、まずは感謝を申し上げる」

 間を置きながらこちらの様子を伺うように台詞が響く。

 こちらは何と返すべきだろうか。自己紹介だろうか、ここがどこなのかも尋ねたいが、敵意が無いことから告げる方が先か。腰を重く上げるおばあちゃんに手を添えてから答える。

「僕はヨシヒコ、安藤です。こちらは祖母のシヅヱです」


 声が小さかったのだろうか、ハマーと名乗った男は耳を据えるように動きを止めヨヒシコとおばあちゃんを交互に固い表情で見定めてから口が動く。

「ヨシヒコ殿、シヅヱ殿、お二人は一体」


 風貌そのままの太い声だが尻窄みになり、代わるように紫のローブの男が半歩出る。

「魔術師とお見受けしますが相違ございませんでしょうか」

 品よく尋ねてきた中年の男は眼光が険しく、解答を間違うと厳しく叱る教師のようだ。訊きたいのはこっちだ、と紫のローブに飾られた金の紋様を眺める。ゴブリンだの魔術師だの次々と現れる非日常に面倒臭さをも感じてきた。ヨヒシコはもう一度眠ってしまおうか、それとも気でも失えばまた元の世界に戻れるのか、と答えの代わりに静かに鼻息を吐き出した。

「失礼、私は同じくイヴシュ王国に仕える、魔術師のガミルズ・ヒムガーと申します」

 気を悪く思われる仕草だったか、とヨヒシコは焦り背筋を伸ばす。




 深々と頭を下げながらガミルズは策を練っていた。

 話に応じる気があれば幸運と言えよう、敵だとしても決して機嫌を損ねてはならない。ゴブリンを殲滅させた魔術を半分の力でも使われたら我々も屍と化すのは必至だろうから。

 ガミルズの考察は二人に対面しても今尚も纏まらなかったが、頭を下げ視界から消す事で王宮の梟と呼ばれる沈着冷静な顔付きを整えた。

 相手はかなりのやり手だと推測できる。魔術の腕は自分より、いや大陸中を探しても居ないだろう力を見せられた。無意識にだが位を伏せた事は正解だったか、もし第一級を驕っていると捉えられたらこちらの程度が知られる。もっとも自分の場合、王国魔術師で最高位に値する称号は魔術よりも頭脳で得たものと自負している。さあ何処から論を切り崩そうか。

 丁寧にお辞儀を終え顔を上げた魔術師に声を上げたのはおばあちゃんだった。


「あたしは耳が遠いから聞こえません」


 兵士にきょとんとした顔が揃う中、ガミルズは老婆の言葉に唇を青くする。まさか話す価値も無いと弄んでいるのか、力に溺れた者ならばそれは死を与える宣言だ。ローブの下で膝が揺れる。


 耳が遠いのか、と困ったように鞍から滑るように下乗したハマーはガミルズから震えた唇で何かを伝えられると、ううむ、と太い声で唸る。

 人間は五十の年齢で長寿とされるが目の前の老婆は六十、いや七十を越えているのではないか、王国にそれ程の年寄りが居なくもないが。もしかすると不死の魔術かも知れない、と言うのだ。




 変に構えない方が事を荒立たないだろうとヨヒシコは呼吸を整える。おばあちゃんから漂う線香の匂いが気持ちを落ち着かせた。

 目の前の歩み寄る姿は剣を携える歴戦の強者と、英知を武器にした魔法使いのようだ。もし襲われておばあちゃんが怪我でもしたら大変だ。失礼の無いよう温和に応えよう。こちらの事情は頃合いを見計らってから話そう。万が一に備えておばあちゃんを守るべく汗の冷えた靴底に力を入れる。


 ハマーもまたガミルズの考察を受けて警戒心を持ち直した。

 そうだ、策を張り余裕を持って五百の兵で臨んだとはいえ、対峙するゴブリンの大群をただ一つの魔術で壊滅させた戦力は計り知れない。もし機嫌次第で神話級の魔術の牙がこちらに向けられたらどれほどの被害が出るだろうか。王国を名乗った以上は遜ることを許されないが間違って高圧的と受け止められてはどうか。胸に蘭の紋章を付けたプレートメイルが一歩を鳴らせる。

 油断はなりませんぞ、とガミルズが念を押す。

「老婆が頭に巻く布は異界の魔獣が描かれております」

 それも何匹も、とハマーはガントレットに力を込める。魔獣を紋章にするなどどれだけの力を誇示するものだろうか。兵士として多くの剣を交え戦場では幾人かの強者と相対したが今回は不死だろう相手。しかも動きに無駄がない。百戦錬磨というやつか。漂って来る妙な香りは魔術儀式にでも使う秘香だろうかと考えを巡らせる。


 答えが浮かばない。所詮は一介の兵なのだ、と己を責める。


 察してか、やはり私が、とガミルズが背に触れる。震えは止まったのか。

 「そちらのご婦人、シヅヱ殿と申しましたな」


 ガミルズは気付いた。相手が魔術陣を作らないのだ。如何に強力な魔術でも準備から発動までは隙が生じる。もしかするとこの距離まで詰められ牽制しようとしているのでは。

 ガミルズの目に生気が戻る。


 ハマーは礼を胸に刻む。自分は何と頭も口も回らないのだ、それに比べガミルズはどうか、先程まで怖気づいた気配もあったが今は堂々としているではないか。何か及びもつかない策を見出したに違いない。ならば憶する事はないのだ、元より蘭の紋章を身に着けた者が憶することは許されないのだ。もしも魔術が使われでもしたらその時は盾となろう。王宮の梟に全てを任せ、自らは動くべきではないと決意した。


 熱い眼差しを受け取り、ガミルズは強く頷く。これが以心伝心か。ハマーならば相手の身動き一つを捉え術の発動前に腕を断ち切れるだろう。すぐにでも斬り掛かる鷹の目だ。なんと頼もしい男か。思えばこの十も年下の若者とはどうも考えが合わなかったが不思議と嫌いにはなれなかった。全ては今日のこの為の出会いだったのかも知れない。


 運命とは煌めきだな、と思うと沸々と湧く勇気が弁の風を起こす。

「先程の黒魔術は八重魔術陣とお見受けしますが、如何でしょう」




 それは質問なのか、とヨヒシコは勘繰った。遠回りな延べ方で出方を伺っているようだ。分からないと正直に話して助けを請うか、知っている風に答えて牽制する手もある。

 返答に躊躇していると、ガミルズの舌が走る。

「限定解除を超える陣をどこで覚えたのでしょうか」

 そして所属はどこか、どこから来たのか、王国の民か否か、とこちらが返す暇もなく続けて来る。ヨシヒコは嵐の中の兎のように縮こまり、消極的な紳士という印象を変えた。さあ掛かってこいと言わんばかりのこの突然の変わりようはどこから来たのか。変態した紳士は息継ぎに口を結び鼻息を吸う。次は竜巻でも起こすのか構えると、あのう、とおばあちゃんが退屈そうに言った。


「あたしは年寄りなので、何にも分かりません」


 ヨヒシコは思い出した。おばあちゃんが訪問販売を撃退する時に使う文句だ。分かりませんと繰り返せば大抵の業者は諦めて帰るのだ。おばあちゃんは強風にも強い。


「分からない、とは」

「難しい事は分かりません」

「分からないのに八重魔術陣を使ったと」

「さっぱり分かりません」

「ご自分の所属なども」

「年寄りには分かりません」


 ガミルズは歯を噛み顎を歪ませると、それ以上を諦め隣に顔を遣るが、ハマーは向けられた視線に応えられず暫し作戦会議となった。


 こちらに首を据えつつ潜めた声を交わす男達からは、怪し過ぎる、捕えては、気を抜かず連行、などの単語が聞こえる。ヨシヒコは、何故こうなったのかと考え目を閉じた。

「あの人たちは、ヨシヒコの知り合いね」

「知らない人だよ、おばあちゃん」

「あんたのお友達じゃないのね」

「知らない人だよ、おばあちゃん」

「知らない人に付いて行ったら駄目だよ」

 うん、そうだね、と言いながら目を開けると、意見が纏まったのか、ハマーが低い声を放つ。遠慮を求めるような辞遣いではなかった。


「王都まで来て頂くが宜しいかな」


 その時、空から年金が降ってきた。


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