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おばあちゃん、怒る

「はっ?」

 ヨヒシコの目におばあちゃんの後ろ姿が映る。腰から曲がった小さい背中、そのすぐ向こうから棍棒を振り回したゴブリンが襲ってくる。


「しっ、しっ、あっち行け、孫に近寄るな」

 おばあちゃんは右手を突き出し、三回、手首を払った。

 すると、おばあちゃんの手首から中空に光の輪が現れ、魔術陣が浮かび上がる。おばあちゃんの体中から溢れる光の霧は、集まって粒になり、球になり、魔術陣の外周に新たな魔術陣を描いていく。次々に引かれる大小の円と線は見上げるほどの大きさになり、ゴブリンの大群に向けて二重、三重と形作る、八重となった魔術陣の幾何学模様群は鮮やかな茜色に染まっていく。


「昔はね、悪いことすると叩かれたんだよ」

 茜色は彩度を極め炎となる。途端、輝きが反転したように黒味を帯び、炎と化した魔術陣群はそれぞれの模様を中心に渦巻いていく。全ての魔術陣が黒い火球に変わると、大砲の如く空振を放ちながら次々に発射される。間近にいたゴブリンに、空中から弧を描き地面に、地を這いそこに居る者を薙ぎ払い、黒い炎の砲弾はあらゆる曲線を描き緑の軍勢に辿り着く。

 爆音が爆音に繋がり、共に襲う高熱の衝撃波。最後の炎が爆ぜた時、視界にあったものが巨大な黒煙で蔽われる。


 丸い背中に緞帳が上がった時、見知らぬ荒野の大地に、立ち上がるゴブリンはなかった。


「昔の人を怒らせると怖いんだよ」

 おばあちゃんの小さい肩がぽつりと零した。




「あれは、ヘルズフレイム」

 そんな馬鹿な、とプレートメイルに身を包んだ男は眉間を寄せる。国王の鷹と呼ばれるに相応しい厚い体躯に彫りの深い顔付きだが上げられたバイザーの表情は歪んでいる。クローズヘルムの先端に付けられた赤い毛束が靡く。

 王国の西に広がる森に棲む、牙の生えた馬を屠った者に許されるこの兜飾りは百人隊長の証でもある。最も、今は五百の兵を任せられているのだが。


「魔術陣が八枚、焼き尽くす黒き炎、神話の世界に出てくる魔術ですな」

 紫のローブを纏った男は、私にも信じられませんが、と付け加えた。黒髪が去った広い額を掌で擦る。


「八連、ではなく」

「あの威力ですぞ。八重魔術陣と見るべきでしょうな」

 口にし鳥肌が立った。八重魔術陣など物語の中で神々が使う範疇だ。もう片方の手で、紫に染められ脛まで隠すメルトンウールのローブを握る。広い襟は整えて折られ、腰の位置を金糸の紋様が囲っている。この王国第一級魔術師の魔導衣を着る者でも、五重魔術陣を一日一度使える程度なのだ。ではその三つ上とは。震える手に汗が滑る。


「説明を求める、ハマー大隊長。八連だの、八重だの、どういうことなんだ」

 馬上の金髪の若者が口を挿む。ほかの兵士と異なり防具と言える装備は身に着けておらず、白鹿革の上質な生地を薔薇石が真鍮で飾られる派手なボタンがはち切れそうに留められ、丸い肩は赤いエポーレットを小さく見せてしまっていた。装飾具を付けられた馬にぶるんと蹄を上げられると頬の白い柔肌を揺らしながら慌てて手綱にしがみ付いた。

 

「ご覧の通りの黒魔術です、殿下」

 殿下と呼ばれた小太りの男は、そうではないと声を荒げる。ゴブリン掃討の一大作戦の仕上げで荒野に誘き出し、待ち構えた我が軍が撃退するのではなかったのか。そのために俺は、と言い掛け口を噤んだ。

 指揮官に推薦されるよう根回しをした、と赤い兜飾りの大隊長は言葉を腹に留め、進軍するはずだった先に眉を寄せる。

「狩人の利か」

 英雄か、それとも新たな災難かも知れませんな、と同じ先を見据え紫のローブを着た魔術師は返す。

 小太りの男は、二人のやり取りに唇を尖らせた。 

「それで詰まる所、さっきのは何だ。我が軍か、味方か、敵なのか」


 二人は、まだ判断できないと返すだけだったが、魔術学に疎い王子に第一級魔術師は教鞭を取る。

「限定解除をご存知でしょうか」

 王子は頷く。それくらいは知ってもらわねば王家の教養が問われるところだ。

 幾多の魔術はまず魔術円に文字や模様を刻み、これが魔術陣となる。この紋様はテクストとして教科書や辞書に収められてており、基礎から上級へと魔術学生は修めていく。そして最上級が限定解除テクストだ。

「その更に上です」

 その意味を王子は想像できなかったが、確かなことは目の前で敵が一掃された。野生のゴブリン二百匹を引き付け五百の我が王国兵が迎撃し勝利となる、その算段まるごとだ。


「あの者が何者か、調べよ」

 鼻の穴を膨らませた王子の命令に、どうやって、とハマー大隊長は思ったが深く頷くと周りの兵士達に幾らかを告げる。

「殿下、もしもの時には兵を連れ王都へ。ガミルズ様、英知をお借りします」

 うむ、と魔導委の襟をピンと張り歩を進める。

「あれから動きが無いのが気になるところだが」

 それが逆に恐ろしい、とハマーは気を引き締める。唇を尖らせたままの王子を背に、蹄鉄と木底のサンダルが進むと兵士達は前を開け幾人かが後を付いて行った。


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