おばあちゃん、荒野に立つ
地響きが体の芯に届く。視界の先にあるものは、水平に敷き詰められた緑のゴブリン。所々に鎧兜や武器の鼠色が鈍く光り、圧倒的な緑の大波は土煙を上げて自分たちの方向へ進んでくる。
その光景に目を奪われ、全身が固まる。動こうとしても腰から力は抜け、段々と恐怖が込み上げてくる。土臭い空気を一息吸い、はっと気付いた。
「おばあちゃん!」
病室にいたままの姿勢のおばあちゃんを揺すり、背中に手を添える。胴を起こすとおばあちゃんは瞼を開いた。
「目が覚めたらヨヒシコが居る。出て行った孫が起こしてくれるなんて、夢みたいじゃ」
ヨヒシコはゴブリンの大群を見ながら、これが夢であってほしいと思った。さっきよりもはっきりと見える距離まで近づいて来ている。
「逃げよう、おばあちゃん」
「どどど、お迎えが来たのかねえ」
どどど、はゴブリンたちの足音ではない。おばあちゃんは驚いたときにどどど、と言うのだ。
おばあちゃんを立ち上がらせて、その服装が病衣でないことに気が付く。
手ぬぐいを頭に被り顎下で結び、真っ白な割烹着を掛け、水玉を散りばめた藍色のもんぺに地下足袋を履いている。もんぺに裾を入れられた黄色のトレーナーには見覚えがあった。
ヨヒシコが中学生のころ着ていたやつだ。
そう心の中で叫び、自分の服装は病室にいた時と変わっていないこと以外にもう一つ気付いた。
ゴブリンの軍勢の反対側、今まさに自分達が逃げようとしている方向にも山脈のように人影が並んでいるのだ。
目を凝らすとそれはゴブリンの軍勢とは異なり、規則的に槍や旗が並ぶ。騎馬のような姿もある。それぞれが鉄色の鎧兜に身を包み列をなす。人間の、軍兵の姿に違いはなかった。
剣を振り上げ棍棒を抱え迫ってくるゴブリン達。それを待ち構えるように聳える人間の兵士の壁。
ヨヒシコが今、出来ること。それはおんぶだ。
「どこに行くのね」
不安そうなおばあちゃんをしっかりと背負うと線香の匂いが鼻に響く。ゴブリンたちは止まる気配もなく、けたたましく近づいて来てるのだ。反対側に逃げるしかない。人間の軍勢が助けてくれるかと期待もあった。
一歩、一歩と踏み出す。おばあちゃんは意外と重く、かなりの前傾姿勢でないとおんぶが出来なかった。腕に脚に力を込める。太陽を浴び、一つに重なった影を踏み込んで行く。
「あれは何ね」
「ゴブリンだよ、おばあちゃん」
「あたしは知らないけど、ヨシヒコは何でも知ってるねえ」
後ろからの地響きと甲高い威嚇するような鳴き声に、おばあちゃんの声も聞こえなくなってきた。まだほんの十歩分も動いていないのに、乾いた空気に息が熱くなる。太腿が悲鳴を上げ、膝から骨が飛び出しそうだ。
更に一歩を踏み出すが、足に意識を持っていかれて腕が滑る。おばあちゃんのもんぺはゆったりしているため、しっかりと抱えていたはずの脚が生地を滑り、おばあちゃんは着地した。
「大丈夫ねヨシヒコ」
目をぱちくりさせるおばあちゃんに、切れそうな息で、逃げて、と伝える。
土煙を立て歯を剥き出し生物として恐怖を与える形相のゴブリンの大群。
「おばあちゃんだけでも逃げて!」
振り絞って出した叫び声に、ゆったりと語るように孫を見つめる。
「ヨシヒコは昔から優しかったねえ」
何度聞いた台詞だろう。ずっとおばあちゃんは、おばあちゃんだけは僕の味方だった。些細なことでも褒めてくれた。誰から責められた時でも守ってくれた。
真っ白の空間に浮かぶおばあちゃんの言葉は、僕に勇気を与えてくれる。
おばあちゃんだけは、守る。
意を決したヨヒシコの前にゴブリンの軍勢が猶も迫る。
ヨヒシコは、おばあちゃんを庇うように両手を広げ、覚悟を決めた。その前に出るおばあちゃん。
「孫が困ってるなら、おばあちゃんが助けんとねえ」