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国鐵_NR  作者: 鐵太郎
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第1章

すべての鉄道を支えている人々と、先の震災で救援、救助に当たった方々に敬意を表し、そして鉄道で、地震で、津波で命を落とされた方の冥福をお祈りいたします。

国鐵_NR 第一章


2011年2月14日02時40分 国鐵東海道本線 摂津本山駅から西に100m線路北側


終電後の駅に自動放送が入る。「まもなく、二番のりばを、列車が、通過します。危ないですから、黄色い点字ブロックの内側まで、お下がり下さい。まもなく、…」

放送は唐突に切れた。どうやら助役が切ったようだ。

住吉駅から続くカーブの奥に光点が輝く。その点は見る見るうちに二つに分かれ、私との距離を縮めつつあった。出発信号機開通。ホームの上にはNRロゴの入った作業ベストを着た国鐵社員が二十人ほどはいるだろうか、何人かはビデオカメラを回している。それを見て私も手元の機械に意識を移す。CanonのEOS 5D Mark II。あいつのためにこんな時間まで待ってたんだ。汽笛が短くこだまする。来た。f値、置きピン、ISO、シャッタースピード、ドライブモード、望遠、よし。ブロア音とレールとの摩擦音が聞こえてきた。今だ。


国鐵 NR


一瞬の轟音に感じられたブロア音が過ぎ去ったと思えば、後には無動力の列車がジョイントを通る音と僅かな空気の漏れるような音。空気バネだ。出発信号機停止現示。EF81 507号機牽引の国鐵215系電車試作編成は摂津本山駅を通過した。

5枚は撮った。一枚ぐらいはちゃんと写ってたらいいが、などと思いつつ横に設置していたビデオカメラを停止する。夜は当然暗いので撮りにくい。

男は機材を片づけると、くしゃみを一つして、家に急いだ。彼の家はこの近くなのである。


1987年3月31日、日本国有鉄道は解体され「国鐵グループ」となった。国鐵グループは全国の幹線の旅客、貨物輸送を担う国鐵。そして各地方に設置された国鐵北海道、国鐵東日本、国鐵中日本、国鐵西日本、そして国鐵九州などからなる。各部門はきわめて密接に連携しており、旧国鉄時代とほぼ変わらない事業内容になっている。しかし労働組合問題を解決した国鐵グループは大規模な省人化を断行、自動改札機の大量導入、手続きの電子化、有人駅の無人化などを行った。但し公共機関としての性質を保持した民営化であるため赤字の地方交通線の廃止は最小限に押さえられている。また、サービスの向上や意識改革も進み、旧国鉄とは比べものにならないほどの進歩を遂げていた。名称もこれ以上「金」を「失」う訳には行かないという切実な願いから「鉄」ではなく「鐵」を使用しており、中身も名前も「国鐵」として生まれ変わろうとしていた。



2011年2月14日08時15分 国鐵山手電車区電留5番線付近詰所


「52R、入信進行、電留5番線に配8540列車入ります。」

「了解、点検と機廻しの準備お願いします。」

「分かりました、では。」

構内電話の受話器を置くと、引っかけて置いた安全帽を被る。手旗を二本、安全ベスト。じゃ、行くか。

アルミの引き戸をガラガラと開けると刺すような寒気が顔を刺激する。晴れてくれるのは嬉しいが、放射冷却は嫌なもんだ。「おい、吉田」

俺を呼び捨てにする彼はこの操車場でも最古参の林さんだ。入社したのは確か旧国鉄が国鐵になる10年前。1970年代中頃かな?「ぼやっとすんな、来るぞ」

その言葉が終わらないうちに長い電気笛が聞こえてくる。

新造車両の試運転をここあたりの東京運輸区でするのはさして珍しくはない。でも今回は特別だ。旧国鉄の213系の生産は5年前に終わり、遂に国鐵グループ初となる新型旅客電車215系が誕生したのだ。その記念すべき(?)初電留入線に立ち会えるのは何という幸運だろうか。

高周波と低周波の混じった音が聞こえ出す。6連続のジョイント音。「52R通過、分岐よろし。」

緑旗を挙げる。EF81の赤い車体がゆっくりと通過してゆく。その後に薄いベージュ色の車体にスカイブルーの帯が入った電車が連結されている。六両の試作編成が通過すると入信が本線向け現示に戻る。 ブレーキ管とブレーキ指示線が引き通された215系は、EF81のブレーキが常用に入れられると、車輪が一斉にブレーキシューとの摩擦音を発し、やがて止まった。「列車停止確認!手歯止め付けろ!」

新品の台車はきれいな灰色をしている。レールと車輪の間に手歯止めを入れる。「手歯止め良し!」

私と、列車を挟んで反対に立っている私の同期の栗林が出した合図を聞いて少し頷くと、林さんは次の指示を出す。「損傷等の確認開始。」

走り装置、車体、ドア、乗務員室の扉、窓、前照灯、各種表示灯、連結器、ブレーキ管、信号線、ATS車上子、行き先表示LED…あ、中に誰かいる、と思ったが、すぐに添乗の川重の係員だと気がつく。神戸からご苦労様だ。

国鐵215系電車は老朽化著しい旧国鉄の103系電車や113系電車を置き換えるために製造された、通勤形と近郊形を一気に置き換える国鐵初の一般形新型電車であり、IGBT-VVVFインバータ制御を採用した最先端の車両だ。またこの車体設計を元として、交直両用の425系、交流形の721系が開発されている。つまり国鐵を代表することになる車両と言うことである。

「点検終了、機関車切り離しに移れ。」

六両しかないので比較的早く点検は終えられた。EF81と215系の連結部分へ向かう。機関車からも助手が降りてきて補助に入る。連結解除は一つ間違えると危険きわまりない作業だ。下手すると何10トンもの重さの機関車と列車に挟まれるのだ。自動連結器になってずいぶんと危険は減ったが、それでも注意を要する。「ブレーキ管解除よろし。」

「開放てこ上げ。」

機関車の連結器上面につながる レバーを上げる、と同時に林さんが緑の旗を振った。EF81は再び少し動き出すと215系から少し離れた。素早く赤旗をかざす。止まる。このタイミングは流石だ。お、この81、507号機か。国鐵になってから再生産されたやつだ。黄色い「手歯止め」とかかれた札を215系に掛けると、とりあえずの作業は終了。81の入れ換え作業は別の班の作業だ。機関車の前にあるステップに立って手すりを掴み旗を振る入換作業はやってみたい気持ちもあるが、今の季節はちょっと…。

詰所に戻る前に215系を見上げる。昇ってきた太陽が貫通扉の窓に反射した瞬間、見慣れたいつもの留置線の光景に新しい息吹を感じた。



2011年3月11日11時45分 国鐵山手電車区 本屋ほんおく


「こんにちは、尾崎です。」

「ああ、こんにちは。試運転の運転手さんだよね?」

「え、はい。試9058M列車に乗務します」

「今日は215系の営業時間内の初めての試運転ですからくれぐれも安全運転と定時運行を心がけてください。では出発点呼を行います。」

乗務時刻表、マスコン用の鍵を点呼台に置く。

「試9114行路、試9058M列車、点呼願います」「はい、点呼します」

行路表に目を落とす。

「山手電車区電留5番線12時05分発、215系六両です。」

「了解、試9114行路の概要願います。」

それも聞くのか…。「え、はい。電留5番線12時05分発、大崎駅5番に12時10分着、点検実施後12時30分発、埼京線で、大宮駅電留1番線に13時20分、点検の後14時18分に出発、6番に14時21分据付。えーと、14時23分出発、南浦和駅着発2番線に14時30分、快速蒲田行き1411C列車を待避して、14時33分発車。赤羽に14時50分着、14時53分発。んー、と15時40分に大崎駅。以降は通告と入信に従い電車区に入線。…以上です」

長い点呼させやがって、この…。

「はい、ご苦労さん。確認事項の伝達をします。川口駅の駅舎補強工事の影響で構内に制限45、あと復路の入信開通のタイミングはいつもと違うと思うので通告に注意してください、以上です」

「川口駅、構内制限45km/h。電車区の入信に関する通告に注意する旨了解」

「復唱オーライ、検査機どうぞ」

チップをつけてアルコール検査機に息を吹き込む。

「はい、大丈夫です。では時計の整正、時刻どうぞ」

鉄道時計の針を追う。「現在11時47分23秒、24、25…」

百均の電波時計をしばし見つめる助役。「…大丈夫です、では基本動作の実施、試運転ですから何かあればすぐに運輸司令に報告、お願いしますね」

「了解です」

「では今日も無事故でご安全に」

「はい、ありがとうございます」

やれやれ、大事なのはわかるけど、こうも長ったらしくやられるとなあ…。試問は無しか…?まいっか。

本屋を出て電留5番線に向かう。日が照っていてジャンパーの中は暑いが、風が吹き付けてきて顔は寒い。しかもこの電車区はでかいから、目的地までかなり歩かねばならない。なんといっても山手電車区は都心の大動脈である山手線の全車両を管理、整備している。山手線には現在国鉄205系が運用に入っているが、215系が完成すればたぶん通勤型の217系か、215系1000番台かなんかが出てきて置き換えるんだろうな。さすがに3ドア車をそれも山手線で運用するのは無理がありすぎるし無改良はない。また「酷電」なんて言われるのは上にしてもいやだろうし。ま、今日の試運転は大事なものだし、確か川重、国鐵技研、国鐵、東日本、中日本、西日本…だけだっけ?お客さんも乗るし、気合い入れて行くか。

車掌との打ち合わせの後、電留5番に着くと、すでに川重の係員たちと技研の職員が台車とインバータのあたりに屯している。技研の人たちにしても今日は大切な日だろう。なんといっても旧国鉄解体以来24年ぶりの新型電車だ。旧国鉄の改良や修理の実績はかなりあるがゼロからの新造となると訳が違う。今回に賭けているといっても過言では無いだろう。「こんにちは、今日はよろしくお願いします」

集団の背中に声を掛けると5、6人がこちらを一瞥して3、4人がすぐ戻る。主任者らしき二人は台車のヨーダンパから顔を上げて立ち上がる。「こんにちは、川崎重工車両カンパニー兵庫工場の石田です。試運転の運転手さんですよね?」

「はい、運転を担当させていただく山手電車区の佐藤です。今日はよろしくお願いします。」

「こちらこそよろしくお願いします」

「では、出区点検がありますので、後程」

「あ、お疲れさまです。ご安全に」

敬礼に返礼してから各種点検を行う。試運転要員が全員乗り込んだのは11時55分だった。


パンタ、ATS-P、ATS-Snx、EB、TE、防護無線、元空気だめ…いつもは一人で指差喚呼している運転室に俺以外に3人もいるとは…意外と緊張する。運転台はきわめてシンプルに構成されている。前面には多機能ディスプレイが三枚。一番右の一枚は私の方向に向いて斜めになっている。左のパネルと真ん中のパネルの間に時計置き。右上には時刻表入れ。ハンドルは正面にT字形のが一つ。いわゆるワンハンドルマスコンだ。奥に倒せば制動、手前に引けば力行、真ん中で惰行。わかりやすいし俺は嫌いじゃない。左奥には逆転ハンドルとパンタ下げボタン。左の壁には通話機とか、ドア開閉スイッチ、ブザー。上の方にはATSの復帰扱いスイッチ。つまり標準的な配置だ。紙の上で見るのと実際に触るのはやはり違うな。右のパネル周りにはT

E装置のボタン…下にはパンタ上げ、前照灯、ワイパー。そのまた下の足元には各機器のブレーカーがある。マスコンの右前にはEB装置のボタン、左下にはATSボタン。

一通り点検が終わると時刻は12時03分になっていた。

時刻表を入れて試9058M列車であることを確認する。マスコンにキーを挿す。パンタ上げ。すると目の前がぱっと明るくなる。NRロゴの後、速度計や圧力計がディスプレイに表示される。今までの車両からは想像もできないほど先進的だ。まるで今まで原チャリしか乗ったことが無いやつがいきなり戦車に乗せられたようなものだ。ブレーキテストを行う。マスコンをニュートラルまで一段ずつ緩めていくと、ハンドルに即座に反応してエアの洩れる短い音がかすかに聞こえる。圧力正常。音が小さいし、反応も早い。直感的にこの車両は当たりだと感じる。ATSなどの試験も終え、12時05分、52R入換信号機開通。

「では、発車します」

今は横にいる川重の石田さんに声を掛ける。「はい、宜しく御願いします」

心なしか声が弾んでいる。やっぱうれしいんだろうなぁ、自分の作った車両が走るのって。

「識別、点灯。入換、進行。11Rまで。逆転ハンドル、前!」

指差喚呼すると、逆転ハンドルを前に倒し、マスコンを一段目に入れる。

かすかな衝動の後、IGBT-VVVFインバータ特有の微かな励磁音とともに国鐵215系電車は動き出した。

11R入信はすでに開通しており、やがて時速15キロで試9058M列車は山手電車区を出場した。


大崎駅ではどこからともなく現れる鉄道マニアの洗礼を受ける。どこから情報が出ているかは誰も知らない。昼間だったおかげでフラッシュは無かった。夜だとフラッシュ焚く奴がいる。学生の頃には業界に半身を置いていた自分としては悲しいことだが、やられると残像が残って危険極まりない。停止標、速度計、圧力計…停止直前は本当に危ない。

「どっから情報仕入れるんでしょうな?」

石田さんが私の視線に気が付いたのか笑いながら言う。川崎重工業車両カンパニー兵庫工場は国鐵山陽本線の支線である和田岬線に接続されていて、そこから新造車両が出荷される。そのことは知っていたが、新造車両の出場が近付くと和田岬線の国鉄キクハ35系の車内にはちらほらとマニアの姿が見られるという。車内から工場の内部が一部見えるからだそうだ。

大崎駅で試運転前の最終点検を済ませると、本格的に試運転が始まる。着発5番出発信号機進行現示。出発反応標識点灯。車掌からの出発合図がくる。「出発、進行」


埼京線は全長36.9km、大崎駅から池袋駅、赤羽駅、武蔵浦和駅を経由して大宮駅にいたる路線の愛称である。大崎駅から池袋駅は山手線、池袋駅から赤羽駅は赤羽線、赤羽駅から大宮駅は東北本線の支線である。特徴としては、滅茶苦茶混む。電車乗るっていうレベルじゃねーぞってくらい混む。国鐵東日本と国鐵東京運輸区管轄の東京圏内で第四位の混雑率という素晴らしく乗務員泣かせの記録を保持している程だ。だから試運転でも神経を尖らせておかなければならない。

ただ今回の試運転の場合、その心配は杞憂で済みそうだ。客扱い無し、無停車で大したカーブも無い。今日は遅延も殆ど無く、すんなりと大宮駅電留1番に到着したのは定刻の13時20分だった。

この後は運転台を交換して、昼飯食って、高崎線経由で帰る、と。鞄入れの横につっこんだキヨスクのビニール袋を見ながらぼんやりと考える。営業時間帯は初めてというが、無事に終わりそうだと感じた。

客室を通り運転台を交換する。客室では計測装置の整備を行っている。「ご苦労様です」

「ご苦労様です」

石田さんが顔を上げる。「どうですか計測の方は?」

「ぼちぼちですねぇ。ヨーダンパはうまいこと働いてるみたいです。主幹電気系統に異常はないんですが、編成状況監視システムの温度センサ、四両目が狂ってますね」

気付かなかったな…一応温度は側面MFDに表示されてるけど、今日は客扱い無しだから気にしてなかったし…。「四両目の現在気温は…」

タフブックのディスプレイを覗き込む。「えーと、256℃ですね」

「…空調切っときますか」

「まあ、そうですね」

お互い笑いながら別れる。午後も定時運行でご安全に、と。


おにぎり系でも一番おいしいのはやはり鱒寿司である。おにぎりではないとか文句を付けてくる米飯原理主義者は相手にしたくない、おいしいものはおいしいのである。その鱒寿司を二個、ツナマヨと鮭を各一個食べて昼食とした。魚はおいしい。

時計、14時18分。出発だ。

「識別、点灯。入換、進行。着発6番まで。逆転ハンドル、前」

起動。大宮駅の直近には鉄道博物館、通称鉄博があり、旧国鉄の車両が多数展示されている。お召し列車なども展示されておりかなりおすすめである…なんて考え事をするとろくな事がない。停車パターンに当たりそうになる。ブレーキの応答性が良いことに救われてATS動作は無かったが、若干衝動があった後に停車した。集中、集中。大宮はすぐの発車だ。南浦和までは無停車。二分間の停車中にもマニアはやってくる。大宮だから仕方がない気もするが。出発信号機進行現示よし、再び出発。

そう言えば今回の試運転では新たな計測装置が搭載されている。この215系には国鐵初となるシングルアームパンタグラフを搭載しているのだ。今までの車両には菱形パンタグラフか下枠交差形パンタグラフだったが、騒音の減少、軽量化、離線率の低下などの効果があるシングルアームパンタグラフが採用された。その効果を調べるため、2両目のモハ214形の屋上に集音装置と観測カメラが設置されている。何とも仰々しいものだ。もちろんブレーキ、マスコン、警笛に至るまで詳細な記録が各種機器によって取られている。緊張感があっていいかもしれないが、やはり居心地はあまり良くない。もうすぐ南浦和駅。快速の待避で3分停車して、次は赤羽。南浦和駅に停車してしばらくすると国鉄115系電車が停車し、あわただしく客扱いを終えて発車していった。出発信号機開通。14時33分発車、山手電車区もそろそろ近づいてきた。

「出発、進行」

マスコンを一杯まで引く。ユニット投入、加速する。左手に大量の205系。浦和電車区だ。長い直線。閉塞進行。速度100。ATS正常。すべて順調。まもなく制限45で赤羽まで後、5分いや…4分?


14時46分。そう、あと4分だったんだ。


「ピーピーピーピー…」

防護無線が鳴り響く。人身か?線路支障か?

防護無線が発報する事はさして珍しいことではない。だからこのときはまだ何ともなかった。次の異変は石田さんのポケットの中で起きた。聞いたことの無いアラーム音を彼の携帯電話が発し始めたのだ。常用最大ブレーキで停車しようとしていた私の耳朶を打ったのは彼の唸るようなような叫び声。

地震だ。

時速100kmでの非常ブレーキ取り扱い。車輪とレールが悲鳴を上げる。観測機器が倒れそうになる。14時47分。何とか脱線は免れたい。対向列車の前照灯が目に入る。永遠に見つめていたかのような感覚は直ぐに防護無線のブザー音によってかき消される。大丈夫だ、日本の鉄道はこんなことでは潰れない。TEボタンに手を掛ける。ブレーキシューの焼ける臭いを残して、二本の列車は、219mの間を残し停止した。

一挙に力が抜けそうになる。が、次の瞬間、空気バネでもヨーダンパでも吸収しきれない揺れが列車を街を、そして人々を襲った。TEボタンのクラッカープレートを叩き割り、そのまま押す。

早春の乾いた空に鳴り響いた警笛は、この国の災厄の始まりを告げていた。



2011年3月11日14時48分国鐵東京CTC


「14時46分頃、東北地方を震源とする地震がありました。」

「各地の震度は以下の通り」

「福島県浜通り 震度7…」

「念のため津波に注意してください」

緊急地震速報の後、流れ始めたテロップが速報値を伝える。また地震かいな…というぼやきは、次の瞬間CTCを襲った揺れと悲鳴、大量の呼び出し音に掻き消された。


揺れが収まった後のCTCは停電や断水こそ無かったものの、書類が散乱、ラックはこける、パソコン落下で、足の踏み場もない。「被害状況知らせ!電話は通じんだろうから誰か走らせろ!通信要員と車両係以外は保線課に行って課長の指示を受けろ。各駅場内の配線の点検を出来るだけ早く済ませろ!」

東京運輸区長、大糸の野太い声が部屋に響く。現場主義なだけあって指示は早い。同時にこれから待ち受ける事態を一番的確に予測していたのはこの部屋の中では彼だったのかもしれない。


国鐵管内を駆け巡った防護無線と非常通話の嵐はひとまず落ち着いたが、CTCにある国鐵専用回線の電話機は休まることがない。国鐵東日本の仙台鉄道管理部は震度6強の激震に見舞われたあと、沿岸を走る全列車に通報を入れる。大津波警報発令。直ちに高台へ避難せよ、と。

京葉工業地帯のコンビナートでは火災が発生。国鐵東日本京葉臨海線の引き込み線が繋がる工場でも大規模な火災が発生したとの一報が入る。そして国鐵が管轄する貨物列車からも津波接近の呼び出し。

大糸は考えた。おそらく今から避難しても高台には辿り着けない。しかし交流用電気機関車のED75ならば津波で流されることは無いんじゃないか?コキに引っ張られたら脱線するかもしれんからそこを何とか…「5478列車運転手、外に出て貨車を解結して、中に戻ってパンタ下げ。津波を機関車でやり過ごせ!了解したか?」

電話の向こうの運転手はしばし唖然とする。やり過ごす?あれを?「…5478列車運転手、了解」反対エンドに回って貫通扉を開ける。地響きのような轟音を上げて津波が街を飲み込んでゆく。開放てこ上げ、よし。線路の犬走りが水に浸かる。あっという間に水位が増す。貫通扉を閉鎖して運転台のパンタ下を押したとたんに窓の外から異音が響いた。固定装置を引き千切りコンテナが流れてゆく。そして、コキが押し流されてゆく。運転室も密閉されているわけではない。海水がくるぶしを洗い始める。この釜に乗った最後のウテシは俺かよ。腰まで増した海水に浸かりながら、自嘲気味に嘆いた。

5478貨物列車の運転手がなかなか出ない運輸指令相手に受話器にかじり付いていて、まさか無茶苦茶な指示を受けるとは全く思っていなかった頃。国鐵東日本大船渡線は盛駅を発車してすぐだったキハ47形の338Dワンマン列車は防護無線発報、その上停電で全信号機が停止現示を示す中、力行を開始していた。



2011年3月11日14時55分 国鐵東日本大船渡線 盛駅より1.3km地点 338D列車


「運輸指令、運輸指令!こちら338D列車運転手です。応答願います!」

いくら呼びかけても応答がない。乗務員室の外には乗客の不安げな顔が広がる。外に出して避難させるか…しかし、地震の後には津波が来るというのは半ば刷り込みのように頭にこびりついていた。「東北沿岸部の乗務員へ、こちらは仙台鉄道管理部。大津波警報が東北地方沿岸に発令されています。直ちに適切な避難行動を取って下さい。大津波警報発令、大津波警報発令。直ちに…」

矢張り来たか。さてどうする。エンジンは動かしっぱなしだ。ふと線路の脇にある物に目が留まる。勾配標。登り10.3‰、確かこの先は山裾に沿って緩やかな勾配!賭けるしかない。津波より標高が有ればいいが…。「お客様に申し上げます。現在、大津波警報が発令されており、外は大変危険です。絶対に外に出ないで下さい。列車は高台へ避難します。発車します、ご注意下さい」

これで良し、か?揺れで道床が崩れているかもしれない。線路上に障害物があるかもしれない。対向車は…来ないだろうな、輸送密度的に。

行くしかない。警笛を強く吹かすと、ブレーキを緩解し、マスコンを回す。キハ47は勾配を上り始める。

しばらく行くと5.5‰の勾配標が見えてきた。後もう少しだ。客室で悲鳴が上がる。「あの車…」

どの車だ?窓から外を見る。最初の印象は、黒い、だった。この辺りは田んぼか畑のはずなんだけど…。車が横向きに走っている。違う。横向きに流されている。その向こうには家の残骸。黒いのは海水。Lの勾配標。しばらく先の線路がない。この先は下り勾配だ。「停車します、何かに掴まって下さい!」

本日二回目の非常ブレーキ取り扱い。時速30km程度だったのでそこまで激しい停車にはならなかったが、衝動はあった。列車防護と避難誘導をしなければ。留置ブレーキよし、エンジン停止。

もう一度落ち着いて外を見る。いつも眼下に広がっていた畑や家々は無く、ただ巨大な、大いなる力が押し寄せていた。



2011年3月11日18時21分国鐵東京CTC


地震発生から3時間35分経過。機能不全に陥っていた通信系統が回復するにつれて被害の全貌が明らかになってくる。そして、今まさに新たな被害が発生していることも。「官邸からの指示は来てるか?」

「はい、点検と復旧を出来るだけ早く終えて国民が自宅に辿り着けるようにせよ、とのことです」

「よし、留置線と着発線にカニと寝台車、客車を入線して、泊まれるようにしろ。国鐵系列のホテルを予約分以外すべて開放、ロビーにも入ってもらえるように上に通知。えー、国鐵バスも臨時で路線を組んで振り替え輸送に回す。長距離はウヤにしろ。余剰車は長距離客の宿泊だ。かかれ!」

大糸の指示は基本的にはきわめて的確だった。官邸からの帰宅困難者低減指示を受けて大糸は考えた。今現場はこれ以上ないほどの速度で復旧に取り組んでいる。今更追って指示を出したところで早くなることはない。もし軌道に異常があれば走らせることは不可能だ。それよりも発生してしまう帰宅困難者を収容することの方が先決では無いか?と。すでに大糸は帰宅困難者の数が膨大な量に膨れ上がっていく様子が直接目に見えていた。駅の監視カメラ映像を通じてである。「ああ、あと宿泊編成と駅構内、ホテルとかに公安官を置いといてくれ。それと日本食堂に帰宅困難者用の飲み物と食糧。掻き集められるだけ集めて、少しづつでいいから平等に配れ。これは予約とかは関係ない」

「鉄道…公安官ですか…?」

「心配するな、念のためだよ」

「…了解」

恐らく若い職員が抱いた懸念は職員教育で見せられる旧国鉄の労働争議の映像から来たのだろう。動かない電車、響く怒号、そして暴動。唯、大糸にはあの時とは違うという確固とした自信があった。「…せめてものご奉仕だよ」

誰に言うともなく呟いた国鉄マンの独白は大浪の轟のような喧噪の中に呑み込まれてゆく。

しかし、状況は奮闘する老鉄道員をあざ笑うかのように悪化の一途を辿っていた。

東北方面の太平洋沿岸を走る国鐵、国鐵東日本管内の路線はことごとく寸断、崩壊、浸水。未だに乗務員と連絡が取れない列車が3本。コンテナ、車両の流失、数知れず。東京都区内でも長周期地震動により揺すぶられ路盤が緩んだ箇所が発見される。帰宅困難者の流れは駅に流れ込み、際限なく続く。歩き帰る人の携帯電話の天の川が車のヘッドライトと共にガラスの割れ目のように延びてゆく。

「東北運輸区と仙台鉄道管理部とのデータリンクはまだ復旧しないか…」

国鐵電信の職員が顔を曇らせる。「津波と火災のダブルパンチで通信網もズタズタですからね…何とか秋田経由で回せないかとやっているんですが」

「後どれくらいだ?」

「サーバーの増強と運用中の回線の通信維持を考えると今晩にはできます、それ以上早くは…」

「わかった」

全力を尽くしてくれ、と言いかけた言葉を飲み込む。ここにいる全員が既に全力なんかとっくに出し切っているのだ。言うならば死力を尽くして事態の収拾を図ろうとしている。後もう一踏ん張りすれば、状況が見えてくる。第二ラウンドはそれからだ。大糸は「工」のマークの入った安全帽を目深に被り直した。

その時、CTCの電子ロックドアがいきなり開いた。それ自体は特にこの非常時には目を引くことではなかったが、それでも大糸を含めた数人が男たちの到着に気が付いたのはまさに彼らが「有事」を体現していたからであった。



2011年3月11日17時40分防衛省・自衛隊 陸上自衛隊練馬駐屯地作戦室


「多賀城駐屯地は冠水し、使用できません。現在、業務隊と22普連、38普連、119教大、燃支の隊員は高台等へ避難中。一部の隊員は未だ連絡付かず、以上」

「了解、UHからの映像は送れてるか?」

「指揮所への電送に問題なし」

「青森から5普連、勝田から施教導、宇都宮からは中即連、大宮の36普連、中特防、習志野の空挺団、ここの1普連、武山の31普連、朝霞、高田、松本、板妻の各駐屯地からも出動しています。中方、西方からも出動続きます」

「JTFの編成は?」

「現在準備中、東北方面総監部に設置予定です」

状況表示板には次々と被害状況と部隊の行動が書き込まれてゆく。市ヶ谷の地下指揮所も今日は、いや今日からしばらくはフル稼働することだろう。まさに国難と言うべき事態に自衛隊は直ちに行動を開始していた。

「他のLO要員はみんな出ちまったな…」

宇野一等陸尉は災害時に地方自治体などに連絡役として派遣されるLO要員である。しかしながら混乱した状況の中、彼の存在は薄かった。

「隊長はどっか行っていないし…状況が掴めんな」

普段第一偵察隊第2小隊の小隊長を務めている宇野は防衛大学校出身の幹部であるが、仕事よりも趣味に生きているような男である。とは言っても任務必遂は彼のモットーであるし、勤務評定は悪くない。ただし任務を必ず正攻法以外の方法を常に探して、出来るだけ楽をしようとしながら達成する。そのことを知る一部隊員の目は冷たかったり、生暖かかったり。


「宇野1尉!」

ついに回ってきたか。原発か?東電か?クソまじめに定評がある隊長に呼ばれる。

「君の班は国鐵に行ってもらう」

「は、国鐵ですか」

その時の宇野の表情はきわめてわかりやすかった。使命感に燃える自衛官の模範と言えるようなやる気に満ちた顔。それは「実戦」の任務に当たるという緊張感から来たものもあるが、彼の趣味嗜好からすれば適材適所であるその派遣先によるものも無視できなかった。

「都内某所にある国鐵東京運輸区の中央司令所だ」

「東京CTCですか、了解しました」

さらっと出てきた略称は無視して続ける。

「隊員の点呼は?」

「既に完了しています」

「では、第二へリポートのUHで向かえ。パイロットに場所は伝えてある。あと一人オブザーバーがいるからそいつを指揮下に入れといてくれ。出発は1755。オブザーバーは既にヘリに向かっている、ヘリポートで会合せよ。以上」

「了解」

「…陸路は大渋滞、災派の1偵小はLAVが動けんて泣いておったわ」

嘆息しながら隊長は付け足した。


「2偵小LO班、総員3名事故無し現在員3名、出動準備完了」

赤穂陸曹長による報告を受ける。宇野が2偵小LO班に伝達する。「我々の派遣先は国鐵東京CTC、移動はUHで、1755に前進開始。オブザーバー1名とヘリポートで合流し、LO班に加わる。以上。何か質問は」

「無し!」

声が揃う。

「では、前進開始」


第二へリポートには既に暖機運転を済ませて今にも飛び立ちそうなUH。その横に自衛官にしては少々線の細い隊員が立っている。ヘリに近づくと敬礼をされる。返礼しつつ訊ねる「君がオブザーバー?」

「はい。情報科の和田二等陸曹です。よろしくお願いいたします」

その女性自衛官は所属を詳しくは語らず、情報科とだけ言った。「了解、私は1偵第2小隊長の宇野1尉だ。よろしく」

UHのドアを閉めると、少しローターからの音が変わる。そして少しの浮遊感の後に東京CTCへと向かった。


「和田2曹はどこの部隊なんですか?」

手が早いという噂の山田陸士長がいきなり聞く。人見知りしないのは流石だけど…言いたくないから言わなかったんじゃないかなぁ。

「…情報科です。普段は市ヶ谷にいます」

「へぇ、いろいろあるんすねぇ…」

ほら、誤魔化された。

「フルネームは?名前、何?」

「…和田美咲です」

あ、それぐらいは教えて良いのか。秘が多いとやりにくいし、今からの仕事は連携が最重要視されるから、打ち解けてくれるのは構わないんだが、やり方ってもんがあるよなあ。

「出身はどちらですか?」

堅物の「はず」の米坂3等陸曹まで話に入っちゃったし。

「兵庫です」

さっきよりも返答が早い。個人的なことは話していい感じなのか。

緊張を紛らわす為なのか、口数が皆多い。ドアの窓から下の街を覗く。街道沿いに人の列が延々と延びている。状況はまだ始まったばかりだ、どうなるかは誰にもわからない。まもなく到着します、ヘリパイ1尉の声が機内に響く。下界の喧噪から彼が解放されるのはこれより数ヶ月先のことだった。



2011年3月11日19時22分国鐵東日本大船渡線338D普通列車


水音がする。災害の後は静寂が広がると言うのは嘘だ。南の空は赤く照らし出され業火の気配を伝える。ヘリの音も聞こえてくる。陸前高田は山の向こうでどうなっているかはわからない。大船渡は…いつもなら灯っている町の明かりがない。ただ暗い、海際とも山際ともつかぬものが広がっている。

車内を見渡す。エンジンは水没して起動不能、電気系統もダウン。幸いだったのは非常ブレーキで停止したためここから流転する事は無いだろうと言うことくらいか。座席には乗客が震えながらごろ寝している。水音…と言うよりは波音は最大の高さの時に比べればかなり引いたように聞こえる。しかし車外の安全がわからない以上、避難することは出来ないし、そもそもどこに避難して良いかの見当も付かない。この近くの住民なら知っているかもしれないが、老齢の乗客が多い中、彼らを連れて山道を踏破する自信はない。朝になれば明るくなり、避難するチャンスも増えるだろう。

そう思い客室から乗務員室に戻ろうとしたときだった。

「おばあちゃん!」

突然の叫び声がキハ47の車内に響く。あわてて声の主を捜すと、ボックス席の中で土気色の顔をした老婆の横に中学生ぐらいの女の子がいる。「どうされました!?」

「急に発作が起きて…普段なら薬飲んでるんですけど…無くて…」

今にも泣き出しそうな必死の形相で鞄の中を探し回る。もしかして、無いんじゃないだろうか。「今日はどこまで行こうと思ってたの?」

努めて優しい口調で訊ねる。短距離や通院なら薬を持たずに出た、それか今から薬を貰う途中だったかも知れないからだ。「…今日は気仙沼の病院に行くとこだったんです。今日は処方箋もらって薬局に行かないとって…」

少々錯乱していた彼女もどうやら気が付いたようだ。選択肢はいくつかある。大船渡に歩いて戻って薬を入手する。それか山を越えて陸前高田で薬を探す。それか何らかの手段で救助を呼んで老婆だけでも先に搬送してもらう。だがそれぞれ選択肢には問題点もある。まず大船渡や陸前高田に薬があるのか。わざわざ気仙沼の病院に通院しているという事は何かの難病じゃないのか。そして、大船渡や陸前高田に、そして気仙沼にまだ病院は残っているのだろうか。薬を取りに行くのが無理だとして、救助を呼ぶにしても何らかの手段って何だ。列車無線は電源喪失、業務用携帯は不通、この近くに鉄道電話があった記憶はないし、出る相手がいるのかわからない。

狭いボックス席に体を縮めて横たわる老婆。その前に力を失ったように座り込む少女。他のお客様。水もない、食べ物もない。でも、何とか出来るのは俺しかいない。

今使えるのは信号炎管ぐらいか…。せめて近くに来てくれればとヘリの羽音を聞きながらぼんやりと思う。無線か何かあればいいが、電源がなあ…。

電源?あ。

電源は床下の主配電盤がショートしてヒューズが飛んで使えない。接点も塩やらなんやらでドロドロだろう。でも機関始動用のバッテリーは?雨にも耐えられるように密封してあるはずだし、ここら辺の線区は海辺を走るから塩害対策も確かされてた。無線機の稼動電圧はいくらだっけ?まあいい。やるしかない。「助けを呼ぶ準備をするから、後少し待ってね?おばあちゃんのこと頼んだよ」

少女が頷いたことを確認して、乗務員室に戻る。椅子の上に転がしてあった電灯を手に取ると外への扉を開いた。


目当てのものは割と簡単に見つかった。端子もゴムで絶縁されていて海水に浸かっていたとはいえ使えそうだ。積んであった工具箱からモンキースパナを取り出しバッテリーを外しにかかる。何ヶ月かごとに交換する部品だからか、油でギトギトに固まっていたり、錆び付いていることはなかったが、津波と共に流されてきた木の枝が引っ掛かる。何とか外せたものの作業には8分もかかってしまった。

バッテリーを持って乗務員室に戻る。次は無線機に接続せねば…。増設された列車無線機の配線覆いを外し取り扱い指示書の技術仕様と睨み合う。が、そこで重要なことに気が付いた。この無線機は24V。バッテリーは12V。足から崩れ落ちそうになる。なんてこった。辛うじて踏みとどまれたのは立ち上がっていた少女と一瞬眼が合ったからだった。どうすればいいんだよ。



2011年3月11日18時30分国鐵東京CTC


「あなた方は…」

大糸が驚きのこもった視線を向ける。「陸上自衛隊第1師団第1偵察隊第2小隊LO班宇野1尉以下四名、到着いたしました」

敬礼をかましたのは宇野1尉と名乗る30後半、いや40ぐらいの男だった。後ろには親父っさん、という形容のぴったりな50ぐらいの男と、30代でも宇野と違い落ち着いた雰囲気のある男、あとは若い、いかにも自衛官然とした青年、そしておまけのように少々華奢な女性自衛官が不動直立で待機していた。少々場所を取っているので移動させる。「ご苦労様です。私は東京運輸区長の大糸です。こちらにどうぞ」

促されて状況を書き込んだ地図の前にぞろぞろとやってきた。宇野といった自衛官、眼を爛々と輝かせている。やる気に満ちあふれているようで非常に頼もしくなる。さっきまでは脳筋っぽくて腹の中で疑ってかかっていたが、こいつなら大丈夫な気がする。「現在ほとんどの運行中だった列車とは連絡が取れ、乗務員及び乗客の無事が確認されました。被災した列車もありますが、避難済みとのことです。自衛隊さんの方には駅構内や施設での救助活動を中心にお願いいたします。もちろん国鐵職員も出来るだけたくさん動員いたしますが、素人ですのでもし危険があれば忌憚なくお願いします。では、何か状況で不明な点は有りますか?」

すぐに宇野が口を開く。「ほとんどの列車と連絡が取れたとのことでしたが、未だ連絡が取れていない列車もあるのですか?」

「はい、大船渡線の338D普通列車が未だ連絡が取れていません。大船渡線の盛駅を出発してそんなに経っていなかったのですが…」

「…で?」

「…盛駅も大船渡も気仙沼も応答がないんです」

「気仙沼では大規模な津波火災が発生しているとの情報があります。これはUHからの映像でも確認済み。また陸前高田、大船渡、盛駅付近はおそらく津波の直撃を受けたものと思われます。地形的に見ても被害は甚大だと推察されます」

歯に衣着せぬ言い方と言うよりは生々しい。頭の中の嫌な部分をつつき回されている気分だ。「…うむ。我々としては通信と線路の復旧に全力を尽くしているがいつになるやら…」

「それよりも338D列車はどうするつもりですか?キハ47は流されてしまったと?それとも無事とお考えですか?」

「未だ不明だが…君はさっき被害は甚大と言ったがその意味は理解しているのかね?あそこには無論お客様もいるが…」

「現在状況を確認して…」

「そんなことじゃない!死んだ奴のことは考えてないんかって言っとんだよ!」

大糸の怒鳴り声はCTCを一瞬で沈黙で包んだ。「続けろっ!」

再び勢いで叫んだ大糸の怒号に押されて他の職員の作業は再開されたが複数の視線が突き刺さる。「私は…」

88式鉄帽を外して宇野は言った。「まだ誰の死亡も確認しておりません。従って我々は全力で捜索救助にあたります。誰もまだ死なせません」

宇野は続けた。「…確かに犠牲者は出ているかも知れません。でも、まだ生きているかも知れない彼らを、必死に生きようとしている彼らを見殺しにはしないで下さい」

言った後で、少し顔を下げて

「……すみません大変失礼しました。仕事、しましょう」

大糸はっとした。彼は完全に338D列車の事を無意識下で諦めていた。盛駅も陸前高田も大船渡も気仙沼も諦めていた。見ないようにしてしまっていた。この自衛官が言ったのは嫌なことではないし、無神経なわけでもない。事実を事実と受け止めて対応し、「状況」に取り組んでいるのだ。私も昔は出来たが、今は気負いすぎだった。落ち着け。一度頭を白紙にして…。そして一度まっさらになった大糸の頭の中に本当にどうでもいい疑問がふと浮かんできた。何故ただの自衛官がキハ47なんて知っていたんだろうか、と。



2011年3月11日19時41分国鐵東日本大船渡線338D普通列車


見つけた。これが最後の希望だ。頼むから受け取ってくれ、誰か。

電圧の違いで絶望的な状況に追い込まれている時、偶然にも目に付いたものがあった。防護無線。音声通話機能はもちろんない。単に信号電波を発信・受信するだけの装置だ。しかし地震発生からすでに5時間は経っている。普通ならとっくの昔に他の列車の防護無線の発報は止まっているはずだ。ならば誰かがいきなり現れた防護無線の発報に気がついて確認の人員かなにかを送ってくれるだろう。そう信じるほか無い。GND端子はガムテープで既に縛り付けてある。恐る恐る正極を近づける。そして小さく火花が散った瞬間、防護無線機の緑ランプが小さく光る。間髪を入れず、赤い大きなボタンを、力一杯、押し込んだ。鳴り響くアラーム。それは昼下がりに聞いた終末のラッパではない、希望の音色に感じられた。

ただ、時間は過ぎていた。老婆の容体は目に見えて悪化している。これ以上はもう持たないと直感が告げる。

頼む、届いてくれ。



2011年3月11日19時42分国鐵東京CTC通信中継室


和田2曹は突如リモート端末の画面に出現したアラートに驚いた素振りを見せたが、それは彼女の余りに落ち着きすぎている本性を隠すための演技だった。「割り込み処理…コード02?」

「防護無線の発報だよ。また余震でもあったんじゃないか?」

隣にいた国鐵電信のSEが教える。「そうですか…」

これまた表面上納得したようなそぶりをする。そしてインカムに吹き込む。「班長、こちら和田。防護無線の発報を受信。確認を求む。送れ」

《和田、こちらにも通知が来た。何か問題か。送れ》

「余震等は気象庁ネットの地震計には観測されてません。発報位置の特定作業の許可願います。送れ」

て、言って通じるかな、あの班長。

《作業の実施を許可する。各通信所への通達はこちらからも回しておく。送れ》

あれ、知ってるのか。

「感謝します。終わり」

通信終了を待たずに、彼女は水を得た魚のようにキーボードを叩いていた。

電波の発信源は二点交叉法という単純な方法で特定できる。指向性のある受信アンテナで一番強く信号が受信できる方向に地図上で線を引く。それを二カ所からやると、その線の交点が発信源と特定される。彼女の強みは自衛隊が全国に置く通信所や駐屯地、航空機を使用して位置を特定できることだ。

手元のDIIに繋がった端末にデータが蓄積されてゆく。それに従って地図上に描かれた予想範囲の円が小さくなる。そして最終的に半径10mの円が現れた。「…よし、出来た。ここか」

PTTボタンを押す。「班長、こちら和田。目標位置の標定完了。指令室の端末に送信しました、送れ」



2011年3月11日19時48分国鐵東日本大船渡線338D列車


発報から5分?10分?まだ電波は発信されているはずだ。時間がないことは誰しも実感していた。衰弱する老婆。祈る少女。虚空を見つめる乗客。気仙沼の上空にはまだヘリがいる。数が増えたのだろうか?ずっと耳に流れ込んでいるからか?頭の中で反響したように延々と鳴っている風切り音。乗客も放心したようにただ空を眺めている。ふとその視線を辿る。星がいくつか見える。綺麗だ、と月並みの感情と共に無力感が噴き出す。こんな時に、俺は、電線を擦り合わせるしかできないだなんて。星を見る。瞬いている。白い星。赤い星。緑の星。…緑?目を擦る。何度見てもそれは緑と赤とそして強烈に光る白い星だった。ふと手に海水ではない塩水が垂れる。

届いた。

我に返る。まだこちらを見つけられていない。よし。バッテリーを脇に捨て、信号炎管の取っ手を強く引く。たちまち火薬に点火し発炎筒が明るくキハ47の屋根の上で輝く。だんだんと星が近づく。乗務員室から電灯をひっつかんで飛び出すと、老婆のいるボックス席に向かう。急いで少女に手伝われながら老婆を背負い、外に向かう。ドアコックを開いてもらい、ドアを開けると、キハに急速に接近してきていたヘリの爆音が耳を貫く。白いヘリの側面ドアが開き、隊員がロープで降りてきた。「持病があって至急治療が必要です。これが診断証。ではよろしくお願いします」

降りてきた隊員に叫びながら抱えていた老婆を渡すと、隊員が驚きの早さで縛着する。「また来ます。それまでがんばって下さい!」

それだけを彼も叫ぶ様に言うと、隊員は上に向かって指を回す。ホイストに巻き上げられあっという間に二人は空中に浮かぶ。そうだ、あの少女も一緒に行かせねば。キハに戻り少女を外に連れ出す。隊員もちょうど再び降りてきた。「この子もお願いします、お婆さんの親戚です」

隊員は少女の手を取って再び体を肩を抱きながら固定する。爆音に掻き消されながらも会話が聞こえる。「もう大丈夫だ…」

少女が必死に頷く。一瞬眼があったと思ったのも束の間、二人を救ったSH-60K哨戒ヘリコプターは海上自衛隊と書かれた機体を翻らせ、海に浮かぶ救助拠点、輸送艦おおすみへと向かった。

爆音が遠ざかり、これで良かったのか?そう思ったとたん、気の緩みからか目の前に広がる町を飲み込んだ海が自分をも飲み込んだような感覚と共に、私は意識を失った。


運転手さん、と呼ぶ声がする。手放していた意識を手繰り寄せ、目を開けようとすると、眠たいという感情が芽生える。座席に寝かされている。状況を急速に思い出し、一気に覚醒する。「あっ、みなさん大丈夫ですか?」

さっきまで倒れてた人が言ってもしょうがないか。時計を見る。2時50分。あれが起こって12時間程か。私の周りにいたお客様以外はぐっすりと寝ていた。「騒いでしまってすみません…」

「いいんですよ、あの二人のこと助けられたんですから」

「いえ、まだお客様が全員避難されるまで私の仕事は終わりませんので」

中年の女性は、少し驚いたような顔をした後、にこやかに言った。「じゃあ一緒にがんばりましょう!」

ただ気分は上向いたとは言え状況はあまり改善していない。体力が朝まで持つか少々心配になった時だった。微かな車のエンジン音と砂利が擦れる音が聞こえた気がした。ドアから飛びだし、確認するまでもなく、暗闇に一筋の光を投げかけるそれは大型のトラックだった。線路沿いに進んできたのか?暗闇の中、丸いライトをこちらに向けて黒っぽいトラックは10m手前で止まる。迷彩服の男が降りてくる。「自衛隊です。救助に来ました」

「ありがとうございます、何名収容できますか?」

「15名程です」

「分かりました、たぶん全員乗れます」

「了解、では避難誘導お願いします。部下にも手伝わせます」

「はい、ありがとうございます!」

軽く敬礼すると、その隊員は荷台に向かう。「民間人を列車から避難誘導してカーゴに収容!5分でかかれ!」

幌付きの荷台から隊員が飛び降りてきて一目散にキハに向かう。遅れないように慌ててついて行き、ドアを開ける。

補助などいるのかと思ったが乗客を高低差のあるドアから地面へ降ろすのはなるほど、意外に力が要るし気を使う。11名の乗客をトラックの荷台に収容し、私が乗り込んだのは、ちょうど5分後だった。「確認終了、全員避難完了!」

若い隊員が報告する。「よし、ご苦労」

それだけ言うと隊長と思しき隊員はトラックの前の席に乗り込む。最後に荷台に乗り込んだ若い隊員はうっすら汗をかいている。「本当にありがとうございました」

思わずねぎらいの言葉が出る。

「いえ、運転士さんが出した信号のおかげです。ご苦労様でした」

その一言を聞いたとき、今が鉄道員としての最高の瞬間なのかも知れないと再び霧がかかり始めた頭でぼんやりと感じた。



2015年8月1日11時59分 国鐵東日本大船渡線盛駅


《ただいまより、午後0時、ちょうどをお知らせします》真新しい駅舎に、スピーカー越しの時報が届く。「黙祷」

辺りにサイレンが鳴り響いた。あの日嫌という程聞いたあの音、いまはこんなにも晴れやかで厳かな気分で聞くことになるとは、キハ47の運転台に座る彼も、多賀城駐屯地に異動した彼も、市ヶ谷で画面からふと目を離した彼女も、新鶴見でEF66の運転台に座る彼も、四年前には想像もつかなかっただろう。

「では、大船渡線全線復旧記念、臨時一ノ関行き、発車!」

真っ白い制服に身を包んだ駅長が言うと、報道から一斉にフラッシュが焚かれた。フラッシュが止むまで目をそらしていた運転士は、出発信号機を指差喚呼した。「出発、進行」

キハ47は新しい道床とレールの上をゆっくりとしかし着実に進み始めた。沿線には住民がいる。空には報道ヘリがいる。皆が祝福していた。お昼のニュースのトップを飾った。ただ、そこには国鐵東京運輸区長の姿はなかった。代わりに運転士の鞄には大糸が最期に出した指示書とDD51の車内で笑う彼の写真があった。


それは突然のことだった。波乱に満ちた2011年も終わり、2012年の夏頃、震災での功績をたたえての栄転を一蹴していつもと変わりなく東京CTCに出勤した大糸は、いつも通りに業務をこなし、夜の当直に引継を終えて、ロッカー室に向かった。居眠りすんなよ、と言って指令室を出たのが最期の姿になった。直の中でも最後まで残っていたのが災いした。ロッカー室を最後に使うことになり、誰にも気が付かれなかったのだ。制服を脱ぎ、通勤用のスーツに着替えて、そのまま事切れていた。心臓発作だった。

医師に言わせれば過重労働による労災死になるらしい。確かにそういう一面はある。だが、彼のロッカーに遺された手紙にはそれがただの過労死ではない事が十分読みとれたし、本当の原因は家族も気が付いていたことだった。末期の胃ガン。

手紙には、もし仕事中に倒れたら迷惑をかけて申し訳ないと言うこと、病気を隠していてすまなかったと言うこと、遺産は一定額ずつ相続させた後、被災地に寄付してほしいと言うこと、そしていくつかの伝達事項がかかれ、最後にあの国難に際して少しでも自分の力が活かせたのであれば、私は幸せな奴だ、と書かれていた。


前日の夜に降った雨で枕木が濡れて光っている。木からPC枕木に変わったからだ。真新しくて灰色のバラストも少し湿っぽい。相変わらず25mレールだが、ジョイント音も軽い。上本出を通り過ぎ、分岐制限35が解ける。涙雨かも知れないと思った運転士の脳裏に大糸の顔がよぎる。あの勾配に差し掛かる。ここで震えていたあの時。あの日から何もかも変わってしまった。でも変わらないこともある。勾配に呼応するディーゼルの響きは三陸の街に、人に、自然に、染み渡って行くように響いた。


指令-東運特第二五〇一号

発:国鐵東京運輸区長

宛:国鐵グループ総員

志を高く、腰は低く、だが誇りを持て。これからの国鐵を、そして日本をいつまでも牽引して行くことを願う。



2012年4月1日、震災の影響で一年にわたり遅れていた国鐵215系電車の本格的運用が全国の国鐵幹線と国鐵グループの通勤路線を中心に開始された。過剰になった203系などは地方に追いやられてしまったが、それもまた時代の流れであった。同じ頃、交直両用の425系電車、交流専用の721系電車もそれぞれ現地運用試験を開始し始めた。2014年にはDF52の試作一号機、DF52 901が完成。早速北海道での運用試験が開始されたものの、故障がしばしば発生し、2015年2月14日には北海道の強烈な寒さと雪に起因すると見られる重大故障が発生し猛吹雪の中、立ち往生する事態に。国鐵と国鐵北海道にとって最悪のバレンタインとなってしまったことは最近のことだ。

そして2015年夏。国鐵は復興、そして未来へ向けた大きな一歩を踏み出した。



国鐵_NR 第一章 終了

この小説を読んで鉄道を支えている方々や国防の任につかれている方々のことに少しでも理解が深まれば幸いです。

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