第四章 建物は死体を運ぶ
旧配電室の下にあったのは、部屋ではなく、切り取られた時間だった。
鉄梯子を下りた先に、コンクリートの空間がある。幅六メートル、奥行き九メートル。壁には新旧二種類の削岩痕。床の中央には、崩落した岩盤を後から埋め戻した跡が残っていた。
錆びた発電機。
変形した送風管。
溶けたビニール被覆。
壁際に並ぶ六つの白い四角。
かつて何かを置いた場所だけ、煤が付いていない。
「六人」
九条が言った。
鳳は床の白い跡の間隔を測った。
「担架か、遺体袋です。ここへ一度並べた」
「二十一年前の六人を?」
「おそらく」
室内に人骨はなかった。だが床の排水溝から、古い歯の破片と衣服の金具が見つかった。正式な鑑定は必要でも、少なくとも「地下設備室は六人の死と無関係だった」という従来記録とは両立しない。
壁に、赤いペンキで日付が書かれている。
二十一年前の七禍祭前夜。
その下に、手書きの計算式があった。酸素濃度、発電機の稼働時間、送風量。鳳はしばらく黙って数字を追った。
「この部屋で内燃機関を動かした」
「一酸化炭素?」
真壁が訊く。
「はい。換気量が足りない。しかも途中で送風管が潰れている。祭りの夜、上の灯を点けるために臨時発電機を回し、ここへ避難した人たちが中毒になった可能性があります」
「六人全員が、七つの場所で別々に事故死した記録と矛盾する」
二階堂は古い壁へライトを当てた。
「一つの場所、一つの原因、一つの責任。だから七つへ散らした」
九条が歯片を証拠袋へ入れる。
「死体の死因を書かなければ、場所を変えられる」
「医学記録を薄くした理由か」
真壁は部屋の出口を探した。
入口の鉄梯子以外に、海側へ向かう低い水路がある。大人が屈めば進める高さで、床には浅く水が流れていた。壁に古い台車レールが続いている。
「ここから六人を運んだ」
鳳が言う。
「水路は血禍の縦坑、風洞回廊の下、海蝕洞へ分岐しています。館そのものが、遺体を七つの場所へ運ぶための道になった」
「昨夜も同じ」
真壁はレールに残る新しい擦れを見た。
「死者をここで殺し、鏡の裏へ上げ、最後に血禍の間へ送った」
「殺害場所はここではない」
九条が床を見た。
「首の痕に、この部屋の錆がない。衣服の背中に付いた油は、もっと粘度が高い」
鳳は天井の送風管を指した。
「鐘楼の機械室です。古い巻き上げ機の潤滑油なら一致するかもしれません」
「行くぞ」
真壁が言うと、鳳は水路の奥へライトを向けた。
「こちらからの方が近いです」
「正規の階段を使う」
「でも犯人の経路は」
「犯人は、お前が落ちるかどうかを気にしてない」
「落ちません」
直後、足元の古いレールが外れた。
鳳の身体が水路側へ傾く。真壁がコートの背を掴み、二階堂が腕を支えた。外れたレールは暗い水へ落ち、数秒後に遠くで金属音を立てた。
「……すみません」
鳳が言う。
「いまの返事を覚えておけ」
「はい」
「次に『落ちません』と言ったら再生する」
二階堂がスマートフォンを見せた。
「録音したのか」
「証拠保全」
「消せ」
九条は水路を覗き込んだ。
「頭から落ちたら、ここでは助けられない」
「九条まで」
「事実」
鳳は三人に囲まれ、珍しく言葉を失った。
鐘楼の機械室には、犯行の痕跡がほとんど揃っていた。
古い鐘を鳴らす主軸から、細い補助ロープが鏡裏の滑車へ伸びている。鐘が鳴るたび、ロープに吊られたものが左右へ揺れる仕組みだ。床には死者の衣服と同じ黒い繊維。巻き上げ機の脇には、鎮静薬の入った小瓶が落ちていた。
そして梁から垂れた綿ロープの一部に、薄い血液と皮膚片が付着している。
「ここで殺した」
九条はロープの幅を測った。
「頸部の痕と合う。薬で動きを鈍らせ、首へ掛け、重りを落とした」
「犯人は黒羽をここへ呼び出せる人間」
真壁が言う。
「館の構造と古い機械を知っている。朱里の計画を知り、停電時刻に合わせて鏡の仕掛けを動かした」
二階堂が小瓶を見た。
「管理室のコーヒーに薬を入れられた人」
疑いは鷺宮依子へ集まっていた。
だが、疑いと証明は違う。
機械室の鍵は、依子だけでなく黒羽と榊も持っていた。久世は撮影許可のため数日前から館内を歩いている。灯村は修繕を手伝っていた。朱里は過去一年、島の資料調査で何度も訪れていた。
「全員使えるな」
「だから、犯人は鍵を残したんだよ」
二階堂が言う。
「入れた人を増やしておけば、誰も特別じゃなくなる」
真壁たちが地下へ戻ると、灯村が待っていた。
「鳳さんに話がある」
「ここで話してください」
真壁が答える。
灯村は不満そうに真壁を見たが、やがて諦めた。
「二十一年前、悠一は生きて島を出た」
鳳の顔から、静けさが消えた。
「あなたが運んだんですか」
「夜明け前、作業艇に乗せた。右腕を折って、頭から血を流してた。それでも、弟には知らせるなと言った」
「なぜ」
「島の連中が、お前の家を知ってたからだ。六人の死体を動かしたことも、発電機のことも、悠一は見ていた。喋れば家族もただじゃ済まんと脅された」
「その後は」
「知らん」
「嘘です」
鳳の声は低かった。
普段の穏やかさが薄れ、建物の欠陥へ触れた時と同じ鋭さが出ていた。
「あなたはさっき、兄に似てきたと言った。二十一年前の姿しか知らないなら、僕が兄の現在に似ているかはわからない」
灯村が黙る。
「会っていたんですね」
「三年前に一度だけだ」
「どこで」
「本土の病院。俺の女房が死ぬ前だ。黒羽と名乗っていた」
鳳の呼吸が止まったように見えた。
真壁は灯村へ一歩近づく。
「黒羽宗一郎が、鳳悠一だと言うんですか」
「本人は、そう言わなかった」
「なら、なぜ」
「右手で左の耳を触る癖があった。考える時、いつもそうした。声も変わってた。顔も老けた。でも、あれは悠一だ」
鳳が壁へ手をついた。
二階堂がそっと近づいたが、触れはしなかった。
「黒羽さんは、なぜ開発会社に」
「島を壊すためだと言ってた。七禍館を解体して、下の部屋を出す。父親が生きてるうちは帰れなかった。脅した連中が会社から消えるまで待った、と」
「僕には」
鳳は一度言葉を切った。
「僕には、何も」
「お前を守るつもりだったんだろう」
「二十一年間です」
静かな声だった。
「七歳の子どもは、もういません」
灯村は目を伏せた。
「すまん」
「あなたに謝られても、兄から連絡が来るわけではありません」
鳳は灯村の脇を通り、水路へ向かった。
真壁が腕を掴む。
「どこへ行く」
「黒羽さんの部屋です」
「一人で行くな」
「一人ではありません」
「今のお前は、人数の話をしてない」
鳳が真壁を見る。
「兄かもしれない人が、昨夜までここにいたんです」
「だから止めてる」
「なぜ」
「兄だと決めた目で証拠を見るからだ」
鳳の表情が固まった。
「九条が言っただろ。似ていることを同一人物の証明にするな。灯村の証言も証拠の一つだ。まだ名前を置くな」
長い沈黙の後、鳳は目を伏せた。
「……はい」
「一緒に行く」
真壁は腕を離した。
二階堂が小さく息を吐く。
「真壁の言い方、優しくないんだよな」
「優しく言って聞くなら、お前が言え」
「俺は聞かせる言葉を選ぶ係で、従わせる係じゃない」
「役に立たないな」
「それ、広報課全体を敵に回すよ」
九条は先に階段を上がりながら言った。
「鳳先生は、優しく言うと自分に都合よく解釈する」
「九条先生まで、僕をどういう人だと思っているんですか」
「危険な場所へ丁寧に入っていく人」
鳳は否定しなかった。その直後、階上から紙と古い塗料の焼ける匂いが降りてきた。




