「お前を愛することはない」と言われたので、労働対価に食事を要求します①
旦那様の執務室の前に着き、扉を三回ノックする。
返事がして、部屋の中から従者が扉を開けてくれる。
「──っ! え?」
二十代後半くらいの従者が私を見て固まった。
その脇を通り抜け、部屋の中へとおじゃまする。
大きな執務机には大量の書類があり、旦那様はすごい速度で書類を処理していた。
「悪いが、少し待っててく……れ…………」
そう言いながら、視線をあげた旦那様の目と口がパカリと開かれた。
みるみるうちに顔が赤くなり、勢いよく立ち上がると、顔を反らしたまま猛スピードで向かってくる。
「え? は? えっ!?」
バサリと乱暴に、何かを頭からかけられ、目の前が真っ暗になった。
深く落ち着きのあるほのかに甘いムスクの香りに包まれる。
あ、いい匂い……。じゃなくてっ!
「いきなり何するんですか!?」
そう言ってどければ、それはふかふかのじゅうたんの上に落ちていく。
「何をじゃない! そんな格好でうろつくな!!」
大声と共にそれ──旦那様の上着を拾うと肩からかけられ、腕を通すことなくボタンまで止められてしまう。
「これじゃ、腕が動かせません。ちゃんと着ます」
そのまま一度脱ごうとすれば、睨まれたので後ろを向いて羽織り直す。
うん、袖が長い。手が出ないや。
「ったく、服を用意してあったろ。着替えないなんて、どういう教育をされてるんだか」
使用人としての教育ですかね。と答えようとして、無意味だなと口を閉じる。
「……クローゼットの服は、勝手に着ても良かったんですか?」
「どういうことだ?」
怪訝な顔を向けられる。
ほほぅ。呼んでも使用人がこなかったのは旦那様の命ではなかったのか。
なら、この話はもういいや。もっと大事なことがある。
『ぐぅ……』
「……は?」
『ぐぅぅぅぅ……』
せっかちなお腹は、主である私よりも先に空腹を主張する。
「そんなことより、食事をください」
「……用意されてるだろ。口に合わなかったのか?」
「何もありませんでした。旦那様は使用人にどんな教育をされているんですか?」
言われた嫌味を返せば、旦那様の眉間にシワが寄る。
「どういう意味だ」
「そのままの意味ですよ。食事をくれないなら、食材ください。それも駄目なら、庭園で採取する許可をください!」
金持ちの伯爵家に嫁げば、美味しいものをお腹いっぱい食べられると期待していたけれど仕方がない。
どうにかして、食事を確保しないと。
食べ物がないのだけは、駄目だ!
「何を言ってるんだ?」
「食事の話に決まってます」
なんて話している間にも、私のお腹は鳴り続ける。
「お話中、失礼いたします。旦那様、もしかしたら本当に用意をされなかったのでは?」
すっかり存在を忘れていた従者は、壁の方に体を向けた状態で話しかけてくる。
「とにかく、すぐに食事か材料をください。服なんかより、食事です。食べ物がないのだけは許せません」
「いや、服も……。少しそこに座って待ってろ」
指さされた革張りのソファーに腰掛ければ、見た目より柔らかい。
旦那様は従者に指示を出すと、盛大なため息をついた。
「何でこんなことに……」
「旦那様が認めてない妻になんか、誰も仕えたくないでしょうし、仕方ないですよ。なので、食事か食材をもらえれば、あとは勝手に自分でやるのでおかまいなく。今朝の食事がなかったことに関しては、あとで何か償っていただきますからね。それと、服はクローゼットのを勝手に着てもいいということで、間違いないですか? あ、そうそう。ズボンもください。掃除とか洗濯とか、農作業やるのに便利なので」
一方的に旦那様が口を開く前にドンドン話しかけていく。
「あ、そうそう! 確認なのですが、旦那様の愛人……恋人とお呼びした方がいいですかね。どこにお住みですか? 本邸にいる場合、鉢合わせしないようにそこを避けたいんですよね。別邸があるなら、私がそっちに移動するのも一案かと」
「はぁ?」
「巻き込まれたくないんで、そこんとこ上手くやってくださいね」
よし。言いたいこと言えた!
スッキリ! と思って旦那様の顔を見れば、眉間のシワがさっきよりも深くなっている。
「…………ない」
「…………?」
「恋人も愛人も妾もいるわけないだろ!」
「え、片想い!? ファイトですよ!」
って、頑張られても困るのか。
でもなぁ、他に言うこともないし。
「何なんだ、お前は……。そんな者もいないし、時間もない。恋だの愛だのにうつつを抜かしている間も惜しいんだ。勘弁してくれ……」
そう言う旦那様の顔色はどことなく悪く、よく見れば隈がある。
「もしかして、ものすごーくお忙しいのですか?」
「妻に時間を割けない程度にはな」
「食事さえあれば、私は大丈夫です。手間暇かけませんので。あ、そうそう! 昨夜の件で、私も伝えなきゃいけないことがあるんです」
「……何だ?」
疲れ切った顔で言われ、旦那様の目をじっと見る。
「私も、お前を愛することはない」
「────っ!!」
旦那様は息を呑んだ。
言葉を探すように、口は開かれたけれど、何かが続くことはなかった。




