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蛇の目/美食家  作者: ふゆはる


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第四十六話/TheFIRST③

 二課の取調室――


 光は、必要最低限だった。


 天井の蛍光灯が、無機質な白を落としている。

 壁は淡い灰色。

 窓はない。

 外界と切り離されたこの空間は、時間の感覚すら曖昧にする。


 中央の机。

 向かい合う椅子。


 そこに座る男――三國義昭は、あまりにも静かだった。


 手錠は外されている。

 逃げ場がないことを、理解しているからだ。


 背筋は伸びている。

 姿勢は崩れない。


 だが、その整然とした外見の奥にあるものを、誰もが感じ取っていた。


 “空白”。


 後悔も、焦燥も、怒りすらもない。


 ただ――何もない。


 目だけが、生きている。


 濁りもなく、しかし温度もない。


 その目が、正面に座る秋山を捉えていた。


 沈黙が続く。


 時間にして数秒。

 だが、体感では長い。


 やがて、三國が口を開いた。


 ぽつりと。


 独り言のように。


「何故、俺を逮捕できた?」


 問い。


 それは懇願でも抗議でもない。


 純粋な“疑問”。


「俺がミスしたのは……ログハウスのあの女を生かしたまま取られただけだ」


 淡々と続ける。


 声に揺れはない。


「そこに至るまで、俺は何のミスも犯していない」


 そして、わずかに強くなる。


「何一つだ」


 静寂が戻る。


 その言葉は、虚勢ではなかった。


 三國の中では、それが“事実”なのだ。


 完全性。


 自分の構築した体系に、一切の瑕疵はない。


 それが崩された理由だけが、分からない。


 だから、問う。


 それだけだった。


 ---


 秋山は、しばらく三國を見ていた。


 観察するように。


 評価するように。


 だが、その表情にはほとんど興味が浮かんでいない。


 やがて、ゆっくりと口を開く。


「君には――六件の殺人容疑と、一件の殺人未遂の容疑がかかっている」


 声は平坦だった。


 事実を並べるだけの、無機質な響き。


「ここからは、慎重に話すべきだと思うがね?」


 一拍。


「まずは」


 机の上の資料に視線を落とす。


「君が犯した“最初の殺人”から聞かせてもらおう」


 ページをめくる音。


「被害者の名は、覚えているかね?」


 問いは、あくまで形式的だった。


 だが、その瞬間――


 三國の反応が、わずかに変わる。


 目が、上を向いた。


 天井を見つめる。


 何かを探すように。


 あるいは、思い出すように。


 そして――


 口元が、わずかに緩む。


「あぁ……」


 小さく、息を吐く。


「お前たちは、勘違いしてる」


 秋山の眉が、ほんの僅かに動く。


「はじまりの歌を、きかせてやるよ」


 その言葉。


 比喩とも、狂気とも取れる響き。


 だが、三國の中では、それは“正確な表現”だった。


 ---


 それから語られた内容は――


 二課の面々にとっても、想定の外側にあった。


 “最初の被害者”。


 彼らがThe FIRSTとして位置づけていた存在。


 その名。


 三國彩花。


 三國義昭の、妻。


 室内の空気が、わずかに変わる。


 だが、三國は続ける。


「殺してない」


 即答だった。


 迷いも、躊躇もない。


「彩花は、病気で死んだ」


 糖尿病。


 その合併症。


 医学的に説明のつく、死。


 三國の声は、どこか遠くを見ているようだった。


「俺は……それを使っただけだ」


 “使った”。


 その言葉が、異様な重さを持つ。


 彼は語る。


 少年期。


 森の中での、ある体験。


 腐敗と再生が同時に存在する光景。


 菌が命を分解し、別の形へと変えていく過程。


 それを、彼は“美しい”と感じた。


 そして――


 再現しようとした。


 だが、最初は上手くいかなかった。


 菌は定着せず、腐敗は進み、ただの失敗に終わる。


 繰り返し。


 何度も。


 何度も。


 だが――


 彩花の死。


 それが、転機となる。


「一型糖尿病だった」


 血糖の異常。


 代謝の破綻。


 体内環境の偏り。


 それらすべてが――


 “菌類にとって最適だった”


 偶然。


 だが、三國にとっては“発見”だった。


 ニオウシメジ。


 その異様な増殖。


 そして――


 完成。


「再現できた」


 声に、わずかな熱が宿る。


 それは、彼が初めて見せた“感情”に近いものだった。


 だが、それは人間に対するものではない。


 あくまで、“成果”へのもの。


 ---


 その後。


 四人の女性。


 彼は、淡々と語る。


 狩る。

 作る。

 育てる。

 食す。


 それだけ。


 それ以外は、不要。


 名前は?


 問われても、彼は答えない。


「覚えてない」


 本当に、興味がないのだ。


 彩花以外は。


 すべて、素材。


 過程。


 手段。


 彼の世界には、それ以上の意味は存在しない。


 ---


 取調室の空気は、重く沈んでいた。


 誰も言葉を挟まない。


 秋山ですら、一瞬、言葉を失っていた。


 だが、それもすぐに消える。


 彼はペンを置き、静かに三國を見る。


 一方で――


 三國の興味は、すでに別の場所に移っていた。


「なあ」


 ふと、口を開く。


「何でだ?」


 秋山は答えない。


 だが、三國は構わず続ける。


「何で俺は捕まった?」


 その問いは、繰り返される。


 一度ではない。


 何度も。


 日をまたいでも。


 同じ問い。


 同じ声。


「ミスはなかった」


「どこだ?」


「何が原因だ?」


 答えは、与えられない。


 あるいは――


 彼には理解できない。


 蛇の目。


 観測。


 統合。


 人間の直感。


 それらすべてが重なって導き出された“結果”。


 だが三國にとって、それは説明にならない。


 彼の世界には、“完全な因果”しか存在しないからだ。


 ---


 取調室。


 同じ光。


 同じ机。


 同じ椅子。


 そして――


 同じ問い。


「何故、俺は捕まった?」


 その声だけが、何度も反響する。


 答えのないまま。


 理解されることのないまま。


 三國義昭は、自らの“完全性”が崩れた理由を求め続けていた。


 それが――


 彼にとって唯一、許容できない“欠落”だった。


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