第12話 私は、そうするべきだと思ったから!
落陽。
闇の帳が下りた荒野に、亡骸が一つ横たわっている。
刹那の輝きを見に宿し、そして燃え尽きた男の成れの果て。物言わぬ骸と化した兄は、ゆすっても声をかけても、決して反応を返すことはない。その生は、確かにここで終わっているのだから。
喪失。
なんの経験も宿さないその無垢な瞳が、残酷に少年を射抜く。首を傾げるその動作、血に濡れた首元、小さな手のひら、ぺたんと座り込んだ足、その全てがカナタを責めているように見えて仕方ない。
「なんで……」
掠れた声が、無音の常闇に響いた。
「ぼ、僕は……いや……ちが、」
「……?」
ふらふらと『ミライの形をした何か』に、カナタは歩み寄る。カナタはそれをミライとは信じたくなかった。信じるということは、あの一言を認めてしまうことになる。
──あなたは、誰ですか?
同時にその一言を認めてしまえば、これまでの彼女との思い出も全て否定してしまうことになる。
短くとも、二人で過ごした時間があったのだ。一緒に歩いて、一緒に笑って……そんな日々を、ミライは忘れてしまったというのか。
忘れた? いや、違う。逃げてはならない。
カナタが、ミライを、殺したのだ。
スゥ――――と、背筋に感じたこともないような悪寒が駆け抜けていく。
そうだ。間違いない。ミライはあのとき確かに、完全に息絶える直前何かを言おうとしていた。
思い出す事さえ憚られるあの一言の直前。喉を二刀に貫かれて、呼吸もままならないそんな状況下で、それでもミライは何かを言おうとしていた。
一拍置いた今だからこそ分かる。それは、間違いなく──
──「カナ……タ……」。
──「たす……け……――」。
「あ、あ、あ、ああっ、あ……ぁああああああ」
絶望が、浸透する。
血に濡れた両手が震えて、震えて、震えて。
視界が揺れて、頭に血が上って、何も考えられなくなっていく。
思い出したくもないのに、彼女との細やかな思い出が強く脳をよぎっていく。
──「名前……名前は、ミライです」。
その、思い出が。
──「ありがとう、カナタっ」。
音を、立てて。
──「もっとお話聞きたい!」。
崩れて、壊れて、塵になって消えていき──
「あ、あの!」
はっと、我に帰る。
「大丈夫ですか? すごく顔色が悪いですよ……?」
そこで心配そうに顔を覗き込んでいたのはミライだった。
月明かりにキラキラと輝く長いまつ毛。透き通るような碧色の光彩。その慈悲に満ち溢れた視線は紛れもなく、カナタの知るミライ・エルグランドに違いなかった。
「ぇ、あ、ああ、僕は……」
そう、そこにいるのは間違いなくミライだ。傷も完治し、体のどこにも異常は見られない。ただ一つ──
「な、なあ、君は……ミライ、なんだよな……?」
「ミライ? それが、私の名前なんですか?」
そう。何かが欠けてしまっている。それだけが、カナタの心を蝕んでやまない。
「そうだ。君の名前はミライ。お、思い出してくれっ。君は、僕の名前だって知ってるはずだ……!」
「……あなたの、名前」
ミライは必死に思い出そうと頭を回転させたが、そこにはなんの情報も記録されてはいなかった。空っぽで、真っ白なキャンバスが広がるのみ。辛いことも、楽しいことも、もう何もミライの中には残っていない。
「ごめんなさい……私……」
申し訳なさそうに俯くミライ。何も分からないはずなのに、少女は辛そうに目を伏せている。それは少女が持つ生来の善性が故であったが、今のカナタにはそれさえも己を責める要素にし見えなかった。
両手を見下ろす。そこには、血に染まって震える手のひらがあった。
何も掴めなかった、ちっぽけな手のひらだった。
──ああ。
──もう、何も残っていないじゃないか。
「……ぅうっ」
そう気がついた瞬間、苦しみや痛みといった感情が一挙に表層化し、涙となって溢れ出した。胃液がせり上がってくるような感覚があった。身体中の細胞が拒否反応を起こしているような錯覚を覚えた。
「兄さん……ミライ……なんで、なんで、こんな……」
カナタは兄の亡骸に縋り付くように泣き続ける。
ミライも、その遺体がカナタの言う「兄さん」なのだとすぐに分かってしまった。
カナタによく似た顔立ち。だけど少しだけ大人びていて、強気な印象を抱かせる表情。どこもかしこも火傷だらけで、腕は無残に斬り飛ばされて痛々しい。
だけどなぜか──満足げに目を閉じているのだ。
ここで何があったのかも、どんな事情があってカナタの兄が亡くなってしまったのかも、ミライには分からない。それでも。
「……」
一人泣き続ける少年の姿を見て、ミライは思うのだ。
無垢で、まだ何にも染まっていない今のミライだからこそ、その慟哭がダイレクトに心に響く。白色のキャンバスだからこそ、今のミライとってこの少年は世界の全てだ。
今のミライは、生来の気質である『優しさ』のみで構成された究極の善性の塊だ。かつてミライの中には、確かにカナタとミライを二人の繋ぐ強固な絆があった。その思い出たちが消え去ってしまった代わりに、あの地獄のような過去もミライの中には残っていない。
世界の歪みを知らない、正しい意味での完全なる純白。
そんな彼女は思う。理由は分からない、自分が何者なのかすら分からない──だが、目の前で苦しんでいる少年がいる。
ならば。
──こんな私でも、彼の力になれたなら、と。
それはもはや衝動に近かった。ただ、人は悲しむべきではないと。笑っているべきだと。もし苦しいことがあったら分かち合い、乗り越えるべきだと。本能的にミライはそう理解していた。
血に刻み込まれたものなのか、ミライの魂に宿る感情なのか、それは定かではないが、理由はともあれその衝動だけは空っぽになったミライという器の中に残っていたのだ。
だから、ミライは涙を零し続ける少年の身体を、ゆっくりと抱き寄せた。
「ぇ……」
間の抜けた声がする。
「私には何も分からないけど……でも、泣いてるのは、よくないって思うから! あ、えと、嫌なら……やめます……」
なぜそこまで優しくできるのか。カナタには分からなかった。
別にもうミライにとってカナタは命の恩人でもなんでもなくて、たまたま目を開けたらそこにいただけの、赤の他人になってしまったのではないのか。
カナタから見れば、その原因は自分にあるのだと分かっている。優しくされる理由などないし、むしろ非難されるべき、糾弾されるべき、断罪されるべき愚行を犯したのだ。
カナタは、そうしてほしかった。
非難して、糾弾して、断罪してほしかった。そうすれば、きっともう諦めがつくから。
誰もが見放してくれれば、迷いなくこの場で首を切って果てることができただろう。しかし今、こうしてカナタはミライに抱きしめられている。
喉を貫き、助けを求める思いを受け取ってやることもできずにこの手で殺した少女が、どうしてか同情と慈悲に満ちた表情を浮かべながら、殺人犯であるカナタを抱きしめている。そんな意味不明な事態があっていいのか。おかしいだろう、と。
僕は君の手で首を絞められてもおかしくないことをしたんだ、だから今すぐ殺してくれ──と。そう言い出せるだけの勇気も度胸も覚悟も、今のカナタ・エルグランドは持ち合わせていない。
今のカナタにできることはない。
ただ黙ってミライの胸の中で、惨めに、情けなく涙を流すだけ。
彼女の慰めを素直に喜ぶことができない自分が、嫌いで嫌いで仕方ない。彼女の好意にすらも苛立ちを覚える自分に腹が立って仕方ない。
自己嫌悪の螺旋階段は遥か闇の奥底まで続く。永劫続く悪感情のループは、カナタの身を、心を、ギリギリと締め上げている。
苦しみ、痛み、苛立ち、怒り、後ろ向きな感情がカナタの心を歪めていく──
「僕は……僕は、どうすればいいんだよ……」
やがて九十九谷から守護兵団が来るまで、カナタは自分の無力さに慟哭し続けた。
何度も、何度も、慟哭した。
涙が枯れて、声が出なくなるまで、何度でも。
夜風が冷たく、頬を撫でていった。
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【エストランティア侵攻東域被害報告】
九十九谷をはじめとする大都市に死傷者多数。例年比二割増の戦闘を確認。詳細な数値は別紙参照。
さらに被害は拡大するものかと思われたが、九十九谷守護兵団一番隊隊長セツナ・エルグランドと『理想郷委員会』第一位・ゼファード・ヴァナルガンドの決戦により、第一位が重傷を負ったことを受けてエストランティア軍は一時撤退。現在は小康状態。
これまであまり戦闘に姿を見せなかった『理想郷委員会』第一位が姿を現した理由は不明。目下調査中。
戦闘の中断と引き換えに、一番隊隊長セツナ・エルグランド死亡。九十九谷の戦力低下が懸念されるため、中央都市より補強要員の派遣を検討中。
重傷を負ったゼファード・ヴァナルガンドの傷が治るまで戦闘が再開される可能性は低いと判断し、東域に派遣していた補強要員を除く中央都市軍の帰還を許可。
また、東域での戦闘が先送りになった結果として南域での戦闘量増加が見込まれるため、『円環連座星天騎士団』第二席ルナ・アストレア及び第十一席予定のミズキ・ローレンスの派遣を決定。
さらなる被害削減のため、各軍は専守防衛に尽力されたし。
以上
中央都市対エストランティア最高意思決定機関『円環連座星天騎士団』 印




