夢の残像と、噛み合わない再会
――朝。
机の上には、ぽつんと千円札が一枚置かれていた。
それだけ。
「……今日も、ないか」
小さく呟く。
家の中は静かだった。
テレビの音も、食器の音も、誰かの「おはよう」もない。
(お母さん……ちゃんと寝れてるのかな)
最近、帰りが遅い。
話す時間もほとんどない。
心配だけど、聞くと怒らせてしまうから。
私は何も言わない。
時計を見た瞬間、心臓が跳ねた。
「やばい、遅刻!」
慌てて家を飛び出す。
⸻
学校は、あまり好きじゃない。
甘いものは禁止。
お菓子もダメ。
それだけじゃない。
勉強も。
友達作りも。
グループ活動も。
私はいつも、みんなより少し遅れてしまう。
気づけば、あだ名は「不思議ちゃん」になっていた。
不思議なのは、私じゃなくて周りの方だと思う。
分からないことを聞けば笑われて、
できないとサボりだと言われて、
先生に相談しても信じてもらえない。
何がいけないのか、最後まで分からなかった。
いじめられたこともある。
理由は――話し方が変だから。
それでも私は、笑っていた。
その方が、波風が立たないから。
⸻
放課後。
千円札を握りしめ、スーパーで半額のお弁当を買う。
これが、今日の夕飯。
家に帰ると、玄関に靴があった。
「お母さん、帰ってきたの? お母さーん!」
「うるさいなぁ! 何?」
短い声。
「……ううん、なんでもない」
私は自然に笑った。
「レシートとお釣り、ここに置いておくね」
怒らせたくない。
疲れているのは分かっているから。
温めたお弁当を、自分の部屋で一人で食べる。
本当は今日あったことを話したかった。
でも。
(お母さんを休ませてあげなきゃ)
そう思って、スマホを手に取る。
開いたのは――。
『聖女の陰に隠れた月』
「フェリシアちゃん……」
画面の中で、必死に笑う少女。
誰よりも頑張っているのに、報われない人。
それでも誰かのために立ち続ける姿に、私は何度も救われた。
「頑張って……フェリシアちゃん……」
気づけば、涙がこぼれていた。
⸻
――ガバッ。
体が跳ね起きた。
頭がズキズキする。
「……夢?」
見慣れない天井。
白いシーツ。
薬品の匂い。
ここは……保健室? 病院?
少なくとも、あのアパートじゃない。
「お体は大丈夫ですか?」
声の方を見ると、四十代くらいの男性が立っていた。
医者、だろうか。
「大丈夫です」
正直に答える。
少し寝ただけなのに、大袈裟だなぁと思った。
「では、お呼びしますのでお待ちください」
(お呼びする!?)
心臓が跳ねる。
まさか。
(お母さん呼ばれる!?)
「待ってください!」
慌てて引き止める。
「私、一人で帰れます! 本当に大丈夫です!」
「……はい?」
「だから、連絡しなくても大丈夫です!」
医師の顔が、だんだん困惑していく。
あれ?
会話、合ってる?
私が首を傾げていると、彼は青ざめた。
「報告しないと私が罰せられてしまいますので……!」
そう言って部屋を飛び出していった。
「罰……?」
ブラック職場かな?
あとで謝ろう。
そう考えていると、すぐに扉が開いた。
戻ってきた医師の後ろから、二人の男性が入ってくる。
一人は、透き通るような青い髪の青年。
もう一人は、金髪の少年。
どちらも、まるで物語から抜け出したみたいな豪華な服装だった。
(……コスプレ?)
沈黙。
やがて青髪の青年が口を開く。
「フェリシア様。無理をさせてしまい申し訳ございませんでした」
「……はい?」
部屋が止まった。
「「え?」」
全員の声が重なる。
今、この人。
なんて言った?
「……あの」
恐る恐る確認する。
「今、私のこと……フェリシア様って呼びました?」
「……そうだが?」
当然のような返事。
その瞬間。
記憶が、洪水のように流れ込んできた。
白い空間。
フェリシアとの約束。
地下牢。
灰色の瞳。
そして――。
(私……入れ替わったんだ)
「えええええええええーーーーーー!?」
絶叫が部屋に響き渡った。
目の前の二人は、完全に固まっている。
信じられないものを見る目で、互いに視線を交わしながら。
――こうして私は。
推しを救うために。
“悪役令嬢フェリシア”として、生きることになったのだった。




