《選出》
ガルブレイス公爵邸の庭園で、ベアトリスは紅茶を飲みながら書類を眺めていた。
その横に調教済みの二角獣、バイコーンが寄り添うように座っている。銀のたてがみを撫でてやると、バイコーンはきゅるると魔獣らしからぬ愛らしい声で喜んだ。
「まるで魔獣が犬のようですね」
そう笑いながら現れたのは、大司教の任から離れたユリシーズだ。
聖なる都に戻るまで時間が出来たのだろう。ここ数日頻繁に顔を合わせている。
「実際に犬のようなものです。森に返そうと思ったのに、懐いてしまったのか離れなくて。仕方がないので邸に連れ帰りましたけれど」
賢い犬、もといバイコーンは自分のことだとわかっているのか、ベアトリスの手に必死に鼻をすりつけ従順さをアピールする。
本当に魔獣なのか疑わしいその姿にユリシーズは苦笑した。
「皇帝陛下に伝えておきましょう。神のしもべがバイコーンを浄化し、服従させたとでも言えば飼育の許可も降りますよ」
「教会が黙っていないのでは?」
「私を誰だと思っているのです? 聖者で枢機卿ですよ。魔獣を浄化し聖獣化させたとでも言えば、聖都でだって飼育できるでしょう」
平然と言ってのけるユリシーズ。その頭に飾られた角帽は、銀糸から金糸に変わっていた。
いずれ彼が教皇になれば、冠全体が金色に変わる。そう遠くない未来、ユリシーズは冠を頂き教会の頂点に立つことになるだろう。本人はあまりそれを望んでいないようだが。
「ユリシーズ様は、聖者よりも詐欺師のほうが向いているのでは?」
「私は貴女とは違い、嘘も方便も得意ですから」
「そのようですね」
「いまのは笑うところですよ」
ほら笑え、と促すような視線に、ベアトリスは真顔ながらじとりとした目で返す。
笑えないとわかっているのに、ユリシーズはたまに意地悪なこと言う。
ベアトリスは嘘が苦手だ。その為演技も下手だった。だが女神の意志を実行する為には、悪役を演じなければならない。
七年前の神託の折、ベアトリスは悩んだ末に感情を封印することを決めた。何も感じない人形になって、悪役のセリフを淡々と口にする。そうしなければ、使命を全う出来なかっただろう。
氷結の姫君という異名はそのベアトリスの努力と苦労の末に生まれたものなのだ。
そして七年のうちに、ベアトリスは表情の作り方を忘れてしまった。もう二度と復活することはないかもしれない。しかしベアトリスは然程気にしていなかった。無事使命は果たされたのだ。女神の祝福の代償と思えばなんていうことはなかった。
「それで、一体何をなさっているのです?」
「未婚の貴族令嬢の身辺調査です」
ベアトリスは眺めていた令嬢たちの調査書と姿絵をひらりと見せた。
国中から集めた、ナイジェルと年齢の近い令嬢たちの情報だ。百名分近くある。
「なるほど……それが次の恩返しですか」
「ええ。どうやらナイジェル卿は、女神のような女性がお好みらしいので」
「女神のような……? それは卿自身がおっしゃられたので?」
「そうです。見た目よりも概念の話のようでしたけれど」
女神のような女性って、どんな方を言うかしら?
至極真面目に聞いたベアトリスに、ユリシーズは目を丸くしたあと噴き出した。
「これは……ははは! そうですか、女神ですか!」
「何がそんなにおかしいのです?」
「いや、失礼いたしました。あまりにもお可愛らしいので、つい」
くつくつと喉を鳴らすユリシーズは、なかなか笑いが治まらない様子。
いつも落ち着きを払う彼にしては珍しい姿だ。
「可愛らしい? ナイジェル卿がですか?」
「ふふ。しかし、女神のような方など、そうこの国の貴族令嬢にいらっしゃるでしょうかね」
笑いを堪えながら、ユリシーズは手近な書類を取り、すぐに興味をなくしたように戻す。
ナイジェルの言う女神のような女性とは、外見のことではないのだろう。恐らく精神的なもの。つまり概念であり、ナイジェルの中の女神像ということだ。
「私は女神の声を聞いただけで外見はわかりませんから……まずは慈善活動に熱心な方や、領民に慕われていると評判の方などを集めようかと。きっとナイジェル卿は、女性の身分について重要視されることはないでしょう。伯爵家の意向もあるでしょうが、平民でも裕福な商家の娘辺りまでは候補に入れようかと」
いざとなれば貴族の養女にしてから結婚、という手もある。とにかく心根の美しい清らかな女性をまず集めなければ。
高潔な黒紫の君の伴侶となる女性だ。慎重に進めなければならない。
「……ベアトリス様は、ご自身が候補になろうとは思わないのですか?」
不意にそんなことを聞かれ、またかとベアトリスはため息をついた。
ユリシーズはベアトリスの答えをわかっているはずなのに。
「私は女神に一生を捧げるので」
「女神の神託に一生を捧げよとの文言はありませんでしたよ」
まるで子どもに言い聞かせるような口調だった。
確かに女神は使命を果たしたあとについて道標を示しはしなかった。ベアトリスが勝手にそれを望み、決めただけに過ぎない。
七年だ。ベアトリスは十から十七歳までの時を神託のために費やしてきた。その間に何か多くを失った気がしている。
恐らく、疲れたのだ。その後の人生を女神に捧げることで、救われたいと思っているのかもしれない。
「……私は女神のような存在ではありませんから」
「頑固ですね。……少なくとも私にとっては、貴女はこの世で女神の次に尊く美しい、特別な女性ですよ」
さらりと口説き文句のようなことを言うユリシーズに目を丸くした。
この七年間、ユリシーズは一番の理解者としてベアトリスの傍にいてくれたが、彼から男性性を感じることは一度としてなかった。中性的な美貌の持ち主なのもあり、兄のようにも姉、いや母のようにも感じることがあったほどだ。
他意はないとわかってはいるが、聖職者という立場から色恋と無縁の印象のユリシーズがこういうことも言えるのだなと驚いた。
「それにしても……これだけ集めてどうするのです? ナイジェル卿にこのままお渡しするので?」
「それだとまた受け取ってはもらえないでしょう。今度はもう少し強引に行こうと思います」
ここまでの失敗の積み重ねでわかった。慎み深いナイジェルは、たとえベアトリスの恩返しが望みのものであったとしても、簡単に受け取りはしないだろう。
だからナイジェルでも受け取らざるを得ないような状況まで持っていくことも重要なのだ。
「ナイジェル卿もお可哀想に……」
「何か言いましたか?」
「いえいえ。ナイジェル卿もきっと泣いて喜ばれることでしょう」
何かを誤魔化すようににっこりと微笑むユリシーズ。その言葉で先日のロックハート伯爵邸でのことが頭に浮かんだ。
伯爵邸を去るとき、懲りずに邸から顔を出したナイジェルの兄が言っていた。
『いよいよ婚約か。きっと父上たちも大層お喜びになるだろうよ』
実の弟に対する明らかな敵意、あるいは嫉妬が表情と言葉尻からにじみ出ていた。
ナイジェルは何も言い返すことなく、ただ黙ってそれを受け止めていたが、伏せられた瞳は傷ついているように見えた。
元悪女は思わずパトリックに再びバイコーンをけしかけそうになり、ナイジェルに止められてしまった。
パトリックに婚約者がいないのは、もしかして性格に難がありすぎてモテないからでは、と一瞬本気で考えたベアトリスだ。真面目で誠実なナイジェルの兄とはとても思えない。
ナイジェルの憂いを払いたいが、あの兄を排除したとしても彼は喜ばないのだろう。
恩返しは神託の使命よりも難しい。しかし必ず果たしてみせる。
(次こそは成功させなければ)
ベアトリスは改めて固く心に誓うのだった。
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