眠れぬ夜の憂鬱
食事を済ませ自室に戻ると、いつの間にか夕日が差し込む時間帯になっていた。夕日はすぐに沈んでしまうので、今のうちに備え付けのランタンに火を灯しておく。
宿に風呂はなく、お湯を準備してもらい濡らしたタオルで体を拭くが物足りなさは否めない。実家にいる頃は使用人の魔法使いが毎日魔法でお風呂を沸かしてくれていたので、不自由なくお風呂に入る事ができた。
しかし、魔法使いの魔法は魔法剣による大魔法とは違い、生活魔法と言われていて、一度に大きなことはできない。お風呂を用意するのも半日がかりの大仕事だ。
まず浴槽に水魔法で水を張るのだけど、1回の魔法ではコップ1杯分の水しか生成できないので根気強く何度も水を作り出し補充する。
浴槽が満杯になったら今度は火魔法でお湯に変えていく、大量の水の温度をあげるのは大変なのでこれも根気のいる作業になる。
適温になったら主人たちが入り終わるまでお湯の管理をし続ける。
主人たちがお風呂に入り終わったら、当然の様に大量の水が消費され、嵩が目減りしている。
翌日はまた減った分の水の補充をして、温め直す。魔法使いの毎日がこの繰り返しである。
僕は雇われ魔法使いをみて、幼いころに父に怒られた理由を理解することができた。
僕達にとってはお風呂を用意してくれるとてもありがたい存在ではあったのだけれど、それと同時に毎日お風呂を準備するだけがこの人の人生なのだと思ったら、居たたまれない気持ちになった。
その時の感情もあり、魔法がもっと便利なものになればいいのにと思い、一度にもっとたくさんの水が作れないか?もっと大きな火を作れないのか?っと隠れて魔法の練習と研究を試行錯誤していた。
その結果、剣を扱えない貴族として不適切の烙印を押され、勘当されてしまってこのような状況に落ちてしまったのだから笑えない。
人手をお風呂の為だけに使うというのは贅沢な事で、一般の家庭や、宿屋ではもちろんこのような贅沢はできない。
窯でお湯を沸かし、沸騰したお湯を桶に注ぎ入れ、水を足して温度調節する。
それを使って濡れタオルで体を拭き取ることで体の汚れを落とすのが精々だ。
今の僕なら、水と火魔法を同時に使い、お湯を生成することもできるのだが、さすがに部屋の中では使用することが出来ない。
体をタオルで拭き取った後は、ぬるくなった桶のお湯をもう一度魔法で温め直し、気休めで足だけ湯につけて楽しむ。
そうこうしている間に部屋は暗くなっており、ランタンからの光が部屋を照らし、足湯に浸かる僕の姿が影絵となり、ユラユラと壁に映し出されていた。
ランタンの油も消耗品だ。いたずらに消費するわけにもいかない。桶を返品して、ランタンの灯りも消す。
もう寝ようとベッドに近寄った時、外から話し声と微かな足音が聞こえたので、窓から外を覗き見る。
外では剣を携えた兵士が巡回しているようだった。恐らく、妖魔の出現を警戒しているのだろう。
妖魔の討伐はこの町を管理している貴族の仕事だけど、四六時中待機しているわけにはいかない。
妖魔の発見と、貴族が到着するまでの時間稼ぎは兵士の仕事だ。
また必要とあれば、貴族を妖魔の攻撃から守るために、その身を投げ出し盾となる事も強いられる。
兵士は決して楽な仕事ではない。
兵士たちが宿屋の前を通り過ぎたのを確認して、ベッドの上に寝転ぶがなかなか眠れず物思いに耽る。
この国の住民は誰でも神石斬りを行う事ができるが、すべての住民が神石斬りをするわけではない。
貴族とあらばそれは必須事項ではあるが、平民は剣に憧れを持つもの、また野心があるものだけだ。
平民でも剣王物語を誰でも知っている。この国がどうやってできたか、国王が持つ剣の意味。
英雄に憧れ、棒切れを拾い剣に見立てて振るう子供は多い。
その中の一握りは我流で剣の技を磨き、魔法剣を授けられるのではないかと夢を見る。
それが叶わないとしてもあわよくば、属性剣が授かりもすれば儲けものだ。
属性剣を持つ事は、すなわち貴族に成り上がれるということだ。落ちぶれた貴族の代わりに町を任されるかもしれないし、新しい町を作る事ができるかもしれない。
ただ、自分だけは特別だと思っても、現実はそう甘くはない。
平民が手にできるものは普通の金属剣である。自分だけの剣それは嬉しいものではあるが、夢を見た分落胆は隠せない。
夢から覚めても剣を振るう以外に何もできないので兵士となる。
兵士の仕事と言えば普段は、ごくまれに迷い込む魔物の対処だ。大体は追い返すだけでいいので大事には至らない。
しかし、妖魔が現れると事情は違ってくる。妖魔とは確実に戦闘があり、兵士の何人かは確実に死ぬ。
外を巡回している兵士の内心はどうだろうか?
出来ることなら自分が巡回している時に妖魔が現れませんようにと願っているのではないだろうか?それとも鍛え上げた剣が試せる時がきたと意気揚々としているのだろうか?
暗闇に中を歩く彼らの表情までは窺う事ができなかった。
……彼らの何人が純粋に兵士になって町を守りたいと志したのだろうか。
不意にジグが投げかけた「小僧は何者になるつもりだ」という問いかけが頭の中で繰り返される。僕はまだその答えを出せずにいた。
僕は魔法使いになりたいわけでも、兵士になりたいわけでもなかった。
彼らも望んでなりたかったわけではないのかもしれない、僕もいつかは、なりたくないものにならないといけないのかもしれない。
みんなはどうやって折り合いをつけているのだろうか?
まとまらない考えを、答えもだせないままいつの間にか眠りについてしまっていた。
僕のインテリジェンスソードは、よくもまぁ一番答えにくい質問をしてくれたものだ。




