Lento被害者の会
―――白瀬こより視点―――
『はじめまして、未来』の公開から1か月が過ぎ、白瀬こよりの生活には以前では考えられなかった数字が並ぶようになっていた。チャンネル登録者は23万人を越え、普段の配信にも数千人が集まり、歌枠を開けばさらに多くの視聴者が訪れる。それでも平日の朝になれば会社へ向かい、帰宅して夕食と風呂を済ませてから配信準備をする生活そのものは変わっていない。
そんなある日の夜、配信を終えたこよりは活動用のメールを確認していた。
以前なら数日に1件届けば多い方だった連絡も、今では企業からの案件相談やコラボの誘い、イベント出演の打診などが毎日のように届く。そのすべてを受けるつもりはなく、興味のある内容だけを確認しながら慎重に返事をすることにも、少しずつ慣れてきていた。
その中に、見覚えのある名前を見つけた。
「……え?」
思わずマウスを動かす手が止まる。
差出人は企業の担当者ではなく、VTuber本人だった。
【星乃ミナ】
「いやいやいや……」
名前を見間違えたのだと思い、こよりは一度メール一覧へ戻った。それからもう一度開いてみたが、当然ながら差出人は変わっていない。
星乃ミナ。
青と白を基調にした姿で活動する企業所属VTuberで、登録者は自分より遥かに多い。何より、こよりが活動を始める前から普通に見ていた配信者の1人だった。
そして、もう1つ共通点がある。
Lentoから『また明日』という曲を提供されている。
こよりは緊張しながら本文を読み始めた。
【突然のご連絡失礼します。星乃ミナです。『はじめまして、未来』、公開されてから何度も聞いています。こよりさんの声にすごく合っていて、特に2番の歌詞が大好きです。】
そこまでは、まだ感想だった。
問題はその続きだった。
【もしご迷惑でなければ、一度配信でご一緒しませんか? 歌でも雑談でも大丈夫です。私も以前Lentoさんに曲を書いていただいたので、その辺りのお話もできたら楽しそうだなと思っています。】
「…………」
こよりは最後まで読み終えたあと、椅子へ深く座り直した。
少し前までなら、Lentoから連絡が来た時と同じように偽物を疑っていたかもしれない。しかし今回は正式な連絡先も確認でき、何より『はじめまして、未来』が公開されてから、ミナ本人が曲について触れていたことも知っている。
「コラボ……星乃ミナさんと?」
口に出すと、余計に現実感がなくなった。
登録者が23万人まで増えたといっても、こより自身の感覚はまだ数か月前から大きく変わっていない。会社員として働きながら配信を始め、数十人の視聴者と話していたところへLentoが現れ、気づけば自分の知らない場所まで運ばれていたような感覚が残っている。
だからこそ、ここで無理に格好をつけることはやめた。
【お誘いありがとうございます。ぜひお願いします。ただ、私がかなり緊張すると思うので、その点だけ先に謝っておきます。】
送信してから10分もしないうちに返事が届いた。
【大丈夫です! 私も最初にLentoさんから連絡が来た時は緊張したので、一緒です!】
「絶対、一緒じゃないと思う……」
それでも、少しだけ肩の力が抜けた。
◇ ◇ ◇
それから日程や配信内容を相談し、コラボは2週間後の土曜日に決まった。
内容は前半が雑談、後半が歌枠という比較的シンプルなものだった。事前に用意した企画を次々と消化するのではなく、Lentoから楽曲提供を受けた2人だからこそ話せる制作の思い出や、それぞれの活動について話す時間を多めに取ることになった。
そして当日の午後7時55分。
こよりは自室でマイクを確認しながら、既に数万人が待機している配信画面を見つめていた。
『こよりちゃん、大丈夫?』
「大丈夫じゃないです」
『正直でいいね』
「ミナさん、なんでそんな普通なんですか?」
『私のチャンネルでやるコラボじゃないし、今日はこよりちゃんのところに遊びに来ただけだから』
「その言い方が一番緊張するんですけど……」
今回の配信は、こよりのチャンネルで行うことになっていた。
ミナの方が遥かに活動歴も長く、登録者も多い。それでもミナ自身が「今回は私が遊びに行く側がいい」と希望したため、『はじめまして、未来』からこよりを知った視聴者にも自然な形で届けられるよう、こちらで配信することになった。
午後8時。
こよりは覚悟を決め、配信を開始した。
『こんばんは、白瀬こよりです。今日はですね……私が活動を始める前から普通に見ていた人が隣にいます。意味が分かりません』
『こんばんはー! 星乃ミナです! こよりちゃん、今日はよろしくお願いします!』
【ミナきたあああ】
【こより緊張しすぎてて草】
【声がもう硬い】
【Lento楽曲組だ】
【はじめまして未来から来ました】
【また明日も好き】
コメント欄が普段以上の速度で流れていく。
こよりは最初こそ緊張していたが、ミナが積極的に話題を振ってくれるため、10分も経つ頃には少しずつ普段の調子を取り戻していた。
『そういえば、こよりちゃんって私の配信見てたんだよね?』
「はい。活動始める前から見てました」
『嬉しい! 何見てた?』
「ゲーム配信とか雑談ですね。歌枠も見てました」
『じゃあ『また明日』も知ってた?』
「もちろんです。だからLentoさんから最初に連絡が来た時、頭の中にミナさんの名前も浮かびました」
『あー、分かる! Lentoさんからメール来ると怖いよね』
「ミナさんも怖かったんですか?」
『怖いっていうか、緊張した。私の時は事務所経由だったから、こよりちゃんみたいに詐欺を疑う必要はなかったけど』
「そこ全然一緒じゃないじゃないですか!」
【草】
【やっぱり違う】
【企業勢の安心感】
【こよりは直メールだったの強い】
【活動2週間にLento直メールは普通に怖い】
コメント欄の反応に、ミナも笑っている。
そこから自然に話題は楽曲制作へ移った。
『私、『はじめまして、未来』を聞いた時に、すぐこよりちゃん用の曲だと思ったんだよね』
「実は逆なんですよ。最初に曲があって、そのあとLentoさんが歌う人を探してたらしいです」
『えっ、そうなの!?』
「私も最初に聞いた時びっくりしました。何人か探して、私の声が一番合うと思ったって言われました」
『それ嬉しいねえ』
「嬉しかったですけど、そのあと3か月めちゃくちゃ録音しました」
『ああ……』
ミナの声色が変わった。
妙に納得したような反応だった。
「その反応、何ですか?」
『分かるなあと思って』
「ミナさんもですか?」
『私も『また明日』の時、かなり細かく言われたよ。音程が違うとかじゃなくて、ここは配信が終わったあとみたいに歌ってとか、今の声だとまだ人前にいる感じがするとか』
「それです! 私なんて『まだ歌手になろうとしてます』って言われましたからね!」
『何それ!』
「歌の録音してるのにですよ!? ちゃんと歌おうとしたら、歌手になろうとしないでくださいって!」
『あはははは!』
ミナが声を上げて笑い、コメント欄も一気に加速した。
【Lento被害者の会】
【被害者2名集合】
【歌手になるなは草】
【Lentoのディレクション独特すぎる】
【ミナも被害者だった】
【本人呼んで反論させろ】
『ちょっと待って、コメントにLento被害者の会って書かれてる』
「本当だ……。でもこれ、私たち被害者なんですか?」
『3か月録音させられたんでしょ?』
「でも曲は好きです」
『私も『また明日』大好きだよ』
「じゃあ被害者じゃないですよ」
『解散早いなあ』
【結成30秒で解散】
【仲良しかよ】
【被害者の会、本人たちが擁護し始めた】
【Lento強火ファンの会では?】
こよりも笑いながらコメントを追っていた。
少し前まで、自分が星乃ミナとこんな会話をするとは想像もしていなかった。けれどLentoという共通点があるおかげで、活動歴も規模も違う2人の間に自然な話題が生まれている。
その後も制作中の思い出を話しながら、前半の雑談は予定していた1時間を少し越えて続いた。
◇ ◇ ◇
後半の歌枠では、それぞれが自分の曲を歌うだけではなく、相手の曲も一部歌うことになっていた。
最初にこよりが『また明日』を歌う。
星乃ミナのために作られた曲なので、当然ながらこよりが歌えば印象は大きく変わる。ミナの明るさと柔らかさを前提にした旋律を、こよりの透明感のある声で歌うと、同じ曲でも少し静かな夜の歌に聞こえた。
『うわあ、全然違う!』
「難しいです、この曲。ミナさんが歌うともっと自然なのに」
『でも好き! こよりちゃんが歌うと寝る前に聞きたい感じになるね』
続いてミナが『はじめまして、未来』を歌う。
こちらも違いは明確だった。
ミナの方が歌唱経験は豊富で、声量も安定している。それでも、こよりが歌った時にあった「今から初めて外へ声を出す人」の不安定さは薄くなり、代わりに少し先を歩く人間が背中を押すような歌へ変わっていた。
『これ難しいね。上手く歌おうとすると違うって意味、歌ってみたら分かる』
「でしょう?」
『こよりちゃんの方が合ってる。悔しいけど』
「そこは素直に喜んでいいんですか?」
『いいよ。だってこよりちゃんの曲だもん』
その一言を聞いて、こよりは少しだけ黙った。
Lentoにも似たことを言われた。
最初は〈39〉から生まれた曲だったとしても、3か月かけて自分の声へ合わせ、歌詞まで変えた結果、今では白瀬こよりの曲になっている。
「……ありがとうございます」
『急に真面目になった』
「いい話だったから!」
【急に照れるこより】
【でも本当にこよりの曲だと思う】
【ミナ版もいいけど意味が変わるな】
【歌う人で曲ってこんな変わるんだ】
歌枠の最後には、2人で『また明日』を歌った。
事前に簡単なパート分けをしていたため、ミナが主旋律を担当し、こよりは一部のハーモニーと2番の数フレーズを受け持つ。異なる声質が重なると、1人で歌っていた時にはなかった奥行きが生まれた。
こよりは歌いながら、その感覚が少し面白いと思った。
1人で歌う時とは違う。
相手がいるから、自分が歌わない場所にも意味が生まれる。
◇ ◇ ◇
2時間を越えたコラボ配信が終わったあとも、2人はすぐに通話を切らなかった。
「ありがとうございました。本当に楽しかったです」
『こっちこそ! またやろうね』
「ぜひお願いします。次はもう少し緊張しないと思います」
『今日も途中から普通だったよ。最初だけ声カチカチだったけど』
「忘れてください」
『アーカイブ残るけど』
「消せないじゃないですか!」
2人で笑う。
そのまま少し雑談を続けていると、ミナがふと思い出したように声を上げた。
『ねえ、こよりちゃん』
「はい?」
『今日、一緒に歌ってみてどうだった?』
「楽しかったですよ。自分が歌ってないところでも相手の声があるの、1人の時と全然違いました」
『私もそう思った』
ミナの声が少しだけ真面目になる。
『私、今までオリジナル曲って基本1人で歌うものだと思ってたんだけど、誰かと一緒の曲もやってみたいなって最近思ってて』
「デュエットですか?」
『完全な半分ずつじゃなくてもいいんだけどね。1人が中心にいて、もう1人が返事するみたいな曲』
こよりは先ほどの歌枠を思い出した。
ミナが歌い、自分が後ろから声を重ねる。
自分が歌い終えたあとに、ミナの声が続く。
確かに、1人では作れない形だった。
「いいと思います。Lentoさんに頼んでみたらどうですか?」
『やっぱりそう思う?』
「絶対好きそうじゃないですか。歌う人によって曲変えるの」
『だよねえ』
ミナが楽しそうに笑った。
『実は、ちょっと考えてる人がいるんだ』
「私ですか?」
『こよりちゃんもいつかやりたいけど、今回は違うかな』
「違うんだ……」
『そんな露骨に残念そうな声出さないでよ!』
「いや、流れ的にそうかなって!」
『ごめんごめん。でも、こよりちゃんとは今度ちゃんと別で歌いたい』
「約束ですよ?」
『約束。で、今回考えてるのは同じ事務所の人』
そこで初めて、こよりも興味を持った。
「誰ですか?」
『黒瀬レイって知ってる?』
「もちろん知ってます」
知らない方が珍しい。
黒瀬レイはミナと同じ事務所に所属する男性VTuberで、登録者は46万人を越えている。ゲーム配信や雑談を中心に活動しているが、歌動画も定期的に投稿しており、もうすぐ活動3周年を迎えるはずだった。
『レイ先輩、もうすぐ3周年なんだよね。それで周年曲を作る話が事務所で出てるんだけど、本人が派手なお祝いソングはちょっと違うって言ってて』
「なるほど」
『3年間ずっと楽しかったわけじゃないし、辞めようかなって思った時期もあったらしいの。でも結局まだ続けてて、今も配信してる』
「それを曲にする?」
『できないかなって』
こよりは少し考えた。
3年間続けてきた人。
そして、その隣から声を返す人。
「それ、Lentoさん好きそうですね」
『やっぱり?』
「私の時も、最初のコメントがどうとか、そういうところ拾って曲にしてましたから」
『じゃあ、相談してみようかな』
「してください。私も聞きたいです」
『まだ作ってもらえるか分かんないよ?』
「Lentoさんなら、まず配信めちゃくちゃ見ると思います」
『あー……やりそう』
2人は顔を合わせていないのに、同時に笑った。
コラボ配信をしただけだった。
最初は、それだけの予定だった。
けれど誰かと一緒に歌ったことで、ミナの中に新しい曲の形が生まれたらしい。
こよりは少しだけ不思議な気持ちになった。
3か月前、Lentoから1通のメールが届いた。
そこから『はじめまして、未来』が生まれ、その曲を聞いたミナが自分へ連絡してきた。そして今日、一緒に歌ったことが、まだ存在しない次の曲へつながろうとしている。
音楽は、完成したところで終わるわけではないのかもしれない。
◇ ◇ ◇
―――隼人視点―――
翌日の午後、隼人は大学の図書館で課題を終え、帰宅する前にスマートフォンを確認した。
星乃ミナからメッセージが届いている。
【Lentoさん、こんにちは! 昨日こよりちゃんとコラボしたんですけど、少し相談したいことがあります。】
「昨日のやつか」
コラボが行われていたことは知っていた。
まだアーカイブを全部は見ていないが、SNSでは昨夜から妙な言葉が何度も流れてきている。
【Lento被害者の会】
最初に見た時は何事かと思った。
内容を確認してみれば、自分のディレクションについてミナとこよりが話し、視聴者が勝手に名前を付けただけらしい。
「被害者って……」
苦笑しながらメッセージを開く。
【コラボで一緒に歌ってみたら、1人が歌ってもう1人が返すような曲をやってみたくなりました。私の事務所にもうすぐ3周年の先輩がいるので、その人をメインにして、私が少し参加する曲って作れませんか?】
その下には、対象となる人物の名前が書かれていた。
【黒瀬レイ】
隼人にも名前くらいは分かる。
ただし、歌を何曲か聞いたことがある程度で、普段どのような配信をしているのかまでは知らなかった。
さらにミナから補足が続く。
【レイ先輩は3年間ずっと順調だったわけじゃなくて、活動を辞めようと思った時期もあったそうです。でも今も続けています。派手に3周年を祝う曲より、「それでもまだここにいる」みたいな曲がいいんじゃないかって話してます。】
隼人はそこで指を止めた。
「それでも、まだここにいる……か」
少しだけ気になる。
すぐに曲が浮かんだわけではない。
それでも、確認してみたいと思った。
隼人は返信欄を開いた。
【まず黒瀬レイさんの配信と歌を見てみます。曲が作れそうなら、改めて相談させてください。】
数分後、ミナから返事が届く。
【ありがとうございます! レイ先輩にも伝えておきます!】
隼人はスマートフォンをしまい、その日はそのまま帰宅した。
夕食と風呂を済ませ、大学の課題が残っていないことを確認してからパソコンを開く。
検索欄へ名前を入力した。
【黒瀬レイ】
チャンネル登録者は46万人を越えている。
最新の配信だけを見るつもりはなかった。デビュー直後の動画、1周年や2周年の配信、歌動画、雑談、視聴者との距離感が分かる企画まで、時間をかけて確認する必要がある。
隼人はまず、3年前の初配信を開いた。
現在より少し高く、緊張の残る男の声が聞こえてくる。
『初めまして、黒瀬レイです。今日からここで活動していきます』
今では46万人に知られている声にも、最初の日はあった。
隼人は制作ノートを開き、動画を最初から再生し直した。




