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リプレイ・ミュージック ―35歳、もう一度だけ夢を見る―  作者: にゅん


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25/43

夜を連れて

 Mioへ『灯りを消す前に』を提供してからも、隼人の生活そのものは大きく変わらなかった。大学へ通って講義を受け、友人と学食で昼食を食べ、帰宅すれば家族と夕食を囲む。そのあとに時間が残っていれば音楽を作るという生活は、Lentoの登録者が70万人を越えても崩していない。


 ただし、自室で制作ソフトを開いた時だけは、以前との違いをはっきり感じるようになっていた。高校3年生だった頃は、頭の中にある音を実際の曲へ落とし込むだけでも何度も迷い、1つの音を決めるために長い時間を使うことも珍しくなかった。


 現在作っている曲には、最初から見本となる完成形が存在しない。依頼されたものでもなく、誰か特定の歌手へ提供する予定もなければ、テレビアニメの映像へ合わせる必要もない。隼人が自分で聞きたいと思い、自分で歌いたいと思ったことだけが、制作を始めた理由だった。


「もう少し速くてもいいか。今のままだと、ちょっと安全すぎるな」


 夜の自室で、隼人はイントロ部分を何度目か分からないほど聞き直した。最初に作ったものも悪くはなく、電子音の上へギターを重ね、低いベースとドラムで前へ進ませる構成は、これまでのLentoには少なかった方向性として成立している。


 しかし、どこか安全だった。『余白の先へ』や『帰らない季節』を作った人間が、少しだけテンポの速い曲へ挑戦しましたという程度に収まっている。それでは新しく自分で作る意味が薄いと感じ、隼人は数日かけて作ったイントロを一度崩すことにした。


 ドラムの組み方を変え、ギターをさらに前へ出す。電子音も背景へ置くだけではなく、ギターと互いを追いかけるように配置し、テンポも少し上げた。そこまで変更して最初から再生すると、ようやく曲全体が夜の道路を走り始めたような感覚が生まれる。


「うん。こっちだな」


 今度はそのままAメロへ進めた。イントロの勢いを維持するのではなく、一度だけ音数を減らして自分の声を前へ出し、そこから少しずつ楽器を戻してサビへつなげる。速い曲だからといって最初から最後まで押し続ければ、聞く側が息をつける場所まで失ってしまう。


 芸能の加護も、制作中の細かな違和感を拾ってくれる。ただし答えそのものが頭へ流れ込んでくるわけではなく、この音は少し邪魔だ、ここでは声を前へ出した方がいい、この旋律ならもう少し低い位置から始めた方が自分に合う、といった判断を後押ししてくれる程度だった。


 そして、その感覚を実際の音へ変えるのは隼人自身だった。何度も試し、失敗した音を消し、別の音へ置き換える。その繰り返しに近道はなかったが、以前と違って試行錯誤そのものを面倒だとは感じなくなっている。


     ◇ ◇ ◇


 制作を始めてから3週間が経っても、曲は完成しなかった。途中まで作っては戻り、歌詞を書いては消し、特にサビの言葉だけは何度考えてもしっくりこない。隼人は大学の空き時間にも制作ノートを開き、頭の中にある景色を文章へ落としていた。


 昼休み、友人たちと学食で食事を済ませたあと、次の講義まで40分ほど時間が空いた。大学構内のベンチへ座った隼人は、昨日までに書き溜めた文章を読み返していく。


 曲の中にあるのは夜の街だった。ただし賑やかな繁華街ではなく、終電が近づき、店の灯りが少しずつ消え始める時間帯を想像している。仕事を終えた人や友人と別れた人が、それぞれ自分の家へ戻っていく中を、主人公も1人で歩いていた。


 寂しいわけではないし、何かから逃げているわけでもない。今日あったことを無かったことにして朝を待つのではなく、良かったことも失敗したことも抱えたまま、その夜ごと次の場所へ持っていく。


 ノートには、既に曲の中心になる考えが残されていた。


【朝が来るから大丈夫、とは言わない。夜を越えろ、とも言わない。暗いなら暗いまま歩けばいい。それでも、自分の足は前へ出せる。】


 方向性は悪くない。ただ、曲全体をまとめる最後の言葉だけが、まだ見つかっていなかった。


「立花、何書いてんの?」


 突然横から声を掛けられ、隼人は反射的にノートを閉じた。顔を上げると、昼食まで一緒だった友人が飲み物を片手に立っている。


「うわ、びっくりした。急に後ろから覗くなよ」


「そんなに隠す? もしかしてポエム?」


「お前、場合によっては殴るぞ」


「図星じゃん」


 友人が笑いながら隣へ座り、隼人も苦笑した。完全に間違っているわけではなく、歌詞だけを抜き出して読めば、かなりの割合でポエムと呼ばれても否定できない。


「そういえばさ、Lento本人の新曲ってまだかな。この前Mioって人に曲は出してたけど、本人が歌ってるやつは『帰らない季節』から結構経ったじゃん」


「忙しいんじゃない? 曲以外にも普通の生活くらいあるだろうし」


「顔も出さないし配信もしないから、普段何やってるのか全然分からないんだよな」


「大学で友達に新曲まだかって急かされてる可能性もあるぞ」


「何だよ、その妙に限定的な状況」


「適当に言っただけ」


 友人は特に疑うこともなく笑い、スマートフォンを取り出して別の話題へ移った。隼人も閉じた制作ノートを鞄へ戻しながら、本人だと知らずに新曲を待っている人間がすぐ隣にいる状況を、少しだけ面白く感じていた。


 Lentoの登録者数は大きくなったし、再生回数も高校時代には想像できなかったところまで伸びている。それでも、その数字の中にこうして自分が直接知っている1人がいると思えば、画面上の数字にも急に人間らしい輪郭が生まれる。


 顔も名前も知らない100万人という数字より、「次の曲まだかな」と言っている友人1人の方が、今の隼人には不思議と実感しやすかった。


     ◇ ◇ ◇


 曲名が決まったのは、その日の帰宅途中だった。


 駅を出ると既に日は沈み、秋から冬へ近づいた空には夕方の明るさがほとんど残っていない。駅前には仕事帰りの人が多く、車道を走る車のライトが一定の間隔で隼人の横を通り過ぎていく。


 イヤホンからは作りかけの音源が流れていた。速いリズムに合わせて歩いているうちに、これまで別々だった言葉が少しずつ1つへまとまっていく。夜を抜けるのではなく、夜から逃げるのでもなく、朝が来ることに救ってもらう必要もない。


 今日あったことを、そのまま持って帰ればいい。失敗したことも、楽しかったことも、言えなかったことも、全部今日の自分の一部として連れていく。


「……『夜を連れて』か」


 小さく口にすると、それまで何週間も見つからなかった言葉が自然に収まった。


 帰宅した隼人は夕食を済ませてから制作ノートを開き、新しいページの上部へ曲名を書く。その下には、夜から逃げる歌ではなく、朝を待つ歌でもなく、今日という時間を捨てずに次へ持っていく曲だと記した。


【『夜を連れて』】


【夜を抜けるのではなく、今日の夜ごと連れて歩く。明るくなることを答えにせず、暗い場所でも自分の足で次へ進める曲にする。】


 タイトルが決まると、不思議なほど歌詞も動き始めた。


 必要だったのは、大きな希望ではない。


 今いる場所が暗くても、自分の足で歩けるという感覚だった。


     ◇ ◇ ◇


 それから約1か月、隼人は大学生活を優先しながら『夜を連れて』を何度も作り直した。試験や課題が重なる日は音楽に触れず、友人との予定がある日も普通に出掛ける。その代わり、制作すると決めた時間には余計なことをせず、目の前の曲だけへ集中した。


 最初のバージョンからドラムは3回作り直し、ギターの録音も何度もやり直している。仮歌も録るたびに細かな問題が見つかり、特にサビではこれまでのLentoより明確に声を前へ出す必要があった。


 『帰らない季節』のように余白へ感情を残す歌い方では、今回の速い伴奏に声が埋もれてしまう。しかし、大声で押し切れば曲の雰囲気そのものが変わってしまうため、隼人は自分自身を1人の歌手として分析することにした。


 星乃ミナの声を調べた時と同じように、NagiやMioへ曲を書いた時と同じように、自分の得意な音域や声質、息の使い方を客観的に確認していく。以前なら感覚だけで済ませていた部分まで細かく見ると、自分の声だからこそ選択肢が多すぎることにも気づいた。


「俺に曲書くの、意外と面倒だな」


 高く歌うこともできるし、強く出すこともできる。逆に音量を落として感情を残す方法も知っている。できることが増えたからこそ、今回は何をしないのかまで決めなければ、全部を詰め込んだだけの曲になってしまう。


 最終的に隼人が選んだのは、技巧を見せる歌い方ではなかった。Aメロでは歩くように言葉を置き、サビへ入ったところで一段だけ速度を上げる。高音を長く伸ばして盛り上げるのではなく、言葉そのものをリズムへ乗せて前へ運ぶ。


 何度か録音しているうちに、隼人の頭には客席の光景が浮かぶようになっていた。


 この曲は、ライブで歌えば面白い。


 最初の人生では何度もステージへ立った。客が10人しかいない日もあれば、対バン相手の客しか残っていない日もあったが、それでもアンプから音が出て、目の前に誰かがいる場所で歌うこと自体は好きだった。


 2度目の人生では、まだ一度もステージへ立っていない。Lentoは顔を公開しておらず、今のところライブをする予定もない。それでも今回だけは、完成していく曲の向こう側に、まだ存在しない客席が何度も浮かんだ。


     ◇ ◇ ◇


 完成が見え始めた頃、隼人はジャケット制作を依頼するため紗月へ連絡した。


『また新曲? 最近かなり作ってない?』


「大学生活優先してるから大丈夫。ちゃんと遊んでるし、課題も今のところ落としてない」


『自信満々に言う基準じゃない気もするけど。とりあえず曲聞かせて』


「送った。今回は今までと結構違うよ」


 完成に近い音源を共有すると、数分ほどして紗月から再び連絡が来た。


『これ、本当に隼人が作ったの?』


「失礼すぎない?」


『そういう意味じゃないって。今までよりかなり速いし、雰囲気も違うから驚いただけ』


「最近、人の声に合わせて作ることが多かったからさ。今回は久しぶりに、最初から自分が歌いたい曲を作ってみた」


『へえ……なんか、前より作曲家っぽくなったね』


「前から作曲家なんだけど」


『高校の頃は、もっと1曲作るたびに大仕事してる感じだったじゃん。今は普通に次の曲が出てくるから、そこが違う』


 高校3年生の頃からジャケット制作を頼んできた紗月だからこそ、以前との違いが分かるのだろう。最初の頃は1曲を公開するだけでも何か月も準備し、完成直前まで細かな修正を繰り返していた。


「まあ、前よりは作れるようになったと思うよ。人に曲を書くようになったのも結構大きいかも」


『ミナさんとかNagiさんとかMioさん?』


「そう。自分と違う声に合わせて考えると、嫌でも作り方増えるからね」


『なるほどね。それで、ジャケットはどうするの?』


 隼人は曲の話を切り上げ、今回描いてほしい景色を説明した。


 夜の街。


 人物は必要ない。


 車道の光と、それを反射するアスファルトがある。


 紗月から道路の先に朝焼けを入れる案も出たが、それだけは断った。


「最後まで夜でいいんだ。この曲、朝が来るから前向きになる話じゃないから」


『じゃあ夜のまま、道だけが先まで続いてる感じ?』


「それが一番近い」


『分かった。ちょっと作ってみる』


 数日後に届いたラフには、夜の道路が遠くまで続いていた。街灯や車のライトがあるため真っ暗ではないが、空には朝の気配がなく、どこまで進んでも夜が続いているように見える。


 それでも、不思議と暗い絵ではなかった。


 隼人はほとんど修正を頼まず、その案で仕上げてもらうことにした。


     ◇ ◇ ◇


 完成した音源を最初から最後まで通して確認したのは、制作を始めてから約2か月後だった。


 隼人はヘッドホンを着け、自室の照明を少し落として再生する。イントロからギターと電子音が互いを追いかけ、その下ではドラムが一定の速度で前へ進む。Aメロへ入ると一度だけ音数が減り、そこから再び楽器が重なってサビへ広がっていった。


 速い。それでも、明るすぎない。


 最後のサビが終わっても朝日は昇らず、イントロと同じ音の一部を残したまま曲が終わる。夜を克服したわけでも、何か大きな答えを見つけたわけでもないが、それでも最初にいた場所から少しだけ前へ進んでいる。


 最後の余韻が消えても、隼人はすぐに再生し直さなかった。


「……できたな。これは、もういいだろ」


 誰かの要望へ近づけたのではない。


 自分が最初から作り、何度も壊し、最後には自分の判断だけで完成だと決めた。


 隼人は制作ノートへ今回の記録を書き込む。


【『夜を連れて』は、作詞・作曲・歌唱のすべてをLento名義で制作する。依頼された曲でも提供曲でもなく、自分が作りたいと思ったことだけを理由に、最初の旋律から完成まで自分で組み上げた。】


 文章にしてみれば、ずいぶん単純だった。


 けれど、その単純な理由だけで1曲を最後まで完成させられたことが、今の隼人には嬉しかった。


     ◇ ◇ ◇


 公開日は2週間後の金曜日に決めた。


 事前告知をすると、Lento本人が歌う新曲としては『帰らない季節』以来ということもあり、予想以上に大きな反応が集まった。今回はテレビアニメとのタイアップでもなく、誰かとのコラボでもない完全なオリジナル曲だったため、これまでのどの曲に近いのか予想する投稿も増えている。


 金曜日の午後8時、予定通り動画を公開する。


【Lento『夜を連れて』】


 隼人は自室で管理画面を開いたものの、数秒ごとに更新するようなことはしなかった。高校時代より数字に慣れたこともあるが、今回はそれ以上に、自分で最後まで作り切ったという満足感の方が大きい。


 それでも、気にならないわけではなかった。


「まあ、見るけどな」


 誰に言い訳するでもなく呟き、公開10分のところで管理画面を更新する。


【公開10分 再生回数 68,417回】


「……速いな」


 『帰らない季節』で増えた登録者が、そのまま初動へ現れている。30分後には17万回を越え、コメント欄にもこれまでのLentoとは少し違う曲調へ驚く感想が次々と書き込まれていた。


【最初から勢いあってびっくりしたけど、歌詞はちゃんとLentoだった。】


【『帰らない季節』から来たから静かな曲の人だと思ってた。こういうのも作れるのか。】


【朝が来るまで耐えようじゃなくて、夜ごと連れて歩くって考え方が好き。】


【これイヤホンでもいいけど、ライブで聞いたら絶対楽しいやつだろ。】


 最後の感想に、隼人の指が止まった。


 制作中にも何度か考えていた。この曲は、客席がある場所で歌えば面白い。


 最初の人生では何度もステージへ立ち、上手くいかなかった日まで含めて、その時間自体は好きだった。


「ライブ、か」


 今すぐやりたいとは思わない。


 それでも、以前なら完全に切り離していた選択肢が、ほんの少しだけ近くなった気がした。


     ◇ ◇ ◇


 翌朝、『夜を連れて』は再生回数742,861回まで伸びていた。


 隼人は朝食を食べながら活動用のスマートフォンを確認し、向かいに座っていた美智子からすぐに注意される。


「食事中くらいスマホ置きなさい。昨日の夜から何回見てるの?」


「そんなに見てないよ」


「夜中にも見てたでしょう」


「……少しだけ」


「隼人」


「はい、置きます」


 素直にスマートフォンを伏せると、父が向かい側で笑った。


「今回の曲は、いつもより気になるのか?」


「まあね。最初に思いついたところから、全部自分で組み立てた曲だから」


「俺は今回の曲、かなり好きだぞ。車で聞きたい」


「運転中にテンション上がりすぎないでよ」


「そこまで若くない」


 そんな話をしながら朝食を終える。公開翌日でも家の中はいつも通りで、再生回数が70万を越えていても食器は自分で片づける。


 それくらいの距離が、隼人にはちょうどよかった。


     ◇ ◇ ◇


 公開から1週間で、『夜を連れて』はさらに大きく伸びた。


【公開7日 再生回数 4,862,741回】


【Lento チャンネル登録者 782,614人】


 テレビアニメとのタイアップはなく、有名な歌手やVTuberとのコラボでもない。それでも公開4日目あたりから、配信や短い動画で曲を紹介する人が増え始め、サビの疾走感を気に入った視聴者が夜のドライブやランニングで聞く曲として紹介する投稿も現れていた。


 星乃ミナからは、公開翌日にメッセージが届いている。


【こういう曲も作れるんですね。歌ってみたいです。】


 隼人が【かなりキー高いですよ】と返すと、すぐに【下げます】と返ってきたため、思わず笑ってしまった。


 Nagiからは【自分には無理です。でも好きです】という短い感想が届き、Mioからは【これ、私に歌わせる気は最初からなかったですよね?】と確認された。


【最初から俺用です。】


【安心しました。サビで死ぬところでした。】


 提供した相手たちが、自分の新曲を普通に聞き、感想を送ってくる。隼人はその関係を少し不思議に感じながらも、居心地が悪いとは思わなかった。


 誰かを集めてグループを作ったわけではない。それぞれが別の生活と活動を持ったまま、曲を作った時だけ少しつながっている。


 今の自分には、そのくらいが合っていた。


     ◇ ◇ ◇


 公開から1か月が経過しても、『夜を連れて』の伸びは大きく鈍らなかった。


【公開30日 再生回数 18,746,382回】


【Lento チャンネル登録者 914,627人】


 『帰らない季節』のようにテレビアニメの放送日ごとに大きく伸びる形ではなく、毎日安定して再生数が積み上がっている。過去曲への流入も再び増え、『余白の先へ』しか知らなかった人が『青のコンパス』まで遡るような動きも目立っていた。


 ネット上では、静かな曲を作る人だと思っていたという感想に対して、昔から聞いている視聴者が「『青のコンパス』を聞けば意外でもない」と返すやり取りも増えている。


 そして何より、ライブで聞きたいという声が多かった。


 隼人はまだ何も答えない。


 今はただ、曲の行方を見ていたかった。


     ◇ ◇ ◇


 公開から2か月を過ぎた頃、『夜を連れて』は3,000万回を突破した。それだけでも『帰らない季節』に並ぶ規模だったが、数字はそこで止まらず、公開から3か月が近づいても毎日かなりの再生数を積み上げていった。


 そして公開89日目、大学の講義を終えて帰宅した隼人は、夕食前に自室で管理画面を開いた。


【『夜を連れて』】


【公開89日 再生回数 50,137,428回】


【Lento チャンネル登録者 1,126,847人】


 隼人はしばらく画面を見つめた。


「……5,000万、行ったのか」


 『帰らない季節』を越えた。


 しかも今回は、最初の旋律から歌詞、編曲、歌唱まで、自分の判断だけで作り上げた曲だった。


 嬉しいという感情はもちろんある。


 それ以上に、胸の奥で長い間引っ掛かっていたものが、ようやく外れたような感覚があった。


 神様から与えられたものが、ここまで来るための大きなきっかけだったことは変わらない。最初の〈12〉から始まり、〈14〉や〈18〉、〈22〉、そして〈35〉まで、隼人は自分1人では作れなかった曲と何度も向き合ってきた。


 ただ、その過程で覚えたものまで消えるわけではない。


 録音を失敗した経験も、ミックスで悩んだ時間も、自分の声に合う歌い方を探した時間も残っている。星乃ミナ、Nagi、Mioという異なる声へ曲を書いた経験も、すべて隼人自身の技術として積み重なっていた。


 そして今、その積み重ねだけで作った曲が5,000万回まで届いた。


 隼人は制作ノートを開き、『夜を連れて』のページへ現在の数字を書き足した。


【『夜を連れて』は、作詞・作曲・歌唱のすべてをLento名義で制作。公開89日で再生回数50,137,428回へ到達した。】


 そこまで書いてから、ペンを止める。


 続けて書きたい言葉は、既に決まっていた。


【自分だけでも、ここまで行ける。】


 短い文章だった。


 それでも隼人にとっては、5,000万という数字そのものより大きな意味を持っていた。


 与えられたものを否定する必要はない。


 そこから始まったことも、自分の力だけでここまで来たわけではないことも、隼人は忘れるつもりがなかった。


 ただ、最初の頃とは違う。


 与えられた曲から学び、やがて誰かの声へ自分で曲を書き、とうとう自分自身のためにも、最初から最後まで1曲を作れるようになった。


 隼人は椅子へ深く座り、改めて管理画面を見る。5,000万という数字は変わらず、画面の向こうでは今も少しずつ増え続けている。


 それでも、もう更新ボタンは押さなかった。


 階下から、美智子が夕食を知らせる声が聞こえてきたからだ。


「今行く!」


 返事をして立ち上がり、制作ノートを閉じる。


 今日はもう十分だった。


 明日は朝から大学があり、週末には友人との予定も入っている。大きな数字を記録した夜だからといって、その先にある普通の生活を後回しにする理由はない。


 自室を出る前、隼人は一度だけ机の上の制作ノートを振り返った。


 高校3年生だった頃、自分の力だけでは到底届かなかった場所へ、今は少しずつ自分の足でも進めるようになっている。


 だからといって、これから何も借りずに歩かなければならないわけでもない。


 使えるものがあれば使えばいい。


 誰かと作りたいなら一緒に作ればいい。


 自分で作りたい時には、自分で作ればいい。


 どれか1つだけを選び続ける必要はなかった。


 隼人は部屋の照明を消して、家族が待つリビングへ向かった。


 5,000万回という数字を達成した夜も、食卓にはいつもの夕食が並んでいる。


 そして隼人は、それを何より自然なこととして受け入れていた。

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