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リプレイ・ミュージック ―35歳、もう一度だけ夢を見る―  作者: にゅん


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12/43

青のコンパス、公開

翌朝、隼人が目を覚ましたのは8時を少し過ぎた頃だった。


 枕元にはスマートフォンが置いてある。画面を点ければ、昨夜公開した『青のコンパス』がどこまで伸びたのかすぐ確認できるが、隼人は手を伸ばしかけたところで止めた。


「……朝飯が先だな」


 前作を公開した翌朝にも、似たようなことをした気がする。


 数字が気にならないわけではない。むしろ今回は登録者10万人以上の状態から公開しているため、初動がどこまで伸びたのかはかなり気になっていた。


 それでも、起きて最初に再生回数を見る生活にはしたくない。


 顔を洗ってからリビングへ向かうと、美智子が既に朝食を用意していた。父も新聞を広げながら座っており、隼人を見るなり少しだけ口元を緩める。


「おはよう。見たか?」


「まだ見てない」


「俺は見たぞ」


「なんで父さんの方が早いんだよ」


「朝起きたら増えてたからな」


「そりゃ増えるだろ。減ったら怖いよ」


 隼人が席へ座ると、美智子も楽しそうに笑った。


「私も見たわよ。でも数字は言わない方がいい?」


「朝飯食うまでは言わなくていい」


「そんなルールあるの?」


「今できた」


 味噌汁を飲み、ご飯を食べる。


 昨夜19時に公開した曲が、眠っている間にも誰かに聞かれていた。その事実を意識すると不思議な感覚はあるものの、目の前の朝食まで特別なものへ変わるわけではない。


 食べ終わって食器を片付け、自室へ戻ってからようやくパソコンを起動した。


 最初に開いたのは動画ページだった。


【Lento \- 青のコンパス】


【公開13時間】


【再生回数 286,417回】


【チャンネル登録者 121,608人】


「……28万か」


 昨夜19時30分の時点では31,684回だった。


 そこから夜の間にも再生が続き、登録者も1万人以上増えている。前作の『夜明けの途中』が公開2日目の朝7時過ぎで64,731回だったことを考えれば、初動の規模は明らかに大きくなっていた。


 ただし、条件が違う。


 『夜明けの途中』は登録者0人から始まった。


 今回は既に10万人以上が登録しており、公開通知を受け取った人もいる。紗月も公開直後から告知しているため、数字だけを並べて「2曲目の方が何倍も強い」と判断するのは早すぎる。


「登録者がいるって、やっぱり大きいな」


 分析画面を確認すると、登録者からの流入だけではなく、おすすめや関連動画から来ている人も増え始めていた。


 コメント欄にも、昨夜より幅広い感想が並んでいる。


【『夜明けの途中』から来ました。前作より明るいのに、無理に前向きにさせようとしない感じが好きです。】


【受験生です。周りがどんどん志望校決めてて焦ってたけど、迷ってても自分で選べばいいんだって少し楽になった。】


【最初の曲と景色がつながってるように見える。夜明けを歩いてた人が朝まで来たのかな。】


【同じ人じゃなくて、別々の誰かだと思って聞くのも好き。】


【ギターが気持ちいい。前の曲より外へ向かってる感じがする。】


 隼人は最後のコメントを見て、少し笑った。


「紗月と同じこと言ってる人いるな」


 最初のデモを聞いた紗月も、前作より外へ出た感じがすると話していた。


 制作者側が意図していたものと、聞いた人が受け取ったものが完全に一致する必要はない。それでも近い感覚が自然に伝わっているなら、制作時に考えた方向は間違っていなかったのだろう。


 隼人は30分ほど数字とコメントを確認したあと、分析画面を閉じた。


 今日は日曜日だ。


 午前中には受験勉強を進める予定があり、午後は特に大きな予定を入れていない。新曲が伸びているからといって、その予定を全部取り消す理由はなかった。


     ◇ ◇ ◇


 月曜日になると、『青のコンパス』は学校でも少しずつ聞かれ始めていた。


 昼休み、隼人が拓海と食事をしていると、少し離れた席にいた女子生徒たちの会話から聞き覚えのある名前が聞こえてくる。


「Lentoの新しい曲、聞いた?」


「聞いた。前の方が好きかも。でも今回のも結構好き」


「私は新しい方かな。朝に聞きたい」


 隼人は弁当を食べながら、何も聞こえていないふりをした。


 正面に座っている拓海が、明らかに笑いを堪えている。


「お前、顔に出すなよ」


 小声で注意すると、拓海も声を落とした。


「いや、本人の前で普通に感想言ってるの面白くて」


「本人だと知らないんだから当たり前だろ」


「前の方が好きだってよ」


「別にいいだろ。俺だって好きなアーティストの曲、全部同じ順位じゃないし」


 実際、嫌な気分にはならなかった。


 前作の方が好きな人もいれば、今回の方が好きな人もいる。


 それでいい。


 むしろ2曲しか出していない段階で好みが分かれる程度には、違う曲を作れたことの方が嬉しかった。


「でも俺は今回の方が好きだぞ」


「それ昨日も聞いた」


「古参の意見は大事にしろ」


「紗月より新参だろ」


「その話まだする?」


 拓海が本気で嫌そうな顔をしたので、隼人は笑いながら話題を変えた。


 午後の授業が始まれば、Lentoのことを考える時間はなくなる。


 英語の長文を読み、数学の問題を解き、放課後には進路関係の資料を受け取った。担任からは志望校候補について確認され、夏休みに見学した大学も候補として残していると答える。


 その日の帰宅後、隼人は初めて公開2日目の数字を確認した。


【公開2日】


【再生回数 417,836回】


【チャンネル登録者 128,947人】


「まだ結構伸びてるな」


 初日の勢いだけで止まってはいない。


 ただ、隼人が気にしたのは再生回数の増加だけではなかった。コメントや短い投稿を見る限り、『青のコンパス』単体からLentoを知り、そこから『夜明けの途中』へ移動している人もいる。


 実際、前作の再生数も少し伸び方が強くなっていた。


「曲が2つあるって、こういうことか」


 1曲しかなかった頃は、Lentoを知った人が次に聞ける自分の曲は存在しなかった。


 今は違う。


 『青のコンパス』から来た人が『夜明けの途中』を聞き、『夜明けの途中』を以前から聞いていた人が新曲へ来る。2曲しかなくても、既に小さな流れが生まれ始めている。


 高校在学中に3曲までという自分のルールにも、別の意味が見えてきた。


 3曲あれば、Lentoがどんな音楽を作る人間なのか、少なくとも1曲だけの偶然よりは見えやすくなる。


「だからって3曲目を急ぐ理由にはならないけどな」


 隼人は自分へ言い聞かせるように呟き、パソコンを閉じた。


     ◇ ◇ ◇


 公開3日目の夜には、紗月からメッセージが届いた。


【ちょっと大変なことになってる。】


【曲なら見てる。】


【そっちじゃなくて私。】


「紗月?」


 隼人は少し姿勢を正した。


【何かあった?】


【絵の依頼について聞かれた。3件。】


 意味を理解して、隼人は思わず笑った。


【早速来たのか。】


【笑い事じゃないよ! 知らない人から本当に依頼来ると思ってなかった!】


【この前やってみようかなって言ってただろ。】


【言ったけど、心の準備ってものがあるの!】


 確かに数日前、紗月は個人からイラスト依頼を受けることについて調べ始めたと話していた。


 『青のコンパス』の概要欄には、本人が希望した活動用の名前でクレジットを掲載している。公開後は紗月自身もイラストを担当したことを告知しているため、そこから絵を気に入った人が辿ってきたのだろう。


【受けるの?】


【まだ分かんない。内容見てから考える。】


【それでいいと思う。全部受ける必要ないし。】


【隼人ならどうする?】


 少し考えてから返信する。


【俺なら、やりたい内容か、時間的に無理がないか、金額と修正条件がちゃんとしてるかを見る。知らない相手なら、個人情報は必要以上に出さない。】


【高校生らしくない回答ありがとうございます。】


【相談したのそっちだろ。】


【参考にします。】


 そこで一度やり取りが止まった。


 隼人はスマートフォンを机へ置き、少し考える。


 自分の曲が伸びたことで、紗月にも変化が起きている。


 嬉しいことではある。


 ただし、それを「自分が紗月を売った」と考えるつもりはなかった。


 絵を描いたのは紗月だ。


 依頼を受けるか決めるのも紗月であり、その先にどんな道を選ぶのかも本人の人生だった。


 隼人ができるのは、仕事を頼んだ時に正当だと思う対価を払い、必要なら相談に乗ることくらいだ。


 それ以上まで背負えば、結局は昔と同じになる。


「それぞれ自分で選ぶ、か」


 『青のコンパス』で歌ったことが、そのまま身近なところにも現れている気がして、隼人は少しだけ可笑しくなった。


     ◇ ◇ ◇


 公開4日目になると、再生回数は50万回を越えた。


【公開4日】


【再生回数 568,214回】


【チャンネル登録者 134,706人】


 数字だけを見れば、既に十分すぎるほど大きい。


 高校生が自室で制作した2曲目を、4日間で50万人以上が再生している。前世でライブハウスの客席を少しでも埋めようとしていた頃を思えば、未だに現実感がおかしくなる規模だった。


 それでも、1曲目の時ほど数字そのものに圧倒されなくなっている。


 慣れたというより、数字の見方が少し変わった。


 50万回という表示の向こうには、同じ人が何度も聞いた再生もある。最初の数秒で離れた人もいれば、最後まで聞いた人もいるだろう。


 だから、50万人が自分のファンになったという意味ではない。


 一方で、数字だから軽いというわけでもない。


 コメントには、通学中に毎朝聞いているという人がいた。


 進路について親と揉めた夜に聞いたという人もいた。


 特に何かに悩んでいるわけではないが、ギターが気持ちいいから繰り返しているという人もいる。


 曲を受け取る理由は、それぞれ違った。


「これが1番面白いんだよな」


 作っている時には、自分の中にしか存在しなかった曲だ。


 公開した瞬間から、聞いた人の生活と結びつき始める。


 隼人が「こういう意味で聞いてください」と説明し続ける必要はない。受け取った側が好きな時間に聞き、好きな意味を見つければいい。


 それこそが、曲を外へ出す理由なのかもしれなかった。


     ◇ ◇ ◇


 木曜日の放課後、隼人はアルバイトへ向かう前にコンビニへ寄った。


 飲み物を選んでいると、少し離れたところにいた同じ学校の男子生徒2人がスマートフォンを見ながら話している。


「これ最近おすすめに出るわ」


「Lento?」


「そう。顔出してない奴」


 隼人は手に取ったペットボトルを持ったまま、何となく耳へ入ってくる会話を聞いた。


「新しい方もいいけど、俺は最初の曲かな」


「俺は新しい方。ギター好き」


「こいつ何歳なんだろうな」


「知らん。30くらいじゃね?」


 危うく飲み物を落としそうになった。


「……30か」


 小さく呟く。


 35歳の記憶があるという意味では、完全に外れているとも言い切れない。


 しかし、現在の肉体は17歳だ。


 自分と同じ学校の生徒から30歳前後だと思われている状況は、かなり妙だった。


 そのまま何も言わず会計を済ませ、店を出る。


 駅へ向かいながら、隼人は少し笑った。


「まあ、バレるよりいいか」


 年齢を当ててもらう必要はない。


 Lentoのプロフィールには、今も必要最低限の情報しか載せていなかった。


【Lento】


【音楽を作っています。】


 最初に書いたそれだけの紹介文も、変えていない。


 年齢も性別も顔も学校も公開しない。


 歌を聞くのに必要な情報ではないと思っているからだ。


 もちろん、活動が大きくなれば今後は契約などで本名を明かさなければならない相手も出てくるかもしれない。


 だが、それは世間へ公開することとは別だった。


 少なくとも今は、17歳の高校生として普通に学校へ通いながら、ネットの向こうでは年齢不詳のLentoとして歌っている。


 その距離が心地よかった。


     ◇ ◇ ◇


 金曜日の夜、公開から6日が経過した。


 アルバイトを終えて帰宅した隼人は、風呂を済ませてから分析画面を開く。


【公開6日】


【再生回数 812,763回】


【チャンネル登録者 143,982人】


 100万回が見えてきた。


 ただし、明日までに届くかどうかは分からない。


 隼人は少し考えたあと、公開7日目を迎えるまではもう確認しないことにした。


 初動だけを見るのではなく、1週間という区切りで記録しておきたい。


 ノートを開く。


【〈14〉『青のコンパス』】


【公開6日 再生回数812,763回】


【チャンネル登録者143,982人】


【『夜明けの途中』とは異なる層からの流入も確認。2曲間で相互に再生されている。】


 そこまで書いてから、ペンを止めた。


 高校生の個人ノートに書く内容としては、少し分析が会社員じみている気もする。


「まあ、35歳まで会社員だったしな」


 誰にも聞かれない独り言を漏らし、続きを書く。


【2曲目の結果だけでも活動方針は変更しない。3曲目まで公開してから考える。】


 前回とほとんど同じ内容だ。


 それでも書いておく。


 数字が増えれば、人間は都合よく自分のルールを変えたくなる。


 今ならもっと出せる。


 登録者が増えている間に次を投稿した方がいい。


 勢いがあるうちに活動量を増やすべきだ。


 そういう考え方にも合理性はある。


 だが、それを繰り返した先で生活の中心が再び音楽だけになれば、隼人にとっては同じ失敗だった。


 数字を伸ばすための最適解と、自分の人生にとっての最適解は同じとは限らない。


 その違いだけは忘れたくなかった。


     ◇ ◇ ◇


 翌日の土曜日。


 『青のコンパス』を公開してから、ちょうど1週間が経った。


 19時になる少し前、隼人は自室の机へ座っていた。


 この1週間も普通に学校へ通った。


 授業を受け、進路について考え、アルバイトをし、家族と夕食を食べた。拓海とはいつも通りくだらない話をし、紗月からは最初に届いた3件の依頼のうち、1件だけ試しに受けてみることにしたと連絡があった。


 その生活の裏側で、『青のコンパス』は少しずつ知らない場所へ広がっていた。


 時計が19時を回る。


 隼人は分析画面を更新した。


【Lento \- 青のコンパス】


【公開7日】


【再生回数 928,614回】


【チャンネル登録者 148,327人】


【累計推定収益 約71,000円】


「……92万か」


 100万回には届かなかった。


 だが、残念だとは思わない。


 1週間で92万回以上。


 十分すぎる数字だった。


 登録者も、『夜明けの途中』公開から50日ほど経った時点の約10万人から、14万人を大きく超えている。


 そして今回は、収益も発生していた。


「7万円……」


 隼人は金額を見て、再生回数とは別の意味で少し黙った。


 アルバイトなら何日も働いて得る金額だ。


 もちろん、この7万円がそのまま自由に使える金になるわけではない。制作に掛かった費用もあり、紗月へ支払った1万円もある。今後の活動に必要な機材費や、税金についても考えなければならない。


 それでも、音楽が趣味の出費だけではなく、少しずつ活動を支える収入にもなり始めている。


 前世では、音楽を続けるために金が足りなかった。


 ライブへの出演や移動、練習場所の利用、録音などに費用が掛かり、アルバイトで稼いだ金の多くを音楽へ回した時期もある。


 今は音楽そのものが、次の音楽を作るための費用を生み始めていた。


「これは大事に使おう」


 欲しいものがないわけではない。


 新しい機材を見れば気になるし、今使っている環境より上を目指そうと思えば、いくらでも金を使える。


 だが、高い機材を買えば自動的に良い曲ができるわけではない。


 必要になった時に買えばいい。


 隼人はノートへ数字を書き写した。


【〈14〉『青のコンパス』】


【公開7日 再生回数928,614回】


【チャンネル登録者148,327人】


【累計推定収益 約71,000円】


【高校在学中に公開する自作曲――2曲目。】


 そして最後に、少し考えてから一文を加える。


【前作と違う曲でも、聞いてくれる人はいた。】


 その事実が、今は何より嬉しかった。


 『夜明けの途中』が伸びたからといって、同じ雰囲気の曲だけを作り続けなくてもいい。


 静かな曲も作れる。


 少し明るい曲も作れる。


 いつかもっと激しい曲を作りたくなるかもしれないし、自分では歌わず誰かへ渡したい曲が生まれる可能性だってある。


 Lentoという名前の中に、まだ決まった形はない。


 それでいい。


 隼人は分析画面を閉じた。


 次の曲について、まだ具体的には考えない。


 高校生活で自分の曲を公開する枠は、残り1曲。


 だからこそ、数字が伸びた勢いだけで決めたくなかった。


 秋になれば学校生活も受験もさらに忙しくなる。模試や進路面談も増え、大学へ向けて考えることも多くなるだろう。


 その生活を送りながら、自然に次に歌いたいものが見えてくるまで待てばいい。


 机の端には、制作を終えた『青のコンパス』のノートが置かれている。


 夏休み前には、そこに「明るめ。進路、方向、自分で選ぶ」としか書かれていなかった。


 そこから夏を過ごした。


 大学を見に行き、家族と旅行へ行き、友人と遊び、受験勉強とアルバイトを続けた。その時間の中で曲を作り、17歳の自分が歌える形へ変え、今では90万回以上も誰かの端末から流れている。


 運命のダイスがくれたのは、完成された人生ではない。


 〈14〉という曲の可能性と、その制作に必要な情報だけだった。


 どんな生活の中で作るのか。


 誰と一緒に作品へするのか。


 いつ公開するのか。


 そして、公開したあとにどう生きるのか。


 そこまで決めるのは、結局自分だった。


「明日は何もないし、少しギター弾くかな」


 次の曲を作るためではない。


 単純に弾きたいから弾く。


 そのくらいの距離で音楽と付き合える今の生活を、隼人は気に入っていた。


 窓の外では、夏の頃より少し静かになった夜の街が広がっている。


 『夜明けの途中』から始まり、『青のコンパス』まで来た。


 高校生活で残された自分の曲は、あと1つ。


 けれど、その1曲を急いで埋める必要はない。


 次に何を歌いたくなるのかは、これから生活していく中で見つければいい。隼人はまだ何も書かれていない次のページを開くことなくノートを閉じ、明日の予定を確認してから部屋の明かりを少し落とした。

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