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01 「聞け、お前との婚約は破棄する!」病弱と称してこっちをいじめ抜いてきた日々が脳裏をよぎる

 まだ誰にも気づかれていない、密やかな企みの香り。


「聞け、お前との婚約は破棄する!」


 王宮の庭園にグラフェン公爵の声が響き渡った。怒りで顔を真っ赤にしているが、怒りはこちらの心には届かない。舞台劇を見ているかのように、静かに光景を眺めていた。


「えーっと」


 グラフェンの隣に立つ義理の妹、ルフィルルは小動物のように震えながら、グラフェンの腕にしがみついている。その顔はうっすらと涙で濡れていた。


「はぁ、喜劇にしか見えない」


 ああ、なんて見事な演技。心の中でスタンディングオベーションを送る。前世で女優でもやっていたのだろうかなんて、思うほどにルフィルルの演技は完璧。


「ミュラージュ。ルフィルルは病弱で、生きるだけで精一杯なのだ。お前のような冷酷な人間には、繊細な心は理解できないだろう」


 グラフェンは謎に睨みつけてくる。

 本気でルフィルルが可哀想なのだと思い込んでいるけど。ルフィルルが病弱?どの口が言うのだろうか。呆れる。

 彼女が病弱と称して、こっちをいじめ抜いてきた日々が脳裏をよぎる。熱心に勉強していたら「頭が痛いから静かにして」と騒ぎ立て、大切な本を破り捨てた。


 新しいドレスを仕立てたら「可哀想な私にはそんな綺麗なドレスは似合わないわ」と泣き喚き、結局こちらのドレスを奪い取る。そんなことを平気でやってのける彼女が、病弱なわけがない。


 悪意に満ちた日々を法律知識と論理的思考で乗り越えてきた。だから、この状況でも何の感情も湧いてこない。


「では、結構です」


 グラフェンは驚いて目を見開いたので、どうせ泣き崩れて懇願する姿を期待していたのだろう。その期待が永遠に裏切られるように、この日のために綿密な計画を練ってきた。

 婚約破棄なんて、所詮は始まりの合図でしかなかった。


「ただし、十年間の慰謝料として金貨五千枚、頂戴いたします」


 今度はグラフェンだけでなく、その場にいた者たち全員が凍りついた。慰謝料という聞き慣れない言葉と、金額の大きさに混乱しているようだ。


「い、しゃ、慰謝料?なんだ、それは?」


 グラフェンが困惑した声で問いかける。


「説明しましょう。わたしとグラフェン様は、十年間にわたり婚約関係にありました。未来の公爵夫人として、あらゆる社交の場で公爵家のために尽力いたしました。また、浮気癖を何度も隠蔽し、ご子息の品位を保つために尽くし。結果として、十年間は無駄になりました。精神的損害に該当します。まだ法整備がなされていませんが、このような行為は不当な婚姻関係の破棄として、多額の賠償金が発生します」


 淡々と説明すると、グラフェンの顔は青ざめていく。


「あ、う、あ」


 ルフィルルは、顔を真っ赤にして睨みつけた。


「そんなもの、あるわけないでしょう!嘘!お父様、お姉様は嘘をついていますの!」


 ルフィルルの甲高い声が響くが、関係ない。


「嘘ではございません。このために、一年かけて公爵家の資産状況をすべて洗い出し、記録しておきました。証拠があれば裁判でも勝訴できます」


 懐から一冊の分厚いノートを取り出した。ノートには、グラフェンが他の女性に送った高価な贈り物の記録、夜会での浮気現場の目撃情報、その証人たちの名前がびっしりと書かれている。


 これはすべて、この日のために集めた証拠の品々。ノートは裁判では絶対に勝てる切り札。グラフェンはそのノートを見て愕然としていた。知らないはずがない。

 この日のためにいかに周到に準備を進めてきたか、こちらがどれだけ有能であるかを。


「分かった。金貨五千枚、用意しよう」


 グラフェンは蚊の鳴くような声で言う。心の中でガッツポーズをした。これで、新しい人生が始まる。大好きなコスメと共に美しく、自身を自由にするために。


 金貨五千枚は自由を手に入れるための、新しい人生を始めるためのスタートアップ資金。金を元手に、かねてから計画していたコスメブランド、メヌエットを立ち上げることにした。

 前々から練りに練っていたのだ。まず必要なのは秘密の研究所。王宮の片隅にある使用されていない古い離宮を買い取ることにした。おひとり様ってやつだ。


 周りからは「こんなボロ屋、何に使うんだ」と嘲笑されたが、最高の物件。

 なぜならここは人目につかず、実験にうってつけだから。記憶を頼りに、まずは石鹸作りから始める。


 異世界では石鹸は贅沢品で、上流階級しか手に入らない代物。しかも、最悪なことに香りがいいものはほとんどない。インターネットで見た石鹸の作り方を思い出しながら、素材を調合し、試行錯誤を繰り返した。

 ラベンダーやローズマリーといった似たハーブを蒸留し、油と混ぜて苛性ソーダと反応させる。


「緻密なのは無理そう」


 火加減を調節し、泡立ちや香りを確かめる。コツコツやっていく。


「できたっ」


 失敗もしたが、ようやく納得のいく石鹸が完成した。豊かな泡立ちとほのかに香るバラの香り。この世のどこにもない、最高級品だ。

 次に、この石鹸をどう売るか。メヌエット、というブランド名をつけた。かねてより考えていた名前。

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