第三十五話 縁側の経済学
箱根の騒動の裏側で、
もう一つの物語があった。
それは、戦後という時代を
“どう生きるか”を選んだ者たちの話。
笑っていいのか迷う回です。
沖縄。
戦後まもない頃。
焼け跡の風は、まだ冷たかった。
仲村工房。
かつての賑わいは消え、
静寂だけが残っている。
文は、一人で帳簿を見ていた。
数字は、残酷だった。
文(心の声)
「……足りない」
生活費。
材料費。
人件費。
何を削っても、足りない。
奥から、咳の音が聞こえる。
父・隆造。
母・尚綾。
二人とも、年を取っていた。
そして――
小さな足音。
美咲
「おかあさん」
振り向く。
幼い娘が、不安そうに見ている。
文は、笑う。
文
「大丈夫よ」
言いながら、分かっていた。
大丈夫じゃない。
⸻
その時。
静かに戸が叩かれる。
――コン、コン。
文
「……?」
戸を開ける。
そこに立っていたのは――
一人の女性。
洗練された佇まい。
穏やかな微笑。
林玉蘭。
中国で急成長を遂げる企業。
「林グループ」の、若き女社長。
文の親友にして、
戦後の“流れ”を読む女。
そして――
その判断は、決して外れない。
⸻
縁側。
湯気の立つ茶碗。
玉蘭
「……遅くなってごめんなさい」
文
「玉蘭……」
久しぶりの再会だった。
しばらく、二人は何も話さない。
風が、庭の草を揺らす。
やがて玉蘭が口を開く。
玉蘭
「状況は、聞いているわ」
文は、視線を落とす。
否定しない。
できない。
玉蘭
「このままだと、持たないわよ」
静かな声だった。
責めるでもなく、慰めるでもない。
ただの事実。
文
「……分かってる」
少しだけ、声が震える。
文
「あの人がいなくなって」
言葉が止まる。
文
「……どうしたらいいのか」
沈黙。
玉蘭は、茶を一口飲む。
そして、言った。
玉蘭
「簡単よ」
文は顔を上げる。
⸻
玉蘭
「米軍基地で商売すればいい」
空気が、止まる。
文
「……え?」
玉蘭
「需要がある場所に、供給を置く」
「それだけの話よ」
文の顔が強張る。
文
「……でも」
文
「あの人は、あの戦争で……」
言い切れない。
玉蘭は、静かに返す。
玉蘭
「だからこそよ」
玉蘭
「生き残った側は、“利用する側”に回らないと」
風が、止まった気がした。
文は、何も言えない。
否定できない。
玉蘭
「善悪の話じゃないわ」
「仕組みの話」
文
「……」
玉蘭
「あなたは、生きるの」
「この子のために」
美咲を見る。
文の手が、震える。
長い沈黙の後。
文
「……やる」
小さな声。
だが、確かな決意。
玉蘭は、微笑む。
玉蘭
「いい判断よ」
⸻
場面転換。
数ヶ月後。
仲村工房。
再び、音が戻っていた。
染料の香り。
布を打つ音。
人の気配。
文は、立っていた。
職人たちを見渡す。
文(心の声)
「……守れた」
⸻
場面転換。
1971年。
ワシントン。
ニクソン会談中。
東京。
佐藤が書類を見ている。
秘書官
“Mr. President?”
「総理?」
ニクソン&佐藤
“…Strange.”
「……風邪か?」
⸻
場面は戻る。
その頃。
縁側。
再び、文と玉蘭。
玉蘭
「そういえば」
茶を置く。
玉蘭
「あなたの染料、ずいぶん広がってるみたいね」
文
「え?」
玉蘭
「風に乗って」
一瞬。
意味が、繋がる。
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佐藤
「……っくしゅん!!」
ニクソン
“Again!?”
⸻
縁側。
玉蘭は、穏やかに笑う。
玉蘭
「経済って、面白いでしょう?」
文は、少しだけ困った顔をする。
文
「……それって」
言いかけて、やめる。
玉蘭
「一つ動かすと、全部つながるの」
風が吹く。
遠くで、誰かがくしゃみをした。
玉蘭は、静かに茶を飲む。
その横で、文もまた、
同じ空を見ていた。
⸻
(つづく)
第35話をお読みいただき、
ありがとうございます。
林玉蘭という人物について、
「誰?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
彼女は過去編で登場している人物です。
▼おすすめ既読順
・尚造夫婦編 第4話〜第5話
・尚継編 第11話〜第14話
・林明浩編プロローグ
上記を読むことで、
林玉蘭というキャラクターの
“怖さと魅力”がより深く伝わると思います。
引き続きお楽しみください!




