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13.今宵は満月

お時間を頂いた割に、手抜きでごめんなさい。

晴れ間が広がるこの日、開け放たれたカインドの邸の玄関で、リリアンヌは大空に描かれているぼんやりとした薄い雲を見上げていた。

直ぐ側には、玄関の前に数段ある階段にべったり座って、欠伸を噛みしめているレイチェルが居るだけだ。


端から見れば長閑な風景に見えるが、それは上辺だけで、あちらこちらから怒声や剣を交える重々しい音が街に響き、小さな内戦が始まっていることが察しられた。

大きな戦になるのは、時間の問題であろう。

ピリピリとしたなんとも言えぬ空気が、カインドの邸と王都の街並みを包んでいた。


《血の匂いがプンプンするな》


リリアンヌの腕に抱えられ、両足を揺らしてケルベロスが鼻をひくつかせた。


「内戦が始まってるんだって」


大きな結界に守られてはいるが、伝わってくる音の緊張感にリリアンヌも少し不安に駆られる。その気持ちを察したのか、ケルベロスも逞しい尾を落ち着かなさそうに、ゆっくり左右に揺らした。


「おはよう。リリアンヌ、レイチェル」


「…おはようございます」


そこへ現れたのは、黒の外套を身にまとって全身を黒に染め上げたルビウス。とんがり帽子片手に、二人に笑いかけた。レイチェルは小さく挨拶をし、リリアンヌは視線を逸らして挨拶を返した。


「じゃあ、ジョルジオ。留守を頼むよ」


「…はい」


「何か言いたそうだな」


静かに返事をする執事に、苦笑を漏らして促した。


「今宵は満月です。どうかくれぐれもお気をつけて…」


「わかってるよ、ジョルジオは心配性だな」


真面目な顔をして話すジョルジオの肩を叩いて笑ったルビウスは、大丈夫だと静かに言った。


「僕の事は心配ないよ。勿論、爺様もね。だから、僕達がいつでも帰って来れるように、ジョルジオの美味しい茶とキャサリンお手製のご馳走を作って待ってて」


にっこりと笑うルビウスに、何とも言えないという顔を返したジョルジオ。長年自らを世話してくれた彼に、穏やかな言葉を続けた。


「そんな顔をするな、ジョルジオ。この邸はお前にしか頼めないんだから」


そう言ってやっと頷いたジョルジオを笑って、ルビウスは今度はケルベロスに向き直った。リリアンヌの腕から降りて床からまだ若い主を見上げていた彼女は、片膝を折ったルビウスに怪訝そうな視線を送っている。


「ベル、少し頼まれてくれるか?」


《使い?》


「そうだ。だけど、只の使いじゃない。ハップジド王国のシュバリエ地方、ルグリスという村の山頂に住む、アーネストという魔法使いにミハエルと言う名の見習いがいる。元の名は『デイビッド・オルセン』だ。これをその青年に渡して欲しい。あいつは、直ぐに内容を読むだろう。もし、答えたが諾ならば、彼を乗せて王都まで帰って来るんだ。ただし、答えが否ならば君にかけてある魔法、主従の契約はその場で消えるようになっている。後はどこに行くなり好きにしたらいい」


懐から取り出した細長い封筒を小さく畳んで、物入れから取り出した丈夫な革で出来た布に包んで首に巻き付けた。ジョルジオと同じような、何とも言えない顔付きをするケルベロスは、リリアンヌに助言を求めるように見上げた。だが、リリアンヌもなんと言っていいのか分からず、そっと彼女の頭を優しく撫でただけだった。


「…さぁ、行こうか」


立ち上がったルビウスが、後ろを一度も振り返らずに正面に止まっている馬車へと歩きだした。リリアンヌも同じように足を踏み出した。


今宵は満月。その本当の意味を知るのは、この国で…いやこの世界でごく僅かな者達だけだ。


いつの日にかルビウスが発したあの言葉が真の意味を示し、志を同じくする者達が王都に集まるだろう。満月が夜空に高くあがる頃、王都が戦場と化す。


混じり気が無い、真っ白く短いレイチェルの髪が前方で揺れているのをぼんやりと眺めていたリリアンヌは、ふと隣からくる視線で我に返った。見れば、ルビウスが足並みを合わせながら、穏やかな視線を先ほどから彼女に送っていたのだ。

レイチェルが一人、先に乗り込んだ馬車の前で自然と立ち止まった二人。


「随分と浮かれているようだけど?」


「浮かれているなんて、どうしてそう思うの?」


「だって、今日の結果で君は晴れて独り立ちする口実が出来るじゃないか」


「………」


じっと静かに見つめるリリアンヌの頬に、そっと左手を添えて優しく撫でながら、ルビウスは寂しそうに笑った。


「図星のようだね。…まぁ、いいさ。また違う手段を考えるから。どうやったら君を僕だけの物に出来るか」


そして、リリアンヌの耳元に唇を寄せると小さく囁いたのだった。


「今度は逃がしてあげないから、覚悟してるんだね」


艶を帯びたその声に、びくっと身体が震えたリリアンヌだったが、負けてたまるものかと言い返した。


「あら、私はびびってなんかないんだから。ルビウスさんこそ、覚悟を決めたら?」


「なんだって…?」


驚いて僅かに瞳を見開いたルビウスだが、更に驚いたように瞳を目一杯開いて固まった。それもそのはず、不意を付いたリリアンヌがルビウスに唇を自ら重ねたのだから。

ぽかんと門の近くで固まるルビウスを放って、リリアンヌはさっさと馬車へと逃げ込んだ。一瞬のことではあったが、馬車へと乗り込むリリアンヌを視線で追ったルビウスは、彼女の耳が真っ赤になっていることに気が付いた。口元を右手で覆って地面に視線をやったルビウス。ぽつりと一言漏らした。


「参ったな…」


しばしそのままで佇んでいたが、気を取り戻したように空を見上げて笑うと馬車に乗り込んだ。


「リリア、どうした?耳が真っ赤」


「なんでもない!」


熱でもあるのかと覗き込むレイチェルから視線を逸らして、大丈夫だと繰り返すリリアンヌの様子をルビウスは面白そうにクスクスと笑いながら眺めていた。あまりに彼が笑うから、リリアンヌの機嫌は益々悪くなって、しまいには彼女の渾身の蹴りが、向かいに座っていたルビウスの臑に命中したのだった。


そんな危機感の薄い、彼らを乗せた馬車はゆっくりとリヴェンベルの中心へと向かって走り出した。その馬車の後を追うかのように、邸から一羽の鮮やかな赤を纏った大きな鳥が、北に向かって飛び立った。その大きな鳥は、そこいらにいる鳥とは比べものにならないほど、異様な姿をしていたが、残念ながらそのことを気にとめる者は地上にはいなかった。


「…今宵は満月だ」


リリアンヌに蹴られた左足を右足に乗せて組み、痛い痛いと臑をさすりながらルビウスが言った。


「反王政派と新王制派との内戦が本格的に始まるだろう。くれぐれも気を引き締めて、油断しないように」


黙って頷いたリリアンヌとレイチェルを眺めながら、ルビウスが疲れたように溜め息を零した。


「君の成人を祝うぐらいの時間は欲しいものだけど…残念ながらそんな余裕は無いみたいでね。すまないね、リリアンヌ」


「大丈夫、気にしてないわ。こんな時に呑気に会合なんどしてる方が、どうかと思うもの」


「そう言ってくれると幾分か気分が晴れるよ」


柔らかに微笑んだルビウスに代わって、レイチェルが隣から覗き込んで問い掛けてきた。


「リリアの誕生日、今日?」


「ううん、明日」


「おめでとう」


「ありがとう」


ほぅ、と零して一足先に成人を迎えた友人に、祝いの言葉を贈ったレイチェル。リリアンヌも素直に礼を返した。

そんな和やかな雰囲気の馬車が突然ガクッと大きく揺れ、馬車の数メートル後方で派手な爆発音が響いた。レイチェルが小さく悲鳴を上げてリリアンヌにしがみつき、その反動でリリアンヌは大きく傾いた。


「なに?」


「…気にしなくていい」


まるで大雨のように、馬車の天井に叩きつけられる石や土を交えた鈍い音を耳に挟みながら、リリアンヌは馬車の後方に視線をやっていたルビウスに尋ねた。しかし彼は、そう一言答えると不安定な馬車の中で立ち上がった。

リリアンヌとレイチェルが座る壁に取り付けてある、小さな窓を開けると御者台に声を張り上げた。

なだれ込んできた雑音の中で唯一、リリアンヌに聞き取れたのは、速度を上げろと何かを撒けと言うことだけだった。


壁についていた右手を離してルビウスが座席に腰を落ち着けるか、落ち着けないかの時に御者が馬の速度を上げて大きく左へと曲がった。


転がってきたレイチェルを抱き止めて壁に押し付けられているリリアンヌは、ちらりとルビウスの様子を窺った。彼もまた、傾いた馬車の中で隅に追いやられている。


再び、ガタンと派手な音を立てると馬車は平行に戻り、ガラガラと独特の音を奏でていく。時折、何か道端に転がっている得体の知れない物を超えて行っているようで、兎のように大きく弾んで進む。


「着いたよ…」


馬車の中をあちらこちらに転がりながら、ようやく目的地に着いた頃には、リリアンヌは心底ほっとしたような顔を見せた程であった。


酷い乗り物酔いになったような気分になりながら、ルビウスに続いてのろのろと馬車を降りると、まるでそれを見計らったように、入り口からシリウスが飛び出して来た。


「あぁ、ルビウス。やっと来た!」


あまりに遅いから、迎えに行こうかと思っていたと続けた彼に対して、ルビウスがすまなそうに答えた。


「あちこちで不正魔法が飛び交ってるで、馬車にしたんです。最も、あまり意味はなかったようですけど」


「そうか、ここはまだ何も被害がないからいいが…。今日の試験発表は中止にしようかと話していて」


「えぇ!中止なのっ?」


そんなぁと思わず声を上げたリリアンヌ。ルビウスとシリウスの視線を浴びながら、がっかりしたように溜め息を零した。


「まだ分からないから、二人共、中に入って待ってるように」


そんな彼女に苦笑して、ルビウスはそう言ってシリウスと共に古い旧館の建物へと入って行った。リリアンヌ達も大層具合は悪かったが、後に続いて足を踏み入れた。

相変わらずの年期が入った玄関先には、大勢の魔法使いやその弟子と思わしき人物が深刻そうな顔付きで声を潜めて会話をかわしていた。黒一色で埋め尽くされている異様な空間を進みながら、リリアンヌ達は上の階へと続く階段際でぼんやりとその様子を眺めていた。


「あれ、リリアにレイル?」


そこへ声を掛けてきたのは、やけに目立つ金色の髪を持つジェイドだった。


「おはよう。これから試験発表?」


「そうよ」


素っ気なく答えたリリアンヌに爽やかな笑顔を向けて、彼は足を進めて近づいて来た。


「発表が中止になるかも知れないって話は、もう聞いた?」


「えぇ」


無愛想に答えるリリアンヌの隣に立つと、玄関先に溢れる人達をリリアンヌ達と同じように見渡してから向き直った。


「この前の髪飾りは気に入ってくれた?それで、もしよかったら一緒に食事でも…」


「戦争が始まるかも知れない日に女性に声を掛けて口説くなんて、頭がどうかしてるとしか思えないわ」


大きな溜め息をついて、リリアンヌは暗赤色の瞳をジェイドに向けてバッサリと切り捨てた。


「…ごめん、そんなつもりじゃ」


ジェイドが言い終わらない内に、階段から降りてきたアレックスの言葉でそれは遮られた。


「兄上がお呼びだ。早く行け」


頭上を見上げれば、階段の頂上に黒い人物が一人いる。それを確認してから、リリアンヌはジェイドに向き直った。


「…せっかくのお誘いだけど、お断りするわ。ごめんなさい」


まるでどこかの教科書に載っているかのような、台詞を返してレイチェルの腕を取った。


「行こう、レイル」


そう言ってアレックスの脇を通って階段を駆け上がった。アレックスは、リリアンヌ達が去った後に冷ややかな視線をとんがり帽子の下からジェイドに向けてから、階段を降りきってざわめきたっている群集に声を張り上げた。

試験発表は予定通り行うというその内容は、階段を上っているリリアンヌ達にも聞こえていて、嬉しさのあまりリリアンヌは駆け上がる速度を上げた。ルビウスが待つ、一番上の階に着いた時には二人もすっかり息が上がってしまっていた。


「やぁ、来たね」


階段の終わりとなる広い場所で、ルビウスは石造りの柵にもたれて階下を見下ろしながら二人を待っていた。


「行こうか」


二人の息が整った頃に、ルビウスがそう言って歩き出した。リリアンヌも小走りでついて行き、レイチェルはよろよろとその二人の後を追った。


「彼となんの話をしていたの?」


「大した話じゃないわ。…食事に誘われたけど、単にそれを断ったっていうだけの話」


並んで歩いているとルビウスがリリアンヌにそう尋ねた。リリアンヌは、小さく首をすくめて答えると前を向いた。ルビウスは、ふーんと小さく答えただけで、それ以上は何も話しかけて来なかった。やがて、大きな講堂の入り口が正面に見えたが、ルビウスはそこへは向かわずに右に曲がって立ち止まった。

そこには、薄茶色のこじんまりとした古い両扉があるだけだった。


「リリアンヌはここで待ってて。レイチェル、おいで」


やや高めの金属音を奏でて扉を開いたルビウスに促され、レイチェルが渋々部屋へと入って行った。ルビウスも後に続いて入って行った後は、扉が閉まる音だけが廊下に響いただけだった。静かな廊下で一人、冷たい壁にもたれてルビウス達が出てくるのを待っていたが、時間が掛かるのであろうと悟ったリリアンヌは講堂まで戻って中を覗いた。

中はがらんとしていて、長い机と椅子が並ぶだけだ。日の光が差し込む講堂の入り口に立っていると、遠くから魔法が弾けるような音と魔力がぶつかり合う振動が伝わって来た。


「リリアンヌ、待たせたね…って、あれ?」


そう言って廊下に出てきたルビウスは、きょろきょろと辺りを見渡してから遠くにいるリリアンヌを見つけた。


「あ、ルビウスさん」


「何をしてるの?こっちにおいで」


手招きするルビウスの元に駆け寄って、開け放たれたままの部屋をそろりそろりと覗き込んだ。


「講堂を見てたの?」


「そう、暇だったから」


そんな会話をかわしながら、リリアンヌは促されるまま、部屋へと入った。

そこは、光を沢山取り込んだ清々しい部屋であったが、物が辺りに溢れ、机や家具が部屋の隅に追いやられていた。ない空間を無理やり作ったという感じだ。


「あぁ、今度は七番弟子か」


三面ある壁はほとんど大きな窓で、全て開け放たれて黄ばんだ窓掛けが風に揺れて激しくはためいている。そんな正面の窓のすぐ手前にいた恰幅の良い男性が、疲れた顔を隠しもしないでリリアンヌを見て言った。


「ケビン、資料を」

広く大きいどっしりとした机から離れて、部屋の中央に置かれた小さな机の近くにやってきた。とんがり帽子は脱いでいるようで、恰幅のよい男性が誰だか直ぐに分かった。元老の一人、卒業試験で進行係を務めたロアウルである。


「えぇーと、リリアンヌ…リリアンヌ・カインドっと」


そう少なく短い赤毛と茶色の瞳を持つロアウルに言われて、机と椅子が山のように積み上げてある大きな机の端で、記録係であった若い青年、ケビンが古びた椅子に座って分厚い辞書のような本を捲り、その後で無数に詰まれた用紙の山を掻き探していた。


部屋には、ルビウスを含めて九人の魔法使いと魔女がいた。その半分程はリリアンヌの知っている人物だ。

右手にある開け放たれた窓の近くで、どっしりとした広い机に広げられた紙を顔が付きそうなほど覗き込んでいるのはルビウスの祖父、シリウス。その直ぐ近くで小さな呪文を唱えているのは、ルビウスの叔父であるアーサーだ。背の低い彼は、椅子に座っているとまるで小さな男の子のようだった。


歪な形をした部屋の中をせかせかと行ったり来たりしているのは、防衛大臣であるモーリス大臣。痩せた彼は、腕にくるくると綺麗に丸めた洋紙を幾つも抱えているが、歩く度に少なからず一つは剥き出しの床に落としていっている。


その他には、シリウス達がいる机のそばで椅子を並べて座っている女性二人がいた。相変わらずの露出度が多い服装のマクセル侯爵、元老の一人であるプラマーと言う名の女性が、リリアンヌに背を向けて何やら話し込んでいる。


そして、彼ら彼女達とは反対側、左の窓際で舞い込む風を受けながら本片手に佇んでいるのは、リカ・ベクトル。彼は、リリアンヌの視線に気づくと人の良さそうな笑顔を向けた。


レイチェルの姿を探していたリリアンヌは、どうやら彼女はこの部屋には既にいないようだと溜め息をついて諦めた。


計八人の魔法師達は、各々にやらねばいけないことを優先していて、リリアンヌを気にかける者は一人もいない。

辛うじて、手が空いていたルビウスはリリアンヌの背中にそっと手を添えると部屋の中央へと誘導していった。


「あぁ、ありました!」


リリアンヌ達が中央に辿り着くと書類を掻き探していたケビンが、椅子から勢い良く立ち上がってそう叫んだ。ぱたぱたとロアウルの近くに駆け寄って来ると、小さな机に辞書のような物を開けて置き、彼に向かって右側に厚紙で作られた一枚の洋紙を左側に万年筆と柄の部分が酷く剥げた小刀を布の上に置いた。


「ケビン、魔法使いならば時間を掛けて探し物をするなどと言う下らない事は今後やめるように。よし、必要な物は揃った…よろしい。リリアンヌ・カインド、こちらに」


既に小さな机の前に着ていたリリアンヌは、しょんぼりとうなだれるケビンをちらりと見てロアウルに向き直った。机の上に置かれた物を確認していたロアウルは、大きな声で呼んでからぎょっとしたようにリリアンヌを見た。

どうやら、リリアンヌ達が近くに来ていたことに、今頃気づいたようだった。

酷くうろたえたように見えたが、彼は何度か咳払いをしてそれを隠して声を張り上げた。


「ルビウス=レオ・カインドの七番弟子、リリアンヌ・カインド。先日の卒業試験の結果を発表する!」


「ロアウル、君の声はどうしてそんなに大きいんだい?頼むからもう少し小さな声で結果発表をしておくれ」


「…違うわ、テレサ。それじゃあ、この魔法の意味がなくなるじゃない!」


声の大きさがあまりに大きくて、リリアンヌも思わず顔をしかめると、机の上の書類を眺めていたシリウスが顔を上げて、ロアウルに訴えた。その話に割込んで来たのは、プラマーという婦人だった。高らかな彼女の声を聞いてから、ロアウルが困ったように声を張り上げた。


「分かった、努力する。だから皆も静かにしてくれ、こっちは大事な式をしているんだ!」


「しぃーっ!!」


ロアウルの声がまだ大きかったのもあってか、シリウスはぺちゃくちゃと喋っている彼女達に向かって、右手の人差し指を口元にやって黙らせた。プラマーは、はっと気付いたようにリリアンヌ達を振り返って、ごめんなさいねというような身振りをしてマクセル侯爵に顔を寄せて喋り出した。


ロアウルは、溜め息を零して左手を振ると防音の魔法を掛けた。


「皆さんの会議を別室でしていただくか、結果発表を別の部屋にするかになされば宜しいのでは?」


それを静かに見ていたルビウスは、ロアウルにそう言った。


「…この部屋しかマシなところが無かったんだ」


そう言って息を大きく吸った彼は、小さな机を挟んで正面に立つリリアンヌに向き直った。相変わらず声が大きい。シリウスが注意した意味は殆どなかったようだ。


「リリアンヌ・カインド。元の名が…、元の名が抜けているが?」


分厚い辞書のような本に目を通していたロアウルが、困ったようにルビウスに尋ねた。


「彼女は孤児でしたから。飛ばしてどうぞ?名前など、後でどうとでもなりますから」


ロアウルとリリアンヌの間に佇むルビウスがさらりと答えた。


「…先日の九つの試練の結果を述べる。一つの試練で百点満点として計算し、計九百点。それに服装や言葉使い、礼儀作法を含めた百点をあわせて千点だ。…リリアンヌ・カインドは、二つの口述試験が合わせて百九十点。能力試験が八十九点、変化の試験は九十一点。精神及び師との対戦は九十四点。封印の試験が六十一点、召喚の試験は九十点。特技魔法では八十点、模擬試験で七十三点を所得。残り八十七点を足して、計八百五十五点を所得。よって今回の試験は合格とする!」


ぼけっと話を聞いていたリリアンヌは、最後の言葉ではっと我に返り、ぱっとルビウスを見やった。彼は、何とも言えないような、寂しげな笑顔を見せてリリアンヌを見やった。そんな事には気づかず、笑顔を返すとロアウルを見やった。


「それで、えぇーと契約の言葉を朗読したまえ。ケビン!」


ロアウルの後ろで、ふらふらと身体を揺らして立っていた青年は、ビクッと身体を震わせてから腕に抱えていた薄い書物をリリアンヌの前に開けて見せた。この部分を朗読するようにと促され、古びた言葉で書き殴られた文字を朗読した。


「そこに名前と印を…」


ケビンがパラパラと捲った場所に、置いてあった万年筆で名前を書き、手渡された小刀で左手の親指を浅く斬って洋紙に印を押した。


「よろしい、ではこれを」


ケビンが辞書のような本と共に持ってきた厚紙の書類を手に、ロアウルが両手でリリアンヌに差し出した。


「リリアンヌ・カインド。ルビウス=レオ・カインドの七番弟子をロアウル=ビス・シェルダンと師であるルビウス・カインド立ち会いの元、リヴェンデル国の正式な魔法師、叉は魔女として認定する。…おめでとう」


そっと手渡された差して大きくも小さくもない厚紙の書類には、リリアンヌの名前と今日の日付、ロアウルが言ったような内容が書かれた認定書であった。


「師より、贈り名を!」


飛び跳ねたい程の嬉しさを抑えて、ルビウスを仰ぎ見た。ルビウスは、じっとリリアンヌを見てから諦めたように口を開いた。


「…君には、古来にいた魔女の一人の名前である『ノア』という名を贈るよ。おめでとう、よく頑張ったね」


贈り名が発せられると、リリアンヌの頭上でぱっと明るい光の球体が浮かび、弾けたと思えばきらきらとした光が粉状となって降り注いだ。


「おめでとう」


「ありがとうございます」


ぱらぱらと疎らな拍手と共に贈られた祝いの言葉で、リリアンヌは柔らかな笑顔と共に礼を言った。


「では、下の階に行って外套ととんがり帽子の寸法を測ってきなさい。他にも靴やらなんやら必要な物があるだろう、下に行けば分かる。採寸などが終わったらここに戻って来るように。…赤子の魔法でも借りたいほど忙しいんだ」


ぶつぶつとそう言って、ロアウルは小さな机から離れ、早く行けという仕草をした。ルビウスは、リリアンヌを両扉の他にあった取っ手のない小さな石造りの扉へと連れて行った。


「ルビウス、分かっているだろうね?」


その二人を忙しそうに大きな机の近くで動き回っていたシリウスが気付いて声を掛けた。ルビウスは、そんなシリウスに笑顔で答えた。


「えぇ、勿論ですとも爺様。今宵は満月。ちゃんと分かってますよ」


扉を押し開けて、身を滑り込ませるとリリアンヌについてくるよう、合図した。リリアンヌは、ルビウスの後に続いて身を滑り込ませた。扉から外に出ると、そこはひんやりとした石造りの階段が果てしなく下に伸びるだけだった。試験を受ける際に、地下へと続く石造りの階段を下りた時とよく似ていて、薄暗く不気味な隠し階段だ。

ルビウスは、颯爽と不規則な幅で作られた階段を下りていく。慌ててその後を追ってリリアンヌも階段を下りた。二人の疎らな足音が階段に反響し、等間隔に並ぶ明かりが時折、ぼんやりと揺れる。


「これって隠し階段よね?どうして表の階段を使わないの?」


「結果発表がまだの人と終わった人とが、かち合わないようにっていう“気遣い”だと思うよ」


静かに反響する声を聞きながら、レイチェルもここを通ったのだろうかとぼんやり考えた。


「あぁ、ここだ」


そう言って階段の途中で立ち止まったルビウスは、左手に続く石造りの壁に左手を添えた。何の変哲もない壁だが、ルビウスがそっと添えただけで、壁は重々しい音を立てて開いた。

明るい光が冷たい石造りの階段に差し込む。部屋に降り立った二人をがやがやと賑やかな人達の中から、一人小太りの男性が駆けてきて言った。


「カインド公」


「あぁ、メルクスさん。こんにちは」


にこやかに挨拶をしたルビウスに、同じように挨拶を返した男性は緩い巻き毛の金髪を撫でつけながら続けた。


「いつもごひいきにして頂きまして。お弟子様ですか?」


「えぇ、七番弟子のリリアンヌです。卒業試験で受かったので、一つお願いします。僕は爺様に直ぐに戻るように言われているので」


「それはそれは。おめでとうございます…大丈夫です、お任せ下さい」


にこにことリリアンヌを見ながら言う彼は、笑う度に顔のあちこちに皺を寄せてなんとも面白い顔をしている。


「リリアンヌ、こちらはジャン・メルクス氏。ポプリート帝国という国で有名な骨董屋を経営してらっしゃる方だよ。…僕はついていれないから、彼が代わりにいろいろ教えてくれるだろう。採寸などが終わったら、先程の部屋に来てくれ」


そう言うなり、ルビウスは慌ただしく姿を消した。その姿を見送るとメルクス氏は腰を折って、リリアンヌに挨拶をした。


「リリアンヌ殿、この度は誠におめでとうございます。このジャン・メルクス、ルビウス様の代わりとしてしっかりとお役に立てるように努力致します!何卒お願い致します」


「こちらこそ…」


ゆったりとした服装をしてはいるが、パンパンに膨らんだお腹はお辞儀をした際に更に窮屈そうに膨らみ、辛うじて留まっている青い留め具が弾け飛びそうだ。


彼の腹を凝視して、そんな事を頭の隅で考えていたリリアンヌは、当たり障りのない言葉を小さく返した。


「さて。そうとなれば、まずは外套の採寸を測らねばなりませんね。仕立て屋があちらに並んでおりますから、参りましょう!」


リリアンヌを引きずるようにして部屋の向こうへと促すメルクス氏は、上機嫌でそう言った。

部屋の中には、様々な国から集められた商人や仕立て屋、帽子屋に靴屋が、自らの店名を掲げてあちこちに陣取り、それはまるで市のように活気付いていた。

呼び止められる商人達の間を縫っていくメルクス氏は、まず老婆と若い青年がいる仕立て屋に真っ直ぐ向かった。そこで、頭のてっぺんから足の先まで採寸され、外套の布地や図案を選ばされた。

それが終わると直ぐ、メルクス氏はリリアンヌを引き連れて帽子屋に向かった。


「…何でもいいんだけど」


魔法師の象徴でもあるとんがり帽子は、外套や靴と並び、一生もんであると力説するメルクス氏は、帽子屋の男性とあぁでもないこうでもないと顔を突き合わせて話し込んでいる。


「…やはり、外套の生地と同じ物を使いましょう。あれはめったなことでは駄目になりませんから。あとは図案ですな」


そんな話をするメルクス氏の嗄れ声を聞きながら、リリアンヌはさして広くもないごった返した部屋を見渡した。外套で手間を掛けていた間に、受かった受験者が部屋に溢れてきていた。

まるで、城下街で開かれる市場のように熱気と雑音でいっぱいであった。その中を目を凝らしてレイチェルの姿を探すが、やはり彼女の姿はなかった。


「リリアンヌ殿!なにをぼけっとしておられるのですか?ささ、こちらに来てどんな帽子が良いか、このジャン・メルクスに教えて下され」


無理やり木で作られた円い椅子に座らされて、そばかすの青年と顔を突き合わせることになり、リリアンヌはうんざりとしたように溜め息を零した。


「出来上がりは数ヶ月掛かるようです」


型を決めて図案を決め、帽子屋を後にしたその次は靴屋。買い物などめったにしないリリアンヌは、一通りの物を揃えることに酷く疲れきっていた。転々と店を回ってようやく区切りが着いた頃には、既にお昼を回っていた。メルクス氏は、(走り回ったせいなのか、はたまた体型のせいなのかは分からないが)顔から滴る汗を拭きながらそう言った。


「ありがとうございました、メルクスさん。何から何までしていただいて」


丁寧にお礼を言うリリアンヌに、メルクス氏は顔を拭っていた黄色い手拭きを振って言った。


「とんでもない!私も随分楽しませて頂きましたよ。いや、私にも丁度、あなたの年の娘が居りましてね。今日は店で留守番しておりますが…あの子は私に似て、ほとんど魔法が出来ませんで。魔女に向かないものですから、こうして魔法師の仕立てやなんらには縁がないと思ってました。ですから、まるで娘の仕立てを出来たような気分を味わえました。ありがとう、リリアンヌ殿」


にっこりとそう言ったメルクス氏を見て、ぼけっとしていたことに少し申し訳なくなく思ったリリアンヌ。そうですかと小さく答えるだけに留めた。


「あぁ、そうだ。これは私共メルクス店からの祝い品です。質は良いものですから、一生ご使用できますよ。壊れたりしても、メルクス店で無料で修理致しますので」


箱に入った商品を手渡すメルクス氏から受け取ると、そっと中身を出した。それは、やや暗く落ち着いた赤色で作られた光沢のある万年筆だった。

上品な色合いの筆記具を光に当てて魅入るリリアンヌに、メルクス氏が朗らかに笑って言った。


「魔法を使わなくても良いぐらい、一生使える物を販売する。メルクス店の心得の一つです。…魔法はほとんど使えなくとも、“目利き”は自信がありますよ」


「ありがとうございます、大切に使わせて頂きます」


笑顔でそう礼を言ったリリアンヌに破顔すると、彼は腰を折って優雅に紳士の礼をした。


「今後ともメルクス店を宜しくお願い申し上げます」


そう言ってすっと景色に溶け込むように姿を消したメルクス氏に、呆気に取られていたリリアンヌだったが、はっと我にかえると大事そうに万年筆を懐にしまって歩き出した。


先程の部屋に戻れば、丁度ジェイドが認定証を貰っている所で、扉の直ぐ近くにいたルビウスがリリアンヌに気づき、お昼を先に食べておいでと彼は言った。

再び、石造りの階段を降りようと人の行き交いが多くなった講堂の前を通りかかると、小さな泣き声が耳に届いた。


誘われるようにして、講堂へと入ると向こう側の壁際に、うずくまる白髪の小さな少女がいた。


「…レイル?」


そっと呼びかけると、彼女は伏せていた顔を上げると大粒の涙を零した。その様子からして、何かあったのだろうと想像出来る。


「どうしたの、こんなところで」


レイチェルの近くでしゃがみ、そう尋ねたリリアンヌ。


「リリアぁ」


わっと号泣して抱きついて来たレイチェルを受け止めながら、よしよしと頭を撫でてやる。その間も、レイチェルはぐすぐすと泣きながら言葉を発するが、リリアンヌはなんと言っているのかわからない。


「レイル、何?分からないよ」


いつもはどんなに彼女が泣いていても、大抵のことは理解出来るリリアンヌ。けれど、今回ばかりはわあわあ泣く彼女に、ほとほと参ってしまった。


「…おい、見ろよ」


そんな二人に講堂の入り口から、笑いを含んだ声が掛かった。そちらに視線をやれば、まだ若い、三人組の青年がリリアンヌ達を見ながら小馬鹿にした視線を寄越していた。


「まだ泣いてるぜ」


「…あいつ、カインドの弟子なんてぜって―嘘だろ。だってよぉ、卒業試験で落ちた人なんて聞いたことねーもん」


見ろよと一際背の高い青年が、後ろの色黒の青年に言うと、彼はケラケラと笑いながらそう言った。リリアンヌが眉をひそめて三人を睨むと、残りの一人が人差し指を向けて声を上げた。


「古代魔女もいるなぁ。落ちこぼれは落ちこぼれ同士、仲良く慰めあってるみたいだなっ」


ドッと笑い出した青年達の声で、レイチェルがより一層泣き声を上げた。その様子を見る限り、どうやら彼女を泣かしたのは彼らだと気づくと、リリアンヌは腰を上げて睨んだ。


「ちょっと、レイルを泣かしたのはあなた達?」


じろりと真っ直ぐに見つめてくるリリアンヌを面白そうに眺めてから、青年の高い青年が淡い緑色の瞳を向けて言った。


「泣かしたつもりはないけどな、俺達は本当ことをそいつに言っただけだぜ?なぁ?」


他の二人に同意を求めるようにそう言うと、後ろに佇んでいた彼らも澄ました顔で首を縦に振った。


「いい歳をした男が、寄って集って女の子を虐めるなんてっ!恥を知りなさいよ!」


怒りで声を荒げるリリアンヌを顎を上げて、高い位置から見下すように見ていた茶色の髪を持つ青年は、フンと鼻を鳴らして言った。


「勝手に泣き出したのはそっちだぞ?それなのに、こっちのせいだって言い掛かりを付けられたら、たまったもんじゃないな」


「人魚は水ん中でお魚さんと泳いでたらいいんだよ!古代魔女もさっさと故郷くにに帰れよっ」


金髪を持つ、ぽっちゃりとした体型の背の低い青年が煽るように叫ぶ。その言葉で、静かな怒りを爆発させたリリアンヌは、身体から小さな舞い風を発した。銀色の髪と黒い衣類の裾が風に靡く。


「やんのか?」


望むところだというように、リリアンヌよりも大きい熱風を足元に彼は作り出した。


「何をしている」


「げっ」


ピリピリとした魔法の力が充満する講堂に、よく通る男性の声が響いた。その声を聞いて、三人の内二人がぎょっとした声を上げた。


「こんなところで喧嘩か?感心しないな」


つかつかと講堂に入って来たのは、ルビウスの一番弟子であるフレドリッヒだ。男性達とリリアンヌの間まで足早に進んだ彼は、双方を呆れたように交互に見た。


「フレッド兄さん、邪魔しないで!」


さっき自分達を馬鹿にしたことを絶対に後悔させてやると息巻くリリアンヌに、魔法師特有の正装をしたフレドリッヒは首を振って言った。


「やめなさい。こんなくだらないことに体力を費やすなんて、時間の無駄だ」


「だって、レイルが…」


小さく唸りながら、魔法をしまったリリアンヌは納得出来ないとばかりに兄弟子に訴えた。


「…先生を呼んだから、もう直ぐいらっしゃる。二人共どこにいるかと思ったら」


これはもうお手上げだと言わんばかりにそう言うが、颯爽とレイチェルの近くに寄ったフレドリッヒは幼い子供をあやすかのように、彼女に尋ねた。


「レイル、何を泣いてるんだ?」


けれど、レイチェルはリリアンヌの時と同じように激しく泣くだけで、何を言っているのかわからない。さすがのフレドリッヒも宥めるだけで一苦労だ。


「フレドリッヒ?一体、何事だ」


そこへ現れたのは、噂をしていた当の本人であるルビウス。レイチェル、リリアンヌ、入り口に佇む青年達を見た彼は、厳しい視線で彼らを睨んで言った。


「…うちの六番弟子に何を言ってくれたのかな?」


先程の威勢はどこへやら。黙り込んだ彼らに、ルビウスはやや口調を強めて言った。


「僕に対して、悪口なんかを言うのは構わない。けれど、弟子達を悪く言うのは許せないよ」


ルビウスの剣幕に、背の高い青年がもごもごと何か言ったが、その言葉にさらに表情を険しくさせてルビウスが言った。


「…一人では何にも出来ないとはね。それで一人前の魔法師だなんて、聞いて呆れる。さぁ、持ち場に戻るんだ。後で覚悟しておきなさい、ただで許しはしないから」


追い払うように右手を振って彼らを促すと、ルビウスは踵を返してカツカツと足音高くリリアンヌ達の元にやってきた。


「…この忙しいときに」


まだ言い足りないと入り口を見やっていたリリアンヌの脇を通り過ぎながら、そんな事をぶつぶつ呟いていた。


「レイチェル、可哀想に。酷いことを言われたのかい?」


フレドリッヒが空けた場所に片膝をつきながら優しく頭を撫でてやり、ルビウスは尋ねた。

まだ涙と鼻水が止まらないレイチェルは、つまりつまり何を話した。そのたびに、ルビウスは「…また来年がある」とか、「気にすることはない」などと相槌を打ち、胸元から取り出した手拭いでレイチェルの顔を拭いてやった。


「…フレドリッヒ。オリヴィアを呼んでくれ」


無言で頷いたフレドリッヒが立ち上がり、少し距離を置くためにその場を離れた。リリアンヌは、ぽつりぽつりと話すレイチェルの話しにルビウスと共に耳を傾けて居なければならず、泣いていた理由を理解するのに苦労した。


なんでも、彼女は残念ながら卒業試験を合格出来なかったようで、ルビウスに裏階段を通って玄関まで送ってもらった後、リリアンヌを探してとぼとぼと旧館をうろついていたらしかった。その時に、あの青年達に見つかり、散々な言われようをしたという。レイチェルが言われた言葉に、リリアンヌが酷く腹を立てて言った。


「レイルに言うなんて!言うならルビウスさんに言うべきだわ。ほったらかしにしてて、レイルが落ちたのはルビウスさんのせいなんだから」


「うん、…まぁ、その通りなんだけどね」


あまりにバッサリと言い切ったリリアンヌに、ルビウスは肩をすくめた。


「フレドリッヒ、オリヴィアはまだ来れないのか?」


「兄上!あの頭の堅い輩をなんとかして下さい!もう我慢がなりませんっ」


フレドリッヒが口を開くより早く、アレックスが入り口に現れて叫んだ。


「…あぁ、もう!どいつもこいつも。僕は一人しかいないって事を忘れているんだ」


魔法使いらしからぬ言葉を吐いて、小さく唸ったルビウスが、入り口に佇む弟に視線をやりながら叫んだ。


「泣き止まない子供の子守か、堅物の相手。どっちか選ばせてやるよ!」


「もちろん、堅物の相手で!」


考える時間もなく叫び返したアレックスは、すぐさま姿を消した。


「そっちは頼んだよ、アレックス」


扱いやすい弟に安堵を漏らしながら、レイチェルの鼻をかんでやってからフレドリッヒに再び視線をやった。が、しかし。


「ルビウス!セドが奴らに追い回されて王都を破壊して駆け回ってる!助けに行ってやってくれ、僕は今手が離せないんだっ」


講堂に響いた大音声で、思わずリリアンヌ達は耳を塞いだ。ぐわんぐわんと手加減もなく声を響かせている主は、ルビウスの祖父、シリウスだった。その場にいる者の中で唯一、耳を塞いでいないルビウスが返事を返そうと口を開くと今度はフレドリッヒが声を上げた。


「先生!オリヴィアが王都で起こっている紛争が邪魔して、こちらに来れないと言っています」


「ルビウス!セドを頼むよっ」


「聞こえてますよ、爺様。そう大きい声で怒鳴らないで下さい!今すぐ向かいますから。フレドリッヒ、オリヴィアに遅くなっても良いからこちらに来るようにと伝えろ。レイチェル、リリアンヌと一緒にお昼を食べて、この古い呪文を地下倉庫でありったけ探し出してくれ。フレドリッヒ、君は僕と一緒に来てくれ!リリアンヌ、レイチェルを頼んだよ」


慌ただしく指示を飛ばして、リリアンヌに数枚の小さな紙を手渡したルビウスは、フレドリッヒを引き連れて入り口へと向かう。


「地下倉庫ってどこにあるの!?」


そんな彼の背中に、リリアンヌが同じぐらい慌てた様子で尋ねた。


「君達が試験を受けた場所だよ!全く…満月の日はろくな事が起こった試しがない!」


そんな事を叫びながら、ルビウスはフレドリッヒと共に姿を消した。

残されたリリアンヌとレイチェルの二人。互いの顔を見合わせると同じように肩をすくめた。

一つ、良いことがあったとすれば、レイチェルが驚きのあまり、涙が止まったことぐらいだ。とリリアンヌはこれから起こるであろう出来事を想像して、溜め息を零したのだった。



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