9 異世界で遅い昼食を
しばらくするとクロエも泣き止み顔色も良くなったので、もしやと思っておでこに手を当てて見るとどうやら熱は下がったようだ。だがまだ心細いようで雄太に引っ付いたまま離れようとしない。
「クロエ、お腹空いてるか?」
「……ちょっと」
「じゃあちょっとだけ食べるか」
「んっ」
雄太が顎に手を当てて献立を考えていると、洗濯物を畳んで片付け終えた梓がパタパタと急いでやって来た。
「それで? なに食べさせてくれるの?」
「んー焼き肉とか好きか?」
「うん! 焼肉大好き!」
「そうか、良かった。じゃあちょっとここじゃあ料理するのに狭いから向こうに行くか。気に入ってる場所があるんだ」
「……へ?」
雄太は事情が呑み込めてない妹の肩を掴むと、瞬時に異世界へと転移した。
梓が瞬きすると、そこはもう見知らぬ景色だった。雄太はテーブルセットを収納から取り出してベンチに二人を座らせ、家にあった靴を出して梓とクロエに履かせると深呼吸をした。そこは青空がどこまでも澄み渡る山の頂上の草原で、遠くに雪に覆われたマッターホルンのような山と雄大な川、広い森林が見える。
「どうだ、いい見晴らしだろ?」
「こ、ここ、外国?」
「いんや、だから異世界だって。ほら、あれワイバーン。あんな鳥いないだろ?」
「ほ、ほんとだ」
梓は一瞬悪い冗談だと思ったがそうではない。確かに見たこともないファンタジーな生き物が空を飛んでいるし、見たこともない花が咲いている。
「ってあれ大丈夫なの! 襲われたりしないの⁉」
「しないさ。一応結界を張ったがあいつらは賢いからな、格上を攻撃したりはしない」
「はえーそうなんだ……」
「さ、飯にしようか。前に下ごしらえした肉があるんだ。座って待っててくれるか?」
雄太が手をかざすと瞬時に鉄板や調理器具、肉などが現れた。それでいざ作り始めようとしたがお腹でカンガルーになっている娘が邪魔になる。
「クロエ、くっついててもいいけど背中に回ってくれるか。これじゃあ料理ができない」
「ん」
器用にくるりと背中に移動したクロエは、フジツボのように取り付いて離れない。しかし雄太の両手は空いたので、早速調理に取り掛かった。しかしとはいえやることは肉や野菜を切って焼くくらいだ。
魔法により直接熱せられた鉄板を三人で囲んで座わる。さすがに背中にいたままでは食事ができないので、クロエには雄太の横に座ってもらった。
「夜はすき焼きだって言ってたから軽めにしとこうかな、と思って肉を焼いてしまった」
「いいんじゃないの、お兄ちゃんの収納魔法って時間止めれるやつでしょ? 作りすぎてもそれの中に入れておけばいいし」
「まぁそうだな、じゃあいだだきます」
「いただきましゅ!」
「んーえらいねクロエちゃん!」
「えへへ」
いつの間にか食事前のいただきますを覚えたクロエは言われなくても手を合わせてから食べることができるようになった。梓に褒められてやっと笑顔になったクロエに雄太はせっせと肉を焼いてやる。
「わーおっきいステーキ肉だね」
「これはクロエ用な。お前のはこっちの薄いのだ」
「えーこのハムみたいなの一枚だけ? ちょっと酷くない?」
「違う、この肉はこの世界の肉だから魔素がふんだんに盛り込まれている。少しなら体力もついて元気になるが、大量に食べると腹を壊すぞ。悪いこと言わんからそれにしておけ」
「うえ、そうなんだ。じゃあいただきます」
焼いたハム状の肉が一枚だけ盛られた白い皿にフォークを取って薄切肉を刺し、太陽に透かして見るが、いまいちなにが違うのかがわからない。しかし兄が真剣に言うのだからそうなんだろうと思い、パクっと一度に全て頬張った。するとどうだ。
「うわっ! なにこれ! こんな薄いのにしっかり肉の味がしてガツンと胃にきちゃう! わけわかんない! もうお腹一杯になっちゃった!」
「そうだろ。ここで取れたものと日本とでじゃ環境が違い過ぎるからそうなるんだ。このお茶も飲んどけ」
「これは?」
「これもこっちで取れたものを使ったハーブティーだが、全身の魔力を整えて不必要な分は排出する作用があるんだ。胃と頭がすっきりするぞ」
「わ、ほんとだ。しかも癖が少なくて飲みやすい」
「一応薬湯扱いなんだがな、味が好きだから俺も普段使いしている。さ、クロエ、次のが焼けたぞ」
「うん!」
小さいナイフを器用に使って切り分け、パクパクと食べるクロエのためにせっせと父は肉を焼く。
「お兄ちゃん、焼くの代わろうか? あたしもう食べられないし」
「俺は大丈夫だ。食べても食べなくてもどちらでもいいんだよ。体質が変わってな」
「へー変なの」
「じゃあパパ、クロエのあげる! あーんして!」
「ん? ありがと、野菜もあるから食べな。梓も野菜は日本のだから食べられるぞ」
「うん!」
「じゃあ私ももうちょっとだけ。んー玉ねぎ美味しい。景色もいいしなんだか凄い贅沢な気分」
賑やかな食事が終わってみんなで薬湯を飲み、片づけをしたらレジャーシートを広げて全員寝そべった。クロエは雄太に寄り添って気持ちよさそうにうとうとしている。
「クロエちゃんが熱出したのって日本の食べ物が合わなかったのもあるのかな」
「それもあるだろうが、一番の原因は環境の変化による心因性のものだろうな。クロエはこう見えて戦うとかなり強いんだけど、ここ最近は色々あったからな」
「へー強いってどれくらい?」
「地球のAランク冒険者に負けないくらい」
「はー⁉ それメチャメチャ強いじゃん!」
「静かにしろ、今眠りそうなんだから」
「あ、ごめんごめん」
梓はクロエの寝顔を覗き込んだが幸せそうに寝ている。微笑ましいなと思って見ていると、急に雄太が上半身を起こした。
「どうしたのお兄ちゃん?」
「すまん、野暮用ができた。山の向こうでこの世界の新米冒険者が高ランクモンスターを怒らせたようだ。悪いが家に戻ってクロエに付いてやっていてくれるか?」
「それくらいならお安い御用だけど、大丈夫なの?」
「逃げてる方は命がけみたいだけどな。じゃあ頼む。なるだけ早く帰るから」
そう言うとクロエと梓の体は光に包まれて元の宮本家のリビングへと戻った。雄太は頭をかきながら山の奥を見やる。
「さて、どうしたもんか。不必要に干渉するのは良くないんだがな」