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封印の神器アラストル  作者: 彩玉
一章 樹海騒乱
22/29

22.顔合わせ

 翌日、朝の九時を過ぎた頃。ライコウは再びギルド支部へと足を運んでいた。昨日と同じように迎えに来てくれたサファイアと、受付にてとある人を待っていた。


「今日はわりと人がいるんだな」


 受付嬢と歓談する三人の冒険者を見ながら、彼はボソリと呟いた。

 昨日はがらんとしていた一階フロアは、打って変わって人が多くいた。何かあるのか、今日のギルドは人の出入りが多い。


「東側周辺での魔物駆除の仕事が出てるのよ。なんでも、アスブコールが商人の荷馬車を襲っているらしいわ。これ見て」


 ライコウの言葉を聞いたのか、彼女は受付カウンターから一枚の依頼書を取り出し、彼に見せた。

 依頼書には『駆除対象:アスブコール』『対象区域:アフダリア平原・サウード街道沿い』『応募資格:C2以上』と印刷されている。依頼者は交通省だ。カウンターに置かれた同じ依頼書の厚み具合からして、大量発生しているらしい。


「アスブコール……確かオオトカゲ、だったよな。東の平原にはよくいるのか?」


 彼は依頼書に書かれた魔物・アスブコールについて、頭の中で眠っていた知識を引っ張りだす。


 アスブコールとは、この地方の言葉で『馬を食らう者』を意味するオオトカゲだ。

 体長は二~三ムール、体重は約八十~九十キロの巨体を持ち、血液の凝固を阻む毒を持つ。また、その巨体に似合わない素早さと、長距離を休むことなく移動し続ける高い持久力を持ち合わせている。


 名前の通り、アスブコールは馬を捕食する。その他にも、水牛や鳥、鼠と、大小に関わらず目についた生物なら何でも捕食する。もちろん人間も例外ではない。

 しかし、このトカゲがいくら素早いと言えども、とても馬の足には敵うものではなく、自然の状態であれば、捕食するのは簡単という訳ではなかった。

 が、この辺りでは、荷馬車を引く馬が多く見られる。メソスチアは大陸有数の商業都市だ。市場へと持ち込まれる商品は当然多く、その分荷馬車が重くなる。このことから、足の遅い荷馬車の馬が特に襲われやすいらしい。


 と、ライコウはどこかで目にした書物と、いつだか商人から聞いた話を擦り合わせながら思い出していた。

 そんな彼の傍らで、隣にいたサファイアは、何故だかうーんと浮かない顔をしていた。


「たしかにアフダリアにはよくいるけど……。大量ってほどではないわね。それに、街道に近づくことはあまり無いの」

「というと?」

「この辺りにいるアスブコールは、森の近くが生息域なの。街道は樹海から五キロ以上離れているし、街道沿いには森どころか、林すらないの」


 サファイアが言うには、この国の主要街道に関して、街道周辺に森や林、イネ科の植物など、猛獣・魔物・盗賊が身を隠せそうなものは粗方取り除いているという。そこまでするのは、この国が商人を保護しているのが大きいが、一番の理由に流通の滞りを防ぐのが挙げられるという。

 加えて、商人には護衛者がついている。すべての商人が護衛を雇っているかと言えば違うが、それでも道端に現れるアスブコールは駆逐されていく。彼らの肉や革は金になるのだ。むしろ、見方によってはアスブコールより護衛者の方が危険と言えるかもしれない。


「だからアスブコールが、ここ二、三日で一気に増えるなんておかしいの。……もしかしたら」


 少し考え込む彼女はライコウをちらり見る。彼も分かっているのか、サファイアが言わんとすることを否定するように首を振る。


「違うね。《津波》発生の前兆じゃない」

「どうしてそう言えるの?」

「樹海の《津波》には決まった前兆があるんだ。海上の大津波が起きる直前に、海岸から海水が沖の方へ引き込まれるように、樹海の《津波》では周辺一帯の魔物の姿が一切消えてしまうんだ」


 魔物が姿を消す現象は、《津波》が発生する度に起きており、樹海周辺に留まらず十キロ離れた地域にさえ及んでいた。この不可解な現象を二日間ほど継続した後に、必ずと言っていいほどに《津波》が発生する。


「二日。必ず二日間経った後に発生する。今はむしろ逆の状態だから、大方樹海から溢れ出る瘴気を嫌ったか、逃れたかしたのが街道付近に出没しているんじゃないかな」


 彼女はライコウの推測に、そういう見方もあるのね。と頷くも、彼の言った前兆について首を捻る。


「でも、魔物が広く忽然と消えてしまうことが起きるなんて。私、まったく知らなかったわ」

「当然でしょう。その話は過去に《津波》を何度か経験したことがある人しか知らないもの」


 と、サファイアの背後から声がした。二人は声のした方へ振り向くと、そこに書類を小脇に抱えた、白シャツにベージュのパンツを着た女性が立っていた。

 声の主は三十を過ぎているだろうか。サファイアにはない、年齢相応の色気を感じさせている反面、それ以上に近づき難い何かをその細身に内包しているようにも見えた。


「お待たせしたようでごめんなさい。貴方がライコウさんですね? 私はこの支部の副長を務めるエリシア・クウォーツと申します。貴方のことはエメラルドから色々と聞いているわ。今日はどうぞ宜しくお願いしますね」

「こちらこそ、どうぞ宜しく」


 エリシアはライコウの前に進み出て、すらすらと自己紹介を済ませると、にこやかに笑って彼に握手を求めてきた。

 ライコウはにこやかに握手に応じながら、彼女はサファイアと違って武闘派向きではないな。と考えていた。彼女とは違い、エリシアの手には豆がなく、魔術士のように特別魔力が高いという訳ではなかったからだった。


「副長……あの、いいでしょうか」


 にこやかな挨拶ではあったが、形式的とも言えた二人の挨拶が終わるのを見計らい、サファイアはエリシアに遠慮がちに尋ねた。


「なんでしょう」

「さっきの『過去に《津波》を何度か経験したことがある人しか知らない』とはどういうことでしょうか」

「そのままの意味よ。……そうね。私なんかよりも、まるで()()()かのような物言いをする、物知りな彼に聞いたらいいんじゃない?」


 そう言って意味ありげに微笑むエリシアに、ライコウはたじろぎ、内心汗をかきながら苦笑いする。


「あー、えっと。俺は過去に三回ほど戦いに加わったというエルフの友人から聞いただけなんだ」

「そうでしょうね」エリシアは頷く。

「あはは……で、以前にその友人と今のと似たような会話があって。それで言えることなんだけれど……」


 樹海外苑から周辺にかけて起きる、『魔物が姿を消す現象』と、《津波》との因果関係は、意外なことにあまり知られていなかった。それは単に現象自体に気づいた者が少ない他に、二つほど原因があると言えた。


 一つは、《津波》は数十~百年に一度に起きる災害なために、ヒューマンのような短命種族では一生に一度あるぐらいで《津波》を経験していた。これでは過去に記録として残されていたとしても、後世の者がその関係の有無に気付く者はなかなか居ない。

 そしてもう一つには、複数回経験した長命種族が、いつまでもその地に留まっているとは限らないからだ。

 現在では、多くの冒険者は地元政府との特別契約で持続的に縛られているが、このような制度がなかった頃には《津波》が解消された時点より、その身を自由にされていた。言い換えれば用済みなのだ。当時は報酬を払った後、犬でも払うように追い出す失礼な役人もよくいた程だ。金回りが悪くなる、人の態度も悪くなる。そんな地に、いつまでも留まる必要がなかった。


「これらのことが重なって、後世に情報が伝わっていなかったんだろうね。ま、この街にはエメラルド……支部長がいるし、彼に訊いてみたらどうかな」

「なるほど。確かにそうよね」


 ライコウは一部の嘘を隠すために、嘘と本当を巧く混ぜこんでどうにか言い繕う。サファイアは彼の言葉に何の疑いもなく聞き入れているようだった。が、話を振ったエリシアはというと、何か含みのある微笑に留めていた。

 彼女は一体何をどこまで知っているのだろうか。彼としては気になって仕方がない。


 その彼女が、話は終わったというように手を軽く叩いた。


「これで貴女の疑問も解決したようだし、さっさと行きましょう。二人ともついてきて」


 と、エリシアは二人を先導した。彼女が連れていった先は、支部の二階のとある一室。黒い円堂のある『転移室』の部屋だった。


「俺たちを一体どこへ? てっきりここの何処かの部屋かと思っていたんだが」


 簡易受付にいた獣人の男性職員に声をかけ、操作盤を弄らせるエリシアに向かってライコウは尋ねた。何か知っているかと、サファイアをチラリと見るも、彼女は分からないと肩を竦ませる。


「今から……」男性に代わって何かを打ち込む。「サウス商店ギルド会館に向かいます。その中の一室を事前に借り受けましたので、そこで樹海調査の他の方との顔合わせを行います」

「なぜそこで?」

「総合的な判断です。他の護衛者二人の所在地と、司教様の居られるアルカマル・モスク。これらとの最短距離に位置する施設が、南街区のギルド会館でした」


 彼女は操作を職員に任せると、二人に円堂の中に入るよう促した。ライコウは、二人を連れてあまり広くはない円堂へと足を踏み入れる。

 足下では青く光輝く魔法陣が、うねるように光を迸っている。


「お願い」


 エリシアの合図に合わせて、職員が起動の操作を行う。直後、三人は、彼らを取り巻くように溢れ出た魔法陣の光の濁流に飲み込まれた。



 ◇◇



 ライコウが最初に目にしたのは、窓から朝日がたっぷりと注ぎ込まれた、開けた部屋だった。

 ライコウたち三人は、最新式の転移装置の中にいた。支部にあったような暗く広くはない円堂ではなく、魔法陣の外を囲む手摺と、丸いカーブの頂点で結ばれた五本の柱だけのシンプルな装置だった。


「こっちよ」


 ギルド会館の転移室から離れ、同階にあるとある一室に案内された。

 彼らが入ったのは、青い壁に沿って置かれた飾り過ぎない品のある調度品や、部屋の中央に五席の椅子が対となって置かれた長机がある部屋だった。その部屋をカーテン越しに注がれた朝日と、ガス灯の二つのシャンデリアが明るく照らしている。


「副長! サファイアさん! 良かった~。僕、心細かったんですよ~……」


 長机のはしっこで、縮こまるように佇む一人の少年が、部屋に入ってきた三人を見るなり、勢いよく立ち上がった。三人の中に見知った顔がいたおかげか、少年は安堵したかのように表情が緩んでいる。


「ネイサン、エメラルドとギルバートは?」


 部屋にネイサンしかいない事を確認すると、エリシアは詰め寄るように彼に尋ねた。彼は緩んでいた表情を引き締め、首をやや竦めるように質問に答えた。


「えっ、あっ。ギルバートさんはまだ来ていないです。支部長ギルマスはさっきまで居たんですが、ちょっと出てくるとか言って出ていっちゃいました」


 ネイサンの言葉に小さく舌打ちすると、エリシアは後ろにいる二人に振り返った。


「ごめんなさい。私はちょっと見てくるわ。サファイアさん、その間に彼を紹介してくれる?」

「はい。分かりました」


 サファイアが頷くと、エリシアはにこやかな笑顔のまま部屋を出ていった。彼女の横顔は微笑んでいたのに、ライコウの目には、なんだか静かにイラついているように見えた。


「ふぅ~……相変わらずおっかないな~」

「全くよね。私、副長は少し苦手かな……」


 エリシアの遠ざかる足音が消えるなり、ネイサンとサファイアの二人は道寺にため息を吐いた。そんな二人の様子に、ライコウは不思議そうに見つめる。


「何で苦手なんだ? 何かされでもしたのか?」

「ううん。違うの」サファイアは首を振る。「そうじゃなくって、あの人がなんというか……近寄りがたい雰囲気があるのが……」

「そうそう! あの人綺麗だから余計に怖さが倍増しちゃって。僕、ちょっとだけ緊張しちゃうんですよ」

「ふぅん」


 異口同音に話す二人に、ライコウはどこか淡白な反応を示した。


(まったく、あれくらいでオーバーだな……)


 彼の目にも、エリシアには近づき難い雰囲気を纏ってはいるように見えた。が、ただそれだけであり、二人ほど彼女を知っている訳がないので、なんとも大袈裟に見えてしまうのだった。


「えっと……」


 ネイサンの視線に気づいたライコウは、「俺のことか?」と自身を指し、あっと言って遅れて気づいたサファイアが、慌てて彼にライコウを紹介する。


「ごめんなさい。……ネイサン、彼はライコウ・クラッカート。今回の護衛の欠員で、私が連れてきた助っ人よ」

「ライコウでいい。よろしくな」


 次に彼女は、ライコウに少年を紹介する。


「それでこっちはジョナサン・ラッド。この子、普段は薬屋で調合の仕事をやっているんだけれど、元は風属性の魔術を得意とする魔術士なの。彼も私達と同じ護衛要員よ」

「みんなからは、『ネイサン』で呼ばれています。よろしくお願いします!」


 元気よく、ハキハキと挨拶するネイサンに、ライコウは思わず笑顔になる。気持ちの良い挨拶は、見ているこちらも気持ち良くなる。

 ネイサンは、サファイアに届きそうな背丈をしていたが、彼の笑顔にはまだ僅かに幼さが感じられていた。


 彼らは挨拶を済ませると、立ち話は何だからと、長机の十ある椅子のいくつかに座ることにした。ネイサンとサファイアは二人並んで座り、ライコウは彼の向かいに座った。


「ネイサン、年は幾つなんだ?」

「今年で十五です」


 十五だとにっこり笑って答えるネイサンに、ライコウは思わず驚く。

 魔術は十二歳から学べるが、彼のような若さで既に魔術士として活躍しているのはそうそう居ない。術士になれるのは早くても八年、遅ければ二桁は当たり前だ。


「十四でもう魔術士のSランカー? マジか天才かよ」

「いいえ! 僕はSランカーじゃないですよ。Aランカーですよ」


 そう朗らかに笑って訂正するも、結局は彼が天才ジーニアスであることは違いなかった。この危険な任務に選出された時点で、ネイサンはただの少年ではない。


「AといってもA1クラスだろう? 俺としてはエリシアさんよりも、断然君の方がおっかないと思うね」

「そんなこと言わないで下さいよ。確かに僕はA1の中でも一応S級に属しますが、それは副業の薬師としての腕が評価として反映されたのが大きいんです」


 と、さらっと凄い事を言ってのけるも、彼の言葉からは自惚れ、といったものを微塵も感じなかった。ネイサンは自身の優れた能力を、鼻にかけるような嫌味なタイプではないようだ。


「もちろん、僕は自分の風魔術にも自信がありますが、純粋な実力では、サファイアさんの足元にも及ばないんですよ」

「ええっ、何でそこで私を引き合いに出すの?」


 彼らが話す話題に、いきなり引き出されて彼女は戸惑うも、何を今更とネイサンは呆れるように睨み付ける。


「はぁ? 当たり前でしょう! この街のAランカーで一番強くて、一番腕っぷしが立つのはサファイアさんですよ? それを何を今更、『私は関係ない』とか考えちゃってるんですか」

「ま、まあ、そりゃそうだけど……」


 彼女はちょっと恥ずかしそうにライコウをチラ見する。

 出会ってまだ日の浅い彼に、『一番強い』『一番腕っぷしが立つ』という男性的ワードを聞かれてしまい、ドン引きされないか気にしていたのだ。


(引かれちゃったよね……)


 サファイアは、男女関係なく、この街の冒険者の中で、『いちばんの実力を持っていること』を自信に思っている。決して自身の『強さ』をコンプレックスに感じている訳ではないが、年頃の女性としては色々と気になってしまうものだった。

 だが、その心配は杞憂に終わる。


「やっぱり。思っていた通りだったか」


 ライコウは満足するように頷く。サファイアはその言葉が聞き捨てならないと、すかさず彼に聞き返した。


「や、やっぱりって?」

「最初、初めて会ったとき、君と握手をしただろう? あの時、手のひらとマメの硬さの具合で、相当の手練れだと思っていたんだ」

「そ、そうなの?」


 今更気にしていたところで、既に遅かったことを悟り、彼女はひどくガッカリした。と同時に、何故自身がこんなにもガッカリしているのかと、内心驚いていた。

 そんな彼女の心情を露ほども知らず、ライコウは言葉を続ける。


「サファイアさん、ちょっと手のひらを見せてくれないか?」

「……はい。どうぞ……」


 彼女はしぶしぶ彼の頼みに応え、ネイサンにも見えるように手のひらを差し出す。手のひらには、いくつか白く固まったマメが幾つも出来ていた。


「これほどのマメが」ライコウは彼女の手のひらを撫でる。「出来るまでには、相当の鍛練を要したと思う。これは血が滲むような鍛練を行った熟練者の手だ」

「……でも、これじゃ男と変わらないわよね」


 どこか寂しく、諦め気味に言うサファイアに、ライコウはそれは違う。と、ゆっくり首を横に振って彼女をじっと見据えた。


「一見すると、この手は女性の手としては見た目が良くないかもしれない。だけれどね、これがサファイアさんの努力を表したものだというなら、これほど美しい手は他にない。と俺は思うんだ」

「…………!」


 嬉しそうに、どこか楽しそうに評するライコウに、サファイアは思わず赤面する。

 彼女は自身の手のひらのマメを、周囲の異性同性から『醜い』とけなされたり、からかわれたりすることはあっても、『美しい』と褒められたのは初めてだった。


「あ……ありがと……」


 急に気恥ずかしくなるサファイアは手を引っ込める。その様子を、ネイサンはからかうように意味ありげに笑っていた。


「な、何よその顔!」


 ネイサンのにやけた表情に気づいたサファイアは、狼狽えて声が上ずる。


「べつに~?」

「っ! この……ネイサンの癖に生意気ね!」

「ぎゃあっ!」


 暴れるネイサンを捕まえて、サファイアはがっちりとサイド・ヘッドロックを決める。女性による頭蓋骨固めなら大した強さではないが、彼女は龍人、なかでもこの街のAランカーのトップとなれば別次元の強さだった。

 龍人パワーで締め上げられるネイサンは、痛みに悲鳴を上げる。


「いだっ、いだだだだ! ちょ、待っ! 痛い!」

「これで謝る気になったかしら?」

「べつに何も言ってないじゃないですか! 痛い! ライコウさん助けて!」


 必死に目の前にいるライコウに助けを求めるも、なんだか面白いことになってきた。と、面白がる彼は、助けるどころか火に油を注ぐ。


「ネイサン……ラッキースケベか」

「なっ!」


 言われて気づいたサファイアは、腕の中で強めに絞めているネイサンの頭を見る。彼の頭は、彼女の柔かな胸に、顔の半分ほど埋まっていた。


「こいつ!」

「なあ!? ち、違いますって! これは不可抗力、不可抗力なんです……ぎゃあああ!!」


 さらに力を込め始めるサファイアに、ネイサンは悲鳴を上げて必死に腕を叩く。ライコウは仲が良いな~と思うも、


(ああ……これは……死ぬな)


 また一段階と上がる悲鳴に、これにはさすがに可哀想、というか危険なので、彼は彼女に止めるよう言ってネイサンを解放させた。


「新しい拷問を見た」

「ひどいですよ~。何でもっと早く助けてくれないんですか~……」

「ははは。つい……な。いや本当に申し訳ない」


 色んな意味で強烈なヘッドロックを食らったネイサンは、しばらく脱力したようにテーブルに顔を突っ伏していた。

 数分後、そうだ。と、何か思い出した彼は、その姿勢のままに顔だけをライコウの方に向けた。


「……そういえば、なんですけれど。ライコウさんって普段何してる人なんですか? 僕らと同業なんですよね?」

「俺? 俺は冒険者ではないよ……ついこの前まで故郷の研究所で働いてたんだが、今は理由あって旅をしているんだ」

「研究所? どこの研究所なんですか?」


 ネイサンは興味が湧いたのか、すっと姿勢を正した。


「ファヌムの田舎にある私立研究所さ。といっても、住居を改装したようなところだから、あまり立派なものじゃないよ」

「そうなんですか。そこでは何を研究しているんです?」

「ん~、いろいろだけど……そうだな、古代の技術が主かな」

「へ~!」


 『古代の技術』と聞いて、ネイサンは心を躍らせる。彼の専門とは全く異にする世界だが、古代遺跡にはロマンを感じていた。

 ネイサンは古代に想いを馳せるも、ふと我に返る。ある疑問が頭の中で浮かんだからだ。


「あのー、その研究所の職員であるライコウさんが、なぜ今回の護衛者に選ばれたんですか?」


 ネイサンは、『ファヌム』『古代の技術』というライコウの言葉から、彼が遺跡関連の研究施設に勤めているものだと思い込んでいた。

 だからこそ、彼が今回の護衛任務が務まるとは思えなかったのだ。


「それはね」サファイアが代わりに答える。「一昨日、彼が使役する魔獣で巨人を倒してるの。それに、瘴気が充満している中でも問題なく進めるように、彼が協力してくれるのよ」

「あっ、僕もそれ聞きました! 浄化なしでも大丈夫な上に、得意とする属性が数段強化されるって。……本当にそんなことできるんですか?」

「ああ。できる。少々特殊な方法だけどね」


 半信半疑で尋ねる彼に、ライコウは力強く頷く。


「どうやって……」

「それは――」

「それは、これから話します」

「あっ、副長! 戻っていたんですか?」


 ライコウの言葉を遮るようにして発言したのは、入口の扉を押さえて立つエリシアだった。彼女は三人をちらりと見ると、すぐに扉の向こう――廊下にいる誰かに視線を戻した。


「早くして下さい。いつまで待たせる気ですか」

「すまんすまん。……おいギル、早くしろ」


 エリシアが一歩引いた先から現れたのは、白いシャツを着たエメラルドだった。そして、彼の後ろから続くようにして、もう一人……


「あ」

「あ。おめぇは確か……」


 扉の向こうから現れた男と目が合い、二人は思わず口が開く。男がライコウを知っているように、彼にも男の顔には見覚えがあった。天晴亭でよく見かけ、一度だけ話をしたことがある人物だ。


「なんだ、ギル。知り合いなのか?」エメラルドが意外そうに尋ねる。

「おう。知ってるも何も、同じ宿に泊まってる……エリーとよく一緒にいる、お騒がせ野郎だ」


 エメラルドに比べて背の低い、がっちりとした体型のオヤジは、少し驚いたようにライコウを見つめる。


「お騒がせ?」

「ああ。つってもコイツが悪い訳じゃねえ。ちょっとしたハプニングだ」

「そうか。顔見知りというのなら話が早いな。ファウスト、彼がさっき話した協力者だ。よろしくしてやってくれ」


 エメラルドはファウストの肩を軽く叩き、笑顔でライコウの隣の席に着いた。


(……こいつ、何か企んでるな?)


 エメラルドの笑顔は一見ただの笑顔だったが、長い付き合いのあるライコウからすれば、何かを仕掛ける気だと感じ取っていた。昔、彼と旅をしていた時でも、決まって悪戯をされる前はこの満面の笑みだった。

 分かりやすいと言えばそうだが、この今の状況は旅をしていた頃とは異なる。何を考えての笑顔なのか、ライコウには皆目見当もつかなかった。


 彼は一旦考えるのをやめ、視線をエメラルドからファウストに移す。彼はネイサンの隣に座るつもりのようで、空いた椅子を引いていたところだった。


「その節はどうも。ライコウ・クラッカートと言います。どうぞ宜しく」

「………フン」


 ライコウは立ち上がってファウストに向かって軽く一礼し、手を差し出すも、彼はそれを鼻で笑い、明からさまに無視して席に着いた。


「副長、さっさと説明してくれよ。俺は早く仕事の話を聴きたい」

「それが遅刻した人の言葉ですか……まったく」


 エリシアはファウストに眉をひそめるも、言い争う気はないようで、脇に抱えていた資料を配り始めた。


「…………」


 無視をされたライコウは、気にも留める様子もなく大人しく席に戻った。サファイアとネイサンから心配にも似た視線を感じたが、気にしていないと、肩を竦めて返した。


 一分とかからずに資料を配り終えたエリシアは、長机の端に立ち、彼女に視線を向ける全員を見渡した。


「さて皆さん。これから明日の調査に関する予定と、本日していただく『聖霊の加護』に関する儀式について、説明するのでよく聞くように。ギル、ちゃんと聞くように」

「はいはい。分かってるよ」

「では、明日の調査についてですが……」



 ◇◇



 エリシアが仕切ったお陰か、顔合わせを兼ねた説明会はスムーズに進んだ。

 資料に書かれた予定表と、樹海の一部を写した地図を使い、彼女が聞こえやすい声で淡々と話をしていく。


 今回行われる樹海調査は全部で三回。明日から数えた三日間のうちに行われるそうだ。調査範囲はメソスチアが担当する区域――砂漠にも接する樹海西部から深部の一部――一帯にかけて、定められた地点に赴き確認するとのことだ。

 が、調査期間が三日あるとはいえ、護衛者四人・調査官二人では巡りきれるのか。なかなかに厳しい内容ではあった。


「明日は朝の九時から、巨人に襲われたという報告のある、西部中域までを皆さんに調査して頂きます。彼らは地中の中をモグラのように移動し、変則的な奇襲をしてくるようなので、じゅうぶんに警戒するように願います」

「んな無茶な」ファウストは腕を組む。「森の中で瘴気が充満していると聞いたぞ。その中でどうやって戦えってんだ。巨人どもとやり合ってる間に、俺たちが連中と同じになっちまうだろうが」

「承知しています」


 なら……と、言いかけるファウストをエリシアは手をかざして制する。


「だからこそ、ここにいるライコウさんが協力してくれるんですが……その前に、話しておかなければならないことがあります」

「それについては、俺が話そう」


 エリシアがそう告げると、彼女に代わってエメラルドが話題を引き継いだ。


「実は、この巨人騒ぎの原因と思われるものは判っているんだ」

「どういうことですか?」ネイサンは身を乗り出して尋ねる。

「それは彼、ライコウくんが持ち込んだ情報によって判明したことなんだが……実は、この騒動を引き起こしたのは、魔族らしいんだ」


 このエメラルドの発言に、ネイサンとファウストのみが驚いていた。昨日のサファイアのように、悪い冗談を言われたという顔つきになっている。

 一方で、エリシアは事前に話を聞いていたのだろう。エメラルドの隣席に腰を下ろした彼女は大した反応を見せず、平然としていた。


 エメラルドは、昨日までに新たに得た『不審者が複数の巨人と共に行動していた』目撃報告を、ライコウの情報と自身の過去の体験を交えながら、騒動に魔族が関連していると仮定したと語った。


「これはあくまでも仮定に過ぎない。だが、現状最も可能性のある話だ。これまで瘴気が蔓延することのない樹海で、こうも短期間のうちに広まるのは、魔族の関与以外に思いつかない」


 教会の騎士団に依頼すればいいのでは。という声に、エメラルドは彼らが討伐で街には居らず、あと三、四日は当てに出来そうにないことを告げた。

 その上で、可能な限り安全を確保するために、現状最も頼りにできるライコウを今回の調査に抜擢することにした。と語るエメラルドに、ネイサンは手を上げて質問する。


「『現状最も頼りにできる』とは、どういうことなんです? ライコウさんはいったい……」

「ライコウは魔道士だ。それも、対魔族のエキスパートの、な」エメラルドは、ライコウの肩に手を置く。「彼には聖霊教会に特別なツテがあってね。今回、魔族・瘴気対策にパステル司教から協力の確約を得られたのも、彼のおかげだと言っていい」

「そんなことが……!」


 思わず驚きの声を口にしたネイサンと同様に、他の二人も彼に驚きの表情を向ける。


「パステル司教って……あの?」

「ああ、そうだ」


 他の二人と違い、ライコウに教会との繋がりがあると聴かされていた筈のサファイアも、驚きの表情に満ちていた。彼女の場合は、『パステル司教』という人物の名に驚いているようだった。


 そんな中、エメラルドはエリシアと目配せし、今度は彼女が代わって話を引き継いだ。


「その対策を前もって講じるのが、本日皆さんに集まってもらった最大の目的です。この後、モスクにて『聖霊の加護の儀式』を受けて頂きます。この儀式の手順に関する詳細は、司祭様から直々に話して下さいますが、大まかな流れを話してしまいましょう」


 エリシアは、昨日ライコウが話した魔族や儀式に関する情報を順を追って語った。

 事前に知っていたサファイアや、物分かりのいいネイサンは、彼女が明かす情報をすぐにでも理解を示していたが、ファウストはどうもイマイチ分からなかったようで、隣にいたネイサンに逐一尋ねていた。


 一通り説明し終わり、エメラルドが質問がないか尋ねると、再びネイサンが手を上げた。


「あの……ここまで話して貰って何ですけれど、何故こうまでして樹海に調査しに行く必要があるんですか? 魔族が関わっているのなら、わざわざ調べにいかなくても……」

「いや、駄目だ」エメラルドは首を振る。「さっき仮定だと言っただろう? それに、『魔族』と聞いて信じるのは聖霊教会ぐらいなものだ。たとえ商王会議で報告して、国王が信じたとしても、方針に変更はないさ」


 苦々しげに語るエメラルドの表情から、今回の調査に対し、支部長である彼にしか知り得ない、苦しい事情があると伺い知れた。


「それで……他に何かあるか?」

「ある」


 エメラルドの再度の呼び掛けに、ファウストはおもむろに声を上げる。彼はじっと斜め向かいのライコウを睥睨した。


「魔族の有無は置いといて、瘴気対策でコイツの手助けが必要なのは分かる。Sランカーの欠員の為に、あんたらが方々探して回って、やっと見つけて連れてきたのも分かる。だがな、それとこれは別個の話だ」


 ファウストはエメラルドを見ながら、毅然とライコウを指差した。


「俺は、どこの馬の骨とも知れねえヤツに、俺の背中を預ける気も、預けられる気もねえ」

「俺の見立てでもか?」

「いくらあんたのでも、だ」


 頑として首を縦に振らないファウストに、エメラルドは肩を竦ませる。

 チラリと、エメラルドから意見を求めるような視線を感じたが、お前が考えろ。と突っ張るように視線を送る。

 エメラルドはうーんと悩ましげに顎を擦った。


「どうすれば気がすむんだ」

「決まってる。俺とコイツをいっぺん戦わせろ。俺に勝ったら認めてやるよ」

「ギルさん、それは」

「俺の意見に口を挟むなよネイサン。……お前らだって、口にこそ出さないが不安を感じている筈だ。俺たち三人は互いの実力も、戦い方も知ってるが、コイツのは未知だ。いざって時に連携がとれなきゃ、俺たちに命はねえ。だからこそ俺がタイマン張って、使えるか使えないかハッキリさせようって言ってるじゃねえか」


 机を軽く叩くファウストに、サファイアとネイサンは黙り込む。図星だった為に、二人には反論できないのだ。

 ファウストの意見に黙って小さく頷いていたライコウは、ようやく口を開く。


「確かに。俺もギルバートさんの言っていることに賛成だ。異論はない」

「「えっ!」」


 ライコウの思いもよらない発言に、黙ってしまっていた二人は思わず驚く。ファウストの終始一貫とした横柄な言動は、間違いなく人を怒らせるものだった。

 が、ライコウはそんな素振りを微塵も見せず、それどころか同感だと穏やかに肯定しだした。これには流石のファウストも、内心驚きと感心の気持ちに満ちていた。


「さ、賛成するの?」

「うん? 何を驚くことがある? 彼は正論を言っているよ」


 ライコウは首を小さく傾げ、さらに言葉を続ける。


「むしろ俺としては願ったりの提案だよ。この場には俺の実力を知る者、目にした者は居ない。俺がいくら魔道士だと言ったり、巨人や魔族を倒したと言っても、すべては自称に過ぎない」


 少なくとも、エメラルドは彼の実力を見知っているのだが、彼らが友人同士であることは、当然他の護衛者には知る由もなかった。

 だからこそ、ファウストの提案に乗ることで、ライコウ自身の実力を少しでも見てもらえば、彼を含む三人にじゅうぶんに納得してもらえると考えたのだ。


「俺としては、是非ともギルバートさんの提案を受け入れたいんだが……」


 と、彼はエメラルドに視線を送る。この場の責任者である彼の許可なしに、勝手に手合わせを行う訳には行かない。

 ライコウは、エメラルドが快く頷いてくれるものだと期待していた。だが、彼の予想は反した。エメラルドは首を縦に振るどころか、ゆっくりと横に振ったのだ。


「駄目だ。認められない。ファウストやライコウくんの言うことは分かるが、この後行う予定の儀式や、明日の護衛に支障をきたされてはたまらない」


 所詮手合わせ、と言ってもSランカーとの手合わせだ。力加減をするとしても、万が一、大きな怪我に至らないとも限らない。

 差し迫った調査に対して、用心をとっての答えだとライコウは受け止めていた。しかし……


「だが、それではライコウくんが困るだろう。そこで、なんだが……」


 ニヤリと、口角を上げてそう告げるエメラルドの顔を目にした瞬間、ライコウは彼が何を仕掛けていたのか悟った気がした。


「その代わり、ライコウくんの手合わせの相手は、俺が務めるとしよう」


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