第89羽
「焼けつく日差しが待っている~♪」
「ンンー♪」
「あの娘が来るのを待っている~♪」
「ンンー♪」
「今日が最後のチャンスだと~♪」
「ンッンー♪」
「焼けた砂蹴り、駆けだした~♪」
「ンッンー♪」
夏の恋をテーマにした歌が、人もまばらな車内に響いている。
「……ゴキゲンだな、あいつら」
線路の継ぎ目を車輪がとおる規則的な音をビートに見立てて、通路を挟んだ座席ではふたりと一匹が声をはずませている。
それに目を向けながらつぶやいた俺に、向かい合わせで座っていた銀髪少女が言葉を返してくる。
「ふふ、楽しそうですね」
「まあ、この車両には俺たち以外誰もいないから、騒いでも迷惑にならないけどさ……」
俺は首だけを動かして、定員四十名ほどの車内を見渡した。
前世で乗っていた電車よりも一回り小さな車両には、空席が目立つ。というかはっきり言ってガラガラだ。
俺と向かい合わせで座るアシスタントの少女。
通路を挟んだ反対側には、陽気に歌うチビっ子魔女とウルフカットの残念な妹。そしていまだ得体が知れないままの希少種モンスターが一匹。
そこから横に視線をずらせば、苦労性の弟とモジャモジャ頭の男、そしていつまでたっても無職の元奴隷娘という三人が座っていた。
現在この車両に乗っているのは全部で七人と一匹。乗車率は二十パーセントといったところだろうか。
俺たち以外の第三者は誰もいないので、少々騒いだところで眉をひそめる者はいない。
「到着するころには元気使い果たしちまうんじゃねえか?」
そりゃ、俺だって楽しくないといえばウソになる。
だけどあれだ、よく言うじゃねえか。
予想外の事態に直面したとき、自分よりも慌てている人間がそばにいると、かえって自分は冷静になれるってやつ。
あれといっしょだ。自分よりもはしゃいでいる人間を目の当たりにしていると熱が冷める、みたいな?
「ラーラさんもニナさんも、とても楽しみにしていましたからね」
目の前にいる少女が薄い水色の目を細めて微笑んだ。
女慣れしていない男なら、一発で恋に落ちてしまいそうな破壊力を持つ笑顔。だが、そんな値千金のスマイルを向けられたにもかかわらず、俺のテンションはいまいち浮上しない。
「ルイはたぶんふたりの雰囲気につられているだけだろうがな」
はあ。とため息をつき、ちょっと温くなってしまったペットボトルのお茶をひとくち飲む。
なんだろうな、この憂鬱な感じ?
遠足の引率をする先生ってこんな気持ちなんだろうか?
「私も海はひさしぶりなので、とても楽しみです」
珍しく年相応の笑顔を見せて声を弾ませるのは、『自称』俺のアシスタントであるティア。
まっすぐ伸びた銀髪が、少し開いた窓から入り込む風にゆられている。顔にかかった髪を透き通った肌色の指でかき上げるしぐさは、まるで映画のワンシーンを切り取ったかのようだ。
ただ……。
「なあ、ティア。こんなところまでそれ着てこなくてもよかったんじゃあないか?」
ティアの身を包むのは、紺を基調にしたシックなエプロンドレス。なぜこいつは海へ行くのにわざわざ仕事着をチョイスしているのだろうか?
「いいえ。アシスタントたるもの、いついかなる時でも先生のお世話に支障なきよう、備えておかなければなりませんので」
いや、それおかしくね?
俺のアシスタントってそんな覚悟の必要な仕事じゃねえと思うんだけど……。
「泊まる宿で食事とかも出るんだし、ティアもこの旅行中くらいは歓待される側の立場を楽しめばいいだろうに」
「いくら宿泊先でおもてなしの準備があろうとも、先生のお世話は譲れません。私の目が黒いうちは先生のお口に中途半端なものを入れさせるわけにはまいりませんので」
いや、目の黒いうちはって……、お前の目、水色だよね?
宿の人に失礼なことしなきゃ良いんだけど……。
ちなみに俺たちの泊まる宿は最初から指定されている。
それは今回の旅行が『賞品』だからだ。
ん? 何の賞品かって?
この前参加したフィールズの大会で準決勝まで進み、四強に入賞したのは知っているよな?
優勝したアヤやフォルスたちの賞品は確か……、別荘に加えて周辺一帯の土地だった。加えて賞金もかなりの額が出ていたと思う。
一方、準決勝で敗れた俺たちには賞金こそ無かったが、賞品の方は用意されていた。それが海辺のリゾート地で二泊三日というこの旅行だ。
俺たちが普段住んでいる町は内陸部にあるため、実はこちらに転生してから海へ行ったことがない。
町の近くに大きな川があるし、学舎にもプールが備えられているから大半の人は若い頃に泳ぎを習得していた。
だが、海へ行くとなると交通費だけでも結構な出費となってしまう。そのため一般的な家庭の人間はほとんどが海を見たこともないのが実情だ。
幸い冷凍技術と自立馬車のおかげで、海から遠く離れた内陸部にも海魚は安定供給されている。価格も手軽に食卓へ上がるほどにおさえられているため、俺の大好きなお寿司やお刺身を普通に食べることができるのはありがたいことだった。
え? あんな魚臭いものよく食べられるな、って?
おいおい、マジかよ。あんな美味いものの味がわからないなんて、人生の百分の一くらいは損しているぞ?
は? 醤油の味しかしない?
いやいや、その醤油が良いんだろうが。白い飯と新鮮な魚、そして醤油のトリニティ。そこにわさびが加わればもう最強だろ?
白い飯に染みた醤油が魚の淡泊な味を引き立て、そこへスッキリとしたわさびの辛味がアクセントになって……。うわ、めちゃくちゃ食べたくなってきた。
幸い今回の宿泊地は新鮮な海の幸盛りだくさんのオーシャンリゾート。今から晩ご飯が楽しみでしょうがない。
おっと話がそれたな。
とにかく俺たちはフィールズ大会の賞品として、海辺のリゾート二泊三日の旅をゲットするに至ったというわけだ。
移動にしても、列車のチケット往復分が賞品に含まれるというなかなかの待遇。さすがに車両は三等客席のため、学都へ向かったときのような豪華車両というわけにはいかないが、列車で移動できるだけでも御の字だ。大会の運営事務局もずいぶんと奮発したものだな。
というわけで、俺たちは今列車に揺られながら海を目指して移動中というわけだ。
ニナの部活メンバーたちもチケットをもらっているのだが、どうもメンバーの何人かは学舎の補習があるらしい。今回俺たちといっしょの日程は厳しいということで、それなら部活のメンバーだけで別日程にしようということになったらしい。
ニナやクレスもせっかくなんで部活のメンバーといっしょに行けば良いのに、と言ったのだが――。
「えー! お兄ちゃんひどいよ! そんなにニナといっしょに行くのが嫌なの!? ガーーーーーーン! せっかくお兄ちゃんといっしょに海で遊べると思ったのに……、思ったのにぃ!」
という感じで、娘同然に面倒見てきた妹が涙目で訴えてきたら、こっちが折れるしかないだろう?
「え? 兄ちゃんひとりで姉ちゃんの面倒見てくれるの? 僕は助かるけど……、大丈夫? リゾート地で浮かれまくるのがわかりきっている姉ちゃんの手綱を、兄ちゃんひとりで握れるの? 本っっっっっ当に、大丈夫なの?」
とか不安を掻き立てるように言われると、むしろこっちから「ついて来てくれ」と頼まざるをえないだろう?
ということで、気心の知れたメンバー七人と一匹だけで列車に揺られているというわけだ。
ちなみに護衛は雇っていない。
戦闘のプロこそ居ないが、ラーラやエンジも自分の身くらいは守れるし、何と言ってもティア、ニナ、クレスというチートトリオがいるのだ。下手な護衛よりも戦闘力は高い気がする。
「あ! ニナさんニナさん、見えてきましたよ!」
「ホントだ! おおおっ! すごーい! ばばぁーーーん! って感じだね!」
「ンンーッ!」
列車が森を抜けると同時にラーラたちが歓声をあげる。
「先生、海が見えてきたようですよ」
ティアに声をかけられてラーラたちの座席側を見ると、列車の窓越しに見える風景が俺の目に飛び込んできた。
さえぎるもののない空。海岸沿いに広がる砂浜。どこまでも続く水平線。
前世でも見覚えのある懐かしい風景がそこに広がっていた。
映像は立体映信で何度も見たことがあるが、自分の目で見るのは転生してから初めてだな。
「やべえっす! でけえ! やべえ! 広っ! やべっ!」
「ふわあああ。すごいですね……」
エンジとパルノも初めて見る海に興奮を隠せないでいた。
「へえ、映像で見るよりもずっと大きく感じられますね」
クレス。逆にお前は落ち着きすぎだろう。冷静なのは良いけどちょっと可愛げがないぞ。
「先生は海を見るの、初めてですか?」
騒ぎ続けるラーラたちを一瞥した後、ティアが俺に訊いてきた。
「ああ、そうだな。自分の目で見るのは初めてかな」
今世ではな。
「そういうティアはどうなんだ?」
「私は父に連れてきてもらったことが何度かあるので」
そうか、さすが良いところのお嬢様。列車旅行するような距離も『何度か』来たことがあるのか。
「ということは、このメンバーで海を見たことがあるのはティアだけになるのかな?」
「そうかもしれませんね」
と、ティアが俺の問いを肯定したタイミングで、小さな電子音が鳴った。
「ん?」
その電子音は俺の胸元から響いてきている。
俺が首からかけているカード状の魔法具。つまり個人端末がメッセージの着信を知らせる音だ。
端末を取り出して見ると、その表示面には普段と違う真っ黒な画面が広がっており、そこに白文字で文章が浮かび上がってきていた。
《私も海見たことがありますよ!》
それは俺の端末に取り憑いている自称『月明かりの一族』ローザ(仮名)からのメッセージだった。
覚えてるか?
以前うちで幽霊騒ぎがあっただろ? あの時の犯人――って言うか、原因となったヤツだ。
本人曰く幽霊ではないらしいが、結局こいつもルイといっしょで正体がわからないんだよな。
「あ、そう」
《え? ちょっと! 大家さん! なんか反応が冷たくありませんか? 扱いがぞんざいすぎませんか?》
「それは良いとして、お前まさか今出てきているんじゃないだろうな?」
《ちっとも良くないんですけど……。ちゃんと依り代からは出ないようにしていますよ? 大会の時だってちゃんと言われた通り大人しくしていたでしょう?》
そう。フィールズの大会に出場したときも、試合中含めて人目があるときは出てこないよう事前に言い含めておいたのだ。
俺には見えも聞こえもしないが、魔力がある普通の人間がローザを見たら、どんな騒ぎになるかわかったもんじゃない。
もしかしたら召喚精霊とか使い魔とか、勝手に勘違いしてくれるかもしれないが、やはりルイ同様に得体が知れないものを人目にさらすのはリスクがある。特に俺が魔力ナシと知っている人間だったらなおさら怪しむだろう。
だから大会中は端末に閉じこもって出てこないよう徹底していた。その反動か、家に帰ってから毎晩話し相手をさせられるはめになったのだが……。
いつもなら他人の目があるので、あまり外で話はしないのだが、今は周囲に仲間内の人間しかいない。少しくらいなら話し相手になってやっても良いか。
「ローザって、ずっと俺ん家の屋上にいたわけじゃないんだな」
《そりゃそうですよ。月明かりの一族ですもの。大家さんの家に来る前は森にいましたし、火山とか洞窟にいたこともありますよ。海にいたのは……結構前の話ですけどね》
「へえー。で、その時は何に取り憑いていたんだ? その辺に落ちていた貝殻とかか? ハハハッ」
ちょっとからかってやったら、予想外の答えが返ってきた。
《………………よくご存知で》
あれ? 適当に言ったのに、実はビンゴだった?
《あの時は大変でした……。依り代を移る際に周囲で魔力が一番強いものを選んだら、たまたまそれがジャルビ貝のネックレスでして……。それを買った女性が海で泳いでいるときにヒモが切れちゃったんですよ。こう、突然ぶちっと。ぶちっ、とね……》
なんか表示される文字に元気がない。
《そのまま海の底へ沈んだが最後、周囲は海水と砂しかなくって、どうしようかと思いましたよ……。魔力が強いと言ってもしょせんは貝殻ですからね……。海流で揺られるたびに砂とこすれあって、じわじわと削れていくんですよ、貝殻が。いや、ほんと……、あの時は生きた心地がしませんでした……》
途切れ途切れに少しずつ表示されるメッセージ。
なんだろうね。きっと顔が見えたら焦点の合わない遠い目をしてつぶやいてそうだな。
初めて海を目にして楽しそうに騒ぐラーラたちの声が響く中、俺は微妙な空気を漂わせる自分の端末をそっと懐にしまった。
列車はもう間もなく駅に到着するだろう。
七人と一匹、プラスちょっと鬱な雰囲気をただよわせた一体を乗せて、列車はその速度を緩やかに落としていった。




