第80羽
「ちっ! 敵か!?」
自慢の障壁をいとも簡単に破られ、呆けていたのも一瞬のこと。金髪頭のジオはすぐさま戦闘態勢に入って攻撃魔法の詠唱に入る。
「ジオ! やめ――」
慌てて止めようとするバルテオットの声が途中で止まる。
「くっ、……速、すぎ……る」
あれ?
ティアの姿が消えたかと思ったら、いつのまにかジオが驚きの声をあげていた。
わけもわからずジオの方を見ると、その背後から剣を突き立てる銀髪アシスタントが涼しい顔をして立っているではないか。
なんじゃそりゃあ!
ちょっ……、今動いたところ見えなかったぞ!?
何が起こったかもわからないまま、ジオが死亡判定を受けて転送されていった。
うん、大丈夫。俺にも何が起こったかよくわからん。
他のふたりも何が起こったか理解できない顔で――、いや、赤毛剣士の方はなんだか嬉しそうな顔してるな。
あれか? もしかしてあの赤毛、バトルジャンキー系なヤツなのか?
強いヤツと戦うのが楽しくて仕方ない系のお人?
「ティ……、ティアルトリスさん! どうしてここに!?」
「お待たせいたしました、先生」
驚くバルテオットを完全無視して、ティアが俺へ声をかけてくる。
「え、お前……、向こうは良いのかよ?」
「はい。ひとり手強い女性がいましたので、少し手こずりましたが。幸い他の方はニナさんたちでも何とかなりそうでしたので」
「ちょい待て。つーことは何か? 嬢ちゃん、ジュリアのやつに勝ったってのか?」
手強い女性、という単語に反応して赤毛の剣士が口を挟んできた。
「さて、ジュリアというのがどなたのことを指しているのかは知りませんが、緋色の髪を持った重剣士の方ですね」
それを聞いて赤毛剣士が楽しそうに言う。
「マジかよ! ジュリアのヤツこんな嬢ちゃんにやられちまったのかよ! でかいこと言ってたわりには大したことなかったな!」
豪快に笑った後、すぐさま真剣な顔に戻ってティアへと視線を向ける。
「というより、嬢ちゃんがそれだけ強いってことなんだろうけどよ」
赤毛剣士の目が、それまでのどこか気を抜いたものから、獲物を狙うハンターのそれへと変わる。
うわ、怖っ! あんな視線を直に向けられたら、もらしてしまいそうだ。
「さあ……? 私はただのアシスタントですので」
ティアのやつ、よくあんな恐ろしい目で見られて平気でいられるよな。ステータスに『威圧耐性(強)』とか付いてんのかね。
「おい、ボンボン!」
「ボンボンと呼ぶな!」
「あの嬢ちゃん、俺が相手しても良いか?」
嬉しそうな顔で赤毛剣士が言う。
「……手荒なまねはするなよ」
短い沈黙を置いて、バルテオットが仕方なくといった風に答える。
「フィールズの試合で手荒も何もねえだろうに。まあいい、つまらん試合が続いたが、ようやく面白そうな相手が出てきたんだ。ゆっくり楽しむとするさ」
言っている内容だけ聞くと、ちょっと危ないおっさんみたいだけど……。
「というわけだ、お嬢ちゃん。ちいとばかし俺と遊んじゃくれないかね?」
「遠慮させていただきます、と言ったら?」
「そんときゃさあ……、――問答無用で斬りかかるだけさ!」
ムキムキの筋肉を躍らせながら、赤毛の剣士がティアに向かって斬りかかっていった。
速い!
だがそんな熟練を思わせる一撃も、ティアは悠々と身をかわす。
「ほう、それをよけるのか!?」
嬉しそうに赤毛剣士が言う。
「本気出しても良さそうだな」
不敵な笑みを見せたかと思うと、その動きが明らかに変化した。っていうか、目で追えなくなった。
赤毛剣士(らしき影)が一足でティア(が居た場所)に突っ込むと、ひときわ大きい金属音が二度三度と鳴り響く。
今度はティア(らしき影)が反撃に移り、赤毛剣士(らしき影)の横へするりと身を滑り込ませると、身を回転させ(たような感じで)剣を打ちつけた(ように見えた)。
かろうじて残像っぽく姿は見えているんだが……、『ふたりの姿をしっかり目に入れようとすると、もうそこには居ない』みたいな。
「やるじゃねえか! 嬢ちゃん!」
「それはどうも」
ティアの答えはそっけない。
目で追えないスピード感に唖然としていると、忙しく動き回る影のひとつから声が聞こえてくる。
「ボンボン! 俺はこっちの嬢ちゃんと遊んでるからよ! そっちは勝手にやってくれ!」
「え? あ、ああ……。…………だからボンボンって呼ぶな!」
俺と同じくあっけにとられていたバルテオットが、赤毛剣士の声で我に返る。
気を取り直して、という感じでバルテオットがこちらに意識を向けてきた。
くそ、あの赤毛め。余計な事しやがって。
「先生! 私が行くまで逃げ――!」
ティアの声へ重なるように、壁の崩れ落ちる音が周囲に響いた。
赤毛剣士からティアに向かって繰り出された一撃が、目標を捕らえることなく空を切り、そのまま壁面へとぶつけられたのだろう。
そのまま次々と起こる破壊音が少しずつ遠い場所へと離れていく。
「おい、ティア! 大丈夫か!?」
「人の心配している場合か? 残念レビィ!」
「うわっと!」
俺は斬りかかってきたバルテオットから距離を取って、これからのことを考え始める。
ティアのことはもちろん心配だが、確かに人の心配をしている場合じゃない。
あの赤毛剣士も予想以上の手練れっぽいが、何のかんの言ってティアも立派なチート少女だ。そう簡単にはやられないだろう。
むしろバルテオットを俺が引き寄せていれば、赤毛剣士との一騎打ちになる分、ティアだって戦いやすいかもしれない。
当初の予定とは変わってしまったが、もともとヤツら三人がバラバラになったところで行動を開始するつもりだったのだ。ある意味今の状況は予定していた通りとも言える。
次々に剣撃を繰り出し、ときおり攻撃魔法を織り込んでくるバルテオットの追撃を紙一重でかわすと、背中を向けて逃げ出した。
本来なら俺に避けられるような攻撃じゃない。
だが今の俺は全身魔法具(魔力いらず)でかためたフルアーマータイプレバルトである。足首につけられたアンクレットのひとつによって、通常の三倍というアホじみた敏捷性を得ているのだ。
「これ身につけたら髪が赤くなるとか、ないよな?」
「は? 何をおっしゃっているのか意味がわかりませんが?」
ティアから説明を受けたとき、ついつい聞いてしまったのも仕方がないだろう。
いや、三倍の速さっていうと、なんとなく赤い色を思い浮かべない?
え? 赤いと三倍なんて安易すぎる、って?
…………悪かったな、発想が貧弱で。
そうしている間にもバルテオットの攻撃が俺の身を脅かす。
「これでも喰らえ! バルテオットアロー!」
ヤツが放った魔法の矢を逃げながらかわそうとするが、もちろん背中に目が付いていない俺はそんな器用なマネなど出来ない。
だがしかし、ものの見事に背中へ命中した魔法の矢は、俺にダメージを与えることなく掻き消えていった。
「なんだ!?」
バルテオットが驚きの声をあげる。
無理もない。通常なら致命傷になりかねないほどまともに矢を喰らったにもかかわらず、何事もなかったように俺が逃げ続けているのだ。
これは俺が首に巻いているスカーフの力だ。これもティアが家から持ち出してきた魔法具で、低威力の攻撃魔法を三回だけ無効化するというとんでもない代物だった。値段はもちろんティアが教えてくれないので知らない。知りたくも無い。
しっかし……、魔法に自分の名前つけるかね、普通? どんだけ自意識過剰なんだよ、あの男は。
その後も俺は必死に逃げ続ける。
本来であれば、魔力で身体能力を強化したバルテオットから逃げ続けるなど無理な話だ。おそらく一分もしないうちに捕まってしまうだろう。
にもかかわらず俺がこうして逃亡を続けていられるのは、ティアやラーラ、そしてニナたちから無理やり持たされた、あるいは装備させられた数々の魔法具があるおかげだ。
攻撃系の魔法具はほとんど無かったが、バルテオットの足止めをして逃げる時間を稼ぐには十分だった。
「逃げても無駄だぞ、残念レビィ!」
「とりあえず、これかな?」
俺は走りながらポーチへ手を突っ込み、その中からふたつの球体を取り出す。
そのひとつ、内部へ小さな光をたたえた透明な球体を走りながら足もとへ叩きつけた。
瞬間、周囲の全てがまばゆいばかりの閃光に包まれる。
「うわあっ!」
後方で盛大につまずき転げる音が聞こえてきた。
俺が使ったのは閃光球という魔法具だ。魔法具としてはわりとありふれた物で、野生の獣やモンスターに対する目くらましとして使われている。
もちろんまともに直視すれば味方の目もくらんでしまうので、パーティで戦うときには使いづらいアイテムだ。
だが、ひとりで逃亡している状態の俺には味方を気づかう必要もない。おまけに俺を追いかけているバルテオットは常に視線がこちらを向いているのだ。確実に閃光を直視したことだろう。
「ぐ、この残念ヤロウが!」
多少距離は稼げたはずだが、視力を回復させたバルテオットが怒りの形相で追いかけてくる。
思ったよりも回復が早かったな。
「じゃあ、次はこれ」
直角に曲がる通路を過ぎ去りざま、俺は正面の壁に向かってもうひとつ手にしていた透明な球体を投げつける。
今度の球体は煙幕球と呼ばれている。その名の通り、煙を発生させて目くらましをする魔法具だ。閃光球と違って視覚にダメージを与えるようなことは出来ないが、持続時間が長いのが特徴である。
もちろん煙自体には攻撃力もないため、突っ切ってしまえばなんということもない――直線の通路なら。
「ぎゃ!」
予想通り、何かが壁にぶつかる音と共にバルテオットの声が聞こえてきた。
「ついでにこれも」
俺はポーチから取り出したまきびしを、煙立ちこめる通路の中にバラ撒いて逃走を再開する。
「痛て! 痛ててて! ……くそっ、ふざけやがってえ!」
走り去る俺の背後から、痛みにのたうつバルテオットの声が響いてくる。
おー。
見事に引っかかってくれたようだ。
じゃあ次は……、これかな?
俺は階段を駆け上がりながら、今度はティアから渡された魔法具を取り出す。
小さな瓶に入っているのはキラキラと光る黒い砂。俺は瓶のふたを開けると、階段を上がりながら黒い砂を足もとに撒いていく。
黒い砂は瞬時に消え去り、一見何も変化がないように見えるのだが……。
そのまま階段を登っていると、階下からバルテオットの声が聞こえてきた。
「うおっ! 何だ!? す、滑る! うああああ!」
大きな衝撃音の後に、何か大きな物体が階段を転げ落ちていくような音が聞こえた。
くはは、ざまあ!
先ほどの黒い砂は物体の摩擦係数をゼロにして物を滑らせる魔法具だ。通常は荷運びをする際に使う物らしいが、このように足を滑らせる用途にも使える。まあ、油とかでも代用は出来るんだけどね。
他にも、分身の幻影を相手に見せる魔法具や方向感覚を狂わせる魔法具、視線を向けている方向へ進めなくなる魔法具――いや、ここまでくるとむしろ呪いじゃね?――などを惜しげもなく使い、逃げ続けた。
そうしてたどり着いたのはビルの屋上。
「はあ、はあ、はあ――。もう逃げられんぞ、この残念ヤロウが!」
追いついてきたバルテオットの表情はひどいものだった。
回復薬は持っていなかったのか、それとも手持ちでは足らなかったのか、あちこちに擦り傷や打ち身のあとが見えた。
いつものスカした表情は見る影も無く、目を血走らせて俺を睨んでいる。
おー、見事なくらい頭に血が上っているな。ヤツが冷静さを失っていればいるほど、こっちにとっては都合が良い。
「すぐには殺らんぞ。じわじわといたぶって、その醜態を町中にさらしてやる!」
ごたくはいいから早く来いよ。
バルテオットはゆっくりと歩みを進めて俺に近付いてくる。
余裕のつもりか、それとも俺の恐怖を呼び起こすのが目的か。どちらにせよ、俺にとってはゆっくり歩いてくれるならそれに越したことはない。
「逃げるなよ……。逃げるなよ!」
空浮きの魔法具で逃げられたのがよほど悔しかったのだろう。念を押すように言いながらバルテオットが近付いてくる。
一歩一歩。
ゆっくりと。
じりじりと。
俺を追い詰めるように。
恐怖を演出するように。
短くも非常に長く感じられる時間が過ぎ去っていき――。
バルテオットの足がその位置へ踏み込んだとき、俺はすぐさま合図を送った。
「今だ、パルノ!」
「は、はいっ!」
俺の合図に呼応して、パルノが仕掛けを作動させる。
その瞬間、バルテオットの周囲に突然現れたのはヤツを囲むように配置された数々の魔法具と、その側に待機する桃色ショートカットの元奴隷少女だった。
2021/07/07 誤字修正 一件何も → 一見何も
※誤字報告ありがとうございます。




