第79羽
『これは驚きだあああ! トレンク学舎のレバルト選手が空を飛んだあああ!』
『空浮きの魔法具ですね、アレは。これはまた珍しいものを……』
『マーベルさん、空浮きの魔法具とは何ですか?』
『旧貴族階級で流行していた娯楽用の魔法具です。エー、空に浮かぶという体験を魔法具だけで実現したものですが、ご覧の通りゆっくりと浮かぶくらいしか出来ませんので、娯楽以外の用途には使われなくなったそうですよ』
『なるほど』
解説のおっさん、結構物知りなんだな。
確かに今俺が使っている魔法具はティアが家から持ち出してきたものだ。ティアの祖父にあたる人が趣味で使っていたものらしい。
魔法具そのものが決して安くはない上に、一度使うと元のピンポン球サイズへ戻すため、リパック処理が必要になる。しかもそのリパック処理も当然魔法を使って行う必要があるため、結構なお金がかかる――らしい。
らしい、というのは結局ティアが魔法具の値段やリパックの金額を教えてくれなかったからなのだが……。
『いやー、しかしコレはレバルト選手のとっておき、というわけですね』
『そうですね。まさか赤く輝く天上の刃も、こんな方法で逃げられるとは思ってもみなかったでしょう』
『マーベルさんが先ほどもおっしゃっていましたが、かなり珍しい魔法具なんですか?』
『そうですね。珍しさもあるでしょうが、それ以上にあの魔法具は金食い虫ですからね。エー、本体価格もさることながら、いったん発動させたものを元の携帯サイズへリパックするには五十万から百万ほどかかりますし』
はあ!? 五十万!? ひゃくまんんん!?
想像以上の金額に思わず体勢を崩してしまう。ベルトに直結したラインを伝ってそれが皮膜にも伝わり、危うく風を受けてふくらんでいた皮膜が張りを失いかける。
『おっと!? レバルト選手、体勢を崩してしまった! コレは危ない!』
『突風でも吹いたのでしょうかね?』
おっさんのせいだよ!
幸いこの魔法具は体勢の乱れを自動でフォローする機能がついているため、多少高度を落としただけですんだ。
『しかし、窮地を脱したかに見えるレバルト選手ですが、まだまだ危険な状態にはかわりありませんね』
『そうですね。ご覧の通り、空浮きの魔法具はあくまでも浮遊感を楽しむ娯楽用です。スピードは人間が早歩きをする程度しか出ませんので、視認されている状態では追尾を振り切ることも出来ないでしょう』
その通りだ。
結局この魔法具のおかげでピンチはなんとか回避した。だがバルテオットたちを振り切れたわけじゃない。
後ろを確認すると、ビルの合間を縫ってバルテオットたちが追跡してくるのが見える。
こちらはゆっくりとだが障害物のない上空を直線的に進み、向こうは向こうで走っているが建物をよけて道沿いに進むしかない。
結果的両者の速度は均衡し、つかず離れず、距離を一定に保ったまま移動しているというわけだ。
ん? これからどうするんだ、って?
一応考えはある。こうして上空でゆっくりと考えごとができたおかげで、多少なりとも悪あがきの方法は思いついた。
さっきパルノにも指示を出しておいたし、上手くすればあのキツネ目男にひと泡ふかせられるかもしれない。それが無理でも、簡単にヤツの思い通りにさせるつもりはないしな。
その時、ちょうど良いタイミングでパルノから連絡が入った。
「レバルトさん、準備できましたよ。言われた通りのルートにある魔力扉は全部開いておきました」
「よーし。ちゃんと閉じないようにモノを挟んでおいたか?」
「ばっちりです。あと、窓は一応上下のフロアも開けておきましたから」
「おう、パルノにしては気がきいてるじゃないか、パルノにしては」
「もおっ、ひとこと余計ですよお!」
ふくれっ面になっているであろうパルノの顔が思い浮かんだ。
「ははっ、すまんすまん。じゃあ、お前は今のうちに退避しとけ」
「…………私もお手伝いしますよ」
「はあ? 何言ってんだよ、お前。いくら俺と違って魔力があるといっても、戦闘ができるほどじゃないだろ? 無理して俺に付き合う必要なんてないんだぞ?」
「だって……、レバルトさんが危険な目にあうのわかってて、ひとり置いて逃げられないじゃないですか」
ぼそりとつぶやくパルノの声がヘッドセット越しに聞こえてくる。
そうなんだよなあ。なんだかんだ言ってコイツは根が善人だから、自分だけ逃げ出すっていうのに罪悪感を感じちまったんだろうな。
思わずため息が出てくる。
俺が今向かっている先は、パルノが観測のために潜んでいるビルだ。
このまま地上へ降りてしまうと、その瞬間にバルテオットたちの攻撃を受けかねない。だから俺はパルノにビルの窓を開けてもらい、その窓からビルの上層部へ飛び込もうという腹だった。袋のネズミになるのは承知の上だ。
「さっきみたいに放火される可能性もあるんだからな。そうなったらお前がいてもいなくても一緒だろうが」
「でも……」
だがそんな嬉しくない状況へパルノを巻き込むつもりはない。準備を終えたらパルノにはさっさと別のビルへ移ってもらうつもりだったのだが……。
妙に抵抗するパルノを説得している間にも、目的地のビルは着々と近付いていた。
当然俺を追いかけるバルテオットたちもだ。
あー、くそ。もう間にあわねえな。仕方ない。
「わかったよ、パルノ。お前にも手伝ってもらう」
「は、はい!」
「とりあえず、今いるフロアの水道という水道を全部全開にしろ。そのあと上に移動しながら各フロアの水道も全部開いて、ビル中を水浸しにするんだ」
火は上へ向かって伸び、水は下へ向かって落ちる。
どれだけ効果があるかわからないが、ビル中が水浸しになっていれば火もつきづらいだろうし、延焼のスピードも遅くなる……かもしれない。
まあ、やっておいて損はないだろう。
あわせてエレベーターも最上階で釘付けになるよう工作を指示すると共に、俺は計画をすこし変更してパルノに伝える。
やがて俺はパルノが開け放ったビルの窓から、やたらと水の匂いが立ちこめる建物の内部へと滑り込む。……予定していたよりもひとつ下のフロアに。
地味にパルノの機転で助かったわ。あいつが気をきかせてくれなかったら、今頃途方に暮れていたところだった。
なに? 窓割って入れば良いじゃないか、って?
そうだよね…………、魔力強化されて一定以上の魔力をぶつけないと割れないガラスを、魔力ゼロの俺が壊せるならな!
さて、くだらない話は横に置いて、さっさと動き始めなくては。
すでにバルテオットたちもビルの出入口にたどり着いているころだろう。
『やはり一時的に回避は出来ても、逃げ切ることは出来なかったようです。レバルト選手が潜り込んだビルへ、赤く輝く天上の刃チームの三人が突入する!』
俺たちのことなんかより主戦場の情勢を実況すれば良いのに。
まあそんなことは良いとして、まずは隠れる場所だな。
正面からあたっても勝てる気はこれっぽっちもない。上手いこと身を潜ませて、相手が単独行動にうつったタイミングで仕掛けるしか勝機はない。
俺はヤツらが来る前に、迎え撃つ準備をしながら移動ルートの確認をする。後は隠れるのにちょうど良い場所を見つけるだけだ――ったのだが、すぐに我ながら見通しの甘さにあきれることとなった。
「よお、さっきぶりだな。残念レビィ」
まさかと思いつつも振り返った俺の目には、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべたバルテオットがいた。その両隣にはさっきも見た赤毛の剣士と、金髪の軽装男が控えていた。
「え?」
思いもよらぬ事態に、間抜けな声がもれてしまう。
いくら何でも早すぎる。
確かにこのビルに俺が入っていくのが見えていたのだから、ここに俺が『居る』ことは明らかだっただろう。だが、どのフロアのどの位置にいるかなんて、すぐに突き止められるわけがない。そう思っていた。
階段を通じて上層から流れる水の音や流れが、捜索の難易度を上げるだろうし、まだまだ時間は十分にあるだろうと思っていたのだ。
「なんだそのマヌケ面は? ふっ、残念レビィは驚いた顔も残念なんだな」
どういうことだ? こんな短時間で俺のもとへとたどりつくなんて、まるで俺の居場所が最初からわかっていたみたいじゃないか。
「やっぱり魔力ナシだと気がつかないか」
嘲るようにバルテオットが言い放つ。そして求めてもいないのに種明かしを始めた。
「お前が悠長に空を飛んでいる時、ジオに追跡の魔法を使わせたんだよ。普通は知性のない獣に使う魔法なんだがな。なんせ魔力で簡単に存在を知られてしまうから。だけど魔力が無いお前はちっともそれに気づかず、こうやって私たちが現れるまで居場所がバレバレなのも知らなかったというわけだ。ハッハッハ! 傑作だな! 残念レビィ!」
ちっ! そういうことか!
確かに上空をゆっくり飛んでいたんじゃあ、良い的だしな。攻撃魔法で狙ってこなかったのは、自らの手で俺に引導を渡したかったからか。
そばに誰か居れば追跡魔法を使われたことにも気づいただろうが、単独でしかも魔力感知が出来ない俺には無理な話だ。
「さあて、今度こそ逃がさないからな。おい、ジオ! ヤツを逃がさないように周囲を障壁で囲め!」
バルテオットの指示に従って、側にいた金髪男がなにやら魔法をとなえた。魔力の無い俺には何が起こったのかわからないが、バルテオットの口ぶりからいって、俺を閉じこめるための結界みたいなものだろう。
まずいな。これじゃあせっかくの仕掛けも役に立たないじゃないか。
表情には出さないが、内心では絶体絶命の大ピンチに冷や汗かきまくりである。
「屋上みたいに見通しが良くないから、お前の無様な姿があまり映し出されないのは残念だが、またさっきのように逃げられては手間だしな。ジオはそのまま障壁を維持しろ! 誰にも邪魔させるなよ!」
「大丈夫ですよ、バルテオット様。これでも元プロです。勝ち上がってきたとはいえ、たかだか学生チームにこの障壁は破れませんから」
ジオと呼ばれた金髪男は自信満々にバルテオットへ返事をする
「そうですか? 案外簡単に破れそうですけど?」
そんなジオのセリフに呼応するかのごとく、どこからともなく透き通った女の声が聞こえてきた。
いや、女の声と言うのも今さらだろう。俺にとっては日々聞き慣れた声である。
「だ、誰だっ!?」
思いもよらぬ存在の出現にうろたえるジオの目前で、最初はピキリという音が鳴る。続いて大量のガラス食器が粉々に割れるような音があたり一面へ響きわたった。
耳障りな音に顔をしかめる俺たちが見たもの。それはバルテオットを挟んで俺とは反対側へ立つ、紺地のエプロンドレスを身にまとった銀髪少女だった。
2021/06/16 誤字修正 魔法国 → 魔法具
※誤字報告ありがとうございます。




