第56羽
パルノとの会話を中断させたのは、廊下の先から聞こえてくる女の声だ。しかもいやーな感じで耳に響く甲高い声である。
突然の乱入者に俺とパルノがそろって声のしてきた方を向く。
そこにいたのは見たところ四十歳前後の中年女性だった。
ちなみに周辺には俺達以外の人間は居ない。見渡してみたが、このフロアには俺とパルノ、そして中年女性の三人しか居なかった。つまりこの中年女性が詰問しているのは他でもない俺とパルノということになる。
「誰?」
パルノに訊ねてみるが、こいつも状況を理解できていないらしい。無言のまま首を左右に振り、動作で『知らない』と伝えてきた。
「人の部屋で何してるのって言ってるでしょ! まあっ! ロックまで解除して! さてはあなたたち空き巣ね!?」
やせ形の体型と空気を切り裂く高音の声がヒステリックな印象を与える。
さすがに空き巣呼ばわりされて黙っていられなかったのだろう。恐る恐るながらもパルノが反論する。
「ち、違います。ここは……私の部屋、です」
「まあ! 言うに事欠いて自分の部屋ですって!? そこは娘の部屋なのよ! ごまかそうったってそうはいかないんですからね!」
聞く耳持ってねえな、このババア。
困惑に包まれた状況に、さらなる乱入者が現れる。
中年女性の後ろにあるエレベーターが到着音を響かせ、ゆっくりとドアが両開きになった。
「お母さん! 置いてかないでって――」
エレベーターから出てきたのはパルノと同年代の少女だった。
少女は中年女性に向かって文句を言いかけたが、その向こう側にいる人物――つまりパルノ――を見て言葉を詰まらせる。
「え? リーナちゃん?」
一方のパルノも目を瞬かせてエレベーターから出てきた少女を見ていた。その口から『リーナ』という名前がこぼれる。
リーナって……、ああ、なるほどそういうことか。
ということは、あの少女がパルノと同居している友人であり、今回母親をごまかすためにパルノを追い出した居候ってことか。
そのリーナとやらが『お母さん』と呼んでいるということは、目の前に居る中年女性がその母親なんだろう。
ようやく理解が追いついた。
つまりパルノとリーナの狙い通り、リーナの母親はこの部屋で娘が一人暮らしをしているという『嘘』を信じてそのまま家路についたわけだ。ところがどういう経緯かはわからないが、帰るはずの母親がこうしてリーナの部屋――母親がそう思い込んでいる――へ引き返してきた、と。
そこで目にしたのが、娘の部屋にいる見知らぬ男女。俺とパルノの事だな。
おまけにドアのロックが解除されて開いた状態になっている。なるほど、そりゃ確かに空き巣と勘違いされるわ。
見ればパルノもリーナも固まっている。たぶん頭の中が真っ白になっているに違いない。せっかくパルノが外泊してまで上手くごまかしたと思ったのに、最後の最後で見つかってしまうという……。
その奇妙な雰囲気を感じ取ったのだろう。リーナの母親が娘に訊ねる。
「リーナ? 知ってる人たちなの?」
リーナの方は微妙な表情だ。
さーて。どうすんだ? この状況。
正直に嘘だったことを白状すればリーナ自身はかなりキツイお叱りを受けるだろうが、少なくとも俺やパルノの疑いは晴れる。ま、今さらそれは選びたくないだろうな。せっかくここまでごまかしてきたんだから。
この場を丸く収めつつ、母親をごまかし続けるなら、パルノが合い鍵を持ってることにするとか?
実際には合い鍵といっても魔力パターンの登録なんだけどな。特に仲の良い親友だからリーナが『不在の時でも部屋へ入れるようにしている』とでも言えば、この場はなんとか収まりそうだ。まあ、後でリーナが母親から多少の小言を受けるかもしれないが、それくらいは許容範囲だろう。
……って、ダメだわ。さっきパルノが『ここは私の部屋』とか言っちゃったもんな。
あとは……、俺達がマンションの管理人とか家主とかそういった立ち位置の人間であると説明するのも手か。
でもそれだとリーナは良いかもしれないが、俺とパルノの立場はあまり良いと言えない。いくら管理人でも借り主が不在の間に、黙って部屋へ入るというのは褒められた話じゃないだろう。正直、俺とパルノ的にはこの手はやめて欲しいところだ。第一このケースでもパルノの『ここは私の部屋』発言が結局ネックになる。今となっては余計な一言だったな。
「どうなの、リーナ? この人達、知ってるの?」
問い詰める母親にたじろぐリーナ。
「え、えと……、その……」
キョロキョロと視線をさまよわせる。主に母親とパルノの顔を交互に見ているようだ。俺という異分子の存在は目に入っていても、とても気にしていられる状態では無いのだろう。
俺とパルノは口を噤んでいる。
この状況で俺達が何か口にしても立場が悪化するだけだ。この場が収まるかどうかはリーナ嬢の言葉にかかっていた。
そのリーナが口を開く。
「知らない……人たちです」
弱々しく吐き出した言葉は、俺とパルノが耳を疑う内容だった。
は?
ちょっとまて、おい。
今この状況でそのセリフがどういう結果を引き起こすかわかってて言ってんのか?
「やっぱり空き巣だったのね!」
当然のごとく勢いを取りもどして、俺達を睨みつける母親。
「そんな! ひどいよ!」
パルノの訴えにも応えず、リーナはうつむいたまま口を開かない。
「…………」
この女! 日和やがった!
俺達を空き巣と決めつけている母親の思い込みを解くことが出来るのは、この場にいる四人の中で唯一リーナだけだ。
疑われている張本人のパルノや、その同類として見られているであろう俺がいくら弁解したところで聞く耳を持たないだろう。リーナの返事ひとつで今の状況はいかようにでも変わる。ただ一言、リーナが「知り合いだ」と口にすれば、少なくとも俺とパルノが犯罪者扱いされることはない。だがよりにもよってこの娘、我が身可愛さで保身に走りやがった。
「リ、リーナちゃん……」
信じられないといった表情でパルノがリーナの名を呼ぶ。
そりゃそうだろう。
自分の家に居候させるくらいだ。パルノにとってリーナは大事な友人であることは疑いようがない。というか、ひとりしか友人居ないって言ってたしな。
その友人のために自分の家を一時的に明け渡し、自らはあてもなく町へと出て行ったパルノ。はっきり言ってお人好しにも程があると思う。
リーナが自分の親に嘘をついていたことがそもそもの原因なのだから、それがバレて叱られるのは自業自得というもの。俺だったら「知るかよ、観念して説教されとけ!」と突き放すだろう。
この状況でもリーナを責めようとしないパルノは立派だ。……もしかしたら混乱でそこまで考えが及んでないだけかもしれないけど。
「し、知らない! 私、知らない!」
だがリーナの口から返ってくるのは無情な言葉だけだった。
友人を助けるため、自分でババを引いたパルノに対する仕打ちがよりにもよって『知らない人扱い』である。しかも犯罪者と決めつけられているこの状況でだ。
「リーナ! すぐに警邏隊に連絡しなさい! 捕まえてもらうわよ!」
おいコラ、待てオバハン。
てめえの娘、よく見てみろや。明らかに挙動不審だろうが。
自分の娘が絶対正しいとか思ってんじゃねえだろうな? はっきり言ってオバハン、子育て失敗してるぞ。手塩にかけて育てたソレが欠陥品っぽいからな。
「まったく。真っ当な仕事にも就かず、犯罪に手を染めるなんて……、親の顔が見たいわね!」
どの口が言うか!
そのまんまそっくりの言葉を熨斗つけて返してやるわ!
つーかこれ、怒っていいよな?
「おい、オバハン」
「なっ、オ、オバハン?」
「さっきから黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって。正直、俺も部外者だからあんまり口出ししたくなかったんだが、もう聞くに堪えんわ。出来の悪い娘と一緒に耳かっぽじってよく聞け」
「まあ! ぬ、盗人の分際で何て言いぐさ!」
「レ、レバルトさん……。あの……」
「お前、盗人呼ばわりされて悔しくねえのかよ。このまま黙ってたら犯罪者扱いだぞ?」
「うぅ……」
パルノは何とか穏便にすませたかったのだろうが、正直なところあの母親がこの場にいる限りは無理だと思うぞ。娘の方もパルノを切り捨てたっぽいしな。
「いいか、オバハン? この部屋はパルノ、こいつが借りてる部屋だ」
目をむいて敵意を向けてくる母親に、パルノを指さして言う。
「そこにオバハンの娘が居候してたんだよ。あんたには『一人暮らし』と嘘をついてな。今回あんたが来ることになったんで、パルノが一時的に部屋を出て一人暮らしとごまかしてたんだ。だからこの部屋にパルノが居るのは当たり前なんだよ」
「ふん。適当な作り話をしたって無駄よ。娘は小さな頃から私に嘘をついたことなんて一度も無いんだから!」
その時点でおかしいだろうが。親に一度も嘘をついたことがないなんて、そんな人間がそうそう居るわけがない。むしろ子供にとって最初に嘘をつく相手はほとんどの場合が自分の親や兄弟だ。単純にリーナという娘がこれまで上手に嘘をついていただけか、あるいは母親の目がそれを見抜けないほど節穴だったかのどちらかだろう。
「現にこうして大嘘ついてるんだがな! ほら、自分の娘を見てみろよ! 嘘をついてないなら、なんでそんなにうろたえてるんだ!」
「うちのリーナはそんな子じゃないわ! うろたえてるんじゃなくてあんたたちに怯えてるだけよ!」
「おい、リーナとかいったな? お前、張本人だろう? 何とか言ったらどうなんだよ!?」
「ちょっと! やめて! うちの娘に近付かないで!」
リーナに詰め寄っていく俺の前に母親が割って入り、何やら詠唱をし始める。
え? まじ?
このオバハン、魔法使えるのか?
驚きに硬直した俺に向けて、オバハンが右手をひらりと払う仕種で魔法を発動する。それは炎や氷といった目に見えるものではなかった。あいにく魔力を見ることも感じることも出来ない俺には判別不可能だが、それでも何らかの力が向かってきていることだけはわかった。
払われた右手から俺に向けて、目に見えない何かが襲いかかる。俺に感知できるのは、その何かが空気を突き抜けて迫ってくる音だけだった。
もちろんそれがわかるからといって、俺には防ぐ手段の持ち合わせがない。魔力による障壁展開も出来なければ、物理的に防ぐための盾も持ち合わせていないのだ。
俺は本能にしたがってとっさに両腕で頭を守る。どれだけの威力があるのかわからないが、手加減した魔法なら致命的な傷は負わないだろう。だが頭部だけは別だ。弱い威力の魔法でも、目に食らえば失明するし、小さな傷でも頭部は致命傷になるかもしれない。
すぐにでも届くと思ったその衝撃は、結局俺の身体に届かなかった。代わりに防御姿勢を取った俺の目の前で、風船が割れるような音と共に軽い衝撃があたりに拡散する。
「消えた? 相殺!?」
オバハンが驚きに目を丸くしている。
発動に失敗したわけではなさそうだが……。どういうことだ?
っていうか、警邏隊でもないのに街中で魔法使うとか、正気か?
先ほどの衝撃から推測するに、切断系や貫通系の魔法では無く衝撃系の魔法だったのではないかと思う。
ただそれは俺の安全に配慮したと言うよりもオバハンの使える魔法が衝撃系統だからであろう。そもそも相手の安全に配慮するだけの冷静さがあれば魔法は使わない。
ダンジョンのような場所ならともかく、街中で攻撃魔法を使うというのは決して褒められたことでは無いからだ。というかほとんど犯罪に近い。日本で例えるなら街中で包丁振り回すのと同じ行為である。
身の安全を確保するため、武器や魔法で襲われたときの正当防衛ならまだしも、口論レベルでいきなり魔法を放つのは過剰反応だ。
まあ相手はこっちを空き巣と思い込んでいるし、それで過剰に反応したんだろうが……。
発動したにもかかわらず唐突に消え失せた魔法を見て、オバハンはすぐさま二の矢をつがえる。今度はさっきよりも詠唱が長い。なんだろう、嫌な予感しかしないぞ。
「……パルノ」
「な、なんですか?」
「逃げるぞ!」
「へ? えええ!?」
なんかやばそうだ。
俺は魔法が使えないから、詳しくはわからない。だが、ラーラやフォルスが魔法を使うのを間近で見ていた経験上、オバハンが詠唱している魔法がなんとなーく威力が高そうだというのだけはわかった。
詠唱の内容がわからなくても、術者の集中度合いや表情、そして詠唱の速度や抑揚などから感覚的ではあるものの術の規模を感じられるようにはなっている。その経験が訴えていた。
あれはまずい、と。
威嚇目的や制圧目的の威力では無く、確実に仕留めようとする意図が見え隠れするのだ。
俺はパルノの腕をとると、オバハンとは逆方向に身体をひるがえした。エレベーターの反対側には俺が登ってきた階段がある。そこまで逃げられれば――。
「逃がさないわよ!」
だがしかし、俺達が駆け出すよりも早く魔法の詠唱が終わったらしい。
オバハンの声と共に、再び目に見えない何かが俺とパルノに襲いかかって来た。
空気を貫く音が聞こえる。
先ほどの音が突風だとすると、今度の音は狂風である。音からして威力が段違いだと想像できた。
当然その速度でくり出される魔法を、魔力強化もしていない俺達が避けられるはずもない。
「やばっ!」
今度こそやられる!
そう思い、目を閉じて身構えた。
コンクリートの塊同士がぶつかるような重い衝撃音に続いて、俺の身体を強い力が襲う――かと思いきや、不思議なことにショックらしきショックは感じない。
「え? あれ?」
恐る恐る目を開く。
「なんで? 何が起こった?」
俺の眼に映ったのは、立ち尽くすパルノとリーナ。そしてエレベーターの扉へ叩きつけられて気を失ったオバハンだった。
その場にいる誰もがクエスチョンマークを頭の上に乗せている。
え? ちょ、……誰か解説プリーズ。
呆然とする三人の中で、一番最初に動き出したのはリーナだった。
「お、お母さん! しっかりして! お母さん!」
倒れこんでいる母親に慌てて駆け寄る。
あの様子だとリーナがなんかやったわけじゃなさそうだな。
「パルノ、お前なんかやった? 魔法で防御とか」
「む、無理ですよお。私ほとんど魔力ないんですから。攻撃魔法を防ぐなんて」
パルノがぷるぷると首を左右に振って答える。
はて? じゃあ誰が?
首をひねっていると、突如俺の端末から着信音が流れ始める。
「こんな時に誰――、ん?」
端末に目をやると、ここに来る途中も目にした真っ黒い画面が表示されていた。
《いかがでしたか? いい仕事したでしょう?》
お前かぁぁーーー!?




