第52羽
「レビさんレビさん。これ、なんでしょう?」
屋上にあがったものの、結局幽霊は見つからなかった。とんだくたびれもうけである。
ため息をはきつつ、そろそろ下に降りようかと思っていたその時、ラーラが何かを見つけたらしい。
「なんだ?」
「なんでしょう、これ? レンガみたいな感じですけど、その……、かなり不吉というか……」
ラーラの視線に促され、俺はそれに目を向ける。
そこにあったのは人の頭ほどの大きさがある石材の塊だ。だがそれは残骸では無く、明らかに意図を持って整えられた形状をしている。四角い面をベースにして、顔面らしき彫刻が施されていた。
人間の顔がベースになっているようにも思えるが、現実にはなかなかこのような容貌の人間に会うことはないだろう。
その目は大きくギョロリとむき出しになっており、口は顔幅いっぱいまで裂けて、中からは肉食獣のように大きな牙が生えている。頭の上にはこれまた大きな角が左右に二本突き出していた。表情自体、今にも食いかからんばかりの恐ろしさであった。
「何かあったんすか? うわぁ……」
駆け寄ってきたエンジがその物体をみて顔をゆがめる。
見ればティアも俺の後ろからのぞき込み、何とも言えぬ表情を浮かべていた。
「なんと禍々しい。何でしょうか、これは?」
何でしょうか? って、あれ? わかんないの?
どっからどう見ても『鬼瓦』じゃないか。
ん? そう言われてみれば、転生してからこっち、鬼瓦とか見たこと無かったな。
あれれ? もしかして鬼瓦って広まってない?
「レビさん、レビさん。もしかしてこれが元凶なんじゃないですか?」
「確かにこのおぞましい造形はとても真っ当な物とは思えません。まるで悪魔です」
「え? 何言ってんの、お前ら?」
「だってどう考えてもヤバイっすよ、これ」
「いやいや、これは鬼瓦だって、多分」
「鬼瓦?」
それはなんぞや? とティアが目で訴える。
「屋根の上に置いて、建物を良くないものから守る『魔除け』みたいなもんだよ。表情が怖いのは、悪霊とかに睨みをきかせるという意味があるんだ、確か」
「とても信じられません。魔除けというのは普通、女神や神獣の像と相場が決まっています」
ティアの言葉に続いて、自分もその考えに同意するとばかりにうなずくラーラ。
「ですです。この醜い造形は確実に悪霊の依り代になる方だと思います」
うーん。この辺は文化の違いってヤツだろうか。確かにこの世界では守護や魔除けを作る時、そのモチーフは大体が神様や伝説上の生き物だ。
地球では洋の東西を問わず、忌むべきものを追い払うのに鬼や怪物、果ては悪魔といったモチーフも使われていた。毒を以て毒を制すという感じだろうか?
ただその考え方がこの世界では受け入れられないようだ。もしかしたらこの鬼瓦も、昔転移してきた日本人が広めようと試作した物かもしれない。結果的には普及しなかったんだろうけど。
「とりあえず破壊しましょう」
断固たる口調でティアが言った。
「そうですね。ティアさんに賛成で――!」
同意しかけたラーラの言葉が途中で止まる。
そして間を挟まず、ティア、ラーラ、エンジの三人が瞬時に鬼瓦から飛び退った。
え? なに? どうしたの?
何が起こったのかわからない俺は鬼瓦のそばに取り残された形だ。
見ればティア達はそれぞれ油断無くこちらを向いたまま、今にも戦闘へ突入せんとばかりに身構えていた。
「どうした? 何かあった――」
言いかけた俺のすぐ横を、ピンポン球ほどの氷弾がものすごいスピードで突き抜けていく。
「――か?」
その風圧で俺の髪がふわりとなびく。一瞬唖然とした俺だったが、その氷弾がティアの放った攻撃魔法であることに気付き、嫌な汗が背中を伝っていく気がした。
「ひいぃぃぃぃ!」
思わず悲鳴をあげる。
「こ、殺す気かあー!」
「先生から離れなさい!」
抗議の声をあげる俺に向けて、ティアはわけのわからない事を言い放つ。
え? 何言ってんのお前?
「レビさん! 危険ですから離れてください!」
え? 危険って……、今この場で一番危険なのは暴走の気配を見せるティアだと思うんだが。
「兄貴! 幽霊っすよ!」
「え? どこに?」
「兄貴の横にいるっす!」
「へ?」
俺はあわてて周囲を見渡してみる。が、周囲には誰も居ない。あるのは足もとに転がる鬼瓦だけだった。
やっぱり俺には幽霊の姿が見えないらしい。
「信用できません!」
ティアの声が響く。
え? なに? 独り言にしては変だけど……。
「ティアさん。幽霊の言うことに耳を傾けてはいけません」
ラーラのセリフから考えるに、幽霊が何か話しかけて来てるんだろうか? でもティアもラーラも聞く耳を持ってない、と。
「おい、エンジ。お前も幽霊の声聞こえるのか? 幽霊は何て言ってるんだ?」
「なに言ってるんすか、兄貴。すぐとなりで話してるじゃないっすか?」
ああ、そういえばこいつ、未だに肝試しだと思ってるんだよな。
「エンジ」
「なんすか?」
「実は肝試しって言うのは嘘だからな。お前が見てる……、えーと俺の側に居る? のは本物の幽霊だから」
「あ、そうなんすか。だから姐さんやドジッ子の反応があれなんすね」
ずいぶんあっさり受け入れたな。もっと驚けよ。
「とりあえず理解してくれたんならいいや。それで、幽霊がなに言ってるのか教えてくれるか?」
「えーとっすね……。『これを壊さないで』って言ってるっす」
「『これ』って、この――」
俺が鬼瓦を指さす。
「鬼瓦のことか?」
「みたいっすね。あとなんか兄貴と話がしたいって言ってるっす」
「俺と?」
「先生! そのような悪霊の言うことは無視して、すぐにそこから離れてください!」
いつの間にかティアの中では幽霊から悪霊に昇格していた。
でも俺が離れるとお前の攻撃がここに叩きつけられるんだよね。天井に穴が空きましたとか嫌だぞ?
それにエンジの話を聞く限り、話し合いの余地がありそうだ。
身の危険もあんまり感じない。これまで何年も住んでいた俺が何ひとつ害を被っていないのがそれを証明している。むしろこの状況ではティアの方が危険な気がする。
「まあまあ、ティア。落ち着けよ。ラーラも攻撃とかするなよ」
身構えたままのふたりには釘を刺しておく。
「エンジ。幽霊は俺と話がしたいって言ってるんだよな?」
「そうっす」
「お前、ちょっとこっち来い」
「へーい」
エンジは躊躇すること無く、俺の側まで歩いてきた。肝が据わってるんだか、危機意識が薄いんだか……。
「えーと……、幽霊ってどっちにいるんだ?」
「そこっす」
エンジが俺の左隣を指さす。さっきティアの氷弾が突き抜けていったあたりだ。
「どんな様子だ?」
「美人さんっす」
「いや、誰がそんな事聞いたよ」
「あと、やっぱおっぱい大きいっす」
「知らんわ! どんな様子かって聞いてるんだよ!」
「ホントに見えないんすか? 兄貴?」
「俺には見えないし声も聞こえないんだよ。だからこの期におよんでもお前ら三人が口裏あわせて俺を担いでるんじゃないかと疑ってるくらいだ」
「ひどいっすよ、兄貴。オレが兄貴の迷惑になるようなこと、したことがあったっすか?」
わざとらしく悲しそうな顔で天然パーマ男が言う。
「え……?」
迷惑になるようなこと、って……。意図的ではなくても、お前の言動によって迷惑を被ったことは数限りなくあるんだが?
「……」
「……」
俺達の間に何とも言えない微妙な空気が、夜風に乗ってゆっくりと通り抜けていく。
「え? ちょっと、そこは『そんなことないぜ、弟分よ!』くらいの気遣いが欲しいっす!」
「わかった、わかった。今度妹の友達紹介してやるから、今は通訳頼むよ」
「ホントっすね? 約束っすよ!」
「はいはい。……で? 幽霊さんは何て言ってるの?」
「えーと、『鬼瓦を知ってるの?』って、兄貴に聞いてるっす」
やっぱり鬼瓦だったのか、これ。
「ああ、一応そういう物だっていう知識だけはな。こっちからも質問だけど、この家に住み着いてた幽霊ってのはこいつのことなのか?」
「『幽霊じゃないけど、住んでたのは確か』らしいっす。『この鬼瓦が依り代になってるから、ここから遠くへは行けない』って言ってるっす」
「俺達に敵対する気は無いんだな?」
「えーと、『依り代に手を出しさえしなければ敵対する気は無い』って言ってるっす」
それで十分だ。
「今まで住んでた人間を脅かしていたのは何でだ?」
「『助けを求めようとしたら逃げられた』、『中には依り代を破壊しようとする人が居たので、そう言う相手は実力で追い出した』だそうっす」
なるほど。人間の方で勝手に怯えて家を手放したわけか。中には俺達と同じようにこの鬼瓦を見つけたヤツもいたんだろうけど、ティアやラーラ同様に問答無用で破壊を試みて撃退された、と。まあ確かに知らない人間が見たら、まんま邪神の像だからな。
「だったら話は早い。俺は害がないなら別に追い出そうとか退治しようとか思ってない」
「あ、美人さんの笑顔はやっぱ良いっすね」
エンジが俺の左隣を見て言う。幽霊の笑顔でも見えているのだろう。
「んじゃ、大丈夫そうだからティアとラーラを呼ぶか」
俺は距離を置いて警戒を続けていたふたりへ声をかける。
『話はついた』と安全を宣言する俺の言葉に、不承不承ながらもティア達が近寄ってきた。
エンジから聞いた話をふたりに伝える。俺としては無理に追い出すつもりも退治するつもりも無いと表明すると、ティアは強硬に、ラーラは控えめに反論してきた。
「先生は甘すぎます! こんな得体の知れない悪霊を野放しにしておくなんて――――、それが何だと言うんですか!?」
幽霊が何かを言ったのだろう。ティアがすぐさま言い返す。
横で俺はエンジにこっそり訊ねる。
「何て言ったんだ?」
「『悪霊でも幽霊でも無い』って反論してたっす」
「ふーん」
さっきも聞いたけど、結局幽霊じゃ無かったのか。
まあ、そのあたりはどうでもいい話だ。
「ティア、もうよせよ。害のある存在じゃないなら俺は別にかまわん」
「でも先生」
「家主の俺が良いって言ってるんだから。ラーラも良いな?」
「ですがレビさん。その場合、私のデラックスお持ち帰りボックスはどうなるのですか?」
じっとりとした目つきで俺を睨むラーラ。
そういえば成功報酬でティアが約束したんだっけか? えーと、どうしたもんかね?
俺はティアへ視線を向ける。銀髪少女はむくれた表情で顔を背けていた。
だよなー。ティアが納得してない限り、成功報酬は出ないよなあ。賢人堂のデラックスお持ち帰りボックスなんて、今の俺にはとても手が出ないし。
「うーん……。じゃあ代わりに『ルイと一緒に一日遊び放題の権利五回分』とかどうだ?」
「ほほう……。ルイを一日独り占めできるわけですね? それが五回分ですか………………。いいでしょう、それで手を打ちます」
あごに手をあてて考えていたラーラだが、大した時間もかけずに俺の提案を受け入れたため、『肩たたき券』みたいな感覚でお茶を濁すことに成功。
実際のところ、別にルイがあちこちで引っ張りだこってわけでもないし、家へ遊びに来れば権利云々関係なく遊び放題なんだけどな。それに気付かれなくて良かった。結論、やはりラーラはチョロかった。
これでとりあえずは問題解決かな? ただ、そうすると気になるのは――。
「で? さっき言ってた、『助けを求めようとした』ってのは?」
本当は余計なお世話かもしれないし、もしかしたら不要なトラブルを招くだけかもしれない。
だがこの先ずっと家に居着く彼女が何らかの問題を抱えているなら、それが俺達にも影響を及ぼす可能性は残る。問題があると言われれば、さすがに枕を高くして眠ることも出来ないだろう。だから一応確認だけはしておいた方が良いと俺は判断した。
「『依り代が古くなって崩れそうだから、新しい依り代が必要』って言ってるっす」
「新しい依り代、ねえ……」
俺は現在の依り代となっている鬼瓦を改めて観察する。
確かによく見てみると、相当な年代物であることがわかる。あちこちが欠け、小さなヒビ割れもひとつやふたつではない。何より長年風雨にさらされて、鬼瓦そのものが脆くなっているように見えた。
「確かにこれは……、もうボロボロだな」
「そうっすね。叩いたら案外簡単に割れそうっす。……え、いや、やらないっすよ、ホント。だから睨まないで欲しいっす」
エンジの不用意な発言に彼女が反応したのだろう。エンジは両手を前に突き出して手のひらをこちらに向けると、フルフルと左右に振っていた。
「依り代……、依り代ねえ……。それって鬼瓦じゃないといけないのか?」
「『形や大きさは関係ない』らしいっす。『ただ、魔力の波長が合う合わないという問題があるから、なんでも良いというわけじゃない』ってことっす」
なるほどね……。一時的にでも良いから代わりを用意してやれば彼女も安心するのだろう。
しかし何を用意すれば良いんだろうな? 形や大きさは関係ないって言っても、やはり魔法具とか何かを象った像の方が適しているのだろうか?
「そ、そんなのダメです!」
「え? それはでも……、うーん……、一応聞いてみるっすけど」
考えにふけっていると、唐突にティアがダメ出しをする。次いでエンジが何やら彼女からの伝言を頼まれたようだ。
「どうした?」
「えーとっすね……。兄貴のそれ――」
「ん? この端末か?」
俺は首から下げていた個人端末を手にする。
「そうっす。出来ればそれを依り代にさせて欲しいって言ってるっす。なんでもその端末からは『嫌な感じがしない』とかで、依り代として使えそうらしいっす」
端末を依り代にねえ。それ自体は別に良いんだが……。
「ちょっと確認してもいいか?」
俺は二、三疑問を口にする。
「依り代にした場合、この端末が変質したりって事はないのか? 魔法具だから微量だけど魔力を帯びてるけど大丈夫なのか? あと、これを依り代にするってのは一時的なことと考えて良いんだな?」
エンジが俺の横を見ながら、ふむふむと相づちを打っている。
「まず『端末の変質は多分しないと思う』って言ってるっす。『今までもそんな事は無かった』らしいっす。で、魔力を帯びてることについても問題ないみたいっす。『わずかな魔力は感じるけどほとんど気にならない』っていうことっす。『良い依り代が他に見つかったら、そっちに移るから安心して欲しい』って言ってるっすよ」
代わりが見つかるまでの一時的な措置なら別にかまわんな。
「じゃあまあ、良いか」
「よくありません! そんな得体の知れないものを先生が身につけている端末に取り憑かせるなど! 私は反対です!」
常ならず強い口調で異議を唱えるティア。
俺の身を案じてくれるのは嬉しいが、いい加減ご近所迷惑だから叫ぶのはやめてほしい。結局あとでご近所様に頭下げるのは俺なんだぞ。
「代わりが見つかったらそっちに移ってもらうって。とりあえず仮の依り代さえ出来れば、夜な夜な出歩く必要もなくなるんだろ?」
後半は俺の横にいるらしい彼女に向けて言う。
「みたいっす」
「これで問題が全部解決するんだから、一時的に依り代を提供するくらい別に良いだろ?」
「でも……!」
「はいはい、これで一件落着! 今日はもう疲れたから寝ようぜ。異論があるなら明日……じゃなくてもう今日か……。今日のお昼にしてくれ」
「うー……」
物言いたげに唸るティアは放って置いて、話を進めることにした。
「で? 依り代って移すのに何か儀式とか手続きとかあるのか?」
「特にいらないみたいっすよ?」
「んじゃ、さっさとすませちまえ」
俺がそう言った瞬間。エンジ達の口から短い声が漏れ出る。
「あっ」
「ん? どうした、エンジ?」
「あー、えーと。終わったみたいっすよ?」
「終わったって、何が?」
「さっきまでそこに居た美人さんが、するするっと兄貴の端末に吸い込まれていったっす」
「ということはもうここには居ないのか?」
俺が自分のとなりを指さすと、エンジはうなずいて返事をする。
「多分その中にいるんじゃないっすか?」
と、俺の首から下げられた端末を指さす。
「そうか……。なんか、あっけなかったな」
「そうっすね……。そんな簡単に取り憑けるんなら、その辺の何かにさっさと取り憑けそうなもんすけど……」
「そうだな。魔力の波長がどうこうって言ってたのが問題なんだろうけど。そんなにこれがちょうど良かったのかねえ?」
俺は指で端末をつまむと、目の高さまで持ちあげてしげしげと眺める。
見たところ何の変化もない。本当に彼女がこの端末に取り憑いたのだろうか?
「ま、さしあたり問題は解決したと思って良いだろう。今日はもうこれでお開きにしないか? そろそろ本気で眠くなってきた」
夜に備えて午後から夕方まで睡眠をとっていたとはいえ、体内時計がそう簡単に切り替わるわけじゃあない。いい加減眠いんだ。
「そっすね」
俺は一番チョロい男からの返事だけを受け取り、さっさと屋内へ降りていく。責任感の強い銀髪少女がなにやらまだ抗議を続けているが、今日は聞こえないことにした。
明日になればティアも少しは落ち着くだろう。もちろん落ち着くどころか、抗議の言葉がお怒りシャウトに成長して、俺がまたソファーの上で正座することになるのかもしれない。だがその時はその時である。
『面倒事は後回し』って言うだろう? 昔の人は良い事言った。
え? そんなことわざや格言は聞いたことがない?
あれ? そうだっけ?
前世の家族はみんな使ってたけどなあ……。
2017/08/05 脱字修正 午後か夕方まで → 午後から夕方まで
2025/02/21 誤字修正 特に入らない → 特にいらない




