第51羽
銀髪少女の口から耳をつんざくような悲鳴が放たれる。俺の目に映らない『それ』がティアにはしっかりと見えている何よりの証拠だ。
得体の知れないものを見て悲鳴を上げる、それ自体は年頃の少女として普通の反応である。
いくら魔法と不思議があふれるファンタジー世界といえど、正体不明の存在に出くわしてとっさに戦闘態勢へ移行できるラーラのようなタイプは珍しい。無論、ラーラの場合は報酬となるスイーツ補正があるからこそだろうが……。
昨日の幽霊に怯える姿といい、目の前の悲鳴をあげる姿といい、ティアにも普通の女の子らしい面があったんだな。……と場違いな感想を抱いた俺の認識が、はなはだ甘いものだったと気付くまでそう長い時間を必要としなかった。
なおもティアの悲鳴が響きわたる室内で、突如として目に見える変化が生じはじめた。
視界が霧で覆われたように白くぼやけたと思ったのも束の間、次第にそれがティアの目の前へと収束していく。
白いそれはやがて小さく凝縮され、宙にひとかたまりの物体を産みだした。透き通る薄い青、天井から吊された照明の光を反射する鏡面にも似た表皮。魔法によって生み出された氷塊である。
それは周囲からエネルギーを吸収するかのように、さらに凝縮を繰り返して見る見るうちに大きさをふくらませていく。氷塊はまたたくまに拳大の大きさから、大の大人が両腕で一抱えするほどのサイズに変わっていた。
それは紛う事なき魔法の発動である。
っていうか、おい。詠唱はどうした?
『きゃー』だけで簡単に魔法発動とかされたら世の中の魔法使いみんな涙目だぞ?
ダンジョンで俺達を救ってくれたアヤみたいなレベルの化け物ならいざ知らず、ろくに戦闘経験もない少女が軽くやっていいようなテクニックじゃないはずだが……。
「いやああぁあぁぁー!」
そんな俺の困惑を無視して、ティアが魔法を解き放つ。
魔法名『きゃーいやー』が世に生まれた瞬間である。
宙に浮いた氷塊からアイスピックのような針が無数に生まれ出でる。その様はまるで氷でできたアイスピックが、溶けて再び氷の塊となる過程を逆再生したかのような光景だった。
氷塊が全て氷の針に変化するまでがほんの数秒。ティアの前に数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの針が周囲を漂ったかと思うと……、次の瞬間それが一斉に叩きつけられた。
その矛先が向かうのは階段へと続くドアである。
無論ティア達の目にはドア以外の何者か――おそらく女の幽霊――が見えているのだろうが、それが見えない俺にとってはただの無機質なドアだ。
解き放たれた数本の針がドアに鋭く突き刺さる。しかしそれはまだこの後に起こる現象の序曲でしかなかった。
最初の数本だけはきっと勢いが弱かったのだろう。着弾時の音も軽いものであった。ところがその後に続く大部分の針は、突き刺さるどころの話ではない。
カカカカカ、という音がガガガガガという重みのある音に変化し、扉に無数の穴が空き始めた。どうやら針の勢いが増して、貫通し始めたようだ。
最初こそドアに集中していたその攻撃は、次第に範囲を広げていく。あまり細かい制御が出来ないのか、迷惑なことに周辺の壁や天井までもを巻き込みつつある。
――無理もない。なんせ魔法の使い手自身が錯乱状態みたいなものだし。
一本一本の立てる音はそれほど大きく無いのだろうが、なんせ数が数である。あっけにとられる俺達の周囲は道路工事も真っ青の大音量に包まれていた。明日はご近所様からの苦情間違いなしであろう。
盛大な音を立ててドアを、壁を、天井を削っていくティアの魔法。きっとコンクリの掘削作業とかに使えば重宝されるに違いない。
だが問題は今現在削られているのがコンクリでは無く、買って間もない俺の家だということか……。
数秒間の大掘削が終わったその時、俺の目には跡形も無く灰燼と帰したドアの名残と、無数に穴が空いた――というか穴がない箇所の方が少ない――壁と天井が映される。
思いもよらぬ甚大な被害に、俺は自分の頬がひきつっているのを感じた。
「はあ、はあ、はあ。避けられましたか……」
「奥へ逃げたようです」
無念そうにつぶやく銀髪少女と、冷静に告げるツインテ少女。
ええ!? あれだけ豪快にぶっ放しといて、成果無しなのかよ!?
俺は思わず声を失う。
視界の端には思い出したように崩れ落ちるリビングの壁が映っていた。
「逃がしません!」
「レビさん! 追いかけますよ!」
「おっ! 肝試しの始まりっすか!?」
「ちょ、お前ら待てって!」
俺の制止も聞かず、三人が幽霊を追って階段へ向かって走りはじめる。
「んにゃ……、なんですかあ?」
さすがにパルノも目を覚ましたらしい。というかこの状態でも熟睡できるルイって、ある意味すげえな。さすが希少種。
「幽霊が出た――らしい! 追いかけるからお前も来い!」
「ひぇ、幽霊……!」
一瞬にして目を覚ましたパルノがプルプルと首を振る。
「だったらそのままここに居ろ!」
そう言い捨てて、俺は三人の後を追う。幽霊がどうこうよりも、むしろあの三人を野放しにする方が俺は恐ろしい。
俺はパルノからの返事も待たずに階段を上っていった。
すぐに廊下で並び立つ三人に合流する。
「準備はいいですね?」
それは珍しくリーダーシップをとっているラーラが、今まさに寝室のドアを開けようとしているところだった。
俺が到着するのとほぼ同時に、まずラーラが寝室へ飛び込む。
後を追うようにエンジが続き、最後に恐る恐るティアが足を踏み入れた。
「……居たか?」
ティアの後ろから部屋をのぞき込みながら俺が訊ねる。
「いえ、見当たりませんね」
部屋の中からラーラが返事をする。
「あぶり出しましょう」
物騒なセリフと共に、ティアが魔法の詠唱を始めた。
「ちょ! 待て待て! ストップ! ストーーップ!」
慌てて俺はその細い体を後ろからがんじがらめにする。
リビングみたいに魔法をぶっ放されたらたまらん。
「放してください先生! 全方位攻撃をすれば多分どれかは当たります!」
「いやいやいやいや! やめてくれ! 俺の家を廃墟にするつもりか!?」
「家は後から直せますが、幽霊は後でも直せません!」
「落ち着け! 冷静になれ! な? 言ってることが意味不明だぞ?」
「私はいたって冷静です! 放してください!」
放せるかっての! 放したらドカンなんだろ!?
やれ放せ、やれ放さないだのと問答を繰り返していると、寝室の中からあきれたような声が届く。
「レビさんもティアさんも、イチャついてないで早く他の部屋を探しに行きましょう」
「イチャついてって、ラーラ……」
お前にはこれがイチャついているように見えるのか? 俺的には自己保有資産の今後がかかっている深刻な事態なんだが。
「あー、ドジっ子と一緒なのは悲しいっすけど――」
エンジが頭をかきながら言う。
「オレも同意見っす」
え? あれ? 俺がおかしいの?
「先生……、その……、そろそろ放していただきたいのですが……」
ティアもようやく落ち着いてきたらしく、控えめに申し出てきた。
「お、おう。すまん」
俺は慌ててティアを解放する。不用意な接触は黒装束召還という好ましくない事態を引き起こす可能性があるしな。気を付けねば。うん。
気を取り直して俺達は二階にあるもうひとつの部屋、客間へと足を進める。
辺りに注意を払いながら慎重に様子をうかがってみるが、客間に足を踏み入れたラーラ曰く「居ないみたいです」とのことだった。エンジも「どこ行ったんすかねえ?」と目を遊ばせる。
ふたりが『居ない』と言っているのだから、多分居ないのだろう。どっちみち俺には見えないのだから、自分の目では確認しようがない。
「消えた、ってことか?」
まあ幽霊なら突然消えてもおかしくはないか。
「レビさん、レビさん。他に部屋は無いのですか?」
「ん? あとは一階に書斎と倉庫があるくらいだぞ?」
「ではそのふたつも見ておきましょう」
俺的には正直どうでも良いんだがな。と思いつつも、仕方なく付き合うことにする。
俺が留守の間、ひとりでこの家に残るティアにとっては放っておきたくない問題だろうし、ラーラにとっては成功報酬を得られるかどうかが懸かっているのだろう。エンジの場合は……、「こっちがお化けを探しまわるって、変わった趣向の肝試しっすね!」
…………え、ああ、うん。そうだね……。
その後俺達は一階へ移動し、書斎、倉庫と捜索を続ける。だが結局それらしい気配もなく、ダイニングやトイレ、果ては玄関や屋外に出て庭まで探し回ったが、何も異変は起こらなかった。
「今日はもう出てこないんじゃないのか? もう寝ようぜ」
月明かりだけの薄暗い庭に立ち、俺は小さくあくびをしながら捜索の終了を促す。
「明日もこの体制を維持せよとおっしゃるのですか?」
眉をしかめて銀髪少女が反論してきた。
明日もやるつもりなのかよ……。かんべんしてくれや。
「第一、この状態で安心して眠ることなど出来ません。あれがいつどこから現れるかわからないのに……」
「ちなみに昨日はどこに出てきたんだ?」
「昨日は……、客間です。パルノさんが部屋を出て行った時にふと目が覚めまして……。お手洗いかなと思って、すぐにまた眠りにつこうとしたんです。そうしたら、窓の方から女性の泣き声が聞こえてきて……、ふと窓を見たら……、外に……」
話すうちにティアの表情がみるみるゆがんでいく。口にするうち、昨日の恐怖も同時に思い出してしまったのだろう。
「窓の外にですか……。レビさん、レビさん。客間ってあのあたり――」
ちょうど客間があるあたりを指さした状態でラーラの言葉が途切れる。
「居たっす!」
同じく客間の方へ視線を向けていたエンジが叫んだ。
「え? 何が?」
とっさに客間のあたりを見るが、当然俺の目には何も映らない。
「屋根の上です!」
「屋上とは、盲点でした!」
ティアとラーラが叫んで同時に動き出す。……お前らご近所迷惑少しは考えろよ。
残された俺達もふたりを追って家の中へと駆け入る。
「レビさん! 屋根へ上がるにはどこから?」
「え? ああ、確か――」
「二階廊下の突き当たりに登り口があります! はしごは倉庫に!」
うん、そうだね。俺よりティアの方がよほど詳しいよな。
あっけにとられる俺をよそに、ティアとラーラがすぐさま倉庫からはしごを持ち出し、二階廊下の突き当たりに設置する。
廊下天井には押し上げ式の扉がついている。人がひとり通れるほどの小さな扉だ。
まずはラーラ、次にエンジが登り、俺が続いた。正直言ってティアを先行させると、止める間もなく大規模な攻撃魔法をぶっ放しそうで怖かったからだ。
「居るか?」
俺ははしごに足をかけたまま上半身だけを屋根の上に出し、先に上がっていたラーラとエンジへ声をかける。
「先生、どいてください。上がれません!」
「お前はもうちょいそこに居ろ。いきなり屋根吹っ飛ばされたりしたらかなわん」
下からティアが突っついてくるが、今日のこいつはロケット花火の不発弾みたいなものだ。いつ火がつくかわからないので、あまり前線には立たせたくない。
「居ないっすね……」
「確かに青白い光が浮かんでいたのですが……」
屋根の上で視線を左右に巡らせながらふたりが返答する。
また消えたか。まあ幽霊だもんな。
見たところ危険も無さそうだし、そろそろティアも上げてやろう。
さっきから俺の尻をしきりに押し上げようとするティアが、正直うっとうしくなってきたしな。
俺が屋根の上に登り切ると、その後から警戒しつつティアが続いてくる。
「んー。なんも居ないっすね。またふりだしっすか?」
確かに何も居ない。各人散開して思い思いに屋根の上を見て回るが、あるものと言えば風で飛ばされてきたであろうゴミや、建築時に残されたらしき建材の余りくらいだ。
もちろん俺には見えないが、エンジ達の口ぶりでは幽霊の姿も見当たらないらしい。
やはり幽霊だけに前触れもなく消えたり現れたりするんだろうか?
まいったなあ。
この調子だと明日も厳戒態勢を敷くとか言い出しかねんぞ? どこぞの銀髪少女が……。




