第50羽
「あ、兄貴。それ流しちゃだめっす」
「なんだと?」
「オレの強運を甘く見ないで欲しいっす! うりゃっ、と!」
威勢の良いかけ声と共に、エンジの手札から三枚のカードが放出される。
渾身の気合いを入れて、ここが勝負とばかりに場に出した俺の『エース』三枚。その上へ覆い被さるように、『二』のカードが三枚パサリと音を立てて重なった。
「げ! 『二』が三枚とか持ち札偏りすぎだろ!」
「悪いっすね、兄貴」
愉快げにエンジが場のカードを横に流す。
さすがに『二』の三枚組を阻止できる手札は誰も持っていないらしい。
「ここで満を持して……。ででーん! 『革命』っす!」
リセットされた場にエンジが『九』を四枚出す。
「ちっ、そう来たか!」
「ふえっ!」
「モジャ男のくせにちょこざいな……」
「ンー!」
舌打ち、驚き、不満、愉悦。いずれも場を賑わせる反応である。
「では、『革命返し』です」
そんな中、唯一冷静に発せられた銀髪少女の声は、さらなる驚愕を全員に叩きつける。
「な! マジかよ!?」
「ひいっ!」
「ティアさん、ナイスです!」
「ンー!」
「ちょ! 姐さん! そりゃ無いっすよ! 完璧オレ死亡っすー!」
伝家の宝刀『革命』を即座に返されたエンジが両手で頭を抱える。
おそらくは革命前提で手札を処分していたのだろう。手持ちの札には『二』や『エース』はおろか、もしかすると『絵札』すらないのかもしれない。
「ふふふ。革命とは常にリスクを背負っているものです。蜂起するタイミングを誤れば、即座に鎮圧されるただの暴動と変わりありません」
ティアがなんだか偉そうなことを言い出した。
見れば、パルノは終始あわあわとうろたえ、ラーラは手札へ目を落としながらブツブツとつぶやいている。ルイは雰囲気を感取しているのか、ルールもわからないくせに終始はしゃいでいた。
夜になると幽霊が出現するとはいっても、それが一体いつになるのか正確にはわからない。毎日決まった時間に現れるとも限らないからだ。
その間、ずっと緊張の糸を張ったまま待機するわけにもいかないため、俺達はこうして眠気覚ましを兼ねて暇つぶしのゲームに興じていた。
使うのは四種類各十三枚ずつのカード。言わずと知れたトランプである。
トランプが発明されたのは今から二百五十年ほど前、発明者の名前はユージ・タキザワという……、え? もうそのくだりはいいって? あぁ、確かにそうだな。俺ももう心底どうでもいいや。
とにかく、ルイをのぞいた五人で俺達は『大富豪』をして遊んでいた。
広く普及したゲームというのは大抵地域ごとに様々なローカルルールが定着しているもので、きっと大富豪もその例にもれないことだろう。
俺が通っていた前世の学校ではクラスごとにローカルルールがある有様だったしな。
ちなみにこの世界では発明者ユージ・タキザワのもたらしたルールが標準となっている。
現在のところティアのひとり勝ちであった。
当然だな。魔眼持ちのティアにとって、心理的駆け引きが発生するカードゲームほど有利なものは無い。
もちろん透視ができるわけではないから、完全に思いのままとまではいかないが、相手がいつ勝負をかけてくるのか、その手段はなんなのかがわかっているだけで圧倒的に有利だ。
まだ配布されるカードの偏りによって取り得る選択肢の幅が大きい大富豪だから良いものの、心理戦が大きな比重を占めるポーカーとかだったら勝負にもならないだろう。
「お先にあがります」
そっけなく言って、一番手であがるティア。
先ほどから延々と繰り返されている光景であった。
「また姐さんに負けたっすー!」
「ティアさんはほんと強いですね」
「あわわ……、すごいです……」
「ンー!」
からくりを知っている俺だけは素直にティアを賞賛する気になれない。ほとんどイカサマだからなあ。
まあ、賭けているのが食後のデザートだし、別にいいか。ひとり勝ちって言ったところで、そもそもデザートを用意したのはティア自身なんだから。
胴元がティアで、俺達全員がその下の順番を争ってるようなもんだ。
順位的にはぶっちぎりトップがティア。次いでスイーツへの欲望にまみれた女ラーラ。全ての思考から解き放たれた男エンジ。そして俺と続き、最下位がパルノである。
俺に関しては決して手札が悪いわけでは無いのだが……。どういうわけか、ここぞと勝負に出るとティアにつぶされているような気がしてならない。
パルノに関しては大富豪云々と言うより、勝負事にそもそも向いてないんだろう。毎度毎度「その……」とか「はうっ」とか言いながら、おそるおそるカードを場に出してくる。
まるで「出しても良いんでしょうか?」と、周囲に伺いを立てるようなその煮え切らない態度に突っかかるのはツインテール娘である。
「出すなら出す。出さないなら出さないとハッキリしてください。出すんですか? それで良いんですね!?」
と、ラーラにしては珍しく強い口調で詰め寄る場面もしばしばあった。
その都度「ひぃ!」とか「あわわわ」などと口にしてビクつくパルノに、なおさらラーラは青い瞳へ不機嫌な色を浮かべる。
窓でアルメさんを交えた時のやりとりでも感じたことだが、どうもラーラはパルノに良い印象を持っていないようだ。もしかしたら奴隷そのものに対して思うところがあるのかもしれない。
一方、パルノと初対面であるエンジの方はいたってあっさりとした感じだった。
「へえ、奴隷なんっすかー? 良いっすねー」
にへらと笑いながら述べただけで、すんなりとパルノを受け入れていた。相手が誰でも自分を崩さない、態度を変えないのはエンジの良いところである。
ラーラはなんだかんだ言って人の好き嫌いが激しい。エンジに対する態度を見てもそれはハッキリわかる。ルイやティアは好き、エンジやパルノは嫌いと、ある意味わかりやすい。俺は……まあ、嫌われていないと思うが、どうだろう?
「もう一勝負っす! 今度こそ姐さんに勝つっす!」
おいエンジ。お前自分が何しに来たか憶えてるか?
肝試しに来ておいてトランプで遊びほうける今の自分に、なんの疑問も抱かないのだろうか?
「エンジンかかってきたっすよー! なんか修学旅行の夜みたいで楽しくなってきたっす!」
ダメだこりゃ。
――そんなこんなで時間は過ぎていった。
既に時計の針は午前二時を指している。日付が変更するのにあわせて、ティアが用意した夜食をとり、お腹も満たされた俺達は相変わらずトランプゲームで時間をつぶしていた。
仮眠をとっているとは言え、やはり普段は就寝中の時間だ。はしゃぎすぎて多少の疲れが出始めたところに満腹感が加わり、少し眠気が襲ってきている。
ルイは完全に陥落。俺のひざを枕に夢の国へ出発済みだ。パルノもときおり船をこぎ始めていた。ラーラやエンジはまだまだ意識もはっきりしているようだが、最初の頃より口数が少なくなっているので、やはり眠くなってきたのだろう。
「パルノさん、ちょっとお手伝いお願いします」
ティアがそう言って臨時居候に声をかけ、ふたりでダイニングとリビングを何度か往復する。
夜食の準備をする時、お茶をいれる時、片付ける時。何かにつけてティアはパルノへ声をかけ、手伝いをさせていた。
見知らぬ人間ばかりの場で戸惑うパルノにあえて仕事をさせることで落ち着かせようとしているのかなとか、あるいはラーラと距離を置かせようとしているのかなとか、一晩の宿泊費代わりに仕事をさせようということかな、と最初は思っていた。
ただどうでも良いような用事、それこそパルノひとりに行かせれば良いような用事でもふたりそろってダイニングへ行くものだから、そこで俺はピンと来た。
ああ、要するにひとりになるのが怖いのか、と。
「パルノさん。パルノさん?」
そして今、ティアの呼びかけよりも睡魔に軍配が上がったパルノは、ルイに続いて夢の国へ旅立っていったところである。
「パルノさん?」
「寝かせてやれよ。慣れない環境で疲れたんだろう」
「え……、いや、でも……」
珍しくティアが言いよどむ。
「別に片付ける物も無いだろう? お茶だってまだあるし」
「いえ、その……」
ティアは何か言いたそうにチラチラとラーラの方を見ていた。
「レビさんは意外にデリカシーが無いのです」
視線を受けたラーラが失望したように俺を睨む。
「ティアさん、私一緒に行きます」
「あ、ありがとうございます。ラーラさん」
ホッと表情を和らげたティアがラーラと連れだって部屋を出て行った。ダイニングの方では無く、玄関の方へ。
ああ、なんだ。トイレに行きたかったのか。
「兄貴……、意外に鈍いんすね」
ぐっ。
エンジにそんなことを言われるとは、なんという屈辱であろうか。
「うっせーな。じゃあ、お前はああいう回りくどい主張もきちんと拾い上げられるのかよ?」
「オレは兄貴とは違うっす。女の子の扱いはこれでも慣れてる方っす。伊達に毎年妹から『ベスト兄貴ニスト賞』もらってないっす」
「なんだよその舌噛みそうな賞は。ってか、それお前ん家の中だけで通用するやつだろ」
「良いじゃないっすか、妹の愛がたっぷりこもってる賞っすよ。だいたい兄貴は女の子に対してちょっと厳しすぎるっす。ほら、あそこの女の人だって、せっかくお化け役で待機してたのにいつまで経っても出番が無いから泣いてるじゃないっすか。……あれ? そういや肝試しはいつやるんすか?」
何が妹の愛だよ、馬鹿馬鹿しい。
「今の今まで肝試しのことすら忘れてたヤツに言われたくねえ……え?」
女の人?
俺は慌てて部屋を見渡してみる。
ティアとラーラがトイレに行っているので、部屋の中にいるのは俺、エンジ、パルノとルイだけだ。
「ちょっと待て、エンジ。女の人っていうのはここで眠りこけているパルノの事か?」
「何言ってるんすか、兄貴。あっちの女の人っすよ」
エンジの顔が部屋の入口に向けられる。
リビングには三つの出入口がある。玄関から続く廊下への出入口とダイニングへの出入口、そして二階に続く階段へと向かう出入口だ。
玄関方向の出入口にはトイレへ向かったティアやラーラがいるはずだ。逆に言えば、ダイニングや階段方向には今誰も居ない。……はず。
だがエンジの顔は、今まさにその誰も居ないはずの階段方向に向けられていた。
俺は恐る恐る振り返ってみる。
しかしそこには誰も居ない。何も見えはしない。
「え、エンジ。お前なに言ってるんだ? 誰も居ないじゃ無いか。すぐにばれるような作り話はよせよ」
「いやいや、兄貴。ほら、そこに居るじゃないっすか。あーあ、あんな美人さん泣かせちゃって。ひどいっすねー」
もう一度エンジの視線を追ってみる。
だがやはり何も見えない。俺には締め切られたドアだけが見える。
「なあ……エンジ。ちなみに……、ちなみにだけど。その女の人ってどんな感じの人? 見覚えある? というか存在感ある?」
「どんな感じって……、うーん……、美人っす」
「それで?」
「おっぱい大きいっす」
「あとは?」
「ずっと泣いてるっす」
「見覚えは?」
「見たこと無いっす」
「その…………、問答無用で襲いかかって来そうな感じ?」
「お化け役が手出したら肝試しにならないっすよ。そりゃこんだけ放って置かれたら腹立ち紛れに叩かれるくらいは仕方ないかなって思うっすけど」
おぁぅち。
俺は両手で顔を覆って天を仰ぐ。
「声は……聞こえるんだよな?」
「何言ってるんすか、兄貴。あんなに泣いてるじゃ無いっすか。都合が悪いからって聞こえないふりはひどいっす」
おぁぅふ。
エンジがラリってるんでなければ、これは間違い無く件の幽霊。
まさかこんな風に遭遇することになるとは……。
今までも俺が気付いてなかっただけで、夜中にトイレ行った時とか普通にその辺ですれ違ってたのかもしれんな。
さしあたり、すぐに危険な事態に陥りそうってわけじゃなさそうだ。
だがどうしたもんか……。
そうやって俺が頭を抱えているところに、突然ドアの開く音がする。
開いたのは玄関方向のドア。当然そこに居るのはトイレに行っていたティアとラーラである。
玄関方向のドアと階段方向のドアは部屋の反対側だ。麻雀的に言うなら対面と呼ぶ。当然ながら、彼女たちにとって真っ正面に位置するその存在に気付かないわけがなかった。
ドアを開くなり、ふたりの目が驚きの色と共に見開かれた。
最初に反応したのはラーラ。
とっさに身構えると、部屋全体をぐるりと目だけで見回したあと、階段方向のドアへと視線を固定して何やら唱え始める。
「き……」
次いでティアが反応する。
ラーラと同じく魔法でも唱えるのかと思いきや、口をついて出たのは驚くほどごくありきたりなフレーズだった。
「きゃあああああぁぁぁぁぁーーーーー!!」




