第46羽
十分ほど待たされただろうか? さっきの職員が書類を手にして戻ってきた。
先ほどまでのうろたえっぷりはもう見えず、最初に会った時と同じように表情が読めない仕事用の顔に戻っている。
「大変お待たせいたしました」
「うんにゃ、別に。で、後はどんな手続きすれば良いの?」
カウンターの向こうへ座った職員に訊ねる。
「いえ、この後の手続きは必要ありません」
「え? 早いな。もう申請通ったの?」
「そうではありません。申請は通りませんでした」
「は?」
何言ってんだ? この人?
「ですから、奴隷認定は受けられません」
「ちょ、ちょっと待って! なんで!? なんでだよ!? ちゃんと魔力の計測結果はゼロだって確認したよね!?」
俺は慌てて声を張り上げるが、職員は無表情のまま淡々と答える。
「はい、確かに魔力はゼロでした」
「だったらなんで認定受けられないのさ!? さっき聞いた基準なら、レッドクラスの条件満たしてるだろ!?」
「あ、あの……。みんな見てます……」
横ではパルノが周囲をキョロキョロ見回しながら俺の袖を引っぱっていた。だが今の俺はそれどころではない。
「それについてはこちらをご覧ください」
職員が先ほど奥から持ってきた書類をカウンターの上へ広げる。
それはどうやら奴隷認定基準を記載した一覧表のようだった。
「この列が魔力僅少の場合に基準となる数値です」
彼女が指さす列を上から見ていく。
『ブルークラス:魔力値 三百ポイント未満 百五十ポイント以上
グリーンクラス:魔力値 百五十ポイント未満 七十ポイント以上
イエロークラス:魔力値 七十ポイント未満 三十ポイント以上
レッドクラス:魔力値 三十ポイント未満 一ポイント以上』
「これがなんだって?」
「レバルトさんは魔力値がゼロなんですよね?」
「だから?」
「レッドクラスのところを見てください」
俺はもう一度視線を落として一覧表を見る。
『ブルークラス:魔力値 三百ポイント未満 百五十ポイント以上
グリーンクラス:魔力値 百五十ポイント未満 七十ポイント以上
イエロークラス:魔力値 七十ポイント未満 三十ポイント以上
レッドクラス:魔力値 三十ポイント未満 一ポイント以上』
あれ?
『レッドクラス:魔力値 三十ポイント未満 一ポイント以上』
え?
『一ポイント以上』
は?
「お分かりになりましたか?」
「いや、何が?」
「ですから、レッドクラスの基準は『魔力三十ポイント未満、一ポイント以上』なんです。魔力ゼロの場合は対象外ということです」
「は? …………はあああぁぁぁぁ!? なんでだよ! おかしいだろ、それ! 魔力が少ないから認定受けられるんだろうが!? だったら二十六ポイントのパルノが認定受けられるのに、ゼロポイントの俺が認定されないって変じゃねえか!?」
「そうおっしゃっても、規定上は一ポイント以上が対象となっておりますので……。ゼロポイントは認定ができないんです」
いやいやいやいや。
おかしいって。変だって。理屈に合わないって。
「規定どうこう関係なしにしても、ゼロと一とどっちが魔力低いかなんて子供でも分かる話じゃねえか! 魔力一ポイントで認定受けられるんなら、それよりも低い魔力ゼロがどうして認定されないんだよ!?」
「ですから、ゼロは判定対象外なんです。こちらの資料に明記してある基準で判定すると認定はできないんですよ」
「確かにこの表には魔力ゼロポイントの時どうするか、書いてねえよ。でも常識的に考えたらゼロだってレッドクラスの対象だろうが!?」
「なんとおっしゃっても、ルールはルールですので」
くっそ! なんて融通きかねえんだ!
お役所仕事か!? って、お役所だったよここ!
「納得いかねえ!」
「納得できないとおっしゃっても……、どうしようもありません。今後規定を見直す際に、魔力ゼロのケースについても検討させていただきますので――」
「それいつになるんだよ! こっちはそんな待てねえよ! どこのどいつだよ! こんな基準にしたドアホウは!? あとこんな規定でオーケー出した目ん玉節穴の責任者も一緒に出てこいや、ごるああああ!!!」
「レ、レバルトさん……、みんなが見てます……」
「それがどうしたあ!? ……あ、………………あれ?」
弱々しいパルノの声に、ふと視線を周囲に向けた。
あれ? 何か囲まれてる?
気がつけば俺達を囲むように左右と後ろにひとりずつ。いかつい顔をした計三人の警備員が立っている。
その中のひとりが口を開く。
「他の方の迷惑になりますので、お話はあちらでお伺いしましょう。ね?」
言葉尻は丁寧ながらも、口調は有無を言わさぬといった感じだった。その顔にはおおよそ市民の味方と呼ぶのもはばかられる、不適な笑みが浮かんでいる。
「あれ? あれ? あれれ?」
あたりを見渡せば、あらゆる方向からこちらに向けられる視線を感じた。
もしかして、騒ぎすぎたか?
答える間もなく、俺の両腕を屈強な警備員が左右からがっちりと拘束する。
「え? ちょ! わ、私関係ない……!」
振り返ってみると、戸惑うパルノの腕をつかんでもうひとりの警備員が彼女を連行していくところだった。
……すまん、パルノ。
ちょっとだけパルノに対する謝罪が心の中に浮かんでくる。
まあ、この期におよんで無関係とか、相手が聞く耳持つとも思えないしなあ。観念して俺と一緒に別室への特別ご招待を受けようじゃないか。
だからそんな助けを求めるような目で俺を見るんじゃない。俺もお前と同じ連行される身なんだから。
日が傾き、夕暮れが街を染めていく。
俺とパルノが解放され、役所を出たのはそんな時間帯だった。
別室に連れて行かれた俺達は、強面警備員に囲まれて役所のお偉いさんっぽい人から『なぜ奴隷認定されないのか』をこんこんと説明されることになった。
いや、どっちかっていうとあれは説明と言うより説教と言った方が正しい気がするけど……。
結局俺の奴隷申請は認められず、窓へ仕事を探しに行ったはずが、ただ無駄に時間を消費するだけとなってしまった。
「何で私まで……」
肩を落として家へと向かう俺の横には、これまた肩を落として歩く桃色ショートカットの奴隷少女がいる。
「あー、いや。悪かったよ」
「私関係ないのに……」
「でも良い体験できたじゃないか? 役所内の別室なんて滅多にいけない場所なんだし」
「そ、そりゃそうかもしれませんけど……、騒ぎを起こして連れて行かれるだなんて……、みっともないですよお」
「貴重な体験だったな!」
「悪い意味で、ですけどね……」
「あ、そうそう。お前気付いてた? 右に立ってた警備員のおっさん。鼻毛がもっさり出てただろ?」
「そんな余裕なかったですよ……。というか何で巻き添え食らった私より、レバルトさんの方が余裕しゃくしゃくなんですかあ?」
「しかも右の穴からはもっさり出てたけど、左の穴からはピロリンって、一本だけ出てるのがまたウケル……、ぷぷぷっ」
「話聞いてます? 誰のせいでこんな事になったと思ってるんですかあ!?」
「しっかし、あのお偉いさん? あいつもずーっと同じ事言ってたなあ。よくもまあ飽きもせず同じ説明繰り返すもんだと感心したぜ」
「それ、レバルトさんがずーっと同じ事聞き返して無駄な粘り強さを見せたからじゃないですかあ!」
「いやあ。なかなかしぶとかったなー、あのじいさんも。俺はてっきり途中でサジを投げると思ってたんだが」
「レバルトさん……。もしかしなくても楽しんでたでしょう? 途中から役所のお爺さんも半分意地張って同じ説明を繰り返してるように見えましたけど……」
「どうせ拘束されるなら、楽しむべきではないのかね? ワトソン君」
「私は一分でも早く解放されたかったです。警備員の人たちも最後の方はうんざりしてましたよ。あと、勝手に変な名前付けないでください。私の名前はパルノです」
拘束された時点で今日はもう仕事も出来ないことが分かっていたんだし、うっぷん晴らしを兼ねて遊んでいたのがパルノに見抜かれていたらしい。
……まあ、隠すつもりもなかったけど。
そんな会話を続けながら赤く染まった道を歩き続けた俺は、いつもよりも三割増しの時間をかけて我が家へと到着した。
「あ、俺ん家ここなんだ。そんじゃあな」
俺はパルノに手を振ると、別れの挨拶をして玄関の扉へと手をかける。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよお!」
「どうした?」
「どうした、じゃないでしょう!? 私最初に言いましたよね? 会った時に言いましたよね? 泊めてくださいって!」
「ん? そうだったか?」
「今さらとぼけないでくださいよお! 役所に無理やり連れていかれて、巻き添えで説教されて、気がついたらこんな時間ですよお!」
そう言ってパルノは真っ赤に染まった西の空を指さす。
「どうしてくれるんですかあ!? もう今からじゃあ、泊めてくれる人探すの無理じゃないですかあ!? 責任取って泊めてください!」
「いや、それは無理だって言っただろ」
素っ気なく俺が答えると、とたんにパルノの目が潤みはじめる。
「そ、そんなの……、ひどい……、ぐすっ。私……、帰るとこないのに……、うぐっ」
「おい、泣くなよ。俺が泣かせてるみたいじゃないか」
「だって、レバルトさんが……、レバルトさんがああぁぁぁうあぁああん!」
やばい、ガン泣きしはじめた。
「先生、お帰りですか? なんだかずいぶん騒がしいようですけど――」
こういうタイミングの悪い時に限って、見つかりたくない人物に見つかってしまうものだ。マーフィーの法則はどうやら異世界でも通用するらしい。
「うわあぁぁあん! レバルトさんがああぁあ、帰れないぃぃうあ泊めてくれえぇわあう! 無理やり連れてぇぇあう責任取ってぇえぇあうわうああ!」
あれ?
泣いてるパルノが途切れ途切れに口から放つ単語……。
間違ってはいない、間違ってはいないんだけど……、単語だけ聞くとやけに物騒な感じに聞こえるのは気のせいでしょうか?
「レバルト先生」
「ひゃい!」
思わず気を付けの体勢で固まる俺。
俺を挟んでパルノの反対側から聞こえてくるその声は、周囲の温度を実際に低下させているのではないかと思うくらい冷たく響く。
ゆっくりと、恐る恐る、油が切れたゼンマイ仕掛けのロボットを思わせるぎこちなさで俺は玄関の方へ振り向いた。
「女の子を泣かせるなんて……。しかも『無理やり連れて』? 『責任取って』? どういうことかゆっくり、ゆっっっくりと話を聞かせていただきましょうか? レバルト先生」
そう言って薄い水色の目を細めて俺を射抜くのは、自称アシスタントの銀髪少女だった。




