第39羽
翌日、朝食を終えた俺達はトレスト翁の屋敷にある中庭へ集まっていた。
昨日話にあがった通り、魔眼制御に必要な訓練方法をおじいちゃんがティアへレクチャーするためだ。
メンバーは俺、ティア、そしてベヌールおじいちゃんである。
トレスト翁とルイは少し離れたところで戯れている。
ルイはお菓子やおもちゃに夢中で、一方のトレスト翁は知識欲の赴くままルイを観察するのに忙しいらしい。
正直端から見ると、観察すると言うよりも溺愛しているようにしか見えないのだが……、まあ双方が満足しているなら問題は無いのだろう。
ティアの訓練も本来俺が立ち会う必要は無い。
だが外に出歩くことも出来ない以上、手持ちぶさたで暇をもてあますことは避けられないだろう。
どうせ他にやることもないなら、ということで見学することにしたわけだ。
「さて、ティアルトリス嬢。お主にこれから魔眼の制御訓練方法を伝授しよう」
「はい、よろしくお願いいたします。ベヌール様」
「儂はそんな大層な人物じゃあないわい。様付けで呼ぶのはやめんか」
「では、なんとお呼びすれば?」
「協力者達の間では教授と呼ばれておる。その方がなんぼか気が楽じゃ」
教授?
うーん……。
教授ってもっと身なりが整っているイメージがあるんだが。
おじいちゃんの見た目は教授と言うより、良く言えば世捨て人の賢者、悪く言えば……いくらでも例はありそうだが、あえて言及するのはやめておこう。
「では教授とお呼びいたします」
「うむ」
満足そうにうなずくと、おじいちゃん教授は改めてティアと向き合う。
「実はのう、訓練方法と言ってもそんなに大層なものではないのじゃ。説明すればほんの数分ですむ内容じゃよ」
もともとシワだらけの顔をさらにクシャクシャにして教授が笑う。
「簡単に言えば『魔力が枯渇した状態を体に憶えさせる』だけじゃ」
「え?」
「はあ?」
そのあまりにもシンプルな方法を聞いて、俺たちはあっけにとられる。
「ほっほっほ。まあそんな顔になるのも仕方がないじゃろうが、本当の事じゃ」
「しかし教授。本当にそれだけのことで?」
信じられないといった感じでティアが訊ねた。
「考えてもみい。お主、生まれてから一度でも魔力の枯渇を体験したことがあるかの?」
「………………いいえ、確かにありません」
しばし視線をあさっての方向へ向けたあと、生徒役の少女が答える。
「魔眼の持ち主というのは、例外なく人よりも魔力が多い。それも桁外れにの。じゃから普段の生活で使用する魔力など、魔眼持ちからすれば微々たるものじゃ。意識的に魔力を垂れ流さんかぎり、枯渇することなどまずあり得ん」
確かに教授の言う通りだろう。
ティアの魔力量は正直化け物じみている。
昨日の朝、宿で火事騒ぎがあった時に彼女が放った斥候の数から考えても、その異常性が分かるというものだ。
五百体の斥候を送り出し、その後にまた無数の斥候を作り出しておいて、息ひとつ切らせなかったことを思えば、ティアが魔力を限界まで使ったことがないと言っても納得である。
「おそらく魔眼は魔力の過剰集約で生まれておる。じゃから、逆に言えば意図的に魔力を使い尽くせばその機能は失われる。後は魔眼が働いていない感覚を体に憶えさせ、徐々に目に魔力が通っていない状態へと自分の意思で制御していくのじゃ」
「本当にそれでティアの魔眼も制御できるようになるんですか?」
横から口を挟んだ俺にも教授は丁寧に答えてくれる。
「無論、一度や二度魔力が枯渇したからといって、それだけで制御はできぬがのう。実際に儂はこの方法で魔眼を制御できるようになったのじゃ。生き証人が目の前におるわけじゃな。それに魔力が枯渇したところで危険は無い。ダメでもともと、やってみる価値はあると思うのじゃがな」
俺は魔力がもともと枯渇しているので実感としては分からないが、聞いた話では確かに魔力が枯渇しても特別な危険は無いらしい。
ラーラいわく、「二日連続で徹夜した時の猛烈な眠気に似ています」だそうだ。
エンジによると、「記憶なくなるまで酒を呑んだ翌朝の二日酔いみたいっす」だとか。
四歳年下の妹が言うには、「こう、グウァァァーって抜けていって、スポンッてした後にぐにゅうって感じ」とかなんとか。
ああ妹よ……、なんでだろうな?
同じ親から生まれた兄妹なのに、お前の言っていることが兄にはさっぱり理解できん。
まあ、とにかくだ。
共通しているのは思考能力の低下と感覚器官の鈍化が顕著になるという症状だろうか。
体が強く休息を求めるという意味では、睡眠欲求と同じようなものなんだろう。眠れば回復するというのも同じだ。
「どれくらい訓練すれば、制御できるようになるのでしょうか?」
おずおずとティアが口を開く。
「そうじゃのう……。まだ実例が少ないのでな、確かなことは言えんが……。日常的に魔力の枯渇を繰り返したとして、二、三年といったところじゃろうか」
結構時間かかるんだな。
「とりあえずは試しに魔力枯渇を一度体験してみるとええじゃろう。どうせ明日までやることも無いのじゃろ?」
教授の提案を受け入れ、さっそくティアが魔力の枯渇を目的として魔法を使い始めた……のだが。
いやあ、すごかった。
とにかくすごかった。
最初こそティアも遠慮がちに魔法を放っていたのだ。
だが、いくら魔法を使ったところで一向に疲労を見せない銀髪少女へ業を煮やして教授が喝を入れたあたりから、洒落にならない光景が俺の目の前に現れ始めた。
まずは宿でも見たあの斥候だ。
使い魔と言った方がわかりやすいだろうか?
氷で創られた小鳥らしきその物体が、ティアの手のひらから続々と生まれ出でる。
中庭の半分を埋め尽くしてもまだ止まらなかった。
かすかに青みがかった透明な小鳥は、一羽だけならとても綺麗である。
だがそれが周辺の地面を埋め尽くすほどになると話は別だ。
まるで夏夜のコンビニに行った時よく見かける光景――コンビニのガラスをびっしりと埋め尽くす羽虫を思い出した。
羽虫が気持ち悪いのは色とか形じゃなくて、無数の個体がうようよと蠢いているのが気持ち悪いんだな、きっと。
本来綺麗なはずの小鳥型使い魔がそこら中で蠢く様子は、カマキリの卵が孵化した時にも引けを取らない不気味さだった。
もうこの時点で俺は恐怖を感じていた。
次にティアは大きな氷塊を作り出す。
直径十メートルあろうかという大きさである。それが中庭に五個出現した。
さらにその周辺に氷でできた無数の矢を産み出し、氷塊へ向けて解き放つ。
よく矢の雨とか言うけど、あれはそんな上品なものじゃない。
矢のスコール、もしくは矢のゲリラ豪雨だ。
降り注ぐ矢の向こう側が霞んで見えなくなるくらい高密度の弾幕だった。
あれならきっと艦長も「弾幕薄いぞ! 何やってんの!?」とか文句を言うことはないだろう。
三十分にもおよぶ弾幕劇場が終わりを迎えた時、そこにはシロップ無しのかき氷と化した元氷塊が横たわっていた。
俺史上もっともダイナミックなかき氷を目にした瞬間である。
最終的には氷で作った八体のドラゴン型ゴーレムを産みだし、八体同時に制御してバトルロイヤルが繰り広げられる。
まるで昭和の怪獣大決戦だ。
この娘、やろうと思えば一人で特撮映画とか作れるんじゃないのか?
ドラゴン型ゴーレムは声こそ出さないものの、体がぶつかり合い、削れ砕けていく音は豪快である。
ご近所様から苦情が来ないか若干心配だ。
それ以前に警邏隊が血相変えて乗り込んできそうなほど非常識な光景だったが。
やがて八体のドラゴン型ゴーレムが全て崩れ落ちるに至って、ようやくティアの魔力が枯渇したらしい。
ふらふらと千鳥足になった銀髪少女が、教授の方を見て弱々しく口を開いた。
「あ……、見え……ない……。本当に、見えなく……なりました……」
「うむ、成功のようじゃな」
どうやら魔眼の効果が一時的に失われたらしい。
教授の言う通りだったというわけだ。
「あとは何度も繰り返して、今の状態を自分で意識的に制御することができるようになれば、訓練は完了じゃ。しんどいとは思うが、がんばるのじゃぞ」
「あり……がとう……、ご……ざい…………」
かろうじて耐えてはいたものの、もう限界だったらしい。
ぐらりと体が揺れたかと思うと、立ったまま意識を失い倒れかけた。
「おっと!」
とっさにその細い体を抱きかかえて支える。
見ればまぶたを閉じてすやすやと眠る――正確には気絶に近いのだろうが――ティアの顔があった。
その寝顔は普段の凛とした雰囲気が取り払われて、やや幼げにも見えた。
「ほっほっほ。今日はそのまま休ませてやるのがええ。あとは訓練あるのみじゃからひとりでもできるじゃろう」
シワシワの顔をさらにシワクチャにして教授が笑う。
確かにこれでティアも普通の目を持つことができるようになるかもしれない。
ボサボサ頭の不潔きわまりないおじいちゃんだが、その知識は本物だったわけだ。
そう考えると浮浪者のごとき容貌にも賢者の風格を感じられるから不思議なものだ。
「俺からも礼を言わせてください。ありがとうございます、教授」
「なんのなんの。ティアルトリス嬢の苦しみは儂も身にしみておる。その娘は昔の儂自身じゃよ。自分へ救いの手を差し伸べただけの話じゃて、礼にはおよばぬ」
ほっほっほ、と教授が快活に笑う。
「なんにせよ、その娘は幸せ者じゃな。魔眼の力を知ってなお、支えてくれる者がそばに居るのじゃから」
お主のようにの、と俺へ生温かい目を向けた。
だから誤解なんだけどなあ、それ。
単にティアの魔眼が俺には効かないだけの話なんだが……。
ま、わざわざネタバレすることもないか。
「これからもティアルトリス嬢を支えてやるのじゃぞ」
そう言って教授はトレスト翁とルイが座っている屋外テーブルへと歩いて行った。
俺は気を失ったままのティアを部屋まで運ぶと、女中のひとりに世話を頼んで自分の部屋へと戻る。
「これからも……ねえ」
ひとりきりの部屋で、ベッドに腰掛けながらぼそりとつぶやいた。
これからも支えてやれ、そう教授は言った。
だがティアが魔眼を制御できるようになった時、あのアシスタントは俺の支えなど必要としないのではないだろうか。
直接彼女の口から聞いたわけではない。
だがティアが俺のアシスタントなんてものを無給でやっているのは、俺に魔眼が効かないからというのがその理由だと思っている。
常に他人の考えが見えてしまうティアにとって、その考えが全く見えない俺という存在は気兼ねなく接することができる唯一の存在なんだろう。
だからこそ俺の家に来ている間は彼女も魔眼の力から逃げることができるのだ。
別にそれが悪いことだとは思わない。
人間には一箇所くらい逃げ場所が必要だ。誰しも、どんなときでも。
だがティアが魔眼を制御できるようになり、逃げる必要が無くなった時、俺のアシスタントという逃げ場所はおそらく必要が無くなる。
それはきっと喜ばしいことだし、歓迎するべき事に違いない。
それなのに俺の心は、言いようもない不安とざわめきが支配していた。
それが現実になりそうだと知った瞬間、少しだけ寂しさを感じる自分に気付いてしまったからだ。
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