第38羽
俺達はトレスト翁から「食事の前に」と応接間へ連れて行かれる。
ルイはベッドで寝ていたのでそのまま部屋へ置いてきた。
一体何だろうと不思議に思い、頭の上にクエスチョンマークを浮かべながらも、俺達はダンディな後ろ姿にくっついて応接間へとたどり着く。
応接間に入ると、ソファーには既にひとりの人物が座っていた。
その容貌は例えるなら『くたびれたおじいちゃん』である。
紳士然としたトレスト翁をここ数時間で見慣れた俺の目には、飛び込んできたその姿がやけにまぶしく感じられた。悪い意味で。
白く染まった髪はボサボサのままでヒゲも伸ばし放題、着ている長衣も薄汚れている。
弊衣蓬髪とは正にこのことだろう。
「またお主はそのような格好で……。少しは身なりにも意を注げと言っておるだろうに」
「ふん。着飾り体裁を整えたところで中身は変わらんじゃろうが。見た目に惑わされて人の真価を見抜けぬような輩には何のようもないわい」
「真価うんぬん以前に礼儀の問題だろうが。晩餐に招かれてその有様では、無礼と言われても仕方ないぞ」
「お前がそんなことを気にするような男か?」
応接間に入って一目見るなりため息混じりで苦言を口にするトレスト翁へ、あっけらかんと答えるおじいちゃんだった。
軽くため息を吐き、あきらめた様子のトレスト翁が俺達の方を向き直ると、その人物を紹介してくれた。
「ティアルトリス。こいつはわしの幼なじみでベヌールという男だ」
俺の横ではティアが多少ホッとした表情を見せている。
どうやら『紹介したい人間』とトレスト翁に言われて、お見合い相手を紹介されるとでも思っていたのかもしれない。
当人の気持ちなどお構いなしに、世話焼きな人というのはどこの世界にも居るもんだ。
地球の感覚で言えばティアの年齢で見合いというのは違和感があるが、日本でも平安時代の貴族とかなら嫁入りしてもおかしくない歳だしな。
「お初にお目にかかります、ベヌール様。ティアルトリス・ラトア・フォルテイムと申します」
「ベヌールじゃ」
立ち上がり、端的に答えたおじいちゃんが俺にも視線を向ける。
一応俺も名乗っておいた方が良いんだろうな。
「レバルトです。ティアとは、えーと……」
「私が働いている職場の上司です」
なんと答えようか思案する俺の横からティアが口を挟む。
その斜め前でトレスト翁がニヤリと笑みを浮かべた後、思い出したかのように訊ねてくる。
「そういえば、ティアルトリス。レバルト君はお主の目のことを知っておるのか?」
「…………はい。ご存知です」
一瞬睨むような表情を向けた後、ティアは素直に肯定する。
だがティアにしてみれば、初対面の人間を前にして話題にしたい内容では無いだろう。
「そうか、なら何も問題ないな」
「ですが、そのお話は――」
「こいつも魔眼持ちだ」
話を止めようとしたティアの言葉をさえぎり、トレスト翁がおじいちゃんを指さして言い放った。
「えっ!?」
俺とティアの驚きが重なる。
なんですと? 今『魔眼持ち』とおっしゃいましたかな、ダンディ様?
「昔から一度引き合わせようとは思っておったんだが、こいつがまだ早いとか言ってなかなか首を縦に振らんでな」
「現実を受け入れるだけの下地がなければ、よけいな困惑を呼び起こすだけじゃからのう」
その場にいる全員に聞かせるようにおじいちゃんが言い、次いでティアの目を正面から見据えた。
「聞いた通り儂も魔眼持ちじゃよ。じゃからお嬢ちゃんの気持ちや不自由さも少しは理解してやれるつもりじゃ。もっとも儂の場合、見えるものはお嬢ちゃんと異なるがのう」
「わ、私……」
突然のことにティアが言葉を詰まらせる。
普段伏し目がちであまり人の顔を正面から見ないようにしているティアが、今はおじいちゃんの顔をしっかりと凝視していた。
その上であれだけ動揺していると言うことは、おじいちゃんが嘘をついてないと理解しているということなんだろう。
「さて、このまま立ち話もなんだ。晩餐の準備が整うまで座って話すとするか」
トレスト翁の言葉に、呆然としていた俺達は気を取り直してソファーへと腰を落ち着ける。
お茶を持ってきた給仕が部屋を出ると、最初に話を切り出したのはおじいちゃんだった。
ただ意外だったのはその相手に俺を選んだことだ。
「さて、お主レバルトとか言ったな? お主はこのお嬢ちゃんの目のことをどれくらい知っとるのじゃ?」
俺か?
ちらりと隣に座るティアの顔をうかがって、その顔に拒絶の意思が見えない事を確認してから話し始めた。
「えーと……、自分の意思とは関係なく、他人の考えていることが色や形になって見えるって話だったと思います。通常はおぼろげに分かる程度だけど、特に相手が強い思念を抱いている場合は明確な言葉として脳裏に浮かぶとか」
ようするに受信専用のテレパシーみたいなものだ。
テレパシーと異なるのはあくまでも『目を向ける』ことで見えるというところだろう。
だからティアは普段あまり人と接したがらないし、人と話す時もあまり視線をあわせずに伏し目がちである。
耳に聞こえてくるわけではないから、目を向けなければ相手の考えも見えることはない。
今でこそ魔眼と折り合いを付けて暮らしているティアだが、子供のころはきっとそうもいかなかっただろう。
人間が集まればそこには必ず悪意も生まれる。嫉妬やねたみ、憎悪といったどす黒い感情とも人間は無縁でいられない。
そんな他者の思念を明確に感じて生きていくということが、幼い子供の心を一体どれほど追い詰めていくことか。
周囲の人間にしても、自分の本心を見透かす子供など厄介者以外の何者でもない。
建前に隠された本音を無邪気に暴露してしまうのだから。
ティアを捨てなかったという一点をとってみても、ティアの両親は賞賛されてしかるべきだろう。
「ほう……、それが分かっておってなお、行動を共にしておるのじゃな?」
シワだらけの目元を細めておじいちゃんが俺を見つめる。
やめて。おじいちゃんにそんな目で見られても嬉しくないわー。
ふとおじいちゃんのとなりを見れば、トレスト翁も同じような目をして俺を見ていた。
なんていうのかね? 孫を見守るような生温かい目を向けられている気分だ。
絶対こいつら勘違いしてる。
きっと俺とティアが『考えが筒抜けでもなお壊れることのない、信頼と愛の絆で固く結ばれている』とでも考えているんだろう。
違うからな、それ。
単にティアの魔眼が俺に効かないだけだからな。
初めて会った時からそうだったが、ティアの魔眼はなぜか俺にだけ効かない。
それまで経験が無かったのだろう、最初はティアも驚いていた。
これは俺の憶測になるが……、おそらくティアの能力は対象者の魔力を媒介にして相手の脳内情報を読み取っているんではないだろうか。
だからこそ俺の考えは見えることがないのだと思う。
なんせ俺は保有魔力そのものがゼロだからだ。
「それだけ知っておるのなら、このまま話を聞いてもらっても良かろう」
「そうじゃな」
老人二人がなんかうなずきあっている。
誤解をそのままにしておくのも気にかかるが、ティアからも事前に注意を受けているように、俺が魔力をもっていないということをまだトレスト翁に教えるつもりはない。
まして予定外の登場人物となったおじいちゃんならなおさらだ。
トレスト翁の方はティアの態度から推測するに悪い人ではないのかもしれないが、おじいちゃんの方はその人物像も未知数である。
しかし、幼なじみって事は同年代って事だろう?
こうして二人並んで座っているのを見ると、とてもそうは見えないな。
一方は洒落っ気あふれる今風の衣装に身を包み、髪とヒゲを綺麗に整えたダンディ紳士。
もう一人はどこの浮浪者かと思うような、清潔さからほど遠いボサボサ頭のおじいちゃん。
親子ほど年が離れていると言われても違和感はない。
そのボサボサの方がティアに向けて口を開く。
「ティアルトリス嬢。魔眼の苦しみから解放されたいかのう?」
突然かけられた言葉を飲み込めずに、俺とティアの時間が一瞬止まった。
「その目のせいでこれまで辛い思いや悲しい思いもたくさんしたじゃろう。じゃがな、訓練次第で魔眼は制御ができるんじゃ。儂も普段は魔眼を使っておらん。使いたい時に発動させ、そうで無い時には普通の目として他人と同じように見えとる」
それを聞いてティアが声をもらす。
「制御……? 本当……ですか……?」
「儂が嘘をついておるかどうか、その魔眼で見ればわかるじゃろうに」
「は……い」
ティアはまぶたを閉じてうつむき加減でそう答える。
表情には浮かんでいないが、その喜びはいかほどのことか、当事者ではない俺でも想像に難くない。
なんせこれまで見たくも無いものを見せられて、苦しめられていた原因が取り除けるってんだから。
「もちろん訓練には時間もかかる。加えてその方法が必ず成功するものとは限らん。なんせ実例が少なすぎるからのう。じゃが儂を含めて何名かは制御に成功しとるのじゃ。訓練も危険なものではないし、ダメで元々、やってみる価値はあるじゃろうて」
訓練の方法自体は単純なものじゃ、と朗らかにおじいちゃんは笑う。
結局、ティアはおじいちゃんから明日一日かけて手ほどきを受けることになった。
おじいちゃんによれば、訓練の方法さえ知っていれば、あとは自分でできるようになるらしい。
話が落ち着いたのを見計らって、晩餐の準備が整ったことを給士が知らせに来る。
その後、ルイを交えて四人とゴブリンで食卓を囲む。
晩餐は和やかな雰囲気に終始した。
ダンディ様が豪快に笑い、おじいちゃんが飄々と笑みをこぼす。
ルイは相変わらずご機嫌で、ティアは普段の張りつめた空気が和らいだような笑顔を見せていた。
その日の食事は格別な味がした。
それは決してメニューが豪勢だったからでもなく、まして気のせいなどという空虚な錯覚ではなかったと思いたい。




