第35羽
駆けつけてきた警邏隊に暴漢どもを引き渡し、形ばかりの事情聴取を受けた俺達は日が傾く前に宿へと戻った。
本当ならもう少しショッピングを続ける予定だったのだが、同じ日に二度も襲われた以上、やむを得ぬ用事があるわけでもないのにふらふらするのは賢い選択と言えないだろう。
貸衣装屋の店先で絡んできた男達にしても、裏路地で襲ってきたノッポ達にしても、気になることを口走っていたしな。
いくら俺達――正確にはティアとその付属物――が衆目を集めていたとはいえ、一日で二度も刃物持って襲われるとかちょっとありえない。
何者かの意図が介在していると考えるのは当然だ。
さて、そうなると問題は誰が標的かというところだが……。
やはり一番に考えられるのはティアか。
家柄を考えれば、身代金目的の誘拐なんてのは今さらだろう。
加えて家柄云々を抜きにしても人目を引くあの容姿だ。良からぬことを考えるヤツがいても不思議ではない。
俺はどうか……?
数ヶ月前ならまずその可能性はないと言い切れる。
だが今は少々事情が異なるというのも否定できない。
なんせ例の本が売れたおかげで、今の俺はちょっとした小金持ちだ。
実際には家の買い取りでほとんどのお金は使ってしまったので、手元には大した金額が残っているわけじゃないんだが、そんなのは相手が知るよしもないはず。
ルイは?
正直よくわからんな。
そもそもこいつの種別すら俺は知らない。
愛玩種モンスターであろう事は確かだと思うが、フォルスどころか世界中を飛び回っているアヤですら知らなかったのだ。
もしかすると貴重な種なんだろうか?
本命ティア。対抗俺。大穴ルイ。ってところだな。
なんにせよ、注意が必要だ。
あまり不用意に出歩かない方が良い。
そんなわけで今、俺達は戻ってきた宿の中で大人しくしている。
警邏隊からも犯人達の尋問がすむまではできるだけ出歩かないように注意を受けているし、俺達にしても授賞式以外でこれといった用事があるわけでもないからな。
日が落ちてからしばらくは、宿の一階にある食堂でゆっくりと食事をする。
テーブルの上には鳥の照り焼きやローストビーフ、山菜の天ぷらなど色とりどりのメニューが大皿に盛られていた。
ルイが嬉々としてフォークを突き刺しては、行儀が悪いとティアに叱られている。
やがて腹が満たされてきたのだろう。
まぶたを重くしたルイがうつらうつらとし始めた。
こうしてみるとまんま人間の幼児だ。
「ルイ。もう眠いの?」
「ンー」
ティアの問いかけに細い声でルイが答える。
今にも眠りそうだった。
「先生。ルイを寝かせてきますので、少し席を外させてもらいますね」
「ああ、悪いな。頼むよ」
ルイをだっこしながらエプロンドレスがエレベーターのあるロビーへと移動していった。
なんだかんだ言って、きちんと受け入れてもらえて良かった。
なんせティアは当初、ルイを引き取ることについて反対していたのだから。
それはもう……、大変だったんだぞ。
「元居たところへ返してらっしゃい!」
初めてルイを見せた時に、ティアが開口一番放ったセリフだ。
いや、子犬拾ってきたわけじゃないんだから、元居たところへって言っても……。
ルイと出会った場所は放置されたダンジョンの深部だ。
当然あれだけの事件が発生した場所である以上、早晩立ち入り禁止になることは明白だった。
元の場所へ戻すなんて物理的に不可能だったのだ。
かといって野に放つのもためらわれた。
なんせあの愛玩種は戦闘能力どころか生存能力すらろくに備えてなさそうだったのだから。
エンジもラーラも引き取ることができないらしいので、俺は困った時のフォルス様、ということであのイケメンチートに引き取らせようと思ったのだが……。
意外なことにフォルスは首を縦に振ってくれなかった。
聞けばフォルスはアヤに頼み込んで、彼女の旅に同行させてもらうことが決まっていたらしい。
準備の問題があるため、後日別の町で合流する手はずになっていたようだが、少なくともひと月以内に旅立つとあってはルイを押しつけることもできない。
フォルスは住んでいた家を引き払い、メイドや執事にも暇を出したり実家に戻したりと、当分戻ってくるつもりはないらしい。
「実家で引き取ろうか?」とも言ってくれたのだが、これについてはラーラが猛反対した。
どうしても自分の手が届く範囲に置いておきたかったようだ。
列車に乗って一週間以上かかるほど遠いフォルスの実家に引き取ってもらった場合、ラーラがルイを訪ねていくのはほぼ不可能となってしまう。
「ご自身の生活ですら危ういのに、ペットを飼う余裕なんてあるわけがないでしょう!」
「誰が世話をすると思っているんですか? 結局私が面倒を見ることになるじゃないですか!」
「生き物を飼うというのはそんなに容易なことではないんですよ? チートイとリンシャンのように放っておいても大丈夫というわけではないんですからね!」
と、捨て猫を拾ってきた子供へ説教する母親みたいな事をティアは口にした。
その最中、何度「お前は俺のおかんか!」と叫びたくなったことだろう。
結局最終的にはティアが折れて、受け入れてくれたので良かったんだが……。
なんか日に日に頭が上がらなくなってるような気がする。どうか気のせいであって欲しい。
まあ先のことは良いとしようか、とりあえずは明日からのことだ。
俺は回想から意識を引き戻して明日からの事について思いを巡らせる。
どこを見るでもなく視線を宙に浮かせたまま、どうやって明日と明後日の時間をつぶそうかと考えていると、突然呼びかける声がした。
「ここ、相席良いかしら?」
女の声が聞こえてきた方へ頭を向ける。
そこにあったのは、ふたつのプリンスメロン。しかもやわらかそうにふよふよと揺らめいていた。
「えーと……」
困惑するような女の声。
俺は視線をやや上へと向ける。
そこに居たのは肩口よりも少し長い髪をソバージュにした女だった。
「ん? 俺?」
「ええ。どうやら満席らしくって……。迷惑じゃなければ相席しても良いかしら?」
見渡せば宿の食堂は今まさに混雑のただ中であり、全てのテーブルが夕食を求める人々で埋まっていた。
俺が座っているのは四人がけのテーブルだが、ティアとルイはすでに席を離れているため、広いテーブルを俺ひとりが占有しているような状況になっている。
「あー、別に良いぞ」
「ありがと」
どうせ俺もそう長居するつもりはない。
何の気なしに承諾すると、女は礼を言って俺の正面へ座った。
自然とその容姿が目に入る。
切れ長の細い瞳と少し厚めの唇が印象的だが、それ以上のインパクトを与えてくるのは上半身に抱える大きく突き出たふたつのプリンスメロン――と見紛わんばかりの見事な胸。
できるだけ目を向けないようにと思ってはいるのだが、女が身動きする度にゆれ動くメロンの魔力には、どうしてなかなか……あらがえぬ。
年の頃は二十代半ばといったところだろうか?
初々しさは感じられない代わりに、いくつもの経験を重ねてきたであろう色っぽさが仕種からにじみ出ていた。
「ひとりで食べるにしてはずいぶんな量ね。見かけによらず大食漢なのかしら?」
自分の注文を給士に伝えた後、テーブルの上に残された俺達の食事あとを見て女が疑問を口にする。
「ああ、連れが居るんだ。今はふたりとも部屋に戻ってるからな」
「そう。なら賑やかそうで良いわねえ。私の方はひとりで寂しく晩餐よ。……せっかくだから一杯付き合ってくれない? 乾杯くらいは誰かとグラスを合わせたいわ」
「酒か? んー、そうだなあ。連れが戻ってくるまでなら別に良いぞ」
「ふふ、ありがと」
艶のある笑顔を浮かべると、女は給士を呼び止めて黒ビールを注文した。
すぐさま提供された黒ビールのジョッキを片手に、俺と女が乾杯する。
乾杯の際、「明日からの日々が平穏でありますように」と言ってジョッキを掲げる俺に、女は目を丸くした後でクスリと笑った。
「なあに、それ?」
「いや、こっちの話だ。学都に来てからというもの、どうにも落ち着かない毎日なんでね」
適度に冷えた黒ビールをのどへ流し込むと、炭酸が食道を満たしていった。
やっぱビールは最初のひとくちが一番うまいな。時間が経って炭酸が抜けたビールなんて飲めたもんじゃない。温くなっていたらなおさらだ。
もっとも、このジョッキは常に中身が適温を保つように冷やしてくれる魔法具だから、時間が経っても温くなることはない。
魔法具というのは基本的に高価なものであり、飲み物を冷やすだけの用途に使うなんてことはコストパフォーマンスの点から言って本来ならありえない。
だが、大量生産によるコストの低減効果により、中堅以上の酒場や食事処においてはこの冷製グラスも珍しい物ではなくなっている。個人端末と並んで、もっとも広く普及している魔法具のひとつだろう。
「あら、思った以上に良い飲みっぷりじゃない。もう一杯飲む? おごるわよ?」
「どんとこい」
少しアルコールが入ってテンションが上がって来た。
どうせ明日も宿の中で鬱々とする事になるんだろうし、酔って楽しむくらいはティアも許してくれるだろう。……多分な。
「待ってて」
そう言うと、女は席を立ってカウンターへ酒を取りに行った。
戻ってきた女の手には、先ほどと同じくジョッキに注がれた黒ビールがふたつある。
「はい、どうぞ」
「おう、あんがと」
それから俺と女はたわいのない雑談をしながら杯を重ねていった。
おつまみ代わりにと注文した手羽先、これがまた絶妙だ。
揚げた手羽先に甘辛ダレを絡ませたもので、かなり濃いめの味つけだが酒の肴にはぴったりである。
メニュー表には『伝説の手羽先』とご大層な名前が表示されていた。
そんな感じで楽しく飲んでいた俺は、三杯目に移った頃になって強烈な眠気に襲われる。
はて?
いつもならこれくらいの酒量、どうってことはないのだが……。
もしかして一日の疲れが出てしまったのだろうか?
さすがに今日は疲れたもんな。二度も武器を持った人間に囲まれて……、そりゃ撃退したのは二度ともティアだけどさ。
まぶたがだんだんと重くなる。
目を開いておくのがどうにも億劫だ。
女が何か言っているが、いまいち頭に言葉が入ってこない。
「あら、…………たの? …………効いてきた……ね」
女が席を立って俺に近付いてくる気配がした。
「…………です。それ以上………………許しま……」
別の方向からは聞き慣れた声が聞こえてくる気がする。
うららかな春の日差しを思わせる声だった。
「あら? ……は?」
「私は…………の付き……です」
「……。別に何も……ないわ。酔い……たみたいだから……しようと……だけよ」
「その割……足の……忍び……な様子……たが?」
「………………ないかしら……」
「何を………………………………知りません……、……の介抱は…………です。警邏隊…………たく……たら、………………立ち去り……」
「どうして…………そこで…………かしら? 別に………………で私には………………ど?」
「………………ですか? ……………………酔い……ほど…………弱く………………。今の…………が……原因と…………では無かっ…………、困る…………たでは?」
「ずいぶん…………ね。いいわ、私も………………飲む気分…………なったし、…………気に入らない……河岸…………ことに……。じゃあね、…………」
途切れ途切れで要領を得ない会話、それが意識を失う前に憶えている最後の記憶だった。
「知らない人から物をもらっちゃダメじゃないですか!」
で、意識を取りもどした俺は目下のところティアから説教を受けている。
気がついた時は一晩明けた後かと思ったのだが、実際には俺が意識を飛ばしてから一時間も経っていないようだ。
どうやら宿の従業員に回復魔法を使える人がいたようで、チップをはずんで解毒魔法をかけてもらったらしい。
ティア曰く「毒を盛られた可能性もあったので」とのこと。
その従業員が言うには、おそらく『ただの睡眠薬』という事だったが、ティアにしてみれば昼間の件もあるので念には念をと思ったのかもしれない。
解毒によって薬の効力がなくなり、ついでにアルコールによる酔いもさめた俺は部屋へと連行された後、いつものように正座して説教を食らっている。
いつもと違うのはここが自宅ではなく学都の宿であるということ、そして俺が正座しているのがソファーの上ではなくベッドの上であるということくらいだ。
目の前で両腕を腰に当て、仁王立ちするエプロンドレスの少女はいつも通りである。
「先生は危機意識が薄すぎるのではありませんか? 昼間あんな目にあったばかりだというのに、見知らぬ女性からのお酒を飲んだりして……、無防備にもほどがあります」
返す言葉もない。
まったくもってティアの言う通りだった。
幸い俺が意識を失う直前にティアが戻ってきたから良かったものの、もし戻ってくるのがあと五分遅れていたら一体どうなっていたことか。
女の目的が何だったのか分からないが、まさか俺を部屋に連れ込んでプリンスメロンをごちそうするつもりだった……というわけではあるまい。
それから三十分。
俺は大人しくティアの説教を受けていたが、さすがに朝から色々ありすぎて疲れが顔に出ていたのだろう。
いつもより短めの説教を終えたティアはしぶしぶながらも自分の部屋へ戻っていった。
それを見た俺はちょっとだけ安心した。
あの様子だと、心配のあまり自分もこの部屋で寝ると言い出しかねないからな。
いくら何でも部屋の中は大丈夫だろう。オートロックもあるし、壁だって結構な厚みがありそうだ。
もちろん魔法があるこの世界においては、万全の防犯といったものを望むべくもない。
だが貧民街の安宿とは違うのだ。宿泊客を襲撃しようと思ったら、宿の防犯システムも破る必要がある。
まあ、相手がそこまでの労力と覚悟をもって襲いかかってきたら、正直俺には為す術がないだろうけどな。
それを油断と言うのだろうか?
もしくはフラグと呼ぶのだろうか?
どこまで行っても俺の見通しは甘かった。
翌日、俺を眠りからたたき起こしたのは、ティアの声や窓から差し込む朝日ではなく、目覚まし時計のアラームでもなく、建物中にけたたましく鳴り響く非常ベルの大音量だった。
2014/10/20 誤字修正 訊ねて→訪ねて




