第30羽
電車の揺れって何であんなに眠くなるんだろうな?
学校帰りに居眠りして何度乗り過ごしたことか。
ナントカのゆらぎっていうんだっけ? 一定のリズムが眠気を誘うっていうやつ。
世界が変わってもそれは一緒らしい。
ただ、今の俺に限って言えば、眠気を誘うと言うよりも眠りを覚ますと言う方が正しいだろう。
グラスウルフの襲撃で精神的にも肉体的にも疲れていた俺は、いつの間にかソファーで寝入ってしまったようだ。
列車の揺れに目を覚ますと、車窓からは自己主張の激しい朝日がこれでもかと言わんばかりに差し込んできていた。
景色が流れていることからも、列車が動き出していることは明白だ。
お猿さんでもわかるだろうさ。
「どんくらい……、ふぁ……、寝てたんだろうな……?」
「四時間ほどですよ」
あくび混じりの独り言に、護衛の青年が答える。
「ハーレイさん……。もしかして、寝てないんじゃないのか?」
「いえ、仮眠はとらせてもらいましたよ。もちろん何かあればすぐに目が覚めますけど」
まあそうだよな。いくら護衛とは言っても、毎回徹夜してたら身が持たない。
いざって時に体が動きませんじゃあ商売あがったりだ。
休息をとるべき時には無理をせず体を休めるというのも必要だろう。
「それよりも、ティアさんの方が……」
言葉を濁すハーレイさん。
俺はとなりで座っているティアの方を向いて訊ねる。
「寝てないのか? ティア」
「ご心配なく。休息は十分にとっておりますので」
味も素っ気もない答えだけが返ってきた。
絶対徹夜してやがんな、こいつ。
よく見る外向きのすまし顔だが、まぶたがいつもよりも若干下がり気味に見える。
ハーレイさんによると空が白み始めた時間になって、ようやく列車が動き始めたらしい。
それがだいたい二時間前ということで、結局予定よりも、えーと……十二時間遅れか。
本当なら今日の夕方には学都へ到着するはずだったんだが。
この後に何もトラブルが起こらないとして、到着するのは……明日の未明くらいになるのか?
まあ日程には余裕があるから良いんだけど、良いんだけど……。
「これでは契約日数をオーバーしてしまいますね。申し訳ありません、ハーレイさん。何でしたら契約違反と言うことで護衛は降りてくださっても構いませんよ? 当然これまでの護衛報酬はお支払いしますし、違約金ということで残り三日分の護衛報酬もお渡ししますので。後は私が先生の護衛を引き継ぎますから」
とかなんとか微妙に、いや、明らかにトゲを含んだ物言いでハーレイさんにつっかかるとなりの銀髪少女がなあ……。
「いえ、大丈夫です。こう言ったトラブルは護衛につきものですよ。日数がオーバーすると言っても四、五時間程度ですし、お約束通りの報酬で結構です」
大人だなあ、ハーレイさんは。
「こちらが気にしないと申し上げているのですから、ご遠慮なさらずに」
しつこいなあ、ティアは。
「いえいえ、途中で仕事を投げ出すのは信条に反しますので」
なんだろう、この居心地の悪さ。
やたら攻撃的なティアと飽くまでもにこやかに答えるハーレイさん。そして間に挟まれる俺。
嫁と姑に挟まれる旦那の気分ってもしかしてこんな感じ?
こう、どっちにも肩入れできないこの苦々しい感じ。
もしくは名ばかり役職持ちの中間管理職みたいな。
ティアのひざを枕にして相変わらず眠りこけているルイがうらやましい。
ああうらやましい、ねたましい。俺ももう一回寝ようかな。
しかしテーブルを囲んで緊迫した場の空気は俺の逃避を許してくれるわけもなく、それから十五時間ほどの間、主に俺の精神力をかつお節のように薄く薄く削りながら息苦しい一日が過ぎていった。
到着までなんのトラブルも起きなかったのが唯一の救いと言えよう。
俺達が学都に到着したのは時計の針がてっぺんを少し過ぎた頃になった。
本来なら未明に到着する予定だったのだが、それをかなり前倒しできたのは、遅れを取りもどすためにがんばってくれた乗務員達による奮闘と努力のたまものだ。
乗務員の交代や休憩にあてられる時間を切り詰め、中間駅で停車した際の点検や物資積み込み工程を無理やり圧縮したらしい。
非番の人間をかき集めて人手を確保し、それでも足りない人手は疲労回復魔法で無理やり元気にさせた徹夜明けの乗務員が補ったという。
全社の総力を挙げて対処したと、たまたま車内のトイレで出くわした下っ端乗務員が自慢げに話してくれた。
当の本人はかなり衰弱していたけどな。
徹夜明けのナチュラルハイ状態でかろうじて動けてるという感じだったわ。
意外に列車の乗務員って職場環境どす黒いんだね……。
「ではレバルトさん。往路の護衛は完了ということでよろしいですか?」
「ああ、おつかれさま。帰りもよろしく頼むよ。五日後に駅前で集合だから」
「ええ。それまではゆっくりと学都観光させてもらいますよ」
ようやく学都に到着した俺たちはハーレイさんと別れ、ティアが手配した宿へと足を向ける。
どうせならハーレイさんと同じ宿にした方が連絡も楽なのに、という俺の意見は薄水色の瞳をした少女によって華麗にスルーされた。
まあいいか。
列車内で堪能させられた息詰まるシチュエーションと、わざわざ再びの友誼を結びたいわけじゃない。
帰りの列車でもう一度再会することは避けられないが、好きこのんであの空気を呼び込む必要もないだろう。
「さあ、先生。参りましょう」
ルイの手を引き、俺を先導するティアの後ろを荷物片手について行く。
こんな時間にチェックインできるんだろうかと、多少不安を抱えながら歩いて行くが、そんな心配はすぐにかき消えた。
さすがは学都。伊達に都と称されているわけではない。
既に日付は変わったというのに、あちらこちらに店の明かりが煌々と輝いていた。
表通りは街灯と店から漏れる明かりで照らされ、着飾った若い男女が時計の針などお構いなしといった風に夜を満喫している。半数くらいは酔っ払っていたみたいだが。
学都って言うくらいだからもっと堅苦しい町かと思っていたけど、見たところ普通の町と変わらないようだ。
もちろん俺達が住んでいる町よりもずっと大きな町である。学都と異名を取るくらいだから、道も広いし高層建築物も多い。駅からしてその規模が違っていた。
あ、そうそう。
本来ならこの学都で三時間ほど停車する予定だった列車は、トラブルでの遅れを取りもどすために一時間もたたずに発車するらしい。
この先二時間以上の時間を短縮するために、どれほど乗務員に負担がかかるのかは想像するしかないが……。
果たしてあのナチュラルハイだった下っ端乗務員は大丈夫なんだろうか?
ティアの案内でたどり着いたのは九階建てで中堅どころの宿だった。
特別際立つ外見ではないが、落ち着いた雰囲気が感じられる。
良いところのお嬢なのに、豪華絢爛な高級ホテルじゃなくてこういう堅実な宿を手配するところがいかにもティアらしい。
……俺の財布に合わせただけかもしれないけど。
さすがに夜も遅いということで、早々に部屋へ入って体を休めることにした。
なぜかルイを押しつけられた俺が一部屋、その隣はティアの部屋だ。
やれやれ。ただでさえ慣れない旅なのに、いろいろあって疲れたよ。
主に精神的にな。
ルイのやつは部屋に入るなり、さっそくベッドへ潜り込んで寝息を立て始める。
俺もさっさとシャワー浴びて寝るとしよう。
明日からはゆっくりと学都観光だな。
いや、もう日付が変わってるから今日か?
うーん。授賞式まで日もあるんだし、一日くらいは宿でのんびりするのも良いかもな。
もうへとへとだし……。
うん、そう……しよう。
明日は……昼まで……寝て――。




