第29羽
「レバルトさん! 起きてください! レバルトさん!」
テントの外から聞こえてくる突然の声に、疲れた体が鈍く反応する。
次第に浮上する意識へと呼びかけてくるのはハーレイさんの声だった。
「レバルトさん! 襲われてます! 起きてください!」
襲われてる?
その言葉に、寝ぼけ気味だった脳が瞬間的に覚醒した。
「ハーレイさん、どういう……」
テントから顔を出して外の様子を目にした俺は絶句する。
俺がまず目にしたのは四つ足の獣だった。
夜陰に包まれた原野が焚き火や携帯魔光照によってうっすらと照らされている。
そのかすかな灯りでぼんやりと浮かび上がるのは灰色の毛に包まれた生き物。
それは牙をむき、武器を手に牽制するハーレイさんやテントの周囲を囲んでいた。
闇夜に光るいくつもの黄色い目がこちらへ向けられている。
「グラスウルフです! 突然襲いかかってきました!」
ハーレイさんが視線を獣に向けたまま俺に注意を促す。
グラスウルフ。
それは人の手が入っていない原野に集団で群れを成す狼型のモンスターだ。
第七エトーダンジョンの第四階層に放たれているあのグレイウルフは、このグラスウルフから枝別れして進化したと言われている。
だがダンジョン内のグレイウルフは人間に危害を加えるほどの危険性は無い。
せいぜい甘噛みをしてじゃれてくるだけの愛くるしい生き物にすぎない。
しかし今目の前に居るのは野生種のモンスターである。
当然危険度は比べものにもならないだろう。
彼らは生きるために獲物を集団で狩り、肉を食らう捕食者だ。
周囲を見渡せば、襲われているのは俺達だけではなかった。
そこかしこで乗客が襲われている様子が、ぼんやりとした灯りに照らされかろうじて見える。
それはまさに大混乱といった風景だった。
戦闘の心得があるらしい武器を持った乗務員や、ハーレイさんと同じように護衛の仕事を請け負った戦士風の人たちが対峙しているようだ。
だが周りを黄色い目に囲まれた俺とハーレイさんは、他の人間へ気を配っている余裕もない。
「数が多すぎます! レバルトさん! 私が引きつけますので、隙を見て列車へ駆け込んでください!」
俺達は八体のグラスウルフに取り囲まれている。
だがグラスウルフたちはハーレイさんの身のこなしを見て容易な相手ではないと理解しているのだろう、一定の距離を保ったまま攻めあぐねていた。
「しかし! それだとハーレイさんが!」
「私は大丈夫です! 一人だったら何とか切り抜けられます! ただレバルトさんを守りながらだとこの数は……!」
要するに俺という足手まといさえ居なくなれば、ハーレイさん自身は大丈夫だということか。
「わかった! 荷物は……」
「今は荷物を気にしている場合じゃありません!」
「そ、そうだな」
俺は起き抜けの身ひとつでテントから出る。グラスウルフたちが警戒して一歩身を退く。
「準備はいいぞ」
「では、左にいる二体を牽制します。合図をしたら全力で走ってください」
俺の準備が整ったのを確認したハーレイさんが、列車側にいる一体へ向けて駆け始める。
俺もその後ろについて全力で足を踏み出す。
ハーレイさんの剣がグラスウルフの一体へと振るわれる。だがそれは牽制だ。
グラスウルフが攻撃を避けるために後ろへと飛び退った。
次いでハーレイさんは腰のベルトから投げナイフを抜き取ると、もう一体のグラスウルフ目がけて投げつける。
ナイフを避けるため、今にも飛びかかろうと体を沈み込ませていたグラスウルフが体勢を崩す。
「今です! 走って!」
その合図で俺はハーレイさんが作った隙をつき全力で走りはじめた。
目指すは列車の車両内だ。
無論そこなら確実に安全だと思っているわけではないが、少なくとも人が多いし、周囲を全てグラスウルフに囲まれたテントよりはマシ……だと思う。
「あっ……!」
車両目がけて全力で走る俺の耳にハーレイさんの声が届く。
やめときゃ良いのに、走りながら頭だけで振り返った俺は、顔に縦線が走るのを感じた。
「来んなよなー!」
見ればハーレイさんを囲んでいた八体のうち、二体が俺を追ってきていたのだ。
逃げていく動きにハンターとしての本能が刺激されてしまったのだろうか。どう見ても俺を標的にして一直線に向かってきている。
野生の肉食獣と追いかけっこ!
ハンデは二十メートル!
って無理だろ!
せめてハンデ二百メートルくれよ!
必死で足を動かすが、二十メートルぽっちの距離はあっという間に詰められてしまう。
グラスウルフの一体が横から回り込み、もう一体が地面を強く蹴りつけて背後から飛びかかってきた。
もうダメか!?
「きゃうん!」
今にも俺の足にかみつこうとしていたグラスウルフの顔が、突然横から切り下ろされた剣に切り裂かれる。
何事かと驚く俺の目が、すぐに剣の持ち主を捕らえた。
背中までまっすぐに伸びた白銀色の髪が風に吹かれて大きくなびく。
その手に握られているのは柄へ赤い宝石をあしらった高そうな両刃剣。
剣の切っ先にはグラスウルフの血がついている。
身にまとうのは剣を持つ人間とは縁のなさそうな、紺地にフリルが付いたエプロンドレスだった。
「ご無事ですか? 先生」
振り向いて俺に顔を見せたのは、いつもの見慣れた銀髪少女だった。
「エプロンドレスで剣振り回すとか……、ちょっと狙いすぎじゃね?」
「は?」
「あ、いや、何でもない」
助けてもらって第一声が『狙いすぎじゃね?』って、我ながらひどすぎるな。
突然の乱入者に狩りの邪魔をされたグラスウルフたちが、唸り声をあげて威嚇してくる。
「先生は私の後ろへ」
そう言って俺をかばうように前へ出るティア。
あれ?
立ち位置おかしくありませんかね?
顔を血で濡らしたグラスウルフが、牙をむきだしにしてティアをにらみつける。
傷は見た目よりも浅いようだが、傷つけられた屈辱は抑えようも無いらしい。
頭に血が上って冷静さを失ったのか、無謀にも正面から飛びかかる。
ティアの目がしっかりとグラスウルフの動きを見据える。
狼らしからぬ猪突を見せ、エプロンドレスの裾からのぞく脛へかみつこうとしたグラスウルフへ、閃光のごとき突きがくり出された。
剣の切っ先がグラスウルフの口へと吸い込まれる。
衝突の勢いを借り、ティアの持つ剣は中程までがグラスウルフへと突き刺さっていった。
それを好機と見たもう一体のグラスウルフが側面からティアに襲いかかる。
だがティアは右手で剣を持ったまま、空いた左手をそちらへ向けると素早く魔法の詠唱を開始した。
「天圏より来たりし冷雹の刃よ、彼の者を貫く我が意思となれ。ヘイルエッジ!」
かざした手を囲む形で、筒状に青白い魔力が展開される。
すぐにその魔力は十個ほどの粒に収束すると、詠唱の終了と共に引き延ばされた細長い楕円の板状へ形を変え、標的目がけて飛んでいく。
楕円形の薄い刃がグラスウルフの頭部に次々と命中する。
頭を強く弾かれたグラスウルフは、そのまま血だまりを生みながら地面に倒れて動かなくなった。
この間、およそ三十秒。事もなげに剣ひとつであっけなくグラスウルフ二匹を叩き伏せた。
やだ、何? この娘、ちょっと怖い。
そんな俺の戦慄をよそに、ティアはグラスウルフから剣を引き抜いて振り向く。
「お怪我はありませんか?」
「ああ。いや、しかし俺を逃がすためにハーレイさんが取り囲まれて……」
「ハーレイさんは先生の護衛を仕事として請け負っているんです。先生が彼を気遣うようでは本末転倒というものです。それに……」
「それに?」
「もうほとんど片付いたようですよ」
ティアが周囲を見回すのにつられて俺も様子をうかがう。
まだ辺りは暗かったが、先ほどと比べれば戦いの音や人々の悲鳴もほとんど聞こえなくなっていた。
襲いかかってきたグラスウルフは、大部分が死んだか逃げたかしたのだろう。
ハーレイさんが居るであろう方向からも音はしなくなっている。
「モンスターが居なくなったのなら、なおさらハーレイさんの無事を確認しておきたい」
「仕方ありませんね。ではお供いたします」
あれだけの力を見せられた後でも、正直なところティアを危険な場所へ連れて行くのは気が進まない。
しかし確かにグラスウルフの生き残りが襲いかかってきたら、俺の戦闘力ではポックリ果ててしまう自信がある。
一応、危ないから列車に戻るようティアを促したのだが、返って来たのはいつもの冷たい視線だけだ。その顔には『お前が言うか?』という文字が書いてあった。
俺たちが駆けつけたとき、既にハーレイさんは六体のグラスウルフを追い払っていた。
暗くてよく見えないが、彼の足下には切り捨てられた狼が三体転がっているようだ。
「レバルトさん。ご無事でしたか」
彼は俺とティアが近づいたのに気づき振り向く。
「ハーレイさんこそ、無事でよかった」
「一応これで飯を食ってますから」
と、グラスウルフの血に濡れた剣を軽く掲げる。
「あれくらいならなんとか……。ただ、護衛としては失格ですね。二体ほど押さえきれませんでした」
申し訳ありませんと頭を下げるハーレイさんに、俺の後ろでたたずむ少女がトゲのある言葉を飛ばす。
「では護衛を辞退なさってもかまいませんよ? 先生の身は私が代わってお守りしますので」
だから何でそんなにケンカ腰なんだよ、お前は?
「いえ、一度受けたからには最後まで責任を持って努めさせてもらいます。途中で投げ出すわけにはいきません」
「……そうですか」
ティアは冷たくそう言うと、俺の腕を引っ張ってテントの方へ歩き始めた。
「荷物が無事か確認しましょう」
「あ、ああ。そうだな……って、別に見たところテントが荒らされた様子は無いけど?」
「念のためです」
有無を言わさぬ雰囲気で俺を引きずっていく自称アシスタント少女だった。
「あ、ハーレイさん。安全のためにここは引き払って列車のそばへ移動しよう。荷物をまとめておいてくれ」
「わかりました」
夜明けまではまだ時間があるが、さすがにこんな事態になってしまうとこのまま野営というわけにもいかないだろう。
グラスウルフの血に誘われて他の野生動物が現れないとも限らない。
俺たちは荷物をまとめると、ルイや他の乗客達が集まっている場所へと移動していった。
グラスウルフの死体は列車の乗務員達が穴を掘って埋めていく。
「こんなの俺たちの仕事じゃ無いだろ、くそ」
「眠てえ……、オイラ今日は日勤のはずなのにー」
「何だってこんな所でグラスウルフの群れが出てくるんだよ……」
スコップを持って穴掘りに向かおうとする乗務員のぼやきが耳に入ってくる。
幸いにも襲いかかってきたグラスウルフの群れは、思っていたより小さなものだったらしい。
乗務員達や乗客の護衛達の抵抗により撃退され、あちこちで襲われていた乗客にも犠牲者は出なかったようだ。
ケガ人はそれなりに出ているようだけどな。
ただ腑に落ちないのはグラスウルフの数だ。
聞いたところによると、襲いかかってきたグラスウルフは大抵が一体あるいは二体、多い所でも四体程度だったらしい。
俺とハーレイさんを襲った八体というのは他の場所と比べてかなり多いように思える。
たぶん一番多かったのではないだろうか?
たまたま運が悪かったといえばそれだけなんだが……。
「先生。どうやら中に入れるようですよ」
車両全体の点検は未だ終わっていないが、何せあんなことがあった後だ。
さすがにこのまま朝まで乗客に野営をさせるのは安全面で問題があると考えたのだろう。
点検が済んだ列車の先頭を中心に、乗客を車両内に入れるようだ。
点検が終わっていない後部車両で爆発が発生しても影響が及ばないと判断したらしい。
こんな状況だしな。完璧な安全など望むべくも無い。
まだ暗い中、外で野営をするよりもよほどマシだと皆考えたのだろう。
不満の声をあげつつも、乗客は指示に従っていた。
俺たちもルイと合流した後、客車に入るとテーブルをひとつ占領した。
寝台車はまだ安全が確保されてないらしいので仕方がない。
やわらかいソファーに身を沈め、俺は安堵の息を吐く。
「はあ……。とんだ列車初体験になったな」
「ンー……」
眠気に屈服したルイがティアの膝を枕にしている。
その幸せそうな寝顔を眺めながら、俺は睡魔にあらがうこともなく意識が薄らいでいくのを他人事のように感じていた。
2016/04/03 誤字修正 点と→テント




