第28羽
この世界では列車が贅沢な交通手段である、というのは前も話した通りだ。
実際に列車で旅をするのはごく一部の裕福な人間だけ。
一般人が旅をする時は、いまだに徒歩で何日もかけて歩いたり馬車に乗って移動する。
その一方で、大きな町へ行けば市街地の主要な通りを乗り合いバスが行き来している。
これは魔法と電気の力を使ったハイブリッド仕様で、前世のバスと比べてもはるかに高性能な代物だ。
何でこんなに歪な事になっているのか?
その理由の一つは人口密度にある。
この世界は地球と比べて人口が少ない。
正確な統計が取れていないため、結構な誤差があるだろうが、現在各国家が公表している人口の合計は三億にも満たない。
おそらく国家の庇護下にない人間も相当数居るだろうから、実際の人口はもっと多いだろう。
それでも地球に比べるとかなり少ないというのは間違い無い。
例え人口が少なくても、陸地が狭いのなら人口密度は高くなる。
ところがこの世界の大きさを計測してみると、地球とそれほど大差ないものだったらしい。
どうやって世界の大きさを計測するのかはしらないけどな。
別に宇宙へ飛び出さなくても地上からの観測である程度の大きさは測れるらしいぞ。
ようするにだ。人口に対して土地が有り余ってるのが現状ということになる。
おまけに三百年ほど前までは、人間を見るや襲いかかってくる凶暴なモンスターが野山に跋扈していたため、人間が生活領域を広げるのもなかなか難しい状態だった。
その名残なんだろうな。今でも人間はひとところに寄り集まって町をつくり、外壁で囲んで引きこもりがちになっている。
もちろんモンスターが無害化して以降は、その危険も大きく減少している。
多分今だったら地球の未開拓地域を切り開くのと同じ程度の危険しかないだろう。
野生のモンスターや肉食獣もいるから、まったく危険がないとは言えないだろうが、開拓するのは決して難しい話ではないと思う。
ところがここでひとつ問題が発生した。人口が伸びなくなったのだ。
地球を例にして考えてみればわかりやすい。
地球でも国や地域ごとに人口増加率というのは大きく差が出る。
様々な要素が絡むので一概には言えないが、傾向として先進国においては人口増加率が減少し、少子高齢化が進む。
そして発展途上国では人口が爆発的に増える。
無論、先進国だって歴史をさかのぼれば発展途上にあった時代もある。
日本の場合は爆発的に増えるという程ではなかっただろうが、それでも江戸時代から昭和にかけての三百年ないし四百年間で人口は順調に増加していた。
先進国で人口が増えなくなるのはあんたも知っての通りだ。
発展途上国では子供が無事に成人する確率が低い。
地域によっては十人子供を産んでそのうち大人になれるのが二人か三人というところもあるだろう。
そのため子供をたくさん産んでおくというのは、将来に対する保険と言えるのかもしれない。
逆に先進国ではほとんどの子供が成人を迎えるよな。
事故や病気で死んでしまう子供はもちろん居るが、医療の発展と食生活の豊かさに支えられて、大部分の人間は老人になるまで生きのびる。
多少の障害を持って生まれてきても、社会保障制度が進んでいるから国の保護を受けて生きていくことができる。もっともそれが十分な保障かどうかはまた別の話だが。
え? 結局何が言いたいのか、って?
つまりだな。
三百年ほど前(正確には二百八十一年前)に勇者ヨシノリ・アベが魔王を倒し、その後タカアキ・ヨシダの大魔法でモンスターが無害化した。これは良いな?
本来ならそこからこの世界の人口爆発が始まるはずだったんだよ。
それまで町で肩を寄せ合い、外壁で身を守ることによりモンスターの脅威を避けていた人間達が、危険の少なくなった外の世界を開拓し、植民をしていくことで。
ところがだ。
そこで終わっておけば良いものを、余計なことをする奴らが多かった。
地球と日本の技術を持ち込んで、農業生産量を異常なスピードで増やし、西洋医術をもたらし、金融を発展させ、電気を持ち込み、魔力と電気の複合技術でまたたく間に地球の先進国も真っ青のハイテクノロジー社会を生み出してしまった。主に日本人が。
地球の国家が千年以上の時間をかけて積み重ねていった技術革新を、わずか百年足らずで再現してしまったというわけさ。
一足飛びに地球の先進国と同等、あるいはそれ以上の高福祉な社会を実現した結果、この世界では人口が爆発する前に出生率が大幅に低下することになる。
尋常ではない速度で生活環境が向上した人々は、危機感に駆られて多産に走る必要がなくなったし、子供を育てるのに必要な費用もそれまでとは比べものにならないくらい増えた。
そんなわけでこの世界。町の中は二十一世紀の日本も顔負けの繁栄ぶりにもかかわらず、町を囲む壁の外は西部開拓時代のアメリカも真っ青という大自然が広がっている。
東京大阪間に原野が広がり、人口数百人の小さな村がポツポツとあるだけ、と言えばいかに人口密度が低いか想像してもらえるんじゃないかと思う。
は? なにが言いたいのかわかんない?
えーと……、だからな。
そんな人口がスッカスカの土地に、鉄道なんてそうそう簡単に敷けるわけがないだろ?
コストパフォーマンスが悪すぎるんだよ。
町と町を移動するという需要がまず少ない。というか人口自体が少ないしな。
加えて人の手が入っていない原野に線路を敷くわけだ。
そこは平らな平原ばかりじゃない。
原生林もあれば大河もある。
線路の維持管理だけでも莫大な費用が飛んでいく。
野山には野生の獣やモンスターもいて、それらが線路に被害を与えることもある。
いくら獣よけの魔法具が大量生産により安価で入手できるとはいっても、路線全域にそれを配置することは現実的じゃない。
必然的に鉄道は大都市間を結ぶ限られた路線のみに限られ、加えて乗車料は非常に高額だ。
四百キロ離れた学都までの乗車料は大人ひとりで片道五十万円なり。って、高っ! 地球だったら世界一周旅行とかできそうだな。
そんなお金払ってまで列車に乗るのは国の要人や貴族たち、あとは裕福な資本家くらいのものだろう。
利用者が少ないから規模が大きくならない。規模が小さいままだから投資効率も悪くて乗車料が下がらない。
乗車料が高いから利用者がいつまでたっても増えない。という負のスパイラルだ。
一般人はそもそも生まれ育った町から出ないし、貨物を運ぶだけならわざわざ列車に乗せなくても自律馬車を使った方が安上がりな上に小回りが利く。
都市間の道路がもっと整えられれば自然と行き交う人も増えるし、乗り合いバスや車のような交通手段で旅をすることもできるようになるかもしれない。
だが線路と同じようにその敷設や維持管理の費用はきっと頭痛の種になることだろう。
というわけで、目下のところ俺達が乗った列車は見渡す限りの平原を走っている。
学都へ着くまでにいくつかの駅へ停車するが、基本的に列車の旅は車中泊だ。
運行本数が少ないから、立ち寄った駅で宿に泊まっても次の列車へ乗り継ぐ際に時間的なロスが大きいからな。
ゆっくりと観光の旅をするならそれでも良いんだが、今はそこまでの余裕がない。
できるだけスケジュールも前倒しで組んである。
列車は定刻に着かないことがよくあるからだ。
なんせ原野のど真ん中を突っ切っている線路は管理が大変。
しかもその距離は長大だ。
いくらテクノロジーが発達した上に魔法の技術が加わっているとは言っても、費用面と物理的な制約から線路全体を万全な状態に保つのは難しい。
線路全体に監視用のセンサーを埋め込むのがコスト的な理由から不可能な以上、走行しながら列車に搭載されたレーダーで進行方向の状態を確認するしかないのだ。
なんか自分で説明してても、もどかしくてイライラしてくるな。まったく。
段階を踏まずに一気に鉄道作って線路敷いたりするから、こんな歪な状態になるんだろうに……。
走行中に線路上へ異物――岩や倒れた樹木、野生の動物――を発見した場合、列車は停車して乗車員の手によりその撤去作業が行われる。
その結果、到着時刻に大幅な遅れが生じるということは珍しくもない、というのがこの世界の列車だ。
ん? この世界の列車事情なんぞ興味がない?
お前のうんちくなんてどうでも良いって?
あー、まあ確かにどうでも良いだろうなー。
すまんすまん。許せ。ただの現実逃避だ。
ちょっとこの現実から逃げたかっただけなんだよ。
なんせ気まずい。空気が妙に重いんだ。
まるで張りつめた緊張の糸が目に見えるようである。
原因は俺のとなりで静やかに座っている銀髪少女なんだけどな。
列車内の下見から帰って来たハーレイさんは、驚きながらも状況を受け入れてくれた。
避難経路について俺へ報告した後、改めてティアへ自己紹介をして向かいのソファーに腰を落ち着けたのだ。それは良い。
問題はティアの方だ。
確かにティアは初対面の人間に対して壁を作りがちである。
だからといって明確な敵意を表したり、あからさまにつっけんどんな対応をするわけではない。
普段ならせいぜい口数が減ったり、表情が硬くなる程度だ。
ところがどうもハーレイさんに対しては接し方にトゲがある。
特別露骨な態度や物言いをするわけではないのだけれど……、どうもおかしい。
さきほどお茶を勧めた時にしたってそうだ。
ハーレイさんは最初遠慮していたのだが、対するティアの反応はこうだった。
「せっかくお入れしたお茶ですのに……、何か私に至らない点でもございましたか?」
普段ならいらないという相手に重ねて勧めたりはしないティアが、この時ばかりは是が非でも飲んでもらおうという勢いでハーレイさんに勧めていた。
勢いに負けたハーレイさんがお茶を一口飲んだ後も変だった。
「このお茶、変わった味ですね……。何かお茶以外の物も入れてあるんですか?」
とハーレイさんが感想を言えば、「よくお分かりで……、ご心配には及びません。鎮静効果がある、ただのハーブですわ」などと含みありげなことを返す。
顔は微笑んでいたが、あれはいつも家で見る笑顔とは別物だった。
どちらかというとあまり向けてもらいたくない類いの笑顔だ。
さすがにハーレイさんも気付いたのだろう。
ティアが席を外した時に俺に訊いてきた。
「レバルトさん。私、何か悪いことでもしたんでしょうか? ティアさんにずいぶん嫌われてるような気がするんですが……」
「ああ。そんなことはないと思うんだけど。あいつ結構人見知りするんで、よほど親しい間柄にならないと冷たい雰囲気に感じるかも知れないなあ。まあ、あんまり気にしないでくれ」
帰路を合わせると四日間も同行する仲間だ。
できれば波風立てたくないので、一応フォローをしておくことにした。
もしかしてティアのやつ、何か見たのかも知れない。
でもハーレイさんって悪い人には見えないんだけどな。
俺の勘か、ティアの目か。どちらが的を射ているのやら。
席に戻ってきたティアのまとう雰囲気は相変わらずだった。
ルイは与えられたお菓子を撃破殲滅するのに夢中になっており、見るからにご機嫌である。
結局この気まずさの原因は俺のとなりに腰掛けるアシスタントだ。
たったひとりで場の空気を重くしてしまうというのはある意味才能だが、この場合は迷惑きわまりない。
出発して半日も経っていないのに、非常に気が重い。
観光がてら気楽に旅行を楽しもうなどと考えていた昨日の自分へ、冷や水の一杯でも浴びせてやりたい気分だ。
その後も表面上は丁寧ながら若干トゲを含んだティアの態度は変わることなく、笑顔で対応しながらも困った様子のハーレイさん、珍しい列車内の様子と与えられるお菓子に上機嫌のルイ、息苦しさに押しつぶされそうな俺の計三人と一匹は列車に揺られていく。
――――出発から八時間が経過した。
やがて車窓から見える景色も、日暮れと共に闇に溶けていく。
俺は心の中で安堵の息をついた。
先ほども言ったように基本的に列車での旅は車中泊である。
もちろん停車した駅で降りて、街中の宿泊施設に泊まる人間も居るだろうが、俺達にはそんな時間的余裕がない。
仮に時間的な余裕があったとしても、列車の中で宿泊するというのは結構貴重な体験だ。
どうせ明日の夕方には学都へ到着するのだから、一晩くらいは車中泊も良いだろう。
さすがのティアも泊まる個室は別々にとってあるに違いない。
夜の間だけでもこの緊迫感あふれる場から逃れられるのなら、例え抱えているのが弾丸の入っていない突撃銃だったとしても、俺は喜んで個室へ突貫するさ。
まあその前に、夕食という戦場を乗り越える必要があるのだが。
少しばかり憂鬱な気分で、本日最後の難関をさっさと終わらせてしまおうと考えた俺が、「そろそろ夕食のために食堂車両へ移動しよう」と口にしかけたその時、異変は起こった。
突如、先頭車両の方向から爆発音のようなものが響いてきた。
何事かと訝しむ俺達の視線が車両の貫通路や車窓から見える外部の景色へ向けられる。
車窓から外を見た俺は、それまで順調に草原を駆け抜けていた列車の速度が緩やかになっていくのを感じた。
速度が落ちているのは決して俺の勘違いや錯覚ではない。
その証拠にやがて車窓から見える外の景色が完全に動かなくなる。
「なんだ? どうした?」
「何で止まるのよ!?」
「おい! 乗務員はどこだ! 説明しろ!」
車内にいる乗客が口々に騒ぎ始めた。
「さっきの爆発音……、先頭車両の方から聞こえてきましたが、何かトラブルでもあったんでしょうか?」
ハーレイさんが立ち上がって周囲を警戒する。
車内が慌ただしい状況のまま幾ばくかの時間が過ぎた。
実際には数分だったのだろうが、何も情報がもたらされずに待つだけの時間というのは思った以上に長く感じられる。
『ご乗車の皆様へお知らせいたします――』
やがてアナウンスを知らせる効果音に続いて、スピーカーから乗務員による説明が聞こえてきた。
その説明によると、どうやら先頭に近い車両で何らかの爆発物が炸裂したようだ。
俺達の耳にも聞こえてきた音がそれだったらしい。
爆発の被害そのものはほとんど無かったが、他にも爆発物が仕掛けられている可能性があるため車内の全点検を行う、とアナウンスが続いた。
安全が確認できるまでは列車はこの場で停止し、万が一に備えて乗客も車両から一時避難してもらうとのことだった。
それを聞いて車内のあちこちから不満の声が上がる。
当然だろう。既に日は暮れかけている。
この時間から車両を出るということは、原野で夜を越せと言っているも同然だからだ。
高い乗車料を払って乗り込んだ列車で、普段とは趣の違う夜を過ごせると思っていた乗客たちが憤慨するのも無理はない。
しばらくは喧騒に包まれていた車内だったが、乗客にしても爆発物が仕掛けられた可能性のある車両で危険と隣り合わせになりながら眠りたいわけじゃない。
感情的には不満たらたらでも、乗務員の判断が正しいことは誰もが理解しているのだ。
荷物を抱えて列車から出た乗客に、乗務員が簡易テントや毛布を配って歩く。
やがて列車からいくぶん離れた場所にテントが組み立てられ、火がおこされる。
一時間もすると、夕食がふるまわれた。
もっともそれは車中で予定されていたものとは比べものにならないほど質素なものだったが。
「ついてねえなあ」
そうぼやきながら、使い捨ての器に盛られたシチューを口にする。
俺達は配布されたテントを組み上げ、ティアが点した魔法の灯りを囲んで食事をしていた。
何が悲しくて、高い乗車料を払ったあげくにこんな林間学校じみた夜を過ごしているんだろうな……。
しばらくすると乗務員が状況を説明するためやってくる。
今のところ不審物は見つかっていないらしい。
だが車両全体をチェックするためにはどうしても時間が掛かってしまうようだ。
なんせ乗務員の半分以上は乗客の対応や世話をするために列車を離れている。
加えて周囲の警戒をするためにも人員を割いているのだ。
実際に安全確認を行っている人数はそれほど多くないのだろう。
説明を聞いた限り、チェックが終わるのは明け方近くになりそうだった。
相変わらずあちらこちらから不満の声は聞こえてくる。
だが不満を言っても仕方がないというのも現実だ。
お腹を満たした乗客たちは思い思いにテントへと潜り、少しずつ周囲に見える人影も減っていった。
「俺も寝るわ……」
俺はハーレイさんに断りを入れてテントへ入り、毛布にくるまって眠りにつく。
ハーレイさんにもテントの中で眠るように言ったのだが、自分は護衛だからとテントの外で毛布に身を包んで周囲を警戒しながら夜を明かすと言って譲らなかった。
周囲の警戒は列車の乗務員がやってくれているとはいえ、乗客の中にも不届き者が居ないとは限らないということらしい。
無理して明日に響かなきゃいいんだがな……。
ティアとルイが眠っているのは女性客や子供ばかりが集まっているテントだ。
他のテントと比べても厳重に警備されているのが遠目にも分かる。あれなら多分安全だろう。
慣れない列車の旅による身体的な疲れと、予定外の精神的負傷を受けていた俺は、横になるなりまたたく間に眠りに落ちていった。




