第27羽
お出かけの準備というのは楽しいものだ。
修学旅行や遠足にしたって、前日の準備をしている時間からしてワクワクするだろ?
よく『家に帰るまでが遠足です』って言うけど、俺はそれに加えて『準備する時からが遠足である』と提言したい。
おやつを買いに行ったり、水筒を押し入れから取り出すのも遠足の大事な一工程である、と。
俺は初めての列車旅行を目前にして、胸の高鳴りが抑えきれない。
あまりのうかれっぷりに、うっかり大事なものを忘れてしまいそうで、我ながら心配になってくる。
まあ手荷物準備するのは結局ティアなんだけどさ。
「おはようございます。レバルトさん」
出発の日、約束の時間通りに我が家の玄関先へハーレイさんがやってきた。
「おはよう。……荷物はそれだけなのか?」
「ええ、ひとところに腰を落ち着けることがないですからね。これが私の所持品全部です」
ハーレイさんが背負う少し大きめの袋からは、折りたたんだ寝袋らしきものがのぞいているが、それを除外すれば荷物は驚くほど少なく見えた。
「ちょっとピクニック行ってくる」と言われても納得してしまうほどの量だ。
旅慣れた者ほど余分な荷物を持ち歩かないとはよく言ったものである。
そう言う意味ではハーレイさんが熟練の旅人という点に疑いの余地はなさそうだ。
振り返って後ろに控えるアシスタントが持つ荷物へ目を向ける。
彼女の足もとには大きめのスーツケースが二つ、そしてハーレイさん同様、俺の背中には背負い袋。
旅慣れていない者ほど大きな荷物を持ち歩くとはよく言ったものである。
明らかに余分なものがたくさん入っているのだろう。その荷物量はハーレイさんの四倍以上と見た。
準備をティア任せにした俺が文句を言うのは筋違いかもしれないが、それでもやはりハーレイさんの荷物を見た後に改めて目にすれば多すぎると感じてしまう。
彼の背負っている量と比較すると「夜逃げでもするのかよ!」という頼んでもいない突っ込みがどこかから聞こえてくるようだ。
「なあ、ティア。その荷物、ホントに全部必要なのか?」
「はい。最低限必要なものだけにしてありますが、これ以上減らすのは難しいかと」
「いや、だって見てみろよ。ハーレイさんの荷物。さすがに差がありすぎるぞ?」
「お言葉ですが、先生。ハーレイさんの役目は護衛。一方先生の荷物には授賞式で着るスーツや学都滞在中の着替えも入っておりますので、単純に荷物量だけを比較するのは適切ではありません」
「む……、そうか」
確かに常に旅をしているハーレイさんの場合、余分な荷物を極力取り除き、効率を追求した上であの量になっているのだろう。
俺とは事情が違うのだから、単純に荷物量を比較するのは浅慮というものかもしれない。
「レバルトさん。そろそろ出発しないと列車の時間に間に合わなくなりますよ?」
顔をしかめている俺にハーレイさんが注意を促してくる。
「あ……、ああ。そうだな。じゃあ駅へ向かうか」
両手が塞がるのは不格好だなと思いながらも、スーツケースをティアから受け取るために手を伸ばす。
「片方は私が持ちましょう」
ん? そうか?
別に見送りなんてしなくても良いのに。
まあ確かに駅までの道のりだけでも荷物が減るのは助かるけどね。
「んじゃ、頼むわ」
そう言って俺達は家を出た。
家から列車の駅までは徒歩で十五分といったところだ。
ハーレイさんと俺が肩をならべて歩き、その後ろからティアとルイが手を繋いでついてくる。
もう少し早い時間であれば、俺達が今歩いている道も通勤通学の人でにぎわっていたかもしれない。
だが朝のラッシュを過ぎたこの時間帯では道行く人もまばらで、昼ご飯時までは人があふれることもないのだろう。
やがて俺達の行く先に大きなレンガ造りの建物が見えてきた。そう、列車の駅だ。
だがレンガ造りとは言っても、実際にレンガが使われているのは外壁の表層部のみ。
設計者の趣向でレトロ調に仕立てているだけで、中身は最新技術が用いられた頑丈な建物らしい。
見た目だけでも歴史ある建物っぽく――っていう目論見なのか。この世界にも懐古主義ってのはあるみたいだな。
「では乗車手続きは私が行ってまいりますので、先生は荷物とルイを見ていてくださいますか?」
「それくらい自分でやるぞ?」
「いえ、これもアシスタントの務めです」
駅構内に入るなり、止める間もなくティアは乗車手続きの窓口へと歩いて行った。
後に残されたのは大きめのスーツケースふたつと、俺の服をちょこんとつまんでいるルイだ。
「ンー」
オレと目が合ったルイは、楽しそうに笑顔を返してくる。
「ティアさんでしたっけ? アシスタントの。気の利く方ですね」
ハーレイさんが感心していた。
なんだかんだいって、ティアも世話焼きだからな。
まあ俺が頼りないってのが一番の原因かも知れないけどさ。
生返事を返しながら、俺は駅の構内を見渡した。
構内に人の影はまばらだ。
鉄道自体は発明されてずいぶん久しいが、その普及はなかなか思うように進んでいない。
この町から出発する列車は学都を経由して首都へと行く上り線と、反対方向の海辺へと向かう下り線だけが発着している。
その本数は一日に二本か三本。
少ないだろ? 「どこの田舎だ!?」って思うだろ?
でもこの世界の鉄道ってそんなもんなんだよ。
その点に関してだけは日本の方が進んでいたと言える。
もっとも根本的な環境の違いが原因なんだから、一概に断言するわけにもいかんがな。
ルイの頭を撫でながらハーレイさんとたわいもない世間話をして時間をつぶしていると、窓口からティアが戻ってきた。
「申し訳ありません。少し手続きに時間がかかってしまいました。列車の出発まであまり時間がありませんので、そろそろ乗り込んでおいた方が良いかもしれません」
「そうか。んじゃ、ハーレイさん。もう乗っておこうか?」
「ええ、そうですね。ギリギリになって慌てるのもなんですし」
俺達はそのまま列車へと乗り込むことにした。
今回乗る列車の外見は日本でも見慣れた形状で、長細い箱形の接地部に車輪が付いたものだ。
いわゆる高速鉄道のような先頭が尖った流線型ではなく、地下鉄や在来線でよく見られる形だった。
ただ、俺が前世で見慣れた車両よりもいくぶん横幅が広く、当然ながら線路の幅もそれにあわせて広く取られている。
内部はというと、これがまた意味もなく広々としていた。
もともと乗車料が高く、一般市民は滅多に列車へ乗ることがない。
結果的に列車を利用するのは富裕層に限られ、当然ながら絶対数の少なさ故に乗客も少なくなる。
少ない乗客と高い乗車料。それがこの世界の鉄道事情だ。
この先未来の話はわからないが、現時点では富裕層が使う贅沢な乗り物ということなんだろうな。
すし詰めの満員電車に毎日揺られているサラリーマンが見ればため息をつきそうなほど、車内のスペースは十分な余裕を持たせてあった。
車内にはいくつものテーブルが備えつけられ、テーブルを挟むようにしてソファーが据えられている。
となりのテーブルとは仕切りによって隔てられており、完全な個室とはいかないまでも、通路や周囲の乗客が気にならずにすむようなプライベートスペースを生み出していた。
「はあー。すげえな、これは。想像以上に贅沢だ」
「レバルトさんは列車に乗るの初めてなんですか?」
「ああ、話には聞いていたが、乗るのも中を見るのもこれが初めてだ。ハーレイさんは今まで乗ったことが?」
「ええ。護衛の仕事をやっていると、時々あるんですよ。列車での移動も。ですから何度かは乗ったことがあるんです。もっとも、自費で乗ったことはないですけどね」
最後に苦笑しながらハーレイさんが答えた。
俺達が話をする後ろでは、ティアが俺の荷物を手際よく荷物入れへとしまっている。
「ンー!」
ルイはと言うと、初めて見る豪奢な車内の装いに興奮気味だ。
目をキラキラさせてあちらこちらへと好奇心を向けている。
こら、見るのは良いが勝手にどこか行くなよ。
ああ、もう。フラフラするんじゃない。
というかルイをここまで連れてくる必要ってあったのか?
いや、確かに家へ置き去りにするわけにいかないというのは分かるんだが、だったらティアが駅までついてくる必要自体ないだろうに。
仕方ないのでソファーに腰掛けてルイをひざに抱いておく。
てっきり嫌がるかと思ったが、ルイはおとなしくなり、そのまま背中を俺に寄りかからせ甘えてきた。
「ンー、ン、ンー」
なんだか嬉しそうに鳴いている。モンスターとはいえ、見た目小さな子供のルイに懐かれて悪い気はしない。
俺は片手でルイの腰を抱え、もう一方の手でその頭を撫でてやった。
サラサラの髪は撫でている方も気持ちが良い。
「申し訳ありません、先生。お手数をお掛けしました」
荷物を収納し終えたのだろう。ティアが声をかけてくる。
「ルイ、こちらにいらっしゃい」
そして俺のひざに収まっていたルイに手を伸ばす。
ルイは俺の顔を見あげて少し逡巡したが、俺がうなずくとニコリと笑顔を見せてティアのとなりへと移動する。
そのままティアとルイは手を繋ぎ、デッキへ続く扉をくぐっていった。
俺はてっきりホームから窓越しに見送ってくれるものと思っていた。
ところが、ティアもルイも一向に姿を見せないのだ。
まさか俺達が座っている席の位置を見失った?
いやいや、あの娘がそんな初歩的なミスをするとは思えない。
そうすると、何かトラブルでも起こったのだろうか……?
『本日は国営交通網をご利用いただきまして誠にありがとうございます――』
そんな俺の不安をよそに車内アナウンスが流れ始めた。
『――当列車は十時三十分発、各駅停車バルチェット経由イストリア行き普通列車です。間もなく定刻通り発車いたします』
やがて発車の合図である警笛が駅の構内に響いて列車の扉が閉まる。
動力に魔法を使用しているためモーター音の類いが一切ない列車は、その車輪がレールの上を転がっていく金属の接触音だけを響かせながらゆっくりと動き始めた。
窓から見える駅構内の景色が少しずつ横に流れていく。
結局ホームにティアとルイの姿は見当たらなかった。
多少気にはなるが、そもそも見送り自体必要とも思えなかったしな。別に問題はないだろう。
列車が少しずつ加速していく。
窓の外では街並みが左から右へと現れては消えていった。
「レバルトさん。念のため今のうちに非常口や列車内の設備をチェックしておきたいんですが、少し側を離れても構いませんか?」
「ん? ああ、構わないよ」
護衛が護衛対象を離れて行動するというのは、あまりほめられた話じゃないだろう。
だが確かにいざという時になって、どこに何が配置されているのか知っていると知らないとでは大違いだというのはわかる。
避難経路を事前に確保しておくというのも大事なことだ。
護衛の経験を持つハーレイさんが言うのだから、必要なことなんだろうよ。
俺の了承を受けると、ハーレイさんは席を立ってとなりの車両へと歩いて行った。
マンガやラノベなんかだと、こういう時に限ってチンピラに絡まれたりするんだよなあ。
あんたもそう思う?
まあ、その時はその時さ。
時間を稼いでればハーレイさんもそのうち戻ってくるだろうし、何とかなるだろう。
そんなことを考えながら、俺は窓から見える景色をぼんやりと眺めた。
列車は町から出て今は草原の中を走っている。
前世の列車と違いこの世界の列車はモーター音こそ聞こえないが、レールの上を走っているのは前世同様だ。
レールの継ぎ目を車輪が通る度に車両が一定のリズムで揺れるのも同じである。
その心地よい揺れに前世で電車通学していた頃を思い出す。
目を閉じていると、まるで日本で電車に揺られているような錯覚に陥ってしまう。
「どうぞ、お茶です」
声をかけられてまぶたを開くと、目の前には湯気を立てた香ばしいお茶が差し出されていた。
もう戻ってきたのか、ハーレイさん。
ついでにお茶を買ってくるなんて気が利くねえ。
お礼を言いつつコップを受け取り口をつける。
うん、おいしい。
そんな風にほっこりとしていると、俺が座っているソファーがスプリングをきしませながら軽く揺れた。
ハーレイさんが座ったのだろう。
はて? なんで俺のとなりへ座るんだ?
不思議に思った俺が、お茶をすすりつつ横目でとなりを見る。
その人物は俺よりも幾分小柄で線も細い。
身にまとうのは紺地で落ち着いた風合いのエプロンドレス。
長い白銀色のストレートヘアが紺地とのコントラストをよりいっそう際立たせていた。
サラサラの髪が列車の窓から入り込んだ風になびいて、シャンプーのCMもかくやという見事なふんわり感を主張している。
薄い水色の瞳がこちらを向き、俺と目が合った。
世の中には自分とそっくりの人間がふたりいると、都市伝説みたいなものが前世ではあったなあ。
……ティアそっくりだ。
……。
…………。
………………。
……………………。
「ぶっ! ゴ、ゴホッ! ゲホゲホッ!」
気管に入った、お茶が気管に入ったよ!
直撃至近弾まともに食らったよ! おまけに熱い!
「グハッ! あぢ! あちちっ! ゲホッ!」
「大丈夫ですか、先生?」
となりの人物はそう言って手ぬぐいを取り出し、熱いお茶をかぶった俺の腕や顔を拭いてくれた。
やがてせき込む苦しさと熱さからようやく解放された俺は、自分のおかれた状況を確認すべく一旦窓の外を見る。
列車はスピードに乗っているようで、窓から見える景色は現れたかと思えばあっという間に通りすぎていった。
うん。間違い無く列車は町を出発して走っている最中だ。
反対側を振り向いて確認する。
そこには今しがた俺がお世話になったばかりの手ぬぐいを片手に持ち、心配そうに俺を見つめる自称アシスタントがいた。
「な、なななんでここにお前が居るんだよ、ティア! さっき駅で列車から降りたはずだろう!?」
「降りてませんよ? 先ほどはお湯をいただくために厨房へ行っただけですが」
「はあ!? どうすんだよ、もう列車動いちまってるんだぞ?」
「はい、そうですね」
「そうですね、って……。無断乗車じゃねえか!」
「ご心配には及びません。ちゃんとこの通り」
と、懐から列車の乗車券を取り出して俺に見せる。
「きちんとお金を払って乗っていますので」
「お前……、最初から黙ってついてくるつもりだったんだな……?」
にっこりと微笑みながらうなずく銀髪少女。
俺は手のひらを顔に押し当てて空を仰ぐ。もとい車両内だから天井を仰ぐ。
最初から計画通りってことかよ。
なるほど、荷物がやけに多いわけだ。
ティアの分も入っているからあんなに量があったのか。ああ、納得だわ。
「で、お前がいるって事はもちろん――」
「ンー!」
嬉しそうな鳴き声を上げながら、ルイが俺の足に突進してしがみついてきた。
「やっぱりな……」
この場合どうなるんだ?
ティアの乗車料金はわかるが、ルイの場合ペット扱いになるのだろうか?
それとも子供料金でも取られるのだろうか?
幸い懐には余裕があるとはいえ、無断で多額の出費を強いられるというのは気分的に良いものではない。
「ご安心ください。私とルイの乗車券は私の財布から払いました。学都での滞在費と帰りの乗車券も私が責任を持って払いますので、先生にはご迷惑をお掛けしません」
俺の不満が顔に出ていたのだろうか。
機先を制してティアが告げる。
「いや、……まあ。そう言う問題じゃあ……」
思わず口ごもる俺。
「あ、それはそうと、チートイとリンシャンはどうするんだよ?」
我が家の庭で目下放し飼い真っ最中の、球体以上ニワトリ未満の謎生物について言及する。
いくら放し飼いにしているとはいっても、ある程度エサや水を用意してやらないと……。って、あれ?
そういえばあいつら、俺が二週間以上家を留守にしてた時もピンピンしてたよな。
じゃあ、そこまで心配する必要はないのか?
「家の者に毎日様子を見るよう言付けておきましたので、問題はありません」
あー、……さようですか。
さすがティアさん。抜かりはありませんね。
もはや俺は諦めモード突入済みである。
列車が動いてしまった以上、今さら引き返すこともできない。
例え次の駅でティアを無理やり降ろしても、多分勝手に後からくる列車でついてくるんだろう。
もういいや、どーにでもなーれー。
そうして俺は早々にサジを投げる。
人生、開き直った者が勝ちだと母方の爺さんが言っていた。
その分親戚中から適当男という不名誉なレッテルを貼られていたようだが、どうやらレッテルというのは欲しくもないのに遺伝するものらしい。
うん。なんか楽になったわ。
思考停止した俺の前に、護衛のハーレイさんが列車内の下見を終えて戻ってくる。
そして彼は、俺のとなりに座り当たり前のように付き添い人然としたティアを見て、目を丸くするのであった。
2018/01/05 誤字修正 僕の所持品全部です → 私の所持品全部です




