第24羽
暖かい日差しと頬を撫でるそよ風。
辺り一面には青々とした若葉で着飾った草木たち。
澄みきった青空を背負ってゆっくりと流れるのは白いちぎれ雲。
「ほーら、ルイ。こっちですよー」
まるでここは刻のうつろいから取り残された空間だ。
「ンー!」
木々の枝には愛を語らう小鳥たちの唄声。
街並みの中、多くの通りを越えて時計塔から聞こえてくる鐘の音。
「きゃー。捕まるー!」
少し離れた表通りから響く人混みのざわめきすらも、心地よい音色に感じられる。
「ンンー!」
あくせくとした日常から離れ、ただあるがままを受け入れることで、こんなにも安らぎを得られるとは思わなかった。
昨日までの俺は生き急いでいたのかもしれない。
「あらあら! 捕まってしまいましたねー」
「ンッンー!」
「うるせえな! せっかく人がおセンチな気分に浸ってんのに、台無しだよ! こんちくしょー!」
「おやおや。レビさんは怒りんぼさんですねー。近寄っちゃダメですよ、ルイ」
「ンー?」
「ひとん家の庭で遊びほうけておいて、家主に向かって言うセリフがそれかよ!」
「ルイの愛らしさを前にした私にとって、そんな些細なことは正直どうでも良いのです」
空色の髪をツインテールにした女の子が、あるんだかないんだか分からないほど控えめな胸を張って言った。
「ラーラ。お前こんな平日の昼間っからブラブラして、仕事とか大丈夫なのか?」
「まさかレビさんにそんなことを言われる日が来るとは……、明日はゴーヤでも振ってくるのでしょうか?」
ラーラが眉を寄せ、気味悪そうに空を見あげる。
「でもご心配にはおよびません。今日は有給休暇です。何の問題もありません」
「ちなみにお前さんのお仕事が何か、訊ねても良いかね?」
「家事手伝いです」
それってニートの別名だろ? そもそも収入ないじゃん!
「家事手伝いに有給休暇はねえ! というかもとから休日とか関係ないだろうが!」
「失礼ですね! 警備員(担当区域自宅内)みたいなのと一緒にしないでください!」
「大して変わらねえよ!」
「レビさんだけには言われたくありません! 人のことをどうこう言う前に自分の胸に手を当ててみれば良いのです!」
そうくるよな。
うんうん、そうだろう。
今までだったらここで俺はぐうの音も出なくなっていた。
だが今日の俺はひと味もふた味も違うぜ。中辛のカレーと辛口のカレーぐらい違う。
「はっはっは! ラーラよ、残念だったな。今の俺は働くことを免除されたスーパーニート。いや、人呼んで不労所得者! もはや日々の糧を得るためにあくせく働く俺はどこにも存在しないのだ!」
「な、なんですと……!」
「ンー?」
芝居がかった驚愕の表情を見せるラーラと、それを不思議そうに眺めるルイのコンビ。
「考えてもみよ! 俺が平日の真っ昼間から仕事もせずに自宅の庭でぽけーっと寝転がっているのだぞ? ティアが、あのティアがそんな俺に何も言ってこないというこの現実を!」
「た、確かに……!」
「ンー」
「普段だったら、今頃はあの天使のような微笑みに隠された氷のごとき冷たい視線に射抜かれていて当然であるにもかかわらず、今なおこうして俺がエンジョイフリーダムでいられるのはなぜか!?」
「な、なぜですか……?」
「ンー?」
ごくりと息をのんで俺の言葉を待つラーラとルイ。
もったいぶって、間を溜めに溜めた俺が口を開こうとしたその時、背後から聞こえてくる声がその演出をぶち壊しにした。
「先生。人聞きの悪いことをおっしゃらないでください」
「げ! ティア……」
振り向いた俺の眼に映ったのは、エプロンドレスに身を包んだ『自称アシスタント』の銀髪少女だった。
「ずいぶんなご挨拶ですね」
その笑顔は聖女のごとく見る者を魅了し、ヘビに睨まれた蛙のごとく俺を恐怖に陥れる。
「あ……いや、その。これは……だな、ティア」
何か良い弁解はないかと必死に考える俺をよそに、ティアは優しい声で言った。
「好天とはいえ、あまり長い間風にさらされるのはお体にさわります。お茶の準備が整いましたので、そろそろ中へお入りください。ルイもいらっしゃい。おやつにクッキーを焼いたわよ。ラーラさんもご一緒にいかがですか?」
「ぜひぜひ! 私、ティアさんの入れるお茶は大好きです! 行きましょう、ルイ」
「ンー」
そう言って玄関へと向かうティアを先頭に、ラーラとルイが手をつないで後に続く。
思いのほか優しいティアに、いささか戸惑いながら俺も後について行く。
だって嫌な汗かいてのど渇いたもん。
最近ティアが俺に優しい。
確かに今までもラーラのように外部の人間が居る場合は、直接キツイ言葉を浴びせられるということはなかった。
だがそれでも言葉尻は丁寧ながら、確実にデッドポイントを狙ってくるのがあのおそるべき銀髪少女である。
しかしそれを抜きにしても、以前とは明らかに対応が違っている。
ここのところは仕事を催促されることもないし、今日みたいにぼけーっとしていても、きつく当たられることはない。
なぜだと思う?
理由は明白。『俺が仕事をきちんとしたから』である。
詳しく説明するには、この前のダンジョン転移事件がどうなったのか、その顛末から話す必要がある。
あれだ。
娯楽施設のダンジョンで見つけた未公開区画から、転移で外部のダンジョンに飛ばされた例の事件だ。
結論から言うと大騒ぎになった。
運営の管理下にあるダンジョンから転移して、外部のダンジョンへ飛ばされたというのは前例がない事だからだ。
危険な野生のモンスターが蠢くダンジョンから無事に生還した俺達を、マスコミはセンセーショナルに書き立てた。
立体映信――ホログラム形式のテレビみたいなメディア――にはひっぱりだこで、一時期はどのチャンネルにも『奇跡の生還を果たした勇者』として映し出されていた。主にフォルスが。
しかも事態はそれで収まらなかったのだ。
事故の原因を調査する中、別の問題が浮上する。
俺達が最初に休憩をした第五階層にある例の場所。
通路とも部屋とも言えないあの微妙なくぼみだ。
あれ、本来は完全に封鎖されて見ることも触ることも出来ないものだったらしい。
もともと運営側もあの先に未解析区域があることは知っていたようだ。
いずれは調査の手が伸びたのだろうが、現時点では第五階層を拡張する必要もなく、未調査のまま放置されていたとのこと。
当然間違って入場者が立ち入らないよう、そこには隠蔽と封印がされる――はずだった。
ところが、どうもその隠蔽と封印を行う担当者がずさんな処置をしたらしく、中途半端な状態で捨て置かれた。
結果残されたのがあの妙な五メートルほどのくぼみ以上通路未満のスペースということだ。
きちんと処置されていれば、まっすぐな通路になって例の妙なスペースは出来なかったはず、だとさ。
で、再びマスコミが飛びついた。
今度は運営の不祥事として。
実際俺達だってアヤが来てくれなかったら、あのダンジョンで全滅していただろう。
安全安心を謳い文句にした娯楽施設で、下手をすれば四人の死者を出すところだったのだ。
騒ぎになるのも当然だな。
運営母体は厳しい批判にさらされて、当然客足も激減。
それだけじゃなく、国の立ち入り調査が入るわ、安全確認のために一時ダンジョン全域が封鎖されるわで、踏んだり蹴ったりとはあのことだろう。
助かったのは俺達だ。
本来なら未公開区画へ勝手に侵入したわけだから、ペナルティを食らってもおかしくはない。
良くて一ヶ月、へたすれば今後永久に出入り禁止となっても文句は言えない。
だが先に言った通り、ダンジョンの運営側が世論から厳しく糾弾されている事に加え、当の俺達は危険なダンジョンから自力で――実際にはアヤのおかげだが――脱出した時の人として祭り上げられている。
この状況で俺達にペナルティを与えるような度胸はなかったらしい。
俺達が損害賠償や慰謝料の請求を運営に対して行わないことを引き替え条件にして、違反行為によるペナルティと相殺してもらった。
要は示談ですませたって事だな。
え? 話が長い?
悪い悪い。前置きはここまでだ。
でな。せっかくなんで、あの時ダンジョンの中で起こったことを、ドキュメンタリー仕立ての物語にして書いてみたわけよ。俺が。
そしたらこれが結構好評でさ。
『今話題の本』みたいに取り上げられてかなり売れた。
大ヒットと表現するのはちと誇張になってしまうが、スマッシュヒットくらいは言っても良いんじゃないだろうか。
マスコミで騒がれてたのが良い宣伝になったんだろうな。
当然その印税が俺のふところに入ってきたんだわ。がっぽりと。
借りていただけのこの家も、買い取りを申し出たら不動産屋が二つ返事で承諾してくれた。
『いわく付き』ってのを材料に、相当買い叩いたけど。
そんなわけで手持ちの金は大分減ったが、代わりに家賃の支出がなくなった分、資金繰りは相当楽になった。
印税の残りもまだそれなりにあるし。
ティアが俺に優しいのもそれが理由だ。
きちんと本業で結果を出して収入を得たからこそ、俺のアシスタントに徹して余計なことを言わないのだろう。
「なるほど、なるほど。以前読ませてもらったあの本が売れてるんですか」
首の動きに連動してツインテールがふらふらと揺れる。
リビングテーブルでティアの淹れてくれたお茶を飲みながら、俺の説明に納得顔のラーラだった。
もちろんティアが優しい云々のくだりは決して口にしない。口は災いの元だ。
「自分のことが本で書かれてるなんて、なんだか気恥ずかしいですね」
作品を公開する以上、当人達の了解は事前に得てある。
ただ、アヤについては早々にこの町を発っており、本人の了解を得ることが出来なかったので『謎の女剣士』扱いだ。
俺自身は物語の中に登場させていない。
「著者自身が物語に登場するのはいかがなものか?」という俺なりのポリシーがそれを許さなかったからだ。
フォルスには「功績を僕らに譲るつもりかい?」と言われたが、譲るほどの功績も活躍もしてないのだからそれは気の回しすぎというものだろう。
ちなみにアヤが言っていたダンジョンの影響がどうのという話は、本当の事かどうかまだ判断がつかないので物語の中では一切触れなかった。
「ティア、砂糖とってくれるか?」
「はい、先生」
ティアとの仲もいたって良好だ。
金持ちケンカせずとはよく言ったもので、生活に余裕があると小さな事でいちいちピリピリしなくてすむ。
おかげで最近は言い争いも全く無いし、説教を食らうことも皆無だ。
俺が失言さえしなければ、我が家はまこと平和である。
「どうしたルイ?」
見ればルイがじっとこちらを見つめている。
視線の先を追ってみると……、ティアが俺に渡してくれたクッキーの皿。
「欲しいのか、これ?」
「ンンー!」
この食いしん坊め。
そんなキラキラした目で……、しかも上目遣いだと!?
くっ! ものすごい破壊力だ。
見ればラーラの皿はもちろんのこと、ティアの皿まで既にクッキーは消え去っていた。
どうやら彼女たちは早々にあのおねだり目線に屈服していたらしい。俺のクッキーは最後の獲物か。
ま、いいか。クッキーくらい。
「ほれ、食えよ」
そう言って俺はルイの皿へクッキーをのせてやる。
心に余裕があればクッキー程度で動じることもないのだ。はっはっは。
ルイはすぐに目の前のクッキーへ夢中となる。
嬉しそうに食うよなあ。
「そういえば、先生」
「ん?」
ラーラとふたりでルイがクッキーをかじる姿に釘付けとなっていたが、ティアから声をかけられてふと我に返る。
「先ほど共悠出版の方から通信がありましたよ」
「共悠出版ってなんですか?」
「ああ、例の本を出版してくれてる会社だ」
疑問を挟むラーラへ答えた後、ティアへ視線を戻す。
「で? 用件は何だって?」
「それが、先生に直接お話ししたいということで……」
「直接?」
「はい」
どういうことだろう?
今のところ受け渡しするものは何もないし、わざわざ会って話すような用件はないと思うが。
「それで、明日の午後にこちらへいらっしゃるということでした」
「は? 来るの? こっちに?」
「はい。そうです」
ますます分からん。
いくらヒット作を出したとはいえ、俺なんてしょせんは一発屋。
大御所作家でもあるまいし、出版社の人間がわざわざ出向いてくるとなるとよほどのことだろう。
うーむ……、悪い話じゃなければ良いんだが。




