エピローグ的なあれ
フォルスとの戦いから半年ほどが過ぎた。
戦いに先立って世界規模で多発した魔力異常の傷跡はまだ完全に癒えていない。
しかし懸命な対処の甲斐あって、なんとか安定が見えてきたところだ。
アヤやクロ子の助けがあったことも大きい。
俺は今でも人間レバルトとして町に住んでいる。
せっかく大金はたいて買った家だからな。使わないのはもったいないだろ?
記憶を取りもどした今、神が人間の町に暮らすっていうのもどうかと思ったが……。『世を忍ぶ仮の姿』『実はとんでもない大物』っていうのもフィクションでは王道じゃないか。
普段は魔力ゼロの役立たず、しかしてその実態は――!
って感じでちょっとカッコ良いと思ってしまった俺は、日本人の転生前記憶にずいぶん毒されている気がする。
レバルトの持つ記憶の元となったその日本人――俺がレバルトとなっている間、住み処で留守番をしていたあの男――は戦いの後、改めてこの世界で暮らしてみたいと言いだした。
「いやあ、あんたが楽しそうに人間として暮らしてるのを見てさ、なんかああいうのも良いなって。魔力が無くても気の持ちようで面白いことはたくさんありそうだし、ちゃんと元の時間と場所へ戻してくれるんだろ? だったら体験型ゲームみたいな感覚で楽しむのもありかなあと」
日本での名を浜西正広というその少年には、人間として暮らす俺がなんだかんだと人生を堪能しているように見えたらしい。
魔力無しでも構わないからこの世界で暮らしてみたいのだと。
俺としては断る理由もない。
もともとそのつもりで彼を召喚してきたわけだしな。
レバルトとして生きてきた俺の経験がたとえ魔力ゼロでもなんとかなると教えてくれていたし、なにより事例は多い方が良い。
結局正広少年は魔力を持たない平凡な一市民として赤ん坊へ転生する事となった。
赤ん坊の体は元レバルトでもあり、本来正広少年のものだった体を元に作っている。
借り物はきちんと返しておかなきゃな。
もちろん記憶はそのままだし、生まれは平均以上のちょっとだけ裕福な家にしてやった。
しっかりとこの世界を楽しんで欲しいものだ。
……と思ったが、記憶を保持したままということはこの世界の神である俺のことや使徒の存在、世界の知られざる真実なんかも全部知っているってことだよな。
俺の代理で住み処から世界を二十年以上も観察していたんだから。
…………まあ仕方がないか。
悪さするようならその時お灸を据えることにしよう。
ラーラやエンジは相変わらずと言って良い。
戦いの後で装備を回収しようとした時に多少ゴネはしたが、そこはそれ神様の一喝で大人しくさせた。
いや、マジであの装備をそのまま使い続けるのは危なすぎるんだよ。
ダンジョン中核なんか比べものにならないくらい濃密な魔力の塊だからな。
一日二日くらいならともかく、ずっと自宅に置いておいたら確実に問題が発生するだろう。
代わりにエンジへは人間の世界でも時折売りに出されるレベルのちょっと良い双剣を作ってやった。
あれだって市場に出れば百万円くらいする代物だ。
「早々に売るんじゃねえぞ」と釘は刺しておいたが、さてどうなることやら。
ラーラには賢人堂のデザート一年間食べ放題という形で手を打った。
相変わらずチョロいツインテールである。
とはいえ毎日賢人堂まで赴いてケーキ十個とか食ってやがるからな。
……あれ? もしかしてそれが一年続いたらエンジの双剣よりも高くついちまうか?
……うん、気にするのはやめよう。
世界の崩壊に比べれば些細な問題だ、些細な。
ルイは戦いの直後、ずいぶん傷が深くてしばらく寝込んでいたが、近頃はようやく元気に走り回れるようになっている。
「ンー!」
「おっと。ルイ、あんまり走り回ってるとまた爺に怒られるぞ」
まだその体には痛々しい傷が残っているものの、元気は有り余っているようだからまずはひと安心だろう。
ルイと世界はリンクしている。
ルイが元気になったということはそれだけ世界が回復しているということだ。
正直こんな下町のど真ん中に世界の形代が暮らしているというのは問題な気もするが、考えてみれば神や使徒が常にいるこの家は世界で一番安全な場所なのかもしれない。
たとえ俺たちがいなくてもこの家には魔力異常が解消されて元通りになったユキがいる。
少々腕に覚えがある程度ではまず太刀打ちできないはずだ。
パルノも事態が沈静化するのにあわせて元気を取り戻した。
消えていた足も無事元通りになり、今では元気に『出会いの窓』で仕事を探す姿を見かける。
アヤとクロ子、それにローザは今回の件で生まれてしまった世界の歪みや魔力異常を解消してもらうべく、西へ東へと駆けまわってもらっている。
世界がこれだけ短期間に回復しつつあるのも、彼女たちのおかげだ。
もちろん俺自身も奔走しているが、同時にあちこち面倒見なきゃならん今の状況を考えれば、手数が大いに越したことはない。
「神様、クローディットよりメッセージが届いております」
ソファーに腰掛けて膝の上へルイを乗せ、紅茶の香りを楽しんでいた俺に年老いた男が声をかけてくる。
白髪をキッチリと整え、細長い体をスーツに包み、一分の隙もない着こなしで直立しているのは俺が最初の頃に生み出した使徒のひとりだ。
俺が不在の間、住み処の管理と浜西正広の世話、同時に監視を続けてくれた頼りになる男である。
戦いにおいてはまったくの無力だが、戦闘型の使徒とはまた違った強さを持っている上、事務処理能力や管理能力は使徒の中でも随一だ。
半年前、記憶を取り戻した俺が住み処に戻るつもりのないことを知ると、さも当然とばかりに俺の家へ居座り始めた。
まあ別に良いけどな。
もう監視対象となる少年もいないんだし。
住み処の方は最低限の維持だけしておけば問題ないだろう。
力を取り戻した今の俺ならこの家からでも世界中を見渡せる。
「読んでくれ、爺」
「はい。それでは……」
俺が爺と呼んだ使徒は、自らの端末を操作するとクロ子からのメッセージを音読し始める。
別に直接俺の端末へ連絡してくれれば良かったのにな。
「『――というわけで、学都で発生していた歪みの修整は二日ほどで完了しました。ついでに偽りの世界の残党もちょろっとつぶしておいたので、月明かりに後始末をさせておきます』とのことです」
「そうか」
学都で発生していた歪みはそれほど大きなものではなかったみたいだ。
まあ、もともと致命的な歪みはフォルスとの戦いからすぐに俺が改修して回ったから、現状新しく発生する歪みなんて大したことないだろうが。
それにしても未だに『偽りの世界』の残党がいたのか。
てっきりあの時葬ったので全てだと思ってたんだが……。
まだまだ残っていそうだな。一応みんなに注意を促しておくか。
「それと続きが」
「ん? まだメッセージがあるのか?」
「はい。『追伸 お父様が切れました。お父様が足りません。致命的です。エマージェンシーです! 月明かりは良いとしても、どうしてアヤたんや私だけこんなに休み無く飛び回らなきゃいけないんですか! ティアたんはひとりお父様のすぐそばで暮らしているというのに! 私の方が先輩なんですよ!? 先輩の私がこれだけ休み無く働いてるんですからティアたんも世界中飛び回って働くべきです! むしろ私の部下としてサポートするべきです! 納得できない納得できない納得できなーい! じいたんはティアたんを甘やかしすぎです! マイナス八ポイントです! 即刻待遇の改善を求めます! あとおやつの予算増加も求めます! あ、追伸のところはお父様に内緒でお願いしますよ!』――――以上です」
「え、あ……うん」
何言ってんだクロ子は?
追伸の内容を見られたくなかったから直接俺にメッセージ送ってこなかったのか。
それにしても、内緒だって言ってんのに完全無視で全部俺に報告するとか……。
容赦ねえな、爺……。
とはいえクロ子の訴えもわからんではない。
この半年ずっと休み無く働いてもらってる手前、俺も強く言うのははばかられる。
使徒の労働環境がブラックとかちょっと洒落にならんよな。
「ずいぶんクロ子もストレスが溜まってるみたいだな。ちょっとこき使いすぎたか。状況もずいぶん落ち着いてきたし、この辺で一度まとまった休みを与えるべきかな?」
「お気になさる必要はございません。あれがわがままや癇癪を起こすのはいつものことです。いちいち相手にするだけ無駄でしょう。泣き言を口にしている間は大丈夫です。もう二、三箇所ほど巡回地を追加しておきましょう」
相変わらずスパルタだなあ。
「あの……、私なら構いませんけど」
そこへキッチンからやって来たのはエプロンドレスを身にまとった自称俺のアシスタント。
今となっては使徒の一角を担うティアだ。
「アヤさんとクローディットさんだけに負担を押しつけて、私だけがここで安穏としているのは申し訳がないですし……。まだ使徒としては新米ですが、腕にはそれなりに自信があります。多少はおふたりの負担を軽減出来るのではないかと」
それなりどころかティアの戦闘能力はあのふたりをすでに凌駕している。
もともと人であった時もアヤと渡り合えるほどの天然チート娘だったのだ。
使徒となり神力の扱いを覚えた今、ティアに勝てる存在など俺を含めても数えるほどしかいないだろう。
「確かに純粋な戦闘能力だけでいうならば、あなたは我々の中でも随一です。ですが使徒になったばかりの若鳥を酷使するつもりなど、少なくとも私にはありませんよ。それについ先日まで人間の身であったあなたには、まだ人としての暮らしもあるのですから」
クロ子に対しては辛辣な爺もティアに対するあたりは柔らかい。
爺にしてみれば新しく生まれたばかりの孫みたいなもんだろうからな。甘くなるのも仕方がないだろう。
「ですが私だけ人としての暮らしを残したままというのは……」
使徒となったティアだが、だからといって人間としての生活や家族との絆をすぐに切り捨てろなどとはとても言えない。
突然人間の世界から姿を消せば周囲への影響は大きいだろうし、悲しむ人もいるだろう。
その結果、妥協案として考えたのが当面の間は人間と使徒、二足のわらじで暮らしていくというもの。
人としての人生を終えた後はひとりの使徒として俺のそばへ仕えてもらうことになるが、それまでは使徒であることを内密にし、ティアにはこれまで通り人として暮らしてもらうことにした。
だから今もティアは家族と同じ屋敷で寝起きし、通い妻よろしく俺の家へ毎日やって来ては家事をしている。
俺も一応レバルトという人間の暮らしは維持していた。
俺の方はほとんど趣味みたいなものだが、やはりいまだ存命の両親やニナ、クレスとの繋がりを一方的に断ち切るのも寂しい気がしたからだ。
ティアには人としての幸せをしっかりと享受した上で、心置きなく使徒になって欲しい。
「どうせ使徒としてこの先気が遠くなるほど長い時間を過ごすんだ。今はティアルトリス・ラトア・フォルテイムという人間としての時間を大事にしてくれ。家族や知人が生きている間は、人としての自分を優先して生きれば良いさ」
「……良いのでしょうか?」
「構わねえよ。人としての生を味わえるのは今だけなんだ。生き急がなくても良いから、今をしっかり楽しんでおけ。それにまったく何もしていないってわけじゃないんだ。今日だって歪みの修整に行くんだろう?」
「はい。秋都に小さな歪みがあるそうなので」
そう。ティアも人としての暮らしへ影響がない範囲で世界の修復に協力してもらっている。
決して何もせず安穏と暮らしているわけではないのだ。
もちろん当面は顔を明かすわけにはいかないので、正体を隠すために仮面をつけ、髪型もポニーテールに変えている。
ちなみにポニーテールは俺の趣味。
「今はそうやって手伝ってくれるだけでも十分だ。俺も今日は他の場所へ行かなきゃならんからな。ティアがいてくれるおかげでずいぶん助かってる」
「先生がそうおっしゃってくださるなら……」
まだ少し納得していない感はあるが、今はそれで良い。
使徒になったばかりのティアがそこまで気にしたり、責任を感じる必要なんて無いんだ。
そもそも責任者は俺の方なんだから。
「そろそろ出かけるのか?」
「はい。夕食までには帰ってきます」
相手がティアでなければ「何言ってんのコイツ?」と思うところだ。
秋都までの距離は普通なら半日で往復できるほど近くはない。
さらりと口にする言葉の節々からティアのチートっぷりがうかがえる。
ちなみに顔を隠したティアはいつの間にか方々で【白氷銀華】と呼ばれるようになっていた。
かつてティアがこの町でそう呼ばれていたことを思い出し、「正体がバレる前に他の名前を考えた方が良いんじゃないのか?」と問いかけた俺に対して、ティアは首を振った。
『私、この名前気に入ってるんです。特に花言葉が』
景色が白一色に染まる中でひっそりと、しかし気高く咲き誇る雪中花――白氷銀華。
その花言葉は【気高さ】【自主性】【不屈】【わがまま】、そして最後のひとつは【貫き通す愛】。
それを俺に教えてくれた時に見せたティアの笑顔は、それはもう顔を背けたくなるくらい愛らしかった。
「先生、準備が整いました」
やがて白氷銀華としての装束を身にまとったティアが現れた。
「ああ、悪いが秋都の方は頼むな」
見送りに出るため、ソファーから立ち上がってティアに近付く。
「はい。お任せください」
しかしティアはそう返事をしたまま動こうとしない。
「……」
「……」
何かを目で訴えるティアに問いかける。
「どうした?」
「今日は……行ってらっしゃいのキスは無しですか?」
「お、おぉ?」
あの戦い前後で変わったことはいくつもある。
その中のひとつが俺に対するティアの態度だ。
どうやらフォルスに刺されてから俺がティアを使徒にするまでの間、彼女には意識があったらしい。
思い返してみれば『惚れた女』とか口走ってた気がするんだよな。
アヤやラーラたちもバッチリ聞いてたもんだから、あの後ずいぶん冷やかされた。
あとティアが人質に取られてる時、フォルスに向かって『世界で一番大事な女』宣言したような気もする。
あれってほとんど告白じゃねえか。勢いってホント怖い。
それまでは俺の気持ちがわからなかったため、心に秘めたままにしていたティアの好意は俺のキスをきっかけにして抑えが利かなくなりあふれ出したらしい。
あれ以降、ティアが俺にグイグイと迫るようになってきた。
これまでもティアの好意は感じていたが、それがもうあからさまなアプローチに変化する。
気が付けばルイと一緒に俺のそばへくっついて座るようになったし、神力の補充を建前にキスをねだってくることもしばしば。
神力の補充は使徒の口を介する必要があるとはいうものの、別にキスをしなきゃならんってわけじゃない。
実際、アヤは俺の手から、クロ子は俺の手を介した食べ物から神力を補充している。
だから他の方法に変更する事も出来ると言ったのだが、それはティア本人に拒否されている。
元はと言えば、意識のないティアへキスをして神力を注ぎ込んだのは他ならぬ俺自身だ。
そのことについては俺も後ろめたさがあるので、この件で強気に出ることも出来ないでいた。
「いや、あー。キスしてもしなくても仕事には支障ないだろう?」
「じゃあ神力が不足しています。このままでは秋都できちんとした働きが出来ないかもしれません。ですから神力の補充をお願いします」
おいコラ、『じゃあ』とか取って付けたように言ってんじゃねえか。
建前を口にする時はもうちょっと本音を包み隠す努力をするもんだぞ。
……仕方ないか。
俺だってこんな美人を相手にして嬉しくないとは言わん。むしろ役得だ。
だけどなあ……。
状況や立場を利用して手込めにしちまったみたいな後ろめたさがぬぐいきれないんだよなあ。
なんだかバイトの女子高生に手を出してそのまま結婚しちまった店長みたいな気持ちである。
「では私は書類仕事が残っておりますので失礼します。ルイ、こっちに来なさい」
気を利かせた爺がルイを連れて部屋を出て行く。
ティアがさあ、とばかりに目を閉じる。
俺はため息を吐きかけてそれを飲み込む。
さすがにそれは失礼すぎるだろう。
覚悟を決めてティアの肩へ手を置き、顔を近づけるとその柔らかく小さな唇を優しく奪った。
同時に神力を注ぎ込む。これをやらないとただのイチャつきだからな。
わずか三秒足らずの至福の時間。
神力の補充が終わると、ティアは俺の胸に顔をうずめてギュッと抱きしめてくる。
ドラゴンを軽くあしらうチートには見えない細い身体を、抱きしめ返して俺はいつものセリフを口にした。
「気をつけてな。危険を感じたらすぐに戻って来いよ」
「お任せください。先生の使徒として恥ずかしくない働きをして来ます」
うん。
俺の心配がまったくもって届いていないということだけはわかった。
「では行って参ります!」
結局いつもの儀式みたいになった一連のやり取りを終えた後、ティアは満面の笑みを見せながら秋都へと出発していった。
部屋に取り残されたのは俺ひとり。
爺は二階の書斎で仕事をしているだろうし、ルイはたぶんその横でお菓子でも食べているんじゃないだろうか。
庭へ目をやれば日当たりの良い場所に寝そべったユキの姿が見えた。
以前はそこへ二羽の奇妙な居候が居たものだ。しかし今となってはこの庭に人をおちょくったような、あのふざけた体型のニワトリはもういない。
少し寂しい感じもするな。
だがたとえ家の庭からニワトリがいなくなったとしても、神の庭にはたくさんの生き物が今もなお次代へ命をつなごうと懸命に生きている。
たくましく、強かで、活力に満ちた大勢の人間が、それ以上に数多の生き物が。
これまでも、これからも。
今となっては一羽のニワトリしかいない庭。
だけど俺自身が実験台になって暮らした結果、魔力が無くても生物は生きていけることが立証された。
二十年以上何も起こらなかったのだから、おそらく問題はないだろう。
もちろん追試は必要だろうが、ある意味では正広少年がその役目に名乗り出てくれたようなものだ。
彼が魔力ゼロの体で一生を終えるまで長くても百年ほどか。
あわせて世界各地へ同じように魔力ゼロの体にした動植物を配置している。
今のところ何のトラブルも起こっていない。
後は数百年かけて生殖能力や次世代への影響を確認していこう。
その上で問題がなければ、さらに数百年かけて少しずつ魔力を減らしていけば良い。
いずれもう一羽が帰ってくるまでには全て終わらせてやるさ。
この庭には数え切れない生命と無数の可能性が満ちあふれている。
だからなフォルス。
楽しみにしてろよ。お前が目覚めるまでに、滅ぼすのがもったいないくらい面白くて驚きに満ちた世界を作り上げておいてやる。
―――― 完 ――――