第119羽
「ほほう、まさか街中でネコを間近に見ることができるとは思わなんだ! これは興味深い!」
迎える準備などまったく整っていなかった我が家へ、学者然としたダンディな爺さんがやって来たのはつい先ほどのこと。
リビングへ入るなり、ソファーの上で丸くなったユキに目を丸くしたトレスト翁は、すぐに我を取りもどすと好奇心をその瞳にありありと浮かべた。
ネコに対する恐怖心などみじんもないのか、ユキの白い毛なみを両手で堪能しながら見せる表情はスマイル全開である。
一方のユキは全身を撫でまくられて少々うっとうしそうな感じだ。さっきから尻尾がトレスト翁の顔をペシペシと叩いている。
頼むから大人しくしておいてくれよ、ユキ。
「おお、ルイも息災か。ほれほれ、こっちに来い。アメ食べるか? それともチョコレートの方が良いか?」
ひとしきりユキをモフると、トレスト翁はルイを招き寄せてカバンから大量のお菓子を取り出した。
どっからどう見ても、単に孫を甘やかすお祖父ちゃんだ。
「ンー!」
お菓子に釣られてルイがトレスト翁へ近寄っていく。
こっちはこっちで大概チョロかった。
「申し訳ありません、おじ様。本当はもっとちゃんとしたおもてなしがしたかったのですが……」
かしこまりながらティアがお茶を差し出す。
「良い良い。聞けば手紙が届いたのは今日だと言うではないか。留守でなかったのだからそれで十分だ」
トレスト翁からの手紙がついさっき届いたばかりだということは、すでに説明してある。
「手紙の遅延はティアルトリスたちが悪いわけではあるまい。まあ、今回の遅延はちとひどすぎるがな。郵便屋の区域長には、本部長を通してわしの方からも苦情を出しておこう」
あ、いえ。そんな大事にしなくても良いんですけどね。もうすでに配達部長と担当者が謝罪に来ているんで……。あと、何気に本部長が知り合いっぽい言い方してますけど、気のせいですかね?
「しかし、ゴブリンだけでなくネコまでを手なずけてしまうとは……。レバルト君は何かテイマー的な才能でもあるのかね?」
「さ、さあ? 昔から動物には好かれる方ですけど……」
「ゴブリンにネコだぞ? 国立研究所にもいないような存在がこの家にはふたつもいるのだ、動物に好かれるといったレベルのものではないぞ?」
口にするのはもっともらしい話だが、ダンディ様の顔からは「うらやましい」という本音が副音声で聞こえてくるようだった。
「しまったな……、こんな事ならもっと滞在期間を増やしておくべきであった。日程をずらすわけにもいかんし、来週学都で開かれるパーティは欠席できぬし――」
ボソボソと独り言をつぶやきながらも、その手はルイとユキを撫でるのに忙しそうだ。
この人、ある意味ラーラと同類なんじゃなかろうか?
「それはそうと、レバルト君」
「なんでしょう?」
「庭にいるアレは何かね?」
「庭……というと、チートイとリンシャンですか?」
ルイとユキがこの場にいる以上、庭に残っているのはチートイとリンシャンしかいない。
「アレは鳥……なのかね?」
「さあ?」
改めて問われても、俺も明確な答えを持っていないのだ。
「あの丸々と太った身体はなんだ? わしも生物に関してはそれなりの知識を持っておるという自負があるのだが、あのような生き物は見たことも聞いたこともない」
ルイを初見でゴブリンと見抜いたダンディ様をしても、チートイとリンシャンは正体がわからないらしい。
「あいつらの事は俺もよくわからないんです。普段は大人しいですし、放し飼いにしてても逃げたりしませんし。玉子を生んでくれるからこれ幸いと飼ってるんですが、あいつらが何者かと言われると……」
俺が首をひねると、ダンディ様の瞳が鋭く輝きを放った――ようにみえた。
「ふむ……。飼い主ですらその正体がわからぬ鳥のような丸い何か、か。それは大変興味深い!」
ダンディ様はスクリと立ち上がり、ティアを呼びつけて矢継ぎ早に指示を出しはじめた。
「ティアルトリス! 塩と酒を持って参れ! 酒は無色透明のヤツだぞ! あとは底の浅い皿を三枚と、白紙を一枚だ! わしは先に行っておる! 準備が整ったらもってこい! さあレバルト君、行くぞ!」
「え? 行くってどこへ?」
「真実を探求するために、謎の埋もれた地へ赴くのだ!」
意味不明な答えを返して、ダンディ様はスタスタとリビングを出て行った。
残された俺はポカーンである。
《大家さん。あのお爺さん、庭に出るみたいですよ》
ピロリンという着信に続いて、俺の端末へローザからのメッセージが入る。
「庭? 謎の埋もれた地って、庭のことかよ」
ご大層な言い方するから、どこへ行くのかと思ったよ。
「先生、おじ様に付いていてください。ああなったおじ様は、まわりのことが目に入らなくなって危険ですから」
そういえば、学都でダンディ様の屋敷へ行く前にもそんな話をされたな。
「わかった。ティアは?」
「私も準備ができ次第、すぐに追いかけます」
ダンディ様から指示された物を、準備する時間が必要らしい。
「ローザ。お前は絶対姿を見せるなよ」
《どうしてですか?》
「どうしてって……、どう考えても面倒な展開にしかならんだろうが」
《そうですかね?》
そうですかねも何も、正体不明という意味ではお前もチートイやリンシャンにひけを取らないだろうが。
《でも月明かりの一族ですよ?》
「だから何度も言うけど、月明かりの一族って何だよ!?」
「先生、早く!」
ティアにうながされた俺はローザへの追求を一時中断し、ルイを連れてダンディ様を追いかける。
納得しがたいモヤモヤを抱えたまま外へ出てみると、庭の真ん中でダンディ様が屈んでいた。
その目が捕らえているのは、日当たりの良い場所に仲良く並んで日光浴をしているチートイとリンシャン。ダンディ様の食い入るような視線を向けられても微動だにしていない。相変わらずわけのわからない生物であった。
「ほほう。人を怖がらぬ。いや、慣れておるだけか? しかし初対面の人間に対して、まったくの無反応とはどういうことだ?」
リンシャンと見つめ合いながら、ダンディ様がブツブツとつぶやいていた。
なんだこれ? 街中で見知らぬ人間が同じ事をしていたら、間違いなくお近づきにはなりたくない光景だ。
だがここは我が家の庭。そしてブツブツと言っているのは我が家の客人だ。放っておくわけにもいかないだろう。
「トレスト翁?」
何度か呼びかけてみるものの、全くこちらに気づいた様子がない。
あ、ダメだ。これまわりの音が一切耳に入ってないわ。
とりあえず危険はなさそうなので、ティアが来るまで様子を見ながら待機していた。
「お待たせしました」
準備を終えたティアがやって来るまでほんの数分だったが、その間ずっとダンディ様は二羽を前にしてひとりで何やら考え込んでいた。
ティアが持ってきた折りたたみ式ミニテーブルを設営し、その上にダンディ様から指示された品を並べ終わっても、学者風のお爺さんはしゃがみ込んだままだった。
「おじ様、言われた物の準備が整いましたよ」
ティアに肩をたたかれて、ようやくダンディ様がこちらに意識を向けてくる。
「おお、さすがティアルトリス。手際が良いな!」
テーブルの上に並べられた物をひとしきり眺めて満足そうにうなずくと、ダンディ様は懐から青い液体の入ったペットボトルを取り出した。
三つ並べた皿にそれぞれ酒を満たし、少量の塩を溶かし入れる。次いでペットボトルから青い液体をそれぞれの器へ、一滴、二滴、三滴と量を変えて落とした。
「よし、これで後は――」
ダンディ様は白い紙をテーブルの上に置き、それを押さえるようにして三つの皿を乗せる。
「なんですか、それ?」
「これはな。その生物が持つ魔力や生命力を可視化する技法のひとつだ」
ダンディ様が俺の問いに答える。
「この状態で紙の上に対象の一部を乗せることで魔力鑑定液――」
この青いヤツだが、とダンディ様が青い液体のペットボトルを掲げる。
「こいつの色が白い紙へと映っていくのだ。魔力や生命力が強ければそれだけ濃く、そしてその模様の形や大きさで対象の性質もある程度判別できる。模様は種族ごとに特徴があってな、人間の場合は大体が丸みを帯びた三角形に近い形となるし、鳥の場合は長細い十字型になる。確実に分析しようとすれば多くのサンプルが必要だが、どの種別により近いかという参考程度にはなるだろう」
へえ、そんな方法があるのか……。
「対象の一部を乗せるっていうのは? 手でも乗せるんですか?」
「人間ならそれで良いが、動物の場合はそうもいくまい。大人しく言うことを聞いてくれるわけではないからな。なあに、身体の一部であれば髪の毛でも羽毛でもなんでも良い」
にこやかな顔で老紳士が説明する。
「ということで、そこの二羽? 二匹からちょいと羽をもらってくれぬか? わしよりも飼い主であるレバルト君の方が適任だろう」
「わかりました。おい、リンシャン。すまんがちょっと羽を一本もらえるか?」
断りを入れながらそっと手を差し出すと、突然リンシャンがバサバサと羽ばたきはじめた。
「うわっ! ちょ、待てって! 無理やり抜いたりしねえから、暴れんな!」
突然のことに両手で顔を庇った俺の周囲を、ひらひらと白い物体が舞い落ちる。リンシャンの羽だ。
「えーと、これは……。抜く手間が省けたってことか?」
よくわからないが、目的の物は手に入ったのだ。良しとしよう。
「まるで人間の言葉を理解しておるようにも見えるが……」
興味深そうな表情でダンディ様が羽をひとつ拾い上げ、紙の上に乗せると何やら唱えはじめた。
「我が智と業を以てあまねく天の理へと慎み申し上げる。現身となりて真の姿を映し給え」
魔法――じゃないみたいだけど。何だろ?
ダンディ様の声に反応したのか、テーブルの上に置いた紙へ変化が現れはじめる。
真っ白だった一枚の紙が、少しずつ青く染まっていく。それに反して三つの器に入っていた液体が色を薄めていった。
「ほう、強いな」
ダンディ様が思わず、といった感じでつぶやいた。
ルイを含めて四人の視線を集める中、紙はどんどん青く染まっていく。ダンディ様の話だと模様が現れるという事だったけど……。模様どころか紙全体が青くなっているんだが。良いのか、これ?
紙の染まる速度は留まるところを知らない。
やがて器の中に満たされた青い液体は、三皿とも無色透明に変わり果て、その一方で紙は白い部分がどこにも見当たらない真っ青な紙に変化していた。真っ青と言うより、青が濃すぎて黒に近い色になってしまっている。
「なんだこれは?」
これが何を示すのか、それを唯一知るであろうダンディ様の口からは、予想外の言葉が飛び出した。