第109羽
エンジ曰く「おっぱいでっかい美人さん」のローザから投げつけられた「このヘタレ野郎」というありがたいお言葉。
さっきから文句を言ってやろうとローザを呼び出しているのだが、俺の端末は通常の省魔力モード表示から一向に変わる気配がない。
ローザのやつ、無視を決め込みやがった。
「レビさんレビさん。さっきからひとりで何を騒いでいるのです?」
何事か、とラーラがやって来た。
「何をって……。ローザのヤツ、言うに事欠いて『このヘタレ野郎』とかぬかしやがったんだよ」
「それについては全面的に同意ですが……」
お前まで言うか。
「まったく、誰のおかげで新しい依り代を見つけられたと思っているんだ、あいつは? 家主に向かって暴言吐くやつなんぞ、さっさと追い出しちまおうか」
「どうやってですか?」
「どうやってって、そりゃあ、……………………どうやって?」
「私に訊ねられても困ります」
ラーラの言葉で冷静になって考えてみると、ローザを端末から追い出すとか言ったところでその方法がわからない。そもそもどうやって取り憑いているのかわからないのに、対処方法なんて想像もつかないよな。
あれ? もしかして俺の方からローザを追い出したりってできないの? まさか俺って一方的に利用されている?
「今さら気がついたのですか?」
ラーラがため息をはき、「だから、ティアさんもあれだけ強く反対したんでしょうに」と、あきれた口調で言う。
むう……、確かに俺はこういう事態を予測していなかったのだから、考えが足りないと言われても仕方がない。逆に言えばあの時ティアはそこまで考えてくれていたのか。まったく、あのアシスタントには頭が上がらんわ。
とりあえず、今すぐにというわけじゃないが、そのうちローザを端末から追い出す方法も考えておいた方が良さそうだ。ま、いざとなったら端末ぶっ壊せば依り代自体が無くなるんだから問題は解決するか。ちょっと出費が痛いが、その後で新しい端末買えば良い話だし。
よく考えてみれば、暴言のひとつやふたつでいちいち目くじらたてるのも大人げない。そもそもそんな事を言っていたら、目の前にいる空色ツインテールなんぞ毎日が暴言のオンパレードである。最近はパルノですらずいぶんな口をきくようになってきたしな。
「まあ、浅はかなレビさんの反省はさておいて」
息を吐くように暴言で切り出すラーラ。
「今日はモフモフちゃんの散歩日ではありませんか?」
今のところ子ネコはうちで保護ということにしているが、いずれは野生に帰すことを考えている。そのため、週に二回ほどは近くの森で散歩をさせているのだ。同時に町の人々へ子ネコの姿を見せて、その存在になれてもらうという意図もある。
で、今日はその散歩日というわけだ。
口調こそ確認の形を取っているが、ラーラが子ネコの散歩日を忘れるはずもない。今日も同行する気満々でレバルト邸へ遊びに来ているのは明らかだろう。
欲望まっしぐらなツインテールに催促された俺は、ルイを連れて子ネコの散歩へと出発する。
当然ながらラーラもいっしょである。というかむしろ一番張り切っているのはラーラだ。
子ネコを保護して早二週間。出会った頃は体長五十センチくらいだったのに、早くも倍近い一メートル弱にまで成長している。正直成長が早すぎるんじゃないかと思う。もっとも、地球の家猫と比べること自体が間違っているのかもしれないが……。
うちで子ネコを飼っているというのはそれなりに知られているはずだけど、やはりまだ日常生活の中でなじむには時間がかかりそうだ。
通りを歩くと「ひぃぃ!」「きゃああ!」などと悲鳴が連鎖し、かき分けずとも人並みが真っ二つに分かれて道ができる。モーゼさんもビックリである。
毎回毎回なんとかならんのだろうか、この反応。首輪つけているんだから、飼い猫だっていうことは見ればわかるはずなんだがなあ。
「ふん、ふん、ふーん♪」
「ンー、ンー、ンーン♪」
周りの様子などお構いなしに鼻歌を奏でながら歩く同行者ふたり、ラーラとルイである。その図太い神経にあきれながら町の外へと進んでいると、唐突に俺たちへ声がかけられた。
「ちょっと待て、そこのお前たち!」
後方から複数の男達に呼び止められる。立ち止まって振り向くと、そこにいたのは統一された制服に身を包み、腰に剣を提げた警邏隊。ヒゲを生やしたおっさんと、若い隊員の二人組だった。
またかよ……。
「お前たち、どこへ行く?」
「外壁の向こう、近くの森に行くつもりです。目的はこいつの散歩です」
そう言って俺は子ネコを指差し、息をつく間もなく言葉を続ける。
「俺の名前はレバルト。職業はライター。今日は休業日なので飼いネコの散歩をするために町の外へ移動中しているところです。こいつは役所へ正式に届け出をしている子ネコで、登録番号は六八四一〇七〇五。俺の職場は住居と同一で、住所は――」
訊かれる前に必要な情報を一方的に伝える。
「お、おう。ちょ、ちょっと待て」
「どうせ登録番号の照会もするんでしょう? 時間かかるんだからさっさとやってくれませんかねえ? 俺の個人端末番号は九〇一八四四六九〇四八。これ、登録証明書と特別飼育許可証。はいどうぞ」
俺は自分の個人端末番号を伝え、役所から発行されている子ネコがらみの証明書と許可証を警邏隊員の前で広げて見せる。
警邏隊に呼び止められるのは今回が初めてではない。というか、子ネコを連れて歩くとほぼ毎回呼び止められている。ひどいときには行きで二回、帰りに三回で合計五回も職務質問を受けたことがあるのだ。
やはりというか当然というか、子ネコというのは非常によく目立つのだろう。事情を知らない住民が怖がって警邏隊に通報することもあれば、単純にパトロール中の警邏隊に見つかることもある。
最初のうちこそ俺もとまどっていたが、今ではもう慣れたものだ。何を訊かれるかは分かっているので、訊かれる前に必要な内容はこちらからさっさと言うことにした。いちいち探りを入れながら質問されると、足止めされる無駄な時間がそれだけ延びてしまうからな。
「うむ。今から登録番号を照会するからしばし待て」
銀と水色のオッドアイに若干の狼狽を見せながら、警邏隊のおっさんは俺の個人情報と子ネコの登録情報を役所に照会し始めた。
これが結構時間かかるんだよ。その間十分くらいは往来のど真ん中で見世物状態だからな。とはいえ反抗したりゴネたりしたところで気疲れが増すばかりだ。さすがの俺もそれくらいは学習する。まあ、確かに最初に職務質問を受けたときはかなりイラついたし、子ネコの登録証明書や特別飼育許可証を持ち歩いていなかったからたっぷり足止め喰らっちまったけどな。
「いい加減にしてほしいものです」
ラーラの機嫌がみるみるうちに悪くなっていくのを感じながらしばらく待つ。
「登録が確認できた。ちなみにリードはちゃんとつけているよな?」
役所への照会が終わり、オッドアイのおっさんが俺に訊ねてくる。
「ああ、魔法具『不可視の檻』を使っているから大丈夫ですよ」
不可視の檻は子ネコの首輪と連動し、魔法具の持ち主から一定距離内に移動を制限するものだ。距離は自由に設定できるため、伸び縮み可能なリード代わりとして使うことができる。
もちろんお値段も相当なシロモノだ。本来なら俺の手が届く魔法具ではないので、ティアの実家で眠っていたものを一時的に借りている。なんでも二百年前くらいのご先祖様がグリフォンを飼っていたときに使っていたものらしい。ネコどころじゃない最上級モンスターの名前が出てきて、乾いた笑いを浮かべるしかなかった俺を誰に責めることができようか? ――とんでもねえな、ティアのご先祖様。
子ネコは今のところ人間に害を及ぼしそうな気配もない。『不可視の檻』を使うことにラーラはかなり強く反対したのだが、町中で連れて歩く以上は放し飼いというわけにもいかないだろう。特別飼育許可を受ける際にもそのあたりはしっかりと釘を刺されているからな。
「よし、行って良いぞ」
なんだかんだと十分ほど足止めを喰らい、機嫌が急降下したラーラを連れて、俺は外壁門を抜ける。当然ながら門を通過する際にもあれやこれやと面倒な確認手続きがあるのは言うまでもないだろう。
「まったく、毎回毎回しつこいのです!」
頬をふくらませてご立腹な空色ツインテール様をなだめつつ、町からほど近い森へと移動する。
町の近くにあるこの森は憩いの場として活用されている自然公園だ。森の浅いところにはキャンプ場やアスレチック場があり、広く一般市民にも利用されている。
昔は危険な肉食獣も棲みついていたらしいが、今は定期的に駆除が行われており大型の動物はほとんどいない。ただ、森の奥まで行くと危険が伴うとのことで、身を守る術がない人間は深部への立ち入りが非推奨となっている。
俺たちの場合、人目が多いところでは子ネコに好き勝手させるわけにもいかないため、自然と森の奥で散歩をすることになる。
例え何らかの危険があったとしても、一応ラーラは人並みの戦闘力があるし、子供とはいえ野生の子ネコがいるのだ。俺とルイが戦えなくてもおつりが来るだろう。
そもそもこの森に出てくる動物なんて小鳥や手のひらサイズの小動物だけだからな。グレイウルフのように危険な動物がいるわけじゃない。
「さて、ここまで来れば人目もないだろ」
俺はラーラに『不可視の檻』をあずけると、木陰にシートを敷き木を背もたれにして座る。
「んじゃ、頼むな」
「お任せください。ささ、ルイ、モフモフちゃん。行きましょう! 今日の収穫目標はビニール袋ふたつですよ!」
「ンー!」
「にゃあ!」
俺には『不可視の檻』の距離制限を調整できないので、森にたどり着いてからは子ネコの面倒をラーラへ一任している。子ネコが思いっきり走り回るには俺の足が追いつかないし、いざというとき制限距離を縮めることも出来ない。その点、ラーラなら魔法で高速移動もできるし、『不可視の檻』で制限距離を調整する事もできるだろう。
まさに適材適所である。――決して子ネコについて回るのが面倒とか、俺が昼寝を楽しみたいとかいう理由ではない。
ちなみにこのあたりまで来るとあまり人が立ち入らなくなるため、薬草など自然の恵みが手付かずで手に入ることが多い。「せっかくですから」と、ラーラは散歩ついでに薬草や果実を採取するのが常となっている。
ときおり俺もそれに付き合うことはあるが、今日はあまり気が乗らない。涼しい環境でゆっくりと眠りたい気分だ。
夏の強い日差しがさえぎられた森の中は、真夏とは思えないほど涼しい。少々湿り気があるのは難点だが、まどろむには絶好の場所である。
きゃっきゃ、にゃーにゃ、ンーンと楽しそうな三種族の歓声をバックミュージックにして、俺はまどろみ始める。やがて木の葉を風が揺らす音を子守唄に、気持ち良く意識を眠りの海へと沈めていった。
どれくらいの時間が経過したのだろうか。
ふと複数の足音が近寄ってくるのを感じ、俺は目を覚ます。
眠気まなこをこすりつつ俺が足音のする方を見ると、ラーラたちが戻ってくるところだった。
「ふあぁぁあ、もう帰る時間か?」
あくび混じりに訊ねながら、体を起こす。
「レビさんレビさん。いくら『眠りは第二の母』と言っても、今さら幼児プレイでもあるまいし、ぐうたら寝てばかりいると脳が溶けますよ?」
歩み寄ってきたラーラが淡々と毒を吐く。
「んー? 今何時だ?」
硬くなった体を伸ばしながら訊ねた俺の目に、近付いてきたラーラたちの姿が映る。
ツインテールを揺らしながら歩くラーラ。跳ねるように駆け寄ってくるルイ。悠然と四肢を動かして近寄ってくる子ネコ。子ネコの背で眠る小さな女の子。
………………あれ?
なんか増えとる。
「ほら、こんなにたくさん拾ってきました!」
「ンー!」
誇らしげにラーラとルイがビニール袋を掲げる。透明な袋の中には小さな果実や薬草類がぎっしりと詰まっていた。
俺はふたつの袋へ順に視線を向け、その後で子ネコの背に視線を戻す。
なんか気のせいかな? 拾っちゃいけないものが子ネコの背中へ乗っているように見えるんだが……。
眉を寄せる俺に向け、ツインテールがにこやかに声を上げる。
「で、本日一番の収穫がこの子です!」
小さな人さし指が向けられた先には、ぐったりと子ネコの背に覆いかぶさって眠ったままの女の子がいた。
まーた面倒なもん拾って来やがって……。