第106羽
急激に低下した室温。ぞくりとした寒気を感じて、俺は周囲へと視線を巡らせた。
「どうかされましたか?」
そんな俺にアルメさんが不思議そうな顔で問いかける。
「あ、いや。ちょっと寒くなった気がして」
「そうですね……、空調の故障でしょうか?」
そりゃ空調だってしょせんは魔法具のひとつだ。故障もするし、誤動作することだってあるだろう。単純なヒューマンエラーで設定温度がおかしくなっていたとか、いくらでも原因は考えられる。
だがなんだ? この前触れもなく背中がヒヤリと凍りそうになる感覚。なんだか身に覚えがあるんだが……。
しばらくは突然の冷気にざわついていた周囲の人々も、アルメさんと同じ結論に至ったのだろう。一分もしないうちに落ち着いてきたらしく、思い思いに会話を再開していた。
「ねえ、私たち付き合い始めてもう三年も経つのね」
「ああ、あっという間だったな」
「最近うちの両親がね、お隣のお孫さんを見ていつもうらやましがるのよ」
「へ、へえ……」
「おばあちゃんも死ぬ前にひ孫の顔が見たいって、いつも言ってくるし」
「そ、そう……」
二つ離れたテーブルからは、遠回しに結婚を迫る女性と焦る男性の声。
「だからさあ、お前のプランは現実味がないんだよ」
「あのプランのどこに現実味がないって言うんだ」
「例えば増幅回路の魔力充足率。あれ、きちんとデータ取ったか?」
「無茶言うなよ。増幅回路ひとつでいちいち実験していたら、予算がどれだけかかるか」
「だからってデータの裏付けなしじゃあ、机上の空論って言われてもしかたないだろうが」
壁側のテーブルでは研究者らしきメガネ男子が言い合いをしていた。
「おかあさん、ケーキまだぁ?」
「ケーキはご飯が終わってからよ。それにまだご飯残っているわよ。ほら、お野菜もきちんと食べなさい」
「もうおなかいっぱいだよ。ケーキたべたい」
「お腹いっぱいならケーキはいらないわね」
「えー! やだやだ! ケーキがいい!」
「食べられるんならご飯残さず食べなさい!」
「もうたべられないんだってば!」
「だったらケーキも食べられないでしょ!」
「あまいものはべつばら!」
「もう、この子ったら要らないことばっかり憶えるんだから!」
俺たちの左側にあるテーブルからは、わがままな子供をしかりつける母親の声が聞こえてくる。
「そうです。甘いものは別腹、それは偉大なる神とて決してくつがえせぬ至高の真理なのです」
「ンー」
間を置かずして、母と子の会話を引き継ぐようにレストラン入口付近から聞き覚えのある声がした。さっきは空耳かと思ったが、今度は間違いなくハッキリと聞こえたぞ。
俺はすぐさま首だけを向けて、ひとつひとつテーブルをチェックしていく。
入口付近のテーブルは三つ。
ひとつ目のテーブルには小綺麗な身なりをした中年の夫婦。お互いに微笑みながらゆっくりと食事を楽しんでいる。見るからに仲むつまじいおしどり夫婦という印象だ。
ふたつ目のテーブルには若い男女の四人グループ。おそらくは社会人だろう。男女それぞれふたりずつで、和気あいあいとしゃべってはいるものの、微妙な緊張感が漂っている。もしかして合コンとかか?
そして三つ目のテーブルには長い銀髪の女性がひとりと、小さな子供がふたり。銀髪女性と空色のツインテールをした子供の顔はメニュー表で隠れて見えない。
……というかあからさまにメニュー表使って顔隠しているよな、それ。
一番小さな子供の顔も、空色ツインテールの子供がもう一枚メニュー表を使って必死に隠している。誰がどう見ても怪しさ満点の挙動不審者であった。
メニュー表で顔を隠してピクリともしないその不審人物たちから目をそらして、俺はゆっくりと首を正面へ動かしアルメさんと向き合う――かにみせかけて、途中で素早く不審者の方へ振り向く。
油断していた不審者たちは、外しかけていたメニュー表のついたてを慌てて元へ戻し、再び顔を隠す。
だがしかし、一番小さな子供の顔をとっさに隠す余裕は無かったらしい。
振り向いた俺の顔を見て、ニパッという効果音が出そうなほど満面の笑みを浮かべる希少種ゴブリンがそこにいた。
空色のチビッ子があたふたとしながら希少種ゴブリンの顔を隠そうとしているが、もう遅い。
俺は今度こそ首の向きを元に戻し、グラスへ注がれていた赤ワインを一気に飲み干すと、こめかみを指でもみほぐした。
「何であいつらがここに居るんだよ……」
ボソリとつぶやく俺へアルメさんが心配そうな声をかける。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ?」
「え……、あ、うん、大丈夫」
「体調が優れないのなら無理はしないでくださいね」
いかんいかん。女性と食事中にとって良い態度じゃ無かったな。
フォルス曰く「デート中にため息やしかめっ面は厳禁」とのことだ。よほど親しい間柄ならともかく、普通はマナー違反だとか何とか。
マナーうんぬんは別として、確かに雰囲気は悪くなるだろう。
ほら、笑顔笑顔。
「いやいやホント、何でもないから。こういうところで食事するのって初めてで緊張しているだけだよ」
アルメさんにはそう言ってごまかすが、内心の動揺はおさまらない。
俺は再び入口付近のテーブルへチラリと視線を向ける。
そこに座っているのは、長い銀髪の少女。触れれば指の隙間からすり抜けていきそうなさらりとした銀髪は、レストランの控えめな照明を反射してプラチナブロンドのように輝いていた。おそらく――というか、間違いなくティアである。
子供と変わらない身長の空色ツインテールはラーラだろう。くわえて先ほど無邪気な笑みを向けてきたルイ。
その三人がどうしてここに居るのか?
単純に食事のため? たまたま入ったお店が重なった? まさか。そんな偶然があるわけない。
確かにティアとラーラは別に仲が悪いってわけじゃない。だが仲良く肩をならべて食事に出かけるほど親しいわけでもないのだ。極めつけに俺から隠れようとしているのが明らかである。ようするに俺とアルメさんのお食事会をのぞきに来たということなのだろう。
あいつらいつからそんなデバガメになったんだ……。ラーラはともかくとしてティア、お前は良いところのお嬢様だろうに、まったく。
でもどうして俺がアルメさんと食事に来るって事が分かったんだ? 確かに夕食は外で食べると事前に伝えておいたが、それだって今日が初めての事じゃない。今までにもエンジやフォルスと外食に出たことはあるのだ。相手がアルメさんだと知っているのは、昨日偶然会ってアドバイスをもらったフォルスぐらいだが……、あのイケメンチートがペラペラと人のプライベートを言いふらしてまわるとも思えない。
「アルメさん、今日のことを誰かに話したりしました?」
「え? 突然なんですか?」
目を瞬かせてアルメさんが疑問を口にする。
「いや、窓の同僚とか友人に俺と食事することを話したりしたのかなーって」
「誰かに……いえ、言っていませんよ? 隠すようなことでもないですけど、わざわざ言ってまわるような事でもないですから」
二、三秒思い出すようなそぶりを見せた後、アルメさんが言い切る。
「……そうだよなあ」
となると、あいつらはどこから聞きつけたのか……。
うーん、気にはなるが、考えても仕方がないか。
見た感じ、あいつらも別に邪魔しようとか、からかおうとかいうわけではないらしい。俺から隠れようとするってことは、単純に興味本位でのぞきに来ただけなのだろう。
だったらあいつらが騒ぎでもしない限り、そこまで気にする必要もない。まあ、ラーラはともかくとして、ティアがいるんだ。暴走の心配もなさそうだしな。
俺はそこまで考えて、ようやく精神的に一息ついた。
女性とふたりきりで食事中に、他のことを気にして上の空ってのはやっぱりまずいだろう。フォルスから指摘されなくたって、それくらいは俺にもわかる。
せっかくこんな美人とお食事デートなんだ。例え色恋沙汰には発展しなくても、この場はお互いに楽しく食事をしたいものだ。
ティアたちに気をとられて、すっかり冷めてしまったメインの肉料理を口に運ぶ。
世話焼き性のアルメさんは俺の体調を心配しているようだが……。大丈夫、体調も食欲も全く問題ないから。単純に空色ツインテールや希少種ゴブリンが問題起こさないかと、不安が拭えないだけなんでね。
幸いラーラもルイも大人しくしていたようで、ときおりレストラン内の温度が下がる以外は何事もなく時間が過ぎていった。
コース料理を一通り堪能した俺たちのテーブルへ食後のデザートが運ばれてくる。
ちらりと目をやれば、ラーラたちのテーブルには料理そっちのけでデザートの皿が隙間もなく並べられていた。
お前ら何しに来たんだよ。ここはカフェやスイーツショップじゃねえんだぞ。
あきれながらも俺は視線を戻してアルメさんと言葉を交わす。
「そういえばレバルトさん。最近お仕事の方は順調なんですか?」
「本業の方? んー、良くもないけど悪くもないな。でもどうしてそんな事を?」
「いえ、来週夏祭りがあるじゃないですか」
「ああ、そういやそんな時期だよなあ」
「それで今、結構夏祭り関連の短期依頼が窓にも来ているんですよ。魔力がなくても出来る仕事がいくつかあったので、レバルトさんさえ良ければどうかと思いまして」
イベント期間中だけの単発バイトみたいな仕事ってことか。確かに夏祭りの準備にも人手がいるし、祭り中だっていろんなところでスタッフが大量に必要だろう。中には魔力がなくても出来る仕事だってあるかもしれない。
ここのところ懐が暖かいので窓から足が遠ざかっていたが、せっかくだから稼げるときに稼いでおくのも悪くない。パルノでも誘って仕事探しに行ってみようか。
「そうだな、明日か明後日にで――」
俺が返事をしている途中で、突然周囲に爆発音が響きわたった。