第104羽
「レビィじゃないか。どうしたの? こんなところで会うなんて珍しいね」
突然呼びかけられた俺は、心臓が跳ね上がるのを感じた。
出来れば知り合いに見られたくない一心で、こっそりとやって来た服飾街。普段着を売っているような庶民の洋服店から、お金持ち御用達の高級ブティック、靴の専門店やブランドバッグのお店など、服飾関連のお店やビルが軒を連ねている。
エンジやラーラに見つかったら面倒なことになるのがわかっているため、周囲を警戒しながら不審者と化していた俺に投げかけられたのはイケメンチートの声だった。
「あれ? フォルス、お前まだこっちに居たんだな」
声の主を見て俺はホッと一息をつく。だがやはり返す言葉にやさしさの成分が若干不足しているのは、動揺が抑えきれなかったからだろう。
「つれない言いぐさだね」
「悪い悪い。てっきりアヤといっしょにあっちこっち飛び回っている最中かと思ってな」
フォルスがひとりきりなのを確認してようやく俺も安心する。見つかったのがコイツで良かった。少なくともフォルスならなんやかんやとつきまとったり、あることないこと言いふらしたりはしないからだ。
「アヤさんも年がら年中旅してまわっているわけじゃないからね。せっかく別荘なんてものもらったんだから、夏の間はこっちに留まるつもりらしいよ」
「ああ、フィールズ大会でもらった例の別荘か」
先日行われたフィールズの大会。そこで優勝したアヤやフォルスたちのチームには、副賞として別荘と周辺の土地一式が与えられた。
根無し草のアヤにとって、持ち運べない不動産などあまり意味はないのだろう。だがせっかくもらったのだからとしばらくはゆっくり骨休めすることにしたらしい。
「ところでレビィはどうしてここに? レビィってこういうのあんまり興味なかったんじゃないの?」
そう言ってフォルスが店内を見渡す。
ここは服飾街の一角。高級というほどではないにしても、俺が普段着を買う庶民的な洋服店とは違い、若い男性が好むおしゃれ着を取りそろえているお店だ。
フォルスみたいなイケメンならともかく、俺がこんなお店に入っていることが知れたら、間違いなくラーラやエンジにいじくり回されるだろう。たぶん二週間くらい。
「いや、それがさあ――」
フィールズ大会の後、賞品として海辺のリゾート二泊三日をゲットした俺たち。たどり着いた先で奇遇にも『出会いの窓』職員のアルメさんに出会った。出会ったというか、実際にはナンパ男たちにからまれているアルメさんを助けた格好になる。
で、その時助けたお礼と以前のお詫びも兼ねて食事をおごってもらうことになったわけだ。
ん? 以前のお詫び?
憶えてねえかな? 俺とティアが学都に行った時、護衛のハーレイに裏切られてお金取られちまった件。
本来アルメさんには何の落ち度もないはずなんだけど、生真面目な彼女は責任を感じてしまったらしく、いつかお詫びをと言っていたのだ。
それに加えて今回海でも助けられたこともあり、どうしてもと言われて誘いを断り切れなかった。
ハーレイの件は俺の自業自得だし、海でアルメさんを実際に助けたのはラーラだから、ちょっと気が引けるといえば引けるんだが……。
アルメさんのように真面目なタイプは、こちらが謝礼を拒絶する限り、負債を抱え続けているようで重荷に感じるのだろう。さっさとお礼を受け取って気を楽にしてあげた方が良いような気がする。
ラーラには、後で代わりに賢人堂のチョコレートムースケーキでも持っていってやるつもりである。あの空色ツインテールはそれで十分だ。
とまあ、ラーラのくだりは省いて、アルメさんにご飯をおごってもらうことになった経緯をフォルスへ説明する。
「へえ。レビィもすみにおけないなあ」
「そういうのじゃねえから」
フォルスがなんか勘違いしていそうなので、一応否定しておく。
「ちなみに……、このことはティアさんも知っているのかな?」
「何でティアに知らせなきゃいけないんだよ」
ティアはこのことを知らない。というか、知らせる必要もないだろ。
いや、だってご飯おごってもらうだけなんだから。
あ……、でも明日夕飯いらないってのは言っとかなきゃあな。夕飯の支度がなければ、その分ティアも早く帰宅できるわけだし。
「うーん……、まあ僕が口出しするようなことでもないか」
いまいちスッキリしない様子で、フォルスが自分に言い聞かせていた。
まあいいや。
とにかくここでフォルスに会えたのはラッキーだ。
「それはともかくとして、ちょうど良かった。ちょっとアドバイスくれないか?」
「僕も今は急ぎの用事がないから良いけど。何のアドバイス?」
「食事する場所ってのが、ホテルのレストランなんだけど、どういう格好で行けばいいのかわかんなくてさ」
ホテルで食事なんて初めてなんだよな、俺。
「どこのホテルなの?」
「リドカインホテルっていうところなんだが」
ホテルの名を聞いたフォルスがやわらかい笑みをこぼす。
「ああ、あのホテルか。だったら安心して。そんなに格式張ったところじゃないから。普段着レベルでも大丈夫さ」
その言葉を聞いて少し安心する。ドレスコードとか面倒くさいのは正直ごめんだ。
「そうなのか?」
「もちろん、女性相手に食事するんだから、ある程度は身だしなみに力を入れた方が良いと思うけど」
「いや、だからそのある程度の身だしなみってのがよくわからなくてさ」
「ああ、なるほどね」
ある程度とか、そういう曖昧な表現は場数を踏んでいない俺にとって、判断基準にならないからなあ。
「だったら、僕からアドバイスできるのは三つかな。まず第一に、服装が普段と同じなのはまずい」
俺の服装を上から下までチェックして、リアルチート野郎が即座にダメ出しする。
「いや、お前さっき普段着で良いって言ったよな?」
「それはホテルに対してってこと。僕が言っているのは相手の女性に対して失礼ってことだよ」
「相手の女性って……、アルメさんに?」
「そう。わざわざホテルで食事するっていうのに、装いが普段のレビィと全く一緒だと、相手の女性に対して『僕はあなたとの食事に特別な価値を見いだしていません』って宣言するようなものだよ」
なにそれ、面倒くさい。
「そんな大げさな。アルメさんだってお詫びの代わりにって誘ってくれているんだし……」
そんな俺に向かって、フォルスは表情へちょっとだけ真剣な色を浮かべながら説明をしてくれた。
「ちっとも大げさじゃないよ。たとえ理由は何であれ男女ふたりがホテルのレストランで食事をするんだ。相手の女性は間違いなく普段よりもおしゃれに気を使ってくる。そんな相手に対してレビィがまったくの普段通りじゃあ女性の方だけ空回りしているようなもんだよ。女性に恥をかかせたくないなら、少しだけおしゃれにも気を配らなきゃ」
「つきあっているわけでもないのに?」
「たとえつきあっていなくても、だよ」
「マジで……?」
「マジで」
あっけにとられる俺をよそに、フォルス先生の講義は続く。
「今回はわりと気軽に入れるレストランだし、改まった格好はしなくても良いと思う。例えばそうだね……、レビィが普段着ている服の上にこんな感じの――」
と、並べられた商品に手を伸ばすと、一着の上着を手にする。
「薄いジャケットを羽織るだけでもずいぶん違うよ」
「夏の暑い盛りにジャケットぉ?」
フォルスが手にしたのは夏用に通気性の良い生地で作られたシンプルなデザインのジャケット。
「どのみちレストランへ行くのは日が落ちてからだろう? それにレストラン内は冷房も効いているだろうし。移動中は脱いでおけば良いじゃないか」
「うーん……、確かにそうだな」
試しにフォルスが選んだジャケットを羽織ってみる。
おお、なるほど。普段着の上に羽織るだけでも落ち着いた雰囲気になるな。こうも印象が変わるものなのか。
「ふたつ目は靴」
「靴?」
ジャケットを購入した俺とフォルスは場所を変え、今度は紳士靴の専門店へと移っていた。
「そう、靴。普段履いているそんなスニーカーで行っちゃダメだよ? 目立たないようでいて結構見られているのが靴なんだ。きちんとしたキレイな革靴に変えるだけでも印象はずいぶん変わるからね」
ジャケットの色に合わせてカジュアルタイプの革靴を新調した後は、そのまま小物装飾類を取り扱うお店へと移動した。
「最後はワンポイントのアクセサリー」
「飾り物かあ……。偏見だとは分かっているけど、男がアクセサリーでチャラチャラしているのって、あんまり好きじゃないんだよなあ」
海でアルメさんにからんでいたチャラ男たちを思い出す。
「別にジャラジャラとたくさんつける必要はないよ。ひとつだけ、指輪でもブレスレットでもネックレスでも良いから普段つけていないものを身につけるんだ。服につけるこういった装飾品でも良いんだから」
フォルスが手に取ったのはジャケットの胸ポケットにつけるアクセサリーだ。ポケットの口部分へ引っかけるようにして飾る自己主張の控えめなタイプである。
「あー、そういうのならまあ許容範囲だけど……。どうしても必要か?」
「何度も言うようだけど、大事なのは普段とは違うということさ。レビィは普段そういった装飾品を身につけないだろう? だからこそ普段よりも少しだけおしゃれをするってことが相手の女性を尊重することになるんだ。もちろん過剰におしゃれしすぎると、今回みたいなケースでは相手が引いてしまうだろうし、そのさじ加減が難しいんだけどね」
「俺にはさっぱり訳がわかんねえよ。でもまあ、すごく参考になった」
ハッキリしたこと。それは『俺にはフォルスのまねごとは無理』ってことだな。
だがまねごとは無理でも、アドバイスを参考にする程度なら許されるだろう。せっかくだから、ありがたくそのノウハウを拝借するか。
「そういうことなら、胸ポケットへつけるアクセサリーにしようかな」
「これなんかどうだい?」
そう言ってフォルスが差し出すのは銀色のチェーンと宝石代わりに紫色のガラスがワンポイントでついたアクセサリーだった。
「落ち着いた感じがして良いな、それ。でも俺としてはもうちょっと青っぽい色が好きなんだが……」
さすがにフォルスのセンスは良い。だがやはり俺の個人的な好みというのはフォルスにもわからないのだろう。
俺は似たようなアクセサリーが置いてあるショーケースを見渡す。
その時、ふとひとつのブローチが目に入った。
白い花、水色の花、蒼色の花、三本の花弁に三色の宝石をあしらい、全体的にはフレームの銀色を基調とした控えめなデザイン。それでいて精巧に象られた花弁と宝石の色が清閑な美しさを見せている。
ティアの銀髪と水色の瞳に調和し、普段着ているエプロンドレスの紺地に映える。きっとあの胸元につければよく似合うだろうということがすぐに想像できた。
店員に声をかけ、ブローチを見せてもらう。
細かい造形だし、宝石も小さな物がたくさんついているから耐久性が心配だったが、見た感じ作りはしっかりしている。かすかにフレーム部分が宝石を覆うように曲げられているので、ポロリとはずれてしまうこともなさそうだ。
値段は……、五万円か。
うーむ、決して安くはないが買えないほどでもない。
例の海から持ち帰ったカヌラ貝が結構高値で買い取ってもらえたし、フィールズ大会のときにバルテオットから巻き上げ――じゃなくて、賭けの対象としてティアが剥ぎ取って――でもなくて、とにかくもらい受けることになった装備一式を売却したお金もある。
実は結構懐に余裕があったりするのだよ、今の俺。
普段世話になってばかりのティアに、何かお礼をしたいと常日頃思っているんだが、あいつ給料とか受け取らないからな。学都に行ったとき、スイーツショップで限定メニュー食べたいとか言ったのが唯一のおねだりだったもんなあ。
今なら懐も温かいし、ちょうど良い機会かもしれない。たった五万円ぽっちじゃあ、これまでの働きにちっとも見合わないだろうが、あんまり高額なもの買うと逆に叱られそうだし。
「レビィ、それ女性用だよ?」
ブローチを手にして思考にふける俺は、フォルスの声で現実へと引き戻される。
「ん? ああ、分かってるよ。プレゼントに良いかな、と思ってさ」
「さすがに初めての食事でプレゼントまで渡すのはやめた方が……」
「いやいやいやいや、アルメさんにじゃなくて!」
どうもフォルスは俺がアルメさんにプレゼントする品を選んでいたと勘違いしたようだ。確かにアルメさんとの食事で身につけるアクセサリーを選んでいたわけだから、そう連想するのも仕方ないけどさ。
「じゃあ、誰に?」
慌てて否定する俺の返事を受け、当然のことながら疑問を浮かべたフォルスは、すぐさま思いあたったような反応を示す。
「――って、ああなるほど。確かにその色、彼女にぴったりだね。喜んでくれるんじゃないかな」
在学中、女子生徒たちをメロメロにしたさわやかスマイルを浮かべてフォルスが言う。
果たしてフォルスの言う『彼女』が誰のことなのかは分からない。確認したくもないし、フォルスもそこまで踏み込むのは野暮だと思ったから名前は出さなかったのだろう。
さりげない気配りと絶妙の距離感。
「お、おう」
俺はイケメンのチートスペックに改めて慄然としつつ、言葉を詰まらせながら怪しさ満点の返事を口にした。
2022/08/07 誤字修正 例え → たとえ